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ポルトガル現地集合ツアー+パリ・フリー

9月20日 出発
9月21日 カルカヴェロス、カスカイス
9月22日 オビドス〜カルダス・ダ・ライーニャ〜ナザレファティマ
9月23日 バターリャ〜コインブラ〜ブサコ
9月24日 ルーゾ〜アヴェイロ〜ポルト
9月25日 リスボン ベレン地区
9月26日 ロカ岬〜シントラ〜リスボン
9月27日 リスボン〜マフラ
9月28日 リスボンからパリへ移動
9月29日 マレ地区散歩、モンパルナス
9月30日 ヴェルサイユ観光パリ・オペラ座近辺モンパルナス
10月1日 パリ出発
10月2日 帰国
  *番外 おみやげ


9月20日 出発
フォアグラのパテ
東京成田発21:55 
今回もエールフランスの夜間飛行便だ。会社を出て空港へ。翌朝はパリだ。
添え物のイチジクに惹かれ選んだ機内食はフォアグラのパテ。これと白ワイン、さらに、赤ワインももらって、もう気分はフランス。一気に食べて、あとはお休みだ。

パリからは乗り換えてポルトガルへ。現地合流プランを選んだので、ツアー会社が指定したホテルに集合だ。知らない場所なのでちょっと不安。

9月21日

リスボン着、カルカヴェロス、カスカイスへ
カルカヴェロスの駅

カルカヴェロスの駅前の道路

パリ着は早朝4時すぎ、乗り換えのリスボン行きは7:20発。パリ出発が遅れたのでリスボン着は11時。パリよりポルトガルのほうが1時間遅いので、時計を戻す。時差でちょっと得した気分だ。

空港からカイス・ド・ソドレ駅へは空港バス。はじめに来たバスはもう一杯だったので、次のバスを20分ほど待った。リスボン空港は近いのですぐに市内だ。バスにも乗客用のカーナビがあって下車駅も表示されるので親切。30分くらいでバスの終点のカイス・ド・ソドレ駅近くの広場に到着。だが鉄道駅がわからない。すぐ近くなのに、川の方に行過ぎて歩いてしまい、ちょっと迷った。カイス・ド・ソドレからホテルまではカスカイス線の電車に乗っていかねばならない。旅行会社のパンフレットには、エストリル海岸のホテル/リヴィエラ集合とあったが、交通機関も降車駅も地図も書いていなかった。ネットで調べたら、ホテルの場所は、エストリルではなくその手前のカルカヴェロスで下車、駅から1キロ弱とある・・・。ちゃんと調べなかったらエストリル駅に行っていただろう。

電車は快適で、次の駅名も電光掲示板に出るし、放送も入る。知らないで乗っても、掲示板の近くにいれば大丈夫。ベレン地区を過ぎてしばらく行くと、進行方向左側には海辺の景色が広がってくる。カルカヴェロスの駅からは海側に歩くこと1キロ弱。広くていい道に見えたが、石畳のがたがたでトランクをひくのに難儀した。ホテルに着いたら12時。チェックインはまだできないというのでトランクを預けて、乗ってきたカスカイス線の終点まで行くことにした。リゾート地カスカイスまでは電車で15分程度だ。
おいしかったチーズ

注文した方が悪いともいえる.

カスカイスに行ってみた

カスカイスの町は予想以上にリゾート地で、観光客が多い。適当に歩くと飲食店が並ぶ広場に当たった。何も考えずにテラスの席に座ったが、店名を見ると「ジョン・ブル」と英国風。夜はパブらしい。はじめからポルトガル料理で飛ばすつもりだったので、しまったなと思った。注文をとりに来ると同時に、パンと円形のチーズが出される。ポルトガルの有名なチーズだというので食べてみると、中がとろっとしておいしい!

せめて海産物を食べようと、エビのサラダ、クラムのスパゲティーを注文。相方は何を思ったか、モッツァレラとトマトのサラダ、スパゲティーボロネーゼを注文。二人の選択は致命的な過ちだった。クラムもボロネーゼも、出てきたスパゲティーはくたくたに茹っている。途中で切れてフォークに絡まない。イタリア以外の土地で、ましてやイギリス風の名前を掲げたレストランで、アルデンテのおいしいパスタが食べられるなどど考えてはいけない。

海老のサラダもモッツァレラとトマトのサラダも、それなりにおいしかったので、これは観光地の食事だからと割り切って楽しむことにした。それにしても、この程度のパスタが10ユーロ以上している。ちょっと二人でお昼を食べてもう40ユーロ。折からのユーロ高で、換金レートは1ユーロ160円強。ポルトガルの物価も上がったと思う。
市庁舎前広場

聖母子像

ギマランイス伯博物館

館からの眺め

地獄の口

ギマランイス伯博物館

繁華街を海側に進むと、市庁舎前の広場に出る。目の前は浜辺だ。そのまま、右の海岸沿いを歩いてゆくと、公園の入口とギマンランイス伯博物館が見えてくる。ガイドブックではカスカイスでの見学場所に上がっているのはココと地獄の口の2箇所だけだ。何があるかわからないが、とにかく行ってみることにする。

館に入ろうとしたら、向かいにある教会の中を見せてくれると係りの人がやってきたので、数人の外人観光客とともに入れてもらう。鍵を開けて、中のアズレージョの礼拝堂、奥の間の宝物を見せてくれる。聖母像や僧侶の衣装も展示されている。こういうものはあまり写真を撮らせてくれないものだが、ここでは、写真も撮れ、フラッシュもたいていいという太っ腹ぶり。外人さんもパシャパシャ撮っていた。見学が終わると係員は、また鍵をかけて帰っていった。

本館はクリーム色の建物。入場料2ユーロとガイドブックには書いてあったので、中庭の回廊の受付らしきところに行くが、見学は無料だという。怪訝な顔をしていると、入口に連れてゆかれた。そこで、今始まったばかりらしい、お客一人のガイドツアーに合流。この館内は、ガイドさんの説明を受けながら案内してもらうシステムらしい。説明もついて何故タダなんだろう?ここも写真はとってもよいらしい。ロビーや客間、寝室、塔の上階からの海の眺め、2階の廊下には一族の美人の奥方や不細工な奥方の肖像画も飾られ、チェスのゲーム版も置かれている。図書館は小さいが、貴重な蔵書「アフォンソ・エンリケス年代記」がガラスケースに展示されており、各部屋には陶器や細工物のたんすなど、当時の貴族の生活やコレクションが垣間見られる。庭先に太平洋が流れ込むというのも素敵。英語の説明を正しく理解できたかどうかは別として、楽しい見学だった。

地獄の口

館の奥はガンダリーニャ公園で、これも伯爵家の所有地だったようだ。今では小動物園やちょっとした遊び場、花壇などがあり、憩いの場になっている。館を出てさらに海沿いを行くと、ごつごつした岩場が見えてくる。道路は整備されており、散歩に丁度よいコースだ。先のほうには観光バスが止まっている。あのへんが「地獄の口」らしい。断崖に開いた穴から海水が勢いよく入ると波しぶきが上がる様を見て、地獄と呼んだらしい。コンクリートで見学コースができているので、行ってみると、海側では釣りをしている人もいる。

地獄の口の近くには、土産物屋が並んでいたり、簡単なカフェがあったりするので、缶ジュースを買って一休み。カフェの店先には多種、かつ大量のお菓子が袋に入って売られている。土産物屋の並びで、鶏柄のエプロンを一枚買うと、店のおばさんが「テーブルクロスは?」とあれもこれも勧めてくるが、いらないと断る。他の店からも、「見て行かない?」「日本人?」と声がかかる。あんまり客が入ってこなくて暇そうだ。

陽が照りつけて、おでこがじりじり暑いが、湿気がないのでさわやかだ。ぼちぼち歩いて駅まで戻る。ブランド品のブティックやショッピングセンターもある。電車に乗るとカジノで有名なエストリルも通る。このあたりの海岸一帯はコスタ・ド・ソルといわれ、夏は大変にぎやかなリゾート地となる。

カルカヴェロスの夜

カルカヴェロス
のホテルに戻ったら、部屋にも入れるようになっていたので、一休み。中庭にプールがある、大きなリゾート・ホテルだ。
意外と高かった前菜類

これが7ユーロのチーズ

夜は少し冷えるので、遠出はせず、ホテルから3分くらいのところで夕食をとる。まず突き出しのチーズ、サラミ、ゆでた海老が出てくる。このとき、私たちは、これらはパンと一緒で、有料らしいが、そんなに高いものではないと思っていた。給仕の人は、どうするかとも聞かないし、値段も言わないが、他の客たちが要らないといって皿を下げてもらっているのを見て、なんかおかしいぞと思った。ガイドブックを見ると、これらのものは食べないときは断ること、パンも食べなかったら「パンは食べませんでした」と申告することとある。これは知らないと落とし穴に落ちる!

食事には、ポルトガルならではの干しだら=バカリャオの料理を2品頼む。リゾットは問題ないが、干しタラの料理は塩気が完全に抜けていないので塩辛い。これだけなら、30ユーロくらいなものだが、レシートを見ると60ユーロ・・・。明細を見たら、チーズが7ユーロと、黙って置いて行く品物にしては高い。

さて、ホテルに戻り、フロントにたちより、「このホテルに集合するツアーなのだが、明日からどうなるのか連絡がない。旅行会社から伝言はないのか?」と聞いてみたが「ない」という。「同じ旅行代理店を使って泊まる客は?」「ミカミトラベルのお客さんはあなた方だけです」とのこと。途方にくれて、「明日はホテルでピックアップしてもらえるのかな?忘れられてないよね・・・」などと不安になりながら、翌朝は何時に出発でもいいように早めに起きることにして休む。

9月22日

オビドス〜カルダス・ダ・ライーニャ〜ナザレ〜ファティマ
朝はブッフェ。コーヒーも勝手に注ぐ。

オビドスの城壁が見えてきた。

朝起きると、ドアの下から手紙が差し込まれていた。現地のガイドさんからのもので、今日の集合時間が書いてある。忘れられていなかったんだとほっとする。どうやらツアーの他の人たちは、夜遅くここに着いたらしい。それにしても同じ旅行代理店の人はいないって言ったよね、フロントの兄ちゃん。

朝食後、指定のロビーに行ってみると、ガイドさんは70歳という年齢の女性。とても素敵でおしゃれな方なので、その年齢にはとても見えない。ツアーには、私たち以外に、大阪から来た女性2名が参加している。総勢4人+ガイドさん1名、運転手1名なので小さなバスで観光することになる。運転手はゴメスさんという名前。最初の訪問地、オビドスまではかなり乗らなければならないが、道が整備されているので、速く、快適だ。

オビドス散策

オビドスは城壁に囲まれた小さな街で、その昔、王様がこの土地を気に入った王妃様に、町ごとプレゼントして以来、代々王妃の直轄地になっていたという。城門は、万一外敵からの侵入を受けた場合、突入を遅くするため、二重の門になっており、最初の門の開口部とずらせて次の門が作られている。

門の内側は2階にテラスがついていて、18世紀のものという青のアズレージョで飾られている。
チョコカップ入りのさくらんぼ酒

サンタ・マリア教会の内部

城壁を入ると、両側に白壁の2階家が続くメインストリートのディレイタ通りだ。白い壁には地面から高さ30〜40センチくらいのところまで、青か黄色が広い帯状に塗られている。お店がたくさん並び、そぞろ歩きの観光客の足を止める。どこでも見かけるポルトガルの鶏の置物から、全く関係なさそうなアジア系の洋服まで売っている。

ガイドさんに、一軒の酒屋を紹介されて入る。この土地のものがよいと定評がある、さくらんぼのお酒・ジンジャを試飲させてくれるという。その店は、チョコレートでできた小さなカップに、さくらんぼ酒を注いで出してくれるというので、もらってみる。おいしい。さくらんぼの果実が入った11ユーロのジンジャを買っていくことにするが、チョコのカップは壊れそうなのでやめた。この試飲は高くはないが有料(1.1ユーロ)らしく、ガイドさんが人数分を支払っていたようだ。

こういう時は、旅程表にわざわざ「名物のお酒ジンジャを試飲いただきます」なんて書いてあったりするのだが、ガイドさんに聞いてみると、「いいじゃないですか、アトラクションですよ」とのこと。予期しない楽しみがあってもいいでしょうと笑っていた。

町の奥へ入ってゆくとサンタ・マリア広場にでる。罪人をつるすペロリーニョという柱が立っているのだが、あんまり悲壮感がない。そもそも私には、ペロリーニョという響き自体がコミカルに聞こえる。広場は一段下がったところで、奥にはサンタ・マリア教会が立っている、

見たところ小さな教会だが、15世紀には、ここで当時10歳のアフォンソ8世が従姉妹のイザベラと結婚式を行ったという由緒あるものだ。中に入ってみると壁面が17世紀のアズレージョで埋められている。

メインの通りに戻って先へ進むと城壁に突き当たる。すぐそばに国営ホテルのポウサダがある。大変きれいらしいが、今回はそこへは入らず、城壁を見に行く。ただし、時間もないので、城壁に上ったりはしない。
黄色と青は町の旗だったらしい。

ディレイタ通りを一本脇に入ると、静かなたたずまいだ。ちょっと冒険心を起こして道を外れてみたか、いい風景を探して迷い込んだ観光客以外は、誰も歩いていない。人も住んでいるのだろうが、高い塀のせいか、人の気配も感じない。

自由散策は30分ほどだが、意外と早く過ぎてしまい、小走りでバスに戻ると、ガイドさんが、「急がない、急がない。ここはポルトガル!」・・・。
ぶらりひやかしも可
カルダス・ダ・ライーニャの朝市見学

小型バスで少し走り、カルダス・ダ・ライーニャの朝市に立ち寄る。ここでも20分ほど自由時間だ。朝市の中心は野菜や魚、肉、チーズなど生鮮食料品だ。旅行中だから買うことはできないが、お菓子、パンなどもお店が出ているので、小さなドーナッツのような菓子を買ってみる。既にできている1パックでは多いので、10個くれというと、ビニール袋に数えて入れてくれた。40セント。丸くしたドーナッツに砂糖をまぶしたようなお菓子だが、ドーナッツほど粉が入っておらず、すごく軽い。これなら、10個くらい、いける。

きれいな砂のビーチ

レストランからの眺めもご馳走

ナザレ

今度は少し遠くまで移動。それでもお昼ごろにはナザレに到着する。すごい青空だ。まだ9月はぎりぎり観光シーズンらしく、浜辺にも人がいる。海岸沿いの道を崖側にまっすぐ歩いて、一番奥にあるレストランへ向かう。海側の席に着くと、ドドーンという波が砕ける音が聞こえる。

昼食のメインはいわしの炭火焼。大皿にたくさん持ってきて、ストップをかけるまでいくらでもよそいそうな雰囲気だ。全員2匹でとめてもらい、じゃが芋も、控えめにしてもらう。給仕のおじさんに、だらしないね、という顔をされる。デザートは焼きりんご。朝市で見たりんごは小さかったけど、あれなら大丈夫じゃないかとツアーの他の参加者の人が言う。でもその代わり3つくらい出てきたりして・・・と話していたら、案の定一人分はりんご3個だった。最初はおいしかったが、小さくても2個くらいが丁度いい。全員途中でギブアップだ。

食事の後は、町の低地部分のプライア地区を散策。夏の終わりはまだにぎやかで、通り沿いの土産物屋やカフェも盛況だ。10年以上前に来たときは、冬のせいもあり、もっとひなびた感じがしたが、今は観光地然としている。売っているものも、素朴そうに見える手編み風のセーターもあるが、大量生産のTシャツも並んでいる。
ロープウェイ

メモリア礼拝堂

町の奥に入ると店もなくなり、住居になるので、とたんに静かだ。白壁にかなり堂々と洗濯物がかかっている。下着でもお構いなし。ガイドさんが、こっちでは、道を歩けば、その家の家族構成や各サイズもわかるといっていたがその通りだ。

お土産店で木で作った小さな舟を買う。2ユーロ。ナザレと書いてある。いかにもご当地の観光土産だ。

ロープウェイにのって、崖の上の地区・シティオに行く。シティオには「ノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ」(ナザレの聖母教会)がある。内部はバロック様式で、アズレージョで飾られているというので、楽しみにしていたのだが、残念ながら本日は結婚式ということで見学できなかった。まあ、そんな日もあるさ。

その代わりというわけではないが、すぐ傍の聖母マリアの奇跡が起こったという場所にメモリア礼拝堂が建っているので、そちらへ行ってみる。本当に小さい祠のような礼拝堂だが、ひっきりなしに人が出入りしている。

昔々、土地の領主が、霧の中を馬で狩りをしていたら、突然マリア様が目の前に現れた。馬をとめてふと見ると下は断崖絶壁だったという。彼は、マリア様が助けてくれたと感謝し、ここに礼拝堂を建てたというのが言い伝えである。このメモリア礼拝堂は中にはキリスト像、マリア像がある。中はさらに小さく、2−3人しか入れない。細い階段を降りると小さい窓があるが、高所恐怖症の人は覗けない、崖ぎりぎりに立っていることがすぐわかるような風景が広がる。礼拝堂の裏の壁には、がけっぷちで踏みとどまった馬と領主の絵が描いてあるアズレージョが埋め込まれている。

礼拝堂の脇は展望台になっていて、ナザレの浜辺が見わたせる。砂浜、白い波うち際、青い海、家の屋根のオレンジと、絵になる美しさだ。もう絵にもならない中年でも、ここではやっぱりニコパチの記念撮影がしたくなる。
ファティマのバジリカ前広場

ファティマ

ナザレから宿泊地のファティマまでは、ちょっと時間がかかるので、退屈しのぎに、車の中でファドをかけてくれる。「眠くなったら眠ってくださいね、しばらく説明はいたしません」とガイドさん。そのうち、ガイドさんが眠ってしまった。椅子から落ちそうなほど上体の体勢が崩れている。「疲れたんだよ、昨日、遅かったみたいだし・・・」なんて話していたら、先に大きな建物が見えてきた。どうやらバターリャの修道院のようだと思った瞬間、ガイドさんがしゃきっと背筋を伸ばして「はい、アレが明日見学することになっているバターリャの修道院です」と説明を始めるではないか。今の今まで眠っていただろうに、そんな様子はおくびにも出さない。これこそプロフェッショナルだと感服した。
バジリカ内部

壮麗なバターリャ修道院の建物を横目に、車はなお走ること30分余り。急に町に入ってきたなあと思ったら、そこがファティマだった。鉄道のファティマ駅から相当遠いようだが、車は、こういうときは便利だ。一旦ホテルで小休止して、再び集まって大聖堂に行くという。なんといっても、宿泊するファティマというホテルは聖域のまん前だ。これも便利。

聖域は長さ540m幅160mと大変広いが、毎月13日、特に5月と10月にはこの広い広場が埋め尽くされるという。目下拡張計画中のようだ。
出現の礼拝堂

ろうそくの火をつける場所

ファティマのバジリカ自体は近代の建築なので、見るべきものは特にないが、バジリカの内部の両側に聖母の出現にあった奇跡の子ども二人=フランシスコとアジャンタの墓があり、見学者が足を止めている。

聖母が出現した場所は、バジリカでなく、出現の礼拝堂のほうである。こちらの礼拝堂は小さいが、参拝者が取り囲んでいる。特に今日は何かあるらしく、どこかから来た信者一行が同じスカーフみたいなものを巻いて練り歩いていた。中世風の服を着て、のぼりみたいなものをもって歩いている子供たちもいる。私たちと同じ宿に泊まっているようだ。脇にはろうそくの火を点火するための元火がバンバン燃えている。入口近くの案内書でろうそくを買って、並んで火をつけて礼拝に臨むのだろう。

広場の真ん中にあるキリスト像の下には蛇口があり、ひねると湧き水を飲むことができる。並んで、飲み終えた水のペットボトルにこの聖水を入れて帰った。飲んだらご利益あるかな?

広場の地面には細い道の印が記されていて、何人かの人がひざをついてそこを歩いていく。聖母にお願いするのに身を低く置いて進むのだそうだ。下はコンクリートなので、さぞひざが痛いだろう。キリストの苦行を追体験する意味もあるという。道は長く続いているが、全部でなくても、自分のできる限界までがんばればよいらしい。
マリア様の像がいっぱい

聖域を出ると、すぐ脇に宗教グッズを売るみやげ物やが立ち並ぶ一画がある。回廊風になっており、すべてがこれらの関連の店だ。体で治したいところがある人が買って、お祈りする際に持ってゆくらしきセルロイドか何かでできた人体の一部(腕とか足など)、ロザリオ、聖母と3人の子どもの置物などに混ざって、サッカーチームのグッズ、おもちゃなどおよそ宗教と関係ないものも売っている。おみやげ回廊を出ても、町の中は、この手の土産物屋がいっぱいある。

それでも、せっかくきたので、ロザリオ、メダル、聖水の入った小瓶を買ってみた。キリスト教の信者でないが、なぜかこういうものは大好きなのだ。
蝋人形館の必携パンフレット

ファティマ歴史博物館

メインストリートらしきところを歩いていると、博物館の文字を発見。ファティマの奇跡を語るファティマ蝋人形館だ。たかだか蝋人形館なのに入場料5ユーロは高いと思うが、ほかに何もすることもないし、二度とファティマにはこないだろうからと、思い切って入る。
          入場券         3人の羊飼いの子ども

最初に英語の解説書を渡される。蝋人形で、3人の羊飼いと聖母の出現、奇跡と認定されるまでの道のりなどが、蝋人形で再現されている。それぞれの場面には番号がついており、解説書の番号と対応する。英語なのでわからない部分もあるが、ポルトガル語よりはまし。番号と題名を見るだけでも理解の助けになるので解説書は必携だ。
礼拝堂前に人が集まってきた

パレードを見る

ホテルのレストランで夕食を食べる。ごろごろした豚が入った料理。サラダもついて嬉しい。この町では巡礼者用の宿も多いようで、ホテルも地味。洒落たレストランというのも見つかりそうもない。ガイドさんが言うには、このホテルのレストランはこの町では洗練されているらしい。

8時半から聖域でパレードが行われるというので出かける。昼間は暑いくらいだったが、夜は少し寒い。出現の礼拝堂で礼拝が始まり、ろうそくに火を灯した人たちが次第に集まってきてはいるが、パレードは始まらない。
そろそろパレードかな

長い礼拝がようやく終了し、いよいよパレードだ。礼拝堂の奥から十字架とマリア様の山車が出てきて、たくさんの人々がそれを先導して行進を始めた。

音楽の盛り上がりの部分では、全員でろうそくを高く掲げる様が美しく、そのシーンを見るためにまた何分か待つ。広場を一周して礼拝堂に戻るまでを見たが、また礼拝が始まり説教がマイクで響いてくる。マリア様も礼拝堂の中に入って消えたが、それでもまだ説教は続く。最後まで見届けたかったが、参加していた人たちも、パラパラと帰途についている様子なので、私たちもホテルに帰った。体が冷えたので、風呂に入って就寝。

9月23日

バターリャ〜コインブラ〜ブサコ
    

バターリャ修道院の横顔

7時半朝食、8時45分バゲージ・ダウン、9時出発の予定が30分ずつ繰り下げ。朝行く予定のバターリャの観光ガイドが都合がつかなくなったという理由だ。現地のガイドがいないと、ツアーでの観光はできないらしい。どうしようもないのでリスボンから臨時で呼び寄せました、とガイドさん。私たちはただ待っているだけだが、ガイドさんは色々手配が大変だ。ファティマは鉄道駅から近いわけではないので、リスボンからバスでやってきた。ファティマのバス停でピックアップし、何とかバターリャへ。

バターリャ修道院
とうもろこし飾り。しかし汚い壁だ。

30分ほどでバターリャの大修道院が見えてくる。壁の上部はかなり黒ずんでいるが、「汚れ」だそうだ。掃除をしたところはきれいな色になったというから、ここでやめないで、もっと全体を掃除して欲しい。

建物のテラスの壁の突起の装飾は皮を半分むいた「とうもろこし」だという説明。この建設当時、新大陸から入ってきた珍しい産物を装飾につかったのだそうだ。フランス王家の百合のような柄かと思っていたが、ナルホド、よく見ると「とうもろこし」だ。およそ装飾的でないと思っていた野菜が、こんな飾りになるとは!

まず、創設者の礼拝堂を見学。ステンドグラスを通ってきた光が、白い石に写っているのがとてもきれいだ。
ジョアン1世とフィリパ王妃の石棺

創設者の礼拝堂は、アヴィス朝の創始者ジョアン1世の眠る場所だ。と言ってもポルトガルの歴史はあまり知られていないので、黄金期のエンリケ航海王子の親といえばわかり易い。ジョアン1世と王妃のイギリスから来たフィリパは大変仲がよく、王の遺言によって、石棺の彫像では二人は手をつないでいる。その回りには子どもたちが眠っている。

エンリケ航海王子の棺もある。長男でもなく王子の身分で一生を終えたエンリケが、王位についた人間のみがかぶれる王冠の飾りをいただいているのは、大航海時代を築いた彼の功績があまりに大きかったためだという。
王の回廊の中庭

この修道院は、正式には「勝利の聖母マリア修道院」といい、ポルトガルが対スペイン戦で勝利した記念に、ジョアン1世が建築を命じたものだ。当初、アフォンソ・ドミンゲスという人がゴシック様式の回廊を作ったが、そこに大航海時代の様式マヌエル様式の手法で装飾を施している。

回廊は「王の回廊」といわれ、外観でも見かけた皮を半分むいたとうもろこし、胡椒の丸い実、ざくろなど、航海によって広く知られるようになった植物のモチーフが、装飾に用いられている。また、ポルトガルは16世紀に、スペインとの間で、発見した新大陸を公平に分けようというきわめて勝手なトルデシリャス条約を結んだが、丸い地球を二分する帯がかかった装飾も、よく使うようになった。
無名戦士の墓

王の回廊を通り、参事会室に入る。大きな部屋だが、周りの壁から放射状の柱が構成され、天井を支えている。その代わり、部屋の中には柱が一本もない。建築当時は、この部屋を見た人々は、天井が落ちるのではないかと騒いだという。そのため建築家本人が、この部屋で一晩眠って見せたという。

部屋の中には舌をペロッと出した人の顔の飾りがあり、これは建築家が、「ほら落ちなかったろ」と自分の業績を後世に残したものだという説があるという。

中央には何もなく、がらんとした部屋だが、外に面した壁には、キリスト受難を表したステンドグラスがある。

また、今ではこの部屋には、無名戦士の墓が置かれ、大きな十字架の前で、警備の兵隊がたっている。兵隊さんの隣に立って写真を撮ってもらっている観光客もいる。
ファサードの彫刻のオリジナル

王の回廊を抜けて、小部屋に入ると、そこには修復前の修道院の装飾が無造作に近く置かれていた。

現在のファサードなどの彫刻はみんな復元らしい。こうしてみると、この部屋の中は、ありがたいものが見られる気がするのだが、オリジナルの彫刻の扱いはあまりよくない。

美術館みたいに、もっと貴重なものを扱うように展示すればいいのに、これでは廃墟の瓦礫みたいで、手で触ったりもできそうだ。展示品は多くないので部屋を一周りして見る。
アフォンソ5世の回廊

次に通った回廊は、実にこざっぱりとしている。

アフォンソ5世の回廊というそうだ。祖先が作らせた「王の回廊」に敬意を表して、自分はそれより地味な回廊を作らせたのだそうだ。シトー派の修道院のような飾らない感じが、むしろ修道院にふさわしい。

この回廊を抜けて1回外にでる。これで見学は終わりかと思ったら、最後に、未完の聖堂を見るという。ちょっと歩くと、未完の聖堂の外観が見えてくる。上部には四角い塔のようなものが突き出している。
未完の聖堂、外観。黒ずんでいる。

鍾乳洞のような装飾の入口をくぐると、見事な装飾が施された壁面はあるが、中央には天井がない。

なぜ、天井が作られなかったかという理由は、リスボンのジェロニモス修道院を作ることになり、バターリャにまわす資金がなくなってしまったためだということだ。屋根がないことで、青空の下で、装飾の陰翳のコントラストがたいそう美しく感じる。建設が途中で打ち切られてしまった未完成の礼拝堂だという説明がなければ、はじめから、このように設計された中庭かと思う。このほうが良いという美意識のもとに建てられているかのようだ。
夫婦の石棺

ジョアン1世の子・ドゥアルテ1世が着手した、未完の礼拝堂の周りの部分には一部作りかけの屋根があり、そこにはドゥアルテ1世夫妻の石棺が置かれている。この夫妻も大変仲むつまじく、手をつないで眠っている。ただし、これもジョアン1世に敬意を表して、若干遠慮がちに、つないだ手を高く掲げず、低い位置にしているのだそうだ。こうした年長者、偉大な者に対する謙遜の気持ちを外国人が持っているということは意外な感じだった。(失礼?)

この壁の装飾には、文字がアラベスク模様かというほどぎっしり埋められている。ドゥアルテ1世のモットー「忠義ある限り尽くさん」と書いてあるてのだそうだ。ガイドさんが壁の出っ張りに足をかけて説明している。貴重な建造物だけどいいのかなあ・・・・?
楽しいティータイム

バターリャの修道院の見学後は、ちょっと時間があるので、近くのお菓子屋さんでお茶を飲んだ。これも旅程表にはない嬉しいアトラクションだ。

リスボンから来た現地ガイドさんは別のガイドの仕事があるので、速攻でバス乗り場へ向かった。私たちは、ゆっくりオープンエアの席に座って、ガイドさんが選んでくれたお菓子とお茶でブレイク。アーモンドの粉を使った焼き菓子とレモンのお茶が出てくる。レモンのお茶は、レモンピールにお湯を注ぐだけだというが、レモンが無農薬でなければできない贅沢だ。
前菜のサラミ類

昼食は「バカヤロウ」だよ!

バターリャから90キロの道のりを飛ばして、昼食前にコインブラに到着。旧市街を見ながら対岸の高台にのぼり、およそ何もない住宅地の中のレストランで昼食となる。昼食のメインは、たいてい日本人ならバカヤロウと覚えさせられる魚、鱈(バカリャウ)の料理だ。干鱈を細く裂いて、じゃが芋、玉ねぎの細切りと炒めて玉子でスクランブルエッグのようにしたもので、とてもおいしかった。ポルトガルでは有料なので気をつけるべしと身をもって勉強した各種突き出し類も、ツアーだから安心して食べられる。オリーブに、サラミに、バターもパンもすべて込みだもんね。
イザベル王妃

新サンタ・クララ修道院は見学できず

昼食の後は、近くの新サンタ・クララ修道院へ行く。ところが、子どもの洗礼式が行われているようで、礼拝堂の前方には行くことができない。後ろに陣取ってガイドさんの説明を聞くが、ほとんど見学はできなかった。

外にはイザベル王妃の像が町を見守るようにたっている。彼女はディニス王の妃で、貧しい人々にお金やパンを持ち出していたが、ある日問いただされ、籠の中身を見せるように言われる・・・。開けてみると籠の中身はバラの花に変わっていたという。人々に慕われたイザベルは聖女と呼ばれコインブラの守護聖人となった。
狭き門より入れ

コインブラ大学へ

新サンタ・クララ修道院の丘を下り、橋を渡ると旧市街の入口の広場につく。そこからまた車は坂を登る。

ポルトガルの、また、中世から続くヨーロッパの名門大学のひとつであるコインブラ大学は旧市街の丘の上にある。とはいっても大きな敷地にビルのような校舎があるわけではなく、学部によってその近辺に点在しているのだ。白亜のギリシャ建築のような文学部など、それぞれ風格のある建物となっているようだが、見学するのは、旧大学といわれるところの一部だそうだ。

「無情の門」とよばれる鉄格子の門を入ると、中には広場があり、コの字型に法律学部、ラテン回廊、時計塔、教会、図書館などが配置されている。ラテン回廊は、当時の教養人の共通言語・ラテン語で話さねばいけない場所だったという。残念ながら一部修復中。かけている部分を想像できるように、絵がついた幕がかかっている。

すごい図書館
回廊は一部修復中

コインブラ大学での見学の目玉は、図書館。建物の前で待ち、交代制で入場するらしい。前の団体が終わって出てくると私たちの番だ。観光客4人で貸切。

入るなりびっくりするキンキラの図書館。部屋の中央は吹き抜けだが、2階の天井までびっしり本棚になっている。その蔵書数は30万冊だという。続きの3つの部屋に分かれているのだが、ぶち抜きになっているので、奥の部屋にかかる、この図書館を作ったジョアン5世の肖像画が、真正面に見える。ガイドさんの話によると、ジョアン5世という王様は、見栄っ張りで、学問の探求目的というよりは、権威の象徴としてこの図書館を作ったらしい。
図書館の正面(絵葉書)

奥の部屋から黒、真ん中が赤、手前が黒を基調とし、金色の装飾を施したきらびやかな部屋だ。当時新世界からたくさん入ってきた金をふんだんに使った装飾は金泥細工というもので、バロック様式もあいまって、めちゃくちゃ豪華に見せている。どうみても、もっと重たい素材に見えるが、金泥細工で飾られた柱の土台は実は木。この王様の虚栄心なのか遊び心なのか・・・。さらには騙し絵のような天井は、平面だというのだが、丸く傾斜がついているように見える。

同様に新大陸からの金銀にあふれかえった隣国スペインも、プラテレスコ様式というものが流行り、ゴシック様式に金銀を塗りたくったが・・・。2カ国とも、もう少し金銀を上手に使えば、かくも早く世界の頂点から転がり落ちなかったかもしれない。
礼拝堂のパイプオルガン

図書館の中では写真撮影は厳禁のようだ。何でも写そうという私には、これは、がっかりだ。せっかく凄いものを見たのだから、せめて記念に絵葉書くらいは買って帰りたい。図書館の入口にあるだろうと聞いてみたが、「あら、品切れだわ」という。大学とはいえ、なんと欲のないこと。撮影禁止にしたからには、観光局とタイアップして絵葉書やパンフレットの独占販売でもして、観光客から金をとって維持保存の資金に当てればいいと思うのだが・・・。

礼拝堂もバロック

図書館の見学を終えて外に出る。隣の建物には、やはりバロックの小礼拝堂がある。そこで結婚式を挙げたらしきカップルが中庭を歩いている。ぱらぱらと参列者も散らばっていく。式も終わったようなので、礼拝堂も見学する。小さい礼拝堂の壁からせり出してついているパイプオルガンは、余りに豪華で、その重さで落ちそうに見える。

図書館に続き、礼拝堂も撮影禁止だ。うーん、写真が撮れないというだけで、なんだか目的が半分失われてしまったような気がする。やっぱり絵葉書はない。
コンフェイト

旧大学を出て、すぐ脇の細い坂道を下ると、旧カテドラルの横に出る。さらに細い道を降りてゆくとタイルやポルトガルワインなどを売る店が両側に出てくる。ワインの試飲をさせてもらったが、ワインは要らないので、コインブラ大学の図書館のえはがきを買ってゆく。坂の終わりくらいにアルメディーナ門というアラブ風のアーチがある。その下にはコインブラの大通りが横に通っている。ショ−ウィンドーを見ると、コンフェイトと呼ばれる金平糖の元になったといわれているお菓子があるので、ちょっと覗いてみる。日本の金平糖に比べると、ツノは少なく、色は不透明、一粒が大きい。

大通りの入り口にでるとポルタジェン広場にいきつく。もう、これでコインブラ観光はおしまし。バスに乗ってブサコへ。
憧れのブサコパレス

憧れのブサコ・パレスへ

コインブラからブサコの森へは30キロほど。車で30−40分、バスだと小一時間の距離だ。自然に恵まれた国定公園なのだそうだ。元は修道院がある聖地だったが、ポルトガル王家のマヌエル2世がここを気に入り、狩のための離宮を作らせた。ところが完成直後の1907年、ポルトガル王家はクーデターで倒されてしまい、この城は放置されてしまう。その後ホテルチェーンが手を入れて利用できるようにしたものが、今日のブサコ・パレスホテルである。本物のマヌエル様式の美しい姿を見ることができる、5つ星の宮殿ホテルである。
マヌエル様式の柱とアズレージョ

旅行会社の名前を告げて、バスは門を通してもらう。ここからブサコの森の公園らしい。門の中は、大型車では通るのが大変そうな細い道になっていて、ホテルまでちょっと時間がかかる。相変わらずよく揺れる。視界が開けるとホテルの塔が見える。先端には、またも、地球を二分する帯のかかった球体のマークがついている。

早速、外の廊下から、マヌエル様式とアズレージョの歓迎だ。いよいよ夢のブサコパレス・ホテル。滞在のスタートはサロンででウェルカムドリンクから。部屋の鍵をもらって、お部屋へいってみると、あれ???ベッドメーキングがされていない。ガイドさんが点検に来てくれて、「これはダメ、文句言いましょ」と出てゆく。
上階の廊下兼広間

違う部屋に変えてもらったのだが、今度の部屋の方が狭い。うーん、掃除だけしてくれればよかったのになあ・・・ままならぬものだ。このホテルは、宮殿をホテルに改装しているので、部屋の大きさや造りは一律に統一されていないようだ。部屋の当たり外れもあるのではないかと思わせる。それもこのホテルの特徴だ。

部屋はちょっと狭いが、廊下やロビーが贅沢にできているので、室内装飾に関しては部屋の外で楽しむことにする。1階から2階に上がる大階段のアズレージョは有名で、ナポレオン軍の足を止めたブサコの戦いが描かれている。
山から見るホテル

日没まではまだ時間があるので、周囲の山の散策コースの地図をもらって出かけることにした。頂上の十字架までは歩いて30分位はかかるというので、無理はせず、ぼちぼち行けるところまで行って引き返そうということになった。歩き始めは、わりと広い坂道だったが、だんだん山道にかわってくる。ところどころ、祠があるので目印にしてゆくとよいらしい。それぞれの祠を覗くと、キリストの受難の一場面が、人形であらわされている。

途中、景色のよいところに出たので、そこでやめておこうかと思ったのだが、もう少しだけと思って進む間に頂上に到着。そんなに歩いたつもりもなく、思ったほど大変ではなかったが、時計を見ると確かに30分経過している。
意外とかわいい

頂上の十字架の展望台は、外の道を登って車でもこられるらしく、思いのほか人がたくさんいた。ちょっと景色を眺めてから、帰ることにしたが、降りる道の方が苦労した。登る時と違って降りる道は選択肢がたくさんあるので、ホテル以外のところにも出られてしまう。道を外れないように、祠を逆にたどってゆくことにする。そろそろ日が傾いてきた。

ホテルの庭やロビーを散策して、部屋に戻り一休み。夜になると大階段の踊り場にある鎧の目が光るというので、見に行きがてら集合場所のロビーに向かう。目が光る鎧は、もっと不気味かと思ったが、意外とユーモラスだ。
ここでしか飲めないといわれると

夕食の時間になったので、ロビーの隣のレストランに移動する。レストランは、上品だが、高級レストランにありがちな居心地が悪くなるような豪華さではない。

ホテルのレストランは、ポルトガル料理を出すということなので、メニューも比較的カジュアルだ。ブサコパレスは、オリジナルのワインを造っており、赤ワインは「ブサコ・ティント」と呼ばれる幻のワインだそうだ。美味しいとか不味いとかいった意味でなく、ここで飲むか買って帰るかしない限りは一般にはお目にかかれないということのようだ。白ワインもあるが、個人的には赤ワインが好きなことと、ハーフ・ボトルがある唯一のものということもあり、メインのお料理は魚だが、ブサコ・ティントを頼むことにした。「残っても、お部屋に持って帰ればいいですよ」とガイドさんがアドバイスしてくれたが、この場で飲む雰囲気も大切なので、一滴も残さず全部いただいた。

朝晩は、山の上だから寒いくらいだと聞いた。窓を開けてみると空気が冷えている。広々したバスルームで、ゆっくり入浴。アメニティーはまあまあだが、さすがに5つ星ホテルなので、タオルやバスローブは贅沢な感じ。私たちの部屋は広くなかったが、やたら高い天井を見ながら眠りにつく。

9月24日

ルーゾ〜アヴェイロ〜ポルト
ブッフェ

ブサコ・パレスの朝食は、他のホテルに比べてのんびり8時からスタートだ。よって一日の観光の予定も、遅いスタートとなる。朝食場所は夕食と同じレストランでブッフェ・スタイルだ。朝は掃除中でクローズになっていたが、昼間になれば、マヌエル様式の柱の並ぶテラスでも食事が摂れるようだ。

9時半にホテルを出発。そろそろ他のお客さんも出発らしく、ホテル前の駐車場がにぎやか。

ルーゾの水
泉の近くには礼拝堂が

ホテルから2キロ程度のところに、湧き水が出るルーゾというところがあるので立ち寄った。ここの水はビンにつめて販売されている有名な水。私たちは、飲み終えたペットボトルを持って水を汲む。

混み合うので、ひとり何本まで、というような制限もあるというが、水道の脇には、すでに満タンに水が入った大きなタンクが何十本もおいてある。近くに住む人が、汲んでおいて、車で持って帰るつもりなのだろう。

湧き水の近くには小さな礼拝堂があり、正面の祭壇にマリア様が祀られていた。
中央運河あたりの風景

アヴェイロ散歩

アヴェイロに入ってきた。ここの駅はアズレージョで有名なので、駅前に降りて見学する。

実際に駅として機能しているのは、隣に新しく作られた近代的な建物の方で、旧駅は、アズレージョのある駅舎の外側部分だけ残してあるようだ。写真ストップの時間をもらい、バスから降りて写真を撮る。土地の民族衣装を着た男女の姿や町の様子が描かれている。
モリセイロ・・・ 蕎麦ではない

写真を撮って戻ると次は町の中心地を通って運河のほとりへ。この町は大分県と友好都市になっているそうで、「オーイタ」というショッピング・センターがあるという。この話、本当?確かにローマ字でオーイタと読める表示は出ているが・・・。

運河には、変わった形のカラフルな舟「モリセイロ」が浮かんでいる。舟のへさきには、それぞれ違う、きれいな模様が描かれている。この模様には毎年美しさを競うコンクールもあるらしい。ただ、予想していたより舟が少なかったのが残念だった。いつもはどのくらい停泊しているのだろうか?
オヴォシュ・モーレシュの皮

運河のほとりのキオスクでは、このあたりで取れる塩が売られている。気の利いた箱や袋に入っているのでお土産にもなる。この町は、かつて港として栄えていたが、あるとき暴風雨で水路が埋まってから、さびれてしまったという。その後、また暴風雨で水路が開けたので漁港として復活したという話だが、そんな自然任せの暢気さが面白い。

町の名物菓子、オヴォシュ・モーレシュを売る店が並んでいるので、そのうちの一軒に入ってみる。店の奥までお菓子のショーケースが続き、色々な小ぶりのお菓子が並んでいる。その中の貝の形をした白い皮のお菓子を指さして2つ購入。白い最中のような薄い皮に卵黄で作った甘いクリームが詰まっている。ひとつ0.5ユーロ。
オヴォシュ・モーレシュ

卵黄のクリームは濃厚な味で、クリームだけを樽につめたものも売られている。
日持ちは2週間くらいだというから、帰国後すぐに会う人になら、おみやげにもできる。

あげるあてがなかったのでお土産には買わなかったが、このお菓子は結構気に入ったので、並んでいるほかのカフェにも入って食べてみる。前に食べたところのものより少し大きく、樽の形をしていたがこちらはひとつ0.7ユーロだった。お店によって甘さにも違いがあるらしいが、日持ちするということからしても、概して相当甘いようだ。お菓子の写真を撮っていたら、カフェのおじさんが、日本語で「オヴォス・モーレシュ(元祖 最中)」と書いた札を持ってきてくれた。
ドン・ルイス1世橋

アヴェイロの近くにカラフルなストライプの家が並んでいるところがあると聞いていたが、この辺ではなかったらしい。バスで移動したところには、そのようなものは見つからなかった。次回訪れることがあれば、旅程に組入れよう。

ポルト

ポルトはポートワインで有名な町。そもそもポルトガルの名前はここから来ている。
リスボンの人に言わせると、北の方は排他的だというが、ポルトの町の印象はとても明るく、開放的に感じた。
カイス・ダ・リベイラ

緩やかに流れるドウロ河岸にある食堂街、カイス・ダ・リベイラに、外人観光客が押し寄せて食事している。川面のきらめきを見ながら食事ができるこの一画は、庶民的でにぎやかだ。

ランチはシェ・ラパン(訳すとウサギ小屋というフランス語)というレストランだ。今日のメイン料理は蛸。ポルヴォ・イン・フォルノというもので、オリーブオイルにひたひたに浸かった、ごろごろじゃが芋と細切り玉ねぎと大きく切った蛸をオーブンで焼いたものらしい。蛸がとてもやわらかく、フォークでも切れる。最初は「こんなにあるの?」と言っていたが、結局ほとんどたいらげた。
エンリケ航海王子の生誕の地

食事のあと、世界遺産にも登録されているポルトの歴史地区を、サン・フランシスコ教会まで歩く。

ポルトはアヴィス王朝の始祖・ポルトカリア伯爵家のジョアン1世の領地で、その息子エンリケ航海王子もこの町で生まれている。エンリケ航海王子は、ポルトガルの海外進出の立役者で、この町から出たポルトガル史のヒーローだ。モロッコ進出時にも王子はこの港から出発している。

道の途中にはエンリケ航海王子が生まれたといわれる家があり、広場にはエンリケ航海王子の像がたっている。
エッセの樹

サン・フランシスコ教会

目指すサン・フランシスコ教会は、エンリケ航海王子の立っている広場から、後陣が見える。規模は大きいが、かなり黒ずんでいる感じだ。市電も通る川沿いの大通りから、まず、階段を登る。目の前には石の重厚な建物が現れる。向かって右が教会の入口である。

サン・フランシスコ教会は、その名の通り、イタリアのアッシジで清貧を旨とした聖フランチェスコが開いた会派のものだが、重厚な外観から一歩中に入ると、バロック様式に金泥細工を重ねた眩いばかりの内装。柱も壁の金色だ。清貧なんて、微塵も感じられない。

どうしてこんなにキンキラキンになってしまったの?ガイドさんが説明をしてくれたところによると、そもそもは、この教会も、14世紀の始めに建てられた時は、ゴシック様式だったという。後にバロック様式に改装されたのだが、この地の貴族達の寄進があったため、その家の専用の礼拝堂を教会内の設けたりしてゆくうちに、周りも次第に立派にせざるをえなくなったということだ。
内部の柱と主祭壇

ここでは、正面の階段式の祭壇も豪華ながら、向かって左の祭壇のエッセの樹(キリストの家系図)が有名で、ちょっとごちゃごちゃした感じもバロック的だ。

一方、入口右手には、明らかに時代が違うと思われる地味な聖フランチェスコの立像があるが、ずんぐりむっくりしていて、ジオットの描く、野の小鳥に説教するフランチェスコのすらりとした姿とは違うようだ。

向かい側の建物は教会付属の地下墓地になっており、団地状の棺や、白骨がゴロゴロしている穴も見学した。教会内部の写真撮影は不可だったため、この受付で絵葉書を買って帰る。(左2点の写真は絵葉書)
ドウロ川に浮かぶラベーロ

ワイナリー見学

ドウロ川の対岸の、ワイナリーが集中するヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアにむかう。かつてはワインの運搬用に使われていたというラベーロという船が、ドウロ川に浮かんでいる姿が美しい。今では運搬は陸上運輸に取って代わられ、舟はワインの宣伝用になっているが、年に一度、レガッタのようなレースも行われるのだそうだ。

案内されたワイナリーはグラハム社で、ポルトのワインの歴史のフィルムを見た後、倉庫を見学する。日本人のハーフだというお姉さんが、ポルトワインの特質や分類、ワインの色の説明をしてくれたのが面白かった。
試飲は3種類

ポルトワインは甘さを残したまま、発酵を途中で止めてしまったもの。それを樽につめて熟成させたものはきれいなルビー色をしている。封を切っても、数ヶ月は味が変わらないという。さらに長い間樽の色がつくまで寝かせるとオレンジ色のタウニーという種類になる。これは、樽の匂いがワインについて、一種独特の味わい。どちらもブレンド酒だ。

これに対して、一切ブレンドをしないワインがヴィンテージと呼ばれ、ぶどうのできのよい年にだけ作られる。樽で2年熟成させたあとはビンに移して最低10年は寝かせる。もちろん高価だ。

試飲は3種類できる。白ワイン、赤のグラハム社のスペシャルブレンド「シックス・スター」、タウニーを飲んでみる。
食材店にバカリャオが下がっていた

せっかくだから・・・ということで、シックススターのハーフを一本購入。最近、機内への水分持ち込みに制限があるので、お酒をトランクに入れなければならないのが不安。一応、飛行機対応用にしっかり包装してくれるのだが、大丈夫なのかな?

しっかりお酒を抱えて、再び、歴史地区を回り、街中でちょっと食品店に寄ったりしながらホテルに帰る。夕方のラッシュアワーか、道が混んでいる。

サンタ・カタリナ通り
イルデフォンソ教会

ホテルは、目ぬき通りのサンタ・カタリナの近くだ。ガイドさんから薦められた素敵なカフェや、近くのサン・ベント駅のアズレージョを見に行こうとホテルを出発。

すぐ目の前にあるアズレージョの外壁の教会は、ガイドブックにも解説がないが、行ってみようということになる。イルデフォンソ教会というらしい。入口の木の扉の重厚な感じに対して扉内側のステンドグラスは修復したのか、すっきりしたデザインでアールデコのようだ。なにぶん原語での解説はあっても全く読めないので、いわれを知るのはあきらめて出てくる。
これは何だろう

サンタ・カタリナ通りを歩いていると、ガイドさんが話していた人気のカフェ、マジェスティックもすぐ見つかった。「パリのカフェみたいよ」という説明どおりで、アールヌーヴォー様式のとても素敵なお店だ。入ろうかと迷うが、お茶を飲むより町歩きがしたいね、ということでサンタ・カタリナ通りを先へ進む。

前方角にまたアズレージョの見事な外壁の教会がある。入りたいが入口に物乞いがたむろしているので通り過ぎた。なんという教会なんだろう?と思うが、これもガイドブックには名前も載っていない。しばらく行って繁華街のはずれを見届けてから、坂を下ってサン・ベント駅に行く。
サン・ベント駅

サン・ベント駅は修道院の跡地に建てられた駅で、リスボン方面にはつながっていないのだが、大変立派で風格のある駅舎だ。この駅舎の内壁面のアズレージョはとても大きく、ポルトガルの歴史のいくつかの場面が描かれている。私たちは、ポルトガルの歴史というものをあまり知らないので、「戦争だ」「王様だ」といったことくらいしか想像できないのが残念だ。

駅の近くにもアズレージョの外壁の教会が見える。ポルトでは、こういう教会はそこここにあり、特に珍しくもないのだろうとと気づき、ガイドブックを調べても無駄とふんだ。
買ってきたお菓子

今度は坂道を登りサンタ・カタリナ通りに戻る。通りには色々な店があるが、靴屋とカフェは、数が多いように思える。変わったインテリア雑貨店でポルトガルとは何の関係もないお土産を仕入れ、カフェでオボシュ・モーレシュと小さなパイ菓子を買って、ホテルに帰って一休みする。ポルトでもオボシュ・モーレシュは売っていたが、皮が少しかたくて、アヴェイロで食べたほうが美味しかった。

夕食はホテルのレストランでいただく。カジュアルなレストランだが、窓からの眺めがとてもすばらしい。紫から深い青にくれてゆく空の色の変化を見ながらの食事だ。たっぷりのサラダと魚の串焼きで、ヘルシーでおいしかった。

9月25日

リスボン ベレン地区
ポルト・カンパニャン駅

8時53分のリスボン行きに乗るため、中心地から離れたポルト・カンパニャン駅まで行く。ここから運転手のゴメスさんは小型バスに私たちの荷物を乗せて、リスボンまで高速を走り、リスボンのサンタ・アポローニャ駅に着く私たちをピックアップするという。電車より早くリスボンにつけるのだろうか?鉄道より車のほうが早いとは考えられないのだが・・。

列車は、アヴェイロ、コインブラなど経由し、リスボン到着は12時すぎ。列車の運行は、ほとんど予定通りで2−3分しか遅れていない。途中で曇りはじめ寒くなってきたが、リスボンに着いたら青空で暑いくらいだった。列車を降りると、もう、ゴメスさんが迎えに来ていた。「ほら、もう、彼、来てるでしょ。」とガイドさん。「高速だし、人を乗せていないとスピードも出せるから」と、納得がいかない顔の私たちに、ガイドさんが説明する。
通常の半分の量のリゾット

リスボン

小型バスでリスボン市内を通り、昼食のレストランに行く。通りに面してカフェになっているが、奥に入ると、たくさん席があり、食事ができるようになっている。私たちのメインはアンコウのリゾットだ。これもポルトガルの名物料理である。ただし、私たちのツアー用には普通のポルトガル人が食べる半分の量にしてもらっているということだ。デザートもフルーツカクテルでさっぱりしていたので、今日の昼飯はちょっと軽いのではないかと思ったが、これで丁度良かった。

周りを見ると海の幸のリゾットを食べている人が何人かいたので、リゾット系がここのお奨めなのかもしれない。
教会の入口

午後は大航海時代の見所の集まっているベレン地区の観光だ。

ジェロニモス修道院

脇の教会の見学を先にする。入口は、シャントレーヌというフランス人彫刻家の作品で、上部には受胎告知、キリストの誕生、東方の三博士、門の左右にはマヌエル王と王妃の像が作られている。
天井

ジェロニモス修道院は、エンリケ航海王子が、ガマのインド航路開拓を記念して建てた礼拝堂の跡に、マヌエル1世が建設を始めたもので、新大陸の冨を手に入れた最盛期のポルトガル最高の建築となっている。

教会内のモチーフも、航海で用いられる縄目模様や、インド航路で発見した珍しい産物などが使われている。これらをマヌエル様式とよんでいるが、ポルトガルの有名な建物はこの様式であることが多い。

入口は広くないが、入ってみると、奥行きがかなりあって、大変立派な教会だ。林立する柱はヤシの木をイメージしており、天井に枝を広げているようにみえる。
バスコ・ダ・ガマの棺

またここには、右に詩人のカモンイス、左に大航海時代の航海者、バスコ・ダ・ガマの石棺が置かれていることでも有名だ。誰でも知っている歴史上の人物なので、大体の人が写真を撮ってゆく。ジェロニモス修道院であるのに、石棺の近くの、荒野に暮らす聖人・ジェロニモスの絵はあまり誰も見ていかないが・・・。

教会を出ると、入口が閉められた。これから政治家だかなんだか、どこかのお偉いさんの葬式をするらしい。見学にやってきたのに、門前払いを食らっている観光客もいる。「いくら葬式だって、一日前とか朝には予定はわかってるでしょうに、何にも知らせがないんですよ、この国は!」とガイドさんが笑いながらぼやいている。私たちも、もし、修道院の方から先に回っていたら、教会の見学には入れなかっただろう。
回廊

修道院に入ると、このジェロニモス修道院最大のみどころの、大変美しい回廊に出る。白い石灰岩に繊細な彫刻を施したアーチは息を呑むほどの美しさだ。前回は曇った寒い日に来たので全体に暗い感じだったが、今回は晴天で、建物の白さが空の青に映える。

回廊は2階建てで、1階と2階とでは建築家が違うのだそうだ。1階は思い切り意匠を凝らした感じ、2階のほうが少し明るくすっきりした感じに思える。
ベレンの菓子屋

パスティス・デ・ベレン

修道院のそばに、エッグタルトで有名なお店がある。行きたいと言ったら、ガイドさんが連れて行ってくれた。ポルトガルではエッグタルトはポピュラーなお菓子だが、このベレンのお店のものがいちばん美味しいといわれている。レシピは秘密。代々跡継ぎの一人にしか伝授されないという話をTVで見たことがある。

お店のテイクアウトのコーナーは人だかり。順番を守る人たちでもなし、ここで買いものすることは不可能だろう。ガイドさんは、「こんなの待っちゃいられない。喫茶室ならすぐに食べられますよ」と、スタスタ奥へ入ってゆく。
やっぱり美味しい

エッグタルトを焼いているところがガラス張りになっているので、覗いてゆく。こんなに焼いてどうするのかと思うほど並んでいるが、一日一万個も売れるのだそうだ。

奥の奥の部屋に行くと、たくさん席が空いている。どの部屋にも給仕が控えていて、座るとすぐ注文をとりに来る。ガイドさんがお菓子のみ注文すると、飲み物はどうするか聞かれる。「いらない」と答えると、それでもOK。お菓子はすぐに出てきた。テーブルの上のシナモンと粉砂糖をかけていただく。並んで買うことは難しいが、席に座って多めに注文し、ビニール持参で包んでしまえば、並ばずにテイクアウトもできる賢いやり方だ。次回はこの手を使おう。ただし、出来立て、焼き立てを食べるのがベストなので、持ち帰ると味が落ちるそうだ。
ベレンの塔の左斜め45度?

ベレンの塔

お菓子で休憩した後は、ちょっとだけ車に乗って移動。テージョ川の水面に建つベレンの塔を見に行く。中には入らなかったが、白亜の塔をぐるりと3方向から眺めてみた。

16世紀にマヌエル1世が作らせたもので、上階は王族の部屋だが、中間は要塞の役目も果たし、地下はテージョ川の水の満干きを利用した水牢だったという。見たところ美しい建物だけど、牢の上なんかに住みたかぁないと思う・・・。
王子はイケメンだったのか

発見のモニュメント

またちょっと車でもどって、発見のモニュメントを見に行く。前に来た時は気づかなかったが、正面から見ると十字架の形になっている。発見のモニュメントの新しい発見だ。これも中には入らず、外見を見学する。

先頭のエンリケ航海王子の後ろには、天文学者や地理学者、詩人、宣教師、音楽家たちが、それぞれ得意の分野の持ち物を持って続いている。女性が一人いるが、これはお母さんのフェリパ王妃だとか。

発見の地図の上を歩くエンリケ王子

このモニュメントは、1960年のエンリケ航海王子の500回忌を記念して作ったもので、彫像の姿かたちは想像上のものなのだろうが、どんな顔をしていたのか興味がある。モニュメントの先端は、川に突き出しているので、最大限川に近づいても陸地からは王子の横顔までしかみえないのだ。川に出て眺めない限り、正面のお顔は拝めない。残念。

その代わりと言っては何だが、モニュメントの前にはエンリケ航海王子の格好をした人が立っていて、観光客と一緒に写真を撮らせてくれる。「いつもはいないけど、何かあるんでしょうかね」とガイドさんが言うので、せっかくだから並んで写真を撮ってもらうことにした。
大きなカフェ、スイッサ

バイシャ地区を散歩・・・

ベレン地区からの帰りは、「どこか寄りたいところがあればおろしてあげますよ」といわれたのだが、そのままホテルに戻ってチェックイン。ホテルはロッシオ広場にもフィゲイラ広場にも近く、大変便利な場所にある。金座、銀座も近い。

ガイドさんに聞いたフィゲイラ広場に入口があるスーパーマーケット、メルカード・ダ・フィゲイラに行ってみる。入口は狭くて果物がちょっと並んでいるだけだが、中は案外広い普通のスーパーマーケットだ。飲料水やコーラ、お土産にするインスタント食品、スープストックなどを少し買っておく。
おいしかったよ。

ロッシオ広場とフィゲイラ広場の間にあるカフェ、スイッサに入ってプリンとカフェで休憩。このお店の洋菓子類はおいしいと言うガイドさんのお墨付きなので、安心して入る。メニューを見ても、食べ物もいっぱいあるらしく、ケーキがどこに書いてあるのかわからない。「デザート」に相当するポルトガル語がわからないので、どのコーナーに書かれているか見当もつかない。

最後のほうだろうと思って探すとプディンという単語が目に入る。これプリンだよねと注文した。隣のおじさんが大きいチョコレートのケーキを食べていた。美味しそうだが、あれは何だろう?メニューを探してみるが、やっぱりどれだか判らない。この調子だと、町で一人で食事するのはムリかも。
民族舞踊のコーナーもある。

リスボンの夜といえば、やっぱりファドでしょ

夜は一人60ユーロでオプショナルツアーのファドを聴きに行く。夕食と飲み放題のワイン赤白、水が付く。オ・フォルカードという、ファドのほかにも民族舞踊のショーが組み込まれた、親しみやすい庶民的な雰囲気の店だ。

ファドというと、ポルトガルを舞台にした映画「過去を持つ愛情」で使われたアマリア・ロドリゲスが歌う「暗いはしけ」を思う。また、リスボンのファドは運命を歌う重たいもの、コインブラのファドは学生の歌から出た明るいものというイメージがあるが、そう簡単に分類できるものではないのだそうだ。
オ・フォルカードの看板歌手

はじめは女性が二人、出てきて歌ったが、最後は黒いマントをまとったダンディな男性でしめた。実際に聞いてみると、ファドは、明るい曲の方が多いみたいだ。「ポルトガルの家」という曲では、客席でも知っている人が「ルル、ルルルルー」と一緒に歌い始める。一方「暗いはしけ」はファドの中では正統派ではないらしく、ファド・レストランできいたことはない。

ステージが終わると、歌手が自分のCDを売りに来る。個人的には、黒い服をきた太目で年がいったオバサンが歌う暗いファドが好きなので、女性の歌しか買ったことはなかったが、今回は気に入ったので、看板歌手のおじさまのCDを購入してみた。11時過ぎ、迎えのバスに乗ってホテルに帰る。らくちん。

9月26日

ロカ岬〜シントラ〜リスボン
ヨーロッパの西端に到着

今日はポルトガルのツアーは最終日。
最後まで手抜きのないプランで、本日も盛りだくさんだ。まずは、ヨーロッパ大陸の西の果て、ロカ岬に出かける。

ロカ岬で証明書を

山の中を走っていくと、ロカ岬の灯台がだんだん近づいてくる。バスを降りると岬は公園のようになっていて、カモンイスの詩の中の言葉「ここに地果て、海始まる」と刻まれた碑が立っている。岬の下は断崖絶壁、天気がよければ水平線が丸く見えるというが今日は晴れているのに、海と空の境界線がハッキリしない。ちょっと残念だ。

最果てを極めたら、ヨーロッパ大陸西端到達の証明書をもらわねば!インフォメーションに行って、カウンターで申込書に自分の名前をローマ字で書くと、係りの人が、それをきれいな飾り文字で書き写し、到達証明書を発行してくれるのだ。10ユーロと5ユーロの2種類あるが、どちらもひとつずつお願いする。連名もOKだ。夫婦の連名で5ユーロ、連れて行ったぬいぐるみのかっぱの名前では10ユーロと奮発し、親バカぶりを発揮した。
同行したかっぱたちにも証明書

5ユーロのものは1枚ペロンと証明書になっているが、10ユーロのものは、ちょっと立派で、折りたたんであり見開きが証明書となる。どちらも封筒はついていないので、欲しければ1ユーロで購入する。ただし、字は担当の人によって違うので、どんな字になるかは不明。昔書いてもらったときのほうが凝った装飾だったが、今回はこざっぱりした字体だ。ここで字を書く仕事を見ていると、するするっと書いて、はい5ユーロね・・・というスピーディーなもの。時々10ユーロ払う客も来るし、ものの3分と経たないうちに結構なお金が入る凄い稼ぎだと思う。政府の役人だから収入は一定だが、自営でこれができたら、めちゃくちゃ儲かるだろう。

インフォメーションのほかにも、土産物屋の建物がある。この中のものは、市内の店の倍の値段がするものもあるみたいだ。ここでは買い物しなかった。
ぺナ城の外観

ぺナ宮    

ロカ岬のあとは、シントラの山の上にある奇妙なお城、ぺナ宮の見学だ。この城は奇天烈なごちゃ混ぜの建築様式で有名で、悪趣味の代表のようにも言われる。また、ガイドブックにも、城の中より、城の上からの眺望がすばらしいと書かれているのが、ちょっと悲しい。

この城を建てたフェルディナンド2世は、ドイツから来た婿養子。ポルトガル人でもない彼が、ポルトガル特有のマヌエル様式まで取り込んで作らせたのだから、ポルトガルの文化・歴史を尊重する気持ちがあるのかなあと、好ましく思ったのだが・・・。ガイドさんの話だと費用も自分で出しているらしい。

入口の門から城の入口までは有料のバスが走っている。距離はたいしたことはないが、坂道なので、利用者が多い。私たちも乗り込んだが、すでに満席だった。

凹凸を繰り返して連なるベランダの外壁、丸や四角の塔は、おとぎの国のお城のようだ。
アメリア女王の寝室

そしてここも、内部撮影は禁止だという。なにさ、勿体つけて・・・という気持ちになるが、大変混み合っているので、見学もままならず、もし写真撮影が自由だったら、身動きが取れなくなりそうだ。回廊に沿った部屋では、部屋の中を覗くため、その部屋の入り口からちょっと中に入ったスペースが作られているが、狭くて一度に2−3人しか入れないので、観光客の歩みはカタツムリ並み。

そのひとつが、アメリア女王の部屋だ。壁や天井はイスラム風で、赤い天蓋つきのベッドと赤い椅子が見えるが、それほど華美ではない。奥には続きのサロンもあるが足を踏み入れられないのでよく見ることはできない。
サクソンの間

入口付近の回廊を越えると、礼拝堂や、ギャラリーのような通り抜けができる部屋になり、近くで見学することができる。宮殿内部の見学の最後は、広い台所。調理スペースよりも、原材料を置くスペースが広いのでびっくりした。柱に、当時の「本日のメニュー」が黒板に書いてあった。

台所の前から外に出て、宮殿の建物にそって、城の外壁と城壁の間の細い道を歩いてゆくと、イスラム教徒がかつてこの地に住んでいた頃作ったというムーア人の城壁が見える。また、ガイドブックが推奨する、リスボンまで見えるという眺望も、幸い天候がよく、楽しむことができた。
王宮前から見た町の風景

シントラの町でケイジャーダを購入

入口の門までの帰りの乗り合いバスも満員だったので、ゆっくり歩いて坂を下り、ペナ宮を後にする。待っていてくれた専用バスで、今度はシントラの町の中心へ。

シントラ観光の中心は王宮前のレプブリカ広場だ。レストランやカフェ、土産物屋が並んでいる。2本のツノのような煙突が目印の冴えない建物が見えるが、これが王宮。火曜日は休みなので、私たちのコースでは代わりにペナ宮を訪れたのだが、シントラの王宮は一度行ったことがあるので丁度よかった。
お洒落な、というよりは気楽なカフェ

シントラは緑が多く、その中に貴族の別荘が点在している。「エデンの園」ともたとえられた美しいたたずまいの建物や景観で、世界遺産にも登録されている。ただし、時間もなく、広場周辺で散策するのみ。

広場からちょっと入った路地を上ってゆくと、この地方の菓子ケイジャーダというチーズタルトの老舗があるというので、ガイドさんに案内してもらった。ショーケースに並ぶたくさんのお菓子の中からケイジャーダを購入し、店の中で座って食べる。日持ちがするというし、賞味期限も書いてあるので、お土産用にも調達した。チーズだというのだが、ベレンのエッグタルトよりも甘かった。
ここはどこなんだ

昼食は謎のレストラン

シントラの景観地区を離れ、バスは昼食場所に向かう。だいぶ走ったので、どこに着いたかわからない。一軒家のバー兼レストラン兼カフェという感じで、あたりは観光地も駅も何もなさそう。

店に入ると、ちょっとおしゃれなバーカウンターがあるが、夜は近所から人が来るのだろうか?近所と言っても家はまばらだった。車で来るのか?でも飲酒したら車で帰れないし・・・・・。どういう客層が来るのかと余計な心配をする。
正統派カルド・ベルデ

そのうち、外国人の団体観光客が入ってきて別の部屋に消えていった。どうやら広いらしい。ツアー催行会社と契約して観光客を連れてきているようだ。

最初に出てきたキャベツのスープ、カルド・ベルデ(緑色のスープという意味)には、ソーセージが一切れ入っていた。カルドベルデは、スープの塩分をソーセージから採るのが本当の作り方で、その証明にソーセージを入れておくのだそうだ。

メインは肉の串刺しで、ポルトガル料理だかどうだかわからないが、たいそうおいしかった。
エレベータの外枠

サンタ・ジュスタのエレベーター

ホテル着後、フリータイムは、バイロ・アルト地区の、カルモ教会に行ってみることにした。教会までは平面の地図で見ると近いのだが、実際は崖の上と下になっていて高低差がある。低地の繁華街バイシャ地区と高台のバイロアルトをつなげているのがサン・ジュスタのエレベーターで、これを使うにはバスと同じ料金がかかる。切符を買うのも面倒なので、ぶらぶら坂を上ってゆくことにする。エレベーターの外枠の鉄格子は優美で、エッフェル塔を思わせる。 実際はポルト生まれのポンサルドという人の設計だが、エッフェルの設計と思われることが多いらしい。ここもまたリスボンの名所であろう。
あー、テントなんか作っちゃって

カルモ教会

カルモ教会は、14世紀に建てられた教会でリスボンで最大だったというが、1755年の大地震によって大半が崩壊してしまった。残った一部は博物館として利用されているものの、外壁と柱だけが残る廃墟である。立て直そうとしたこともあるようだが、あえてこのままの状態で保存しているらしい。

ただの教会だったらお金を取られることはないのだが、ここは、窓口があり、考古学博物館こみで入場料を払うことになっている。チケットを買って中に入ると、かつては聖堂の中だったはずの廃墟にでる。ところが、何もなければいいのだが、透明なビニールのテントが張ってあり、廃墟の風情が台無しになっている。ガイドブックの写真などでは、がらんどうの庭に柱や梁が骨のように立っているのだが、偶然、今だけ何かの事情で設置しているのだろうか?

これはちょっと興ざめだ。日本人の建築関連の学生らしき青年が、いいカメラを持ってやって来ていたが、彼にもこの風景は予想外だっただろう。
廃墟の骨組み

この中庭の突き当たりは考古学博物館になっているが、地震で倒壊を免れた部分であり、博物館というにはちょっと狭い。彫刻の石棺やミイラみたいなものもあったが、解説もわからないし、撮影禁止というので、なんだか記憶に残りにくい。

再度中庭を出て、壁際に当時の装飾が一部残っているので、それらを見ながら、入口に戻る。本当に、「この邪魔なテントさえなければ・・・・!と残念に思う。

このあとサン・ロケ教会に行ってみるが時間切れ。明るいから気づかなかったが、もう5時だ。
聖母子はやさしげ

もうどこも見学することはできそうもないので、町をそぞろ歩きする。途中、女性の殉教者を祀った教会に入ってみる。普通教会って、5時過ぎだってやってるよなあ・・・。見学できたから、募金箱に小銭を入れてゆく。

ロッシオ広場まで戻り、リベルダーデ通りを散策し、ツアーを外れて、明日泊まるホテルの場所を確認してきた。戻って広場で両替をし、またスーパーで缶ジュースを買い込み部屋で一休みする。
夕暮れのマリーナ

ウォーター・フロント、ドッカ・デ・サント・アマーロ

夕食は、リスボンのウォーター・フロントのドッカ・デ・サントアマーロ地区にあるレストランだ。港の近くの倉庫街を改装して、若者の集う倶楽部やバー、そして必ずシーフードのレストランなどを作ってしまうのは、万国共通の発想か。

そろそろ夕暮れを迎えるマリーナを眺めながら、何件目かのレストランに入る。大体似たような海の幸のレストランバーで、店の前には氷の上に魚介を並べたショーケースが置かれている。通路の海側にも屋外の席が置かれている。夏場なら海風を楽しめる、こちらの席から埋まるだろう。
魚介類は特別なご馳走

2階のテーブルに着くと、まず、ほたての貝殻の上にグラタンをのせたサーモンのコキーユがでてきた。次は、アサリのワイン蒸し、ゆでた海老とかにみそ、貝のトマトソース煮は、残りをパスタにかけて食べたいと思うくらい美味しい。それだけでおしまいなのだが、おなかいっぱいになった。デザートはあらかじめ決まっていたようだが、ガイドさんが、好きなものを選べないのか聞いてくれた。店のおじさんはあっさり「OK」。今日はお客さんが少ないので融通を利かせてくれたようだ。最後はコーヒーで締めて店を出る。ツアー最後の夜の素敵な食事だった。

一緒に旅したもう一組の参加者は全行程を終えて、明朝帰途につく。私たちは現地解散なのでここでお別れだ。明日は朝早いし、水は飲まないからと、町で買ってきたペットボトルのお水をいただいた。ホテルでお別れを言う。

9月27日

リスボン〜マフラ
大修道院

ツアーは終わり、旅の仲間が減ったのはちょっと寂しい。ガイドさんも、もうつかない。それでも,私たち二人の旅は続く。リスボンにはもう一泊だ。タクシーで次のホテルに移動する。朝なのにもう部屋が使えるというので荷物を入れて、早速出かける。今日の目的地はマフラ!

ガイドブックによると、バスを利用するらしい。まず、地下鉄で郊外向けのバスが出るカンポ・グランデにでる。こちらの電車は、次の駅の表示が出たりアナウンスがあったりするので気がきいている。
ピンクの大理石の礼拝堂祭壇

地下鉄駅の前にバスターミナルがあり、止まっているバスの行く先を見ながら行くと、丁度よくガイドブックに指定されたとおりのMafrense社のエリセイラ行きがある。きれいではないが、大きいバスだ。無事バスに乗り込んだが、どこで降りるんだろうということになる。観光客っぽい人が頼りだが、全員外国人だし、見分けがつかない。

50分以上乗って、やっとマフラ大修道院が見えてきた。バスは正面に着くとガイドブックにはあるが、手前に停まったので念のため降りる。見ていると、バスは正面には停まらず行ってしまった。たぶん、降りてよかったんだろう。

マフラ大修道院
宮殿、修道院、礼拝堂が併設

大修道院の一画にはインフォメーションが入っていて、入場券を買えるのかと思って行ってみたが、チケット売り場は反対側の修道院の入口にあるのだそうだ。とりあえず違う入口から入れる礼拝堂に行ってみる。礼拝堂は建物の正面中央に当たる部分にあり、内部は色のついた大理石の壁で、どっしりした感じがする。キリストが高貴な色ということで紫の衣を着て、十字架を背負ってゴルゴダに向かう像がある。先日ガイドさんに聞いたばかりの説明が甦る。

マフラに来ることになったのも、ガイドさんのひとことからだ。コインブラの大学図書館を見たとき、これと同じような図書館がマフラの修道院にもあるという説明だった。「ただし、大きさは倍です」と言っていたのが印象的で、ぜひ見に行きたいという気持ちになった。

図書館は宮殿の方にあるらしい。修道院と宮殿の見学チケットを購入。階段を登るとガイドさんが待っていて、ここで人を集めて見学をすることになっている。最初にガイドさんは「みなさん、イングリッシュ・スピーカーですね」と確認する。英語じゃわからないが日本語音声ガイドなどの用意もないようだし、これ以外の言語では一言もわからない恐れがあるので、これでよしとする。
奥行きのある図書館

宮殿の部分を歩いて回る、王宮の部屋、礼拝堂を望める回廊、ゲーム室、鹿の角を飾った猟のギャラリー、修道士用の小さい部屋、そして最後に大図書館を見学する。

2階分ぶち抜きの本棚の途中にテラスがつけてある構造はコインブラ大学の図書館と同じだが、壁も柱も黒や赤に塗っておらず、全体的に白っぽい。キンキラの装飾もない。

蔵書数は3万冊を越えるというが、その中には「ウズ・ルジアダス」の初版本があるという。この本はカモンイスの著作で、ロカ岬の石碑に刻まれた「ここに地果て、海始まる」の詩句が書かれている。とはいえ、どんなものか見られるわけではない。蔵書の特別な展示はなく、収められている状態を見るだけだ。

ただ並んでいるようだが、本と本の間には湿気防止のためちょっとずつすき間を作ってあるというので、いちばん近い本棚を覗き込んでみると確かにすき間が取られている。また、館内には、こうもりが住み着いていて、本につく虫を食べるという。証拠に、こうもりの死骸を見せられた。うへ。
ここで写真を撮るのも有料らしい

図書館で見学は解散。この中も写真が取れなかったので、絵葉書を買う。はがきは選べず、一箱のセットになっている。中も見られないが、10枚2ユーロと異様に安い。とりあえず買って、箱を開けると、安い理由がわかる。まず、大きさが微妙に不ぞろい。紙の表面が粉っぽいというのも初めての経験。とどめは印刷技術がひどいレベルということ。着色している?しかもこんなに不自然な色で??というようなものもあり、これを販売する度胸はすごい。20−30年前の絵葉書の残りがはけるまで、かき集めて売っているのかとさえ思う。次に訪れるときは変わっているだろうか?

今回は、ガイドブックに見所として載っている薬局や病室などは見なかったので、また行くことがあれば、そのあたりも見られたらいいと思う。
嬉しいけど、こんなになくても・・・

昼はポルトガル料理満喫

マフラは何もなさそうな町。修道院の向かい側に渡って、昼食を食べるレストランを探すが、あまり数もなさそうだ。カフェ・ド・パリという店があるが、ポルトガル料理が食べたいので、角を曲がってみるとそれらしきレストランがあった。

家族経営のお店のようだ。持ってきた突き出しを全部断り、メインに専念する。「豚のアレンテージョ風」と「タコのラガレイロ風」をひとつずつ注文する。出てきたものは、どちらもじゃが芋がゴロゴロ入り、豚とタコの素材は違うのだが、見た目も似ている。一人前でも沢山入っている。美味しいが、芋はちょっとだけ残す。
オ・ブラサンという店

デザートに二人でひとつ、プリンを食べようかと話していると、店のお兄さんがやってきて、デザートの盛り合わせを薦める。なんだかわからないけど、それにすると、数種類のデザートが一切れずつ一皿に盛られてくる。食べ切れない。持って帰れそうなものは紙に包んだ。

レシートを見ると、デザート盛り合わせは2.7ユーロ。全体的に、ここの食事は安かった。おいしかったし、ボリュームもあり、サービスもよく、逆光で顔が暗くなって判別できない二人の写真を3枚も撮ってくれた。
カンポ・グランデの駅のタイル

帰りのバス停がわからないので、修道院のインフォメーションに行ってみようと思ったが、修道院の真向かいにバス停を発見。なるほど、反対から来れば正面に止まるのか。バス会社の事務所があったので、バスの時間を聞いたらもう少しで来るという。すでにバス停には人も並んでいる。

程なくバスは来るが、ほとんど満席。空いている席には、隣の太ったおじさんが眠りこけて、からだが大幅にずれ込んでいるのだが、座らないとかえって他の人の邪魔になるので、相席させてもらう。相方は前の兄ちゃんがカーテンを引き寄せてしまったため、もろに日が当たる暑い席だ。一時間近い乗り合いバスの旅は実際より長く感じた。

再び、カンポ・グランデから地下鉄に乗って、ロッシオ広場近くに戻る。
缶詰屋さん コンセルヴェイラ

ポルトガルの旅も終わり

バイシャ地区に戻り、コメルシオ広場近くの、ガイドブックにのっていた缶詰屋をたずねてみる。食品店とは思えないほどこざっぱりとして、缶詰だけが、カウンターの向こうの店員の後ろの棚にずらっと並んでいる。手に取れるところにも並んでいるのだが、どれがなんだかさっぱりわからないので、バカリャオの缶詰が欲しいといって2つ買ってきた。素朴な銀色の缶詰に、女の人の絵がかかれたレトロな感じの包装紙で包まれている。

銀座に戻り歩行者天国を歩く。歩道に出ているカフェでジュースを飲む。
お菓子屋さんの店先

目の前にお菓子屋さんがあり、ショーウィンドーには、なんだかわからない大きな三角の黄色いお菓子がある。非常に気になるので、お店に入って、エッグタルト(ナタ・デ・パスティス)を買うついでに、アレは何かと聞いてみたら、「卵のなかの砂糖」だという。「なんだそれは?」と思ったが試しに買ってゆく。
 
途中で缶ジュースや水を仕入れ、ホテルに帰る。

夕食は、ツアーのガイドさんが、おすすめのレストランを何件かリストアップしてコピーをくれたので、その中から選ぼうと計画していたのだが、なんと、昼が重すぎたのか、相方がおなかがすかないという。
卵の中の砂糖、本当の名前は不明

レストランに出かけても食べられないのでは行くだけ無駄。確かにのどは渇いても、おなかはすかない。ポルトガル最後の夜なのに、あきらめて、部屋で買ったお菓子を食べて済ませた。 

「卵の中の砂糖」はめちゃくちゃ甘かった。砂糖で固まっている表面に対して、中の方は細い鶏卵素麺のようになっている。一度、鶏卵素麺の元になったお菓子というのを食べてみたかったが、どれか判らず買えなかった。期せずして、似ているものに出会ったので、いいこととしよう。

9月28日

リスボンからパリへ移動
あれば絶対食べるよ

朝7時20分の飛行機でパリにたつので、5時過ぎに空港行きのタクシーを拾ってもらおうとフロントに行く。電話で呼んでくれるのかと思いきや、前の道から呼んできた。リベルターで通り沿いだから、こんな朝早くでも、ひろいっぱぐれもないらしい。リスボンの空港は市内からタクシーだと、道がすいていれば15分程度。料金も10ユーロくらい。

空港内の免税品店にはお菓子もあるが、目当ての地方特産のお菓子などは売っておらず残念だ。アヴェイロで食べたオヴォシュ・モーレシュがもう一度食べたかったのだが。日持ちするのだから、ケイジャーダスなども売っていて欲しかった。航空会社の待合室にエッグタルトがあったので、名残に一個いただく。
真ん中がホテル、グランゾム

リスボン出発も遅れるし、パリ到着も遅れる。午前中にシャルルドゴール空港には到着したが、結局パリ市内のホテルに着いたのは午後2時すぎ。ポルトガルから入ったので、パリは寒く感じる。

ホテル・グランゾムは3つ星。リセプションの人はこちらが入っていっても無関心。何人か外国人が出発待ちでロビーに座っているので、その仲間とでも思ったのだろうか。むっとして声をかけると、やっと気づいたらしく、部屋の確認をする。すると、私たちの予約した部屋は、まだ用意できていないという。前の利用者が遅くチェックアウトしたのだろうか。部屋の掃除ができるまで、ロビーでお茶ぐらい振舞え!そのあたりは、料金が高いくせに、気がきかない。
サン・ミッシェル周辺はお気楽

パンテオンの近くに宿泊

サン・ミッシェル地区なら、お気楽ファーストフードも含めてフルタイムで開店しているので、時間が外れても飲食ができる。一軒のギリシャ料理店に座って定食を食べた。雨まで降ってきて寒いので、前菜には温かいスープを選ぶ。メインのムサカ、ギリシャ風小菓子とコーヒーで食事を終える。

メトロでピラミデまで出て、スーパー、モノプリでセーターを買い込む。マイバス社で日曜のヴェルサイユ観光ツアーに申し込んで、再びメトロでホテルに帰る。ホテルがメトロの駅からちょっと離れているので面倒。
晴天ならベランダも気持ちよさそう

さすがに部屋の支度もすんでいた。最上階のエレベーターのすぐ前の部屋で、ベランダからパンテオンが見える。プチ・スイートなので久しぶりに荷物を広げる部屋がある。天井の梁も雰囲気があり、ムードがよい。人気のホテルらしく連泊は取れなかったため、一泊だけの贅沢だ。フランスの偉人が眠るパンテオンの隣にあり、シュールレアリストの詩人アンドレ・ブルトンが、学生の頃「自動記述」の実験をここで行ったという歴史あるホテルで、以前から泊まってみたかった。

しびしび雨が降っているので、特に出かけるあてもなく、今夜の夕食もこの辺で済ませる予定。きれいなホテルだから滞在しないともったいないし、相方は具合が悪いので、なんとなく部屋ですごす。
ベニェ

夕食には、近くのムフタール通りに沿ってレストランを探し、はずれにある中華料理屋を選ぶ。まだポルトガルでの過食が響いているので、フランス料理はダメだ。フォーを頼むと野菜が一緒に一皿出てくる。食べきれないと思ったが食べ始めるとぺロリ。メインはさっぱりとグリルした鶏肉、豚の甘味噌炒め。デザートはりんごのベニェ。ドーナッツに分類されるのだろうが、薄い衣で果物を包み、あっさりさくっと揚がっていて、表面には砂糖がかかっている。これはフランスの中華料理屋では必ず一度は注文するお気に入りのデザートだ。

お店には、私たち以外全く客がない。何でだろう。ついに誰も来ないまま、店はそろそろ閉店時間。

9月29日

マレ地区散歩、モンパルナスのホテルに滞在
グランゾムのベランダ

朝起きたら、雨はやんでいた。ベランダの椅子に座れそうなので、近くのパン屋でクロワッサンとパン・オ・レザンを買って来てベランダで食べる。

たしか、昔見た雑誌で、ベランダでの朝食も良いと書いてあったので、やってみたかったのだが、この季節では少し寒い。また、気のせいかベランダの床が外側に傾斜しているような感じがする。いつか落ちるかも?と思うと居心地がよろしくない。
 モンドリアンの部屋

早々に切り上げて、ホテルの移動の準備をする。

リセプションでタクシーを呼んでもらって、モンパルナス地区へ向かう。

次のホテル「ラスパイユ・モンパルナス」は、ラスパイユ通りに面した中型のホテルで、行ってみるとモンパルナスの有名カフェが集まるヴァヴァン交差点のすぐ近くだった。(紛らわしいことに、同じ通りにメルキュール・チェーンのホテルで「ラスパイユ・モンパルナス」というホテルがあるが、そこはもう少し、ヴァヴァン交差点と離れている。)午前中の移動だったので、荷物だけ預けさせてもらえればかまわないと思っていたのだが、ありがたいことにすぐに部屋に入れた。

このホテルはすべての部屋に「ピカソ」「コクトー」などの芸術家の名前が付いていて、私たちが当たったのはの58号室の「モンドリアン」だった。部屋の壁にはモンドリアンのレプリカがかかっている。フランスの美術館を見ていて、意外と知らない画家が多いことに気づくのだが、今回は、名前も作品も知っている「モンドリアン」の部屋で幸いだった。
メトロのサンポール駅

マレ地区に行く

本日も特に予定もないので、アフリカ料理が食べられるレストランがあるマレ地区に行くことにした。プチ・ダカールというお店だが、12時に開くとガイドブックには書いてあるのに、行ってみると開いていない様子。中にお店の人がいたので尋ねると、1時間後くらいにはじめるという。暇つぶしにマレの街を歩くことにした。
イズラエルの店内

サン・ポールのセーヌ川方面に行き、イズラエルという食品店を覗く。ここも行ってみたかったところだ。店内は、強烈な香辛料の匂いが充満しているが、お互いを打ち消しあうのか、すぐになれてくる。中近東のお菓子、木の実、豆なども並んでいて、エスニック好きにはたまらない。壁には色々なスパイスが小袋にはいってぶら下がっている。奥のレジのおじいさんに「クスクスに使うスパイスはどれですか」とたずねるが、言われたあたりの壁を見ても判らない。手がすいたときに、これだよととってくれたので、買ってゆく。

カカオ・エ・ショコラ(チョコレート屋)で買い物をし、ユダヤの学校の跡やユダヤ人通りを歩いて、プチ・ダカールの前に戻ると、そろそろ開店らしい。奥のテーブルには、すでに一組お客が入っている。
チープな感じだがカラフルな店内

おなかをすかして、目的の牛肉のマフェ(ピーナッツソース入りシチューとご飯)とチブジェン(魚のフライ、野菜の入ったピラフ)を注文するも、待ち時間が長く、なかなかありつけない。それもそのはず、アフリカ人のお兄さんがたった一人で注文をとり、料理も作り、配膳もし、レジも打つ。土曜だといっても、客はほどほどに入ってくるし、友達みたいな人も立ち寄り、カウンターでコーヒーを飲んで帰る。誰か雇えばいいのに。

パリはアフリカ料理店も多いので食べて、エスニックフードの食べ歩きは楽しみ。量も食べきれないほどでもなく適正。満足して店を出る。
カルナヴァレ博物館中庭

マレの中心地はレストランやおしゃれなブティックがたくさんある。カルナバレ博物館の中庭が公開されており、入場料なしで人が入っている。何があるわけでもないのだがなんとなく通りかかったのでお庭を見る。レンガの館で囲まれたヴォージュ広場の中も歩いてみる。

そぞろ歩きしているうちに、バスティーユの大通りにぶつかる。マレのブティック街の華やかさはなくなり、電気店や中古カメラ屋が何件か大通りに沿って並んでいる。大通りを渡ると、次の目的地、北マレにある紅茶専門店「ベッジュマン&バートン」だ。
フランスのグルメ絶賛の紅茶

お店では紅茶以外にもティーカップや関連の小物も売っている。一応ボンジュールと言ったのだが、店のおじさんは無言で新聞を読んでいるだけ。

「ここのオリジナルのブレンドって、どれかな」と話していると、聞こえたのか、急に笑顔でカウンターから出てきて、何種類も紅茶の香りを嗅がせてくれた。どれも魅力的で芳香に酔いそう。「聞かせてよ、愛の言葉を」というシャンソンの題にもなっているお茶を購入。他にも「かつて麗しき歴史があった・・・」「秋のブレンド」などのフレーバー・ティーを量り売りしてもらった。おじさんがオマケに1−2回分の他の茶葉を3種類もくれた。
モントルグイユのアーチ

歩いて歩いて・・・

このあとは、バスティーユ広場まで出て、ポンピドー・センターを経由し、結局レアルまで歩いた。 結構な距離になるのだが、モントルグイユ通りに入ると、両側に並ぶ食品店の活気が楽しくて、またも、通りを歩ききった。途中、パリ最古の菓子店といわれている「ストレー」に寄り、ケーキを購入。

モントルグイユ通りのはずれにもスターバックスがあるので、外の価格表で値段だけ見てみたら、ショート・ラテが3.8ユーロだった。これって高くない?
おしゃれなチョコレート屋さん

一旦、疲れたのでメトロに乗ってホテルに帰った、部屋で買ってきたケーキを食べ、体力・気力が復活したので、またも歩いて、セーブル・バビロンのデパート、ボン・マルシェまで行く。ここの食品コーナーは充実しているので見ているだけでも楽しい。今回はポルトガル旅行後で、パリでの買い物はあまりないのだが、菓子、ジャム等を買ってゆく。

帰り道も歩きだ。途中で、きれいなチョコレートのお店に入ってみる。おめでたい行事などのときに使うドラジェを名前入りのパッケージで作ってくれるのだが、旅人には関係がなさそう。普通に売っているチョコレートを購入して帰る。

レバノン料理で夕食
モダンな内装のレバノン料理店

ホテルでケーキを食べてしまっているので夕食は軽く済ませようと、ホテルの近くにあるレバノン料理屋に行く。

店の外の写真でランチメニューを見ると簡単に食事ができそうなお店のようだったが、入ってみるときちんとしたレストランだった。はじめは、「軽く」ということで、レバノン料理の前菜を集めたセット・プレートを頼んだのだが、予想に反してかなりの量があった。今回はシークケバブのような肉料理を頼まなかったのだが、これだけ量を食べたら満腹にもなる。それでもあとくちにコーヒ一と小菓子を頼む。

食べ過ぎて苦しくても、ホテルは近いので大丈夫。すぐにかえってベットに転がる。牛になりそうだ。

9月30日

ヴェルサイユ観光
パリ・オペラ座近辺、モンパルナスで彷徨
ルイ14

 
今日はヴェルサイユ観光に出かけるため、朝、8時15分にピラミデのマイバス社に集合しなければならない。

ただ、集合した後は、バスに乗っていればヴェルサイユにつれていってくれ、説明つきで宮殿内を回り、昼ごろにはパリ市内に帰ってくるというもので、大変効率的だ。今年は鏡の間の改装が終わったというので、どんなになったのか見てこようと思ったのが、ツアー参加の理由。

ヴェルサイユ宮殿

ヴェルサイユ宮の入口広場には、以前あったルイ14世の騎馬像がなくなっている。その代わり新しい建物がたてられようとしているようだ。どうやら現在のヴェルサイユをルイ14世の時代のヴェルサイユの状態に戻そうとしているとのこと。ルイ14世の騎馬像は後世つくられたもので、ヴェルサイユの最盛期当時はなかったらしい。最盛期はどういう状態だったかは知らないが、将来、宮殿の前には小ホールのようなものができ、演劇やオペラなどが行われるようになるらしい。これによって政府も、観光客以外からも、入場料の収入が取れるだろうとのことだ。ほんとかな?何年か先に、もう一度行ってみよう。
鏡の間

一部屋一部屋、日本語の説明が付くというのはわかりやすいものだ。ガイド付きツアーは2度目だが、なぜか前回の解説は覚えておらず、新鮮な気持ちで聞けた。部屋にはそれぞれ名前が付いているが、天井画のテーマがその部屋の名前の基になっている。上ばかり見るので首が痛い。

鏡の間は改装・修復を行ったというが、どの部分だかわからない。いつもどこか修復中でシートがかかっていることが多いが、たしかに、今回は廊下も窓も全部見渡せる。ガイドさんが来年の年賀状の写真にどうですか、とお写真タイムをくれるが、人が多すぎて撮れない。

鏡の間を過ぎると、後は外の庭を見る時間。庭先は見られるが、奥のほうは土日は入場料がかかる。ツアーにはその分は含まれていない為、庭を見たい人は自分で支払って見学するようにといわれる。土日の午後の庭園見学を有料とするの代わりに、庭の噴水を出すのだそうだが、大体決まった時間より遅れるので、私たちの自由時間内には噴水は出ないだろうということだ。ツアーを離脱してヴェルサイユに残るなら、有料で庭を見て行くのがよさそうだが、パリまで乗っけて帰って欲しくて、ツアーに参加した私たちは、庭見学は放棄した。
漫画喫茶潜入

パリの街に入ると道が込んでいて、マイバス社に戻ったのは昼過ぎだった。

すぐ近くに、日本語インターネットカフェがあるとガイドブックで見たので行ってみる。飛行機のチェックインが事前にネットでできるシステムになったのだが、当日飛行場でチェックインしたのでは並び席が取れない可能性も・・・。旅先では、ネットカフェで手続きするくらいしか対策がない。無事ネットでチェックイン、座席も予約し、予約チケットを印刷したが、このシステムは手間がかかってイカン。

ネットカフェは漫画喫茶もかねていて、飲み物はフリー。日本のTVもVTRで流れている。30分で出る。
「スンハウス」???

スンに挑戦

オペラ地区の回廊・パッサージュでも見ようかと思っていってみたが、日曜はお店も休みで回廊自体にも入れない。

仕方なく大通りに戻る途中で、「日本料理 スンハウス」という看板を見つけた。「スン」てなんだ?人名だとしても日本人の名前ではない。もしかしてカタカナを間違えて、「スシ」を「スン」としたのかな?とりあえず、昼食をとるべき時間でもあったので、入ってみることにした。寿司が外国でどのようにとらえられているのかを知るには、日本人の店でなく、ちょっとあやしげな店の方を選択するのが適当だろう。いったいどんな「スシ」ならぬ「スン」が出てくるか楽しみだ。
これですっかり満腹

店内で働く人は、とても無愛想で、接客にはまるで向かない。それだけでも絶対日本人ではなさそう。そもそも日本人がいたら「スン」の看板は出ていないだろう。

味噌汁の具は、薄切りのマシュルームとさいの目にきった豆腐。スシ飯は水分量が多め。握りというよりぎゅうぎゅうの押し寿司に近く、かじっても決して崩れない。シャリの上部は山形にとがリ気味。鉄火巻きかと思えば巻物の中味はサーモン。ご飯が圧縮されていて量が多いので、一人前でもおなかが苦しくなった。
今は昔の前衛芸術、ビュランの柱

恒例・はらごなし散歩

昼食の後は、パレ・ロワイヤルの庭を散歩する。公園の部分を抜けると、白と黒のストライプの円柱がたつ中庭にでる。歴史的建造物パレロワイヤルの中庭に、前衛芸術家のビュランが柱をぶちたてた当時は、物議をかもしたようだが、今ではすっかり定着した様子。子どもが自転車のまま入ってきて遊んでいる。

パレ・ロワイヤル前のルーブルには、今回は一歩も入らない。地下鉄駅にもぐり、サンジェルマン・デ・プレに向かう。
ラデュレのディスプレー

今日、デ・プレによる理由は唯ひとつ。大好きなラデュレのマカロンを購入するためだ。マドレーヌ、シャンゼリゼにもラデュレの店はあるが、デ・プレの店がいちばん買いやすい。

並んで順番を待つ間、何を買おうか考える。決まっているのはローズとシトロンとピスターシュ(ピスタチオ)。結局、全部で自宅用に20個購入して帰る。ヴァイオレットとさくらんぼうとキャラメルを混ぜてもらった。

ショーウィンドーのディスプレーは、今年は赤とオペラがテーマらしく、トスカ、椿姫、ノルマなどの有名オペラの題名が赤い字で書かれている。
中華料理店でベトナム料理

ホテルにマカロンを置いて、再び夕食の場所を探しがてらモンパルナスの町を歩く。蚤の市をやっているのかと思って近づいたら、新進芸術家達の展示即売会のようなものだった。

ホテルはモンパルナスから一駅のヴァヴァン交差点の近くで、レオノール・フジタたちがたむろしたということで有名なカフェ、ル・ドームやヘミングウェイが好んだル・セレクトなどがあるが、モンパルナス駅方面に近づくと、クレープ屋さんや飲食店が並ぶにぎやかな町になる。

夕食はベトナム料理
パリでも流行のボ・ブン

モンパルナスのにぎやかな通りからモンパルナスタワーに向けて少し歩いたところに、ぽつんと中華料理屋がある。パリの中華料理屋ではベトナム料理を出す店もあるので、メニューをチェックする。どうやらここにも私たちの好きなベトナムものはあるようだ。

ガイドブックにパリでは人気のベトナム料理と書いてあった「ボ・ブン」という料理を頼む。ソーメンのような細い麺の上に野菜と肉と揚げ春巻をのせたもので、タレを絡めて食べる。丼もののようで、一品で済ませられるし、しつこくないので、おなかにも優しい。食事を済ませたら、ぷらぷら歩いて宿まで帰る。

10月1日

帰国
ル・セレクトのコーヒー

いよいよ帰国。ホテルには朝食は付いていないので、どうせなら、モンパルナスのカフェで食べたいと思う。ホテルを出ようとするとフロントのお姉さんに呼び止められる。「どこ行くの、今日帰るんでしょ」「朝食を食べに出るだけでじき戻ります、その後でチェックアウトします」と答える。何か感じがよくない。支払わず逃げるとでも思っているのかな。

カフェ、ル・セレクトで朝食セットを頼むと12ユーロ。フランスパンにバターを塗ったタルティーヌは付いてなくて、パンはクロワッサンだけだった。高いなあ。
モンパルナスタワー

ホテルに戻り、チェックアウトのときタクシーを頼むと、お姉さんが、こんな時間では道が混んでいていてタクシーは来ないという。次回は前日予約をするようにとちょっと怒り気味だが、次回より、今どうするかだ。一応電話をかけてみたがつながらないという。地下鉄で行くのが早いとアドバイスをしてくれたが・・・。

モンパルナスからはエールフランスの空港バスが出ている。私たちのとった道は、モンパルナス駅までトランクを引いてゆくこと。空港からモンパルナスのメリディアン・ホテルに行くバスがあるのだから、その逆もあるはずだ。モンパルナス駅周辺まで来たら、バスが見えた。列の後ろに並ぶ頃は雨が降り始めていた。

無事にバスにはのったが、リヨン駅を回り、街中を通過するため、時間がめちゃくちゃかかる。チェックインはネットでしてあるので、時間は充分あったが、次回は気をつけて、最後のホテルは凱旋門近くにとったほうがよいと思った。

飛行場について、食品をお土産に買う。めぼしいものはない。お酒も、ポルトガルで買ったから、もういらない。ひたすら帰りの飛行機を待つのみ。

10月2日

東京到着

朝6時半ごろ成田に到着し、旅は終わる。JRで東京まで出て会社に出勤。確実に遅刻だ。


(旅の扉に戻る。)

ポルトガル/フランス お土産いろいろ

鶏柄のリネン さくらんぼのお酒ジンジャ ファティマの聖水、宗教グッズ アヴェイロの宝箱、ナザレの舟 バカリャウのオイル漬け缶詰 ポルトワイン入りのチョコ
プリンの素、ゼリーの素 プリンはこんな感じ。 グラハム社のポルト・ワイン シントラのケイジャーダ4個いり 包装をあけると・・・ フランス、ゲルランの塩
南フランスの菓子、カリソン。パリでも買える。 ベッジュマン&バートン(Betjemant & Barton)の紅茶 ベッジュマン&バートンのフレーバー・ティー 「チョコのソーセージ」という名前のチョコ ジェフ・ド・ブリュージュ(Jeff de Bruges)のチョコ。 カカオ・エ・ショコラ(CACAO et CHOCOLAT)のチョコ
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