聖ヤコブ年、サンチャゴ・デ・コンポステーラへの旅
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6月22日 成田からパリ パリからビアリッツ |
出発 パリ、シャルル・ド・ゴール空港に着いたが、ビアリッツまでは国内線。オルリー空港にバスで移動する。時間がかかり、結構大変。ビアリッツに到着したのは夜9時。バスを待ってホテルに向かうが、徒歩でも行ける距離だ。ホテルはロッジのような感じ。 ホテル到着後は、添乗員さんから配られた夜食のサンドイッチを食べて就寝。ホテルの食堂も開いていないので飲み物もない。 |
6月23日 橋の向こうは学校らしい。 サン・ジャックの門 巡礼の事務所 坂道の途中のマカロン屋さん 城壁 シンプルなファサード 内部は3階建て。 サン・ジャン・ピエ・ド・ポー。新橋から見た、二―ヴ川沿いの美しい街並みの。 イバニェタ峠のローランの碑。剣がついていた跡がある。 ロンセスバジェスのローランの物語の場面のレリーフ。 変わった建物の精霊礼拝堂。 ヘミングウェイが泊まったホテル。もう覗きません。ごめんなさい! |
食堂で朝食を食べていると、ツアーのメンバーのオバサマ二名に、さっそく質問された。「失礼だけど、新婚さん?」―よく聞かれるんだ、この質問・・・。年をくっていても新婚と言う事だってあり得るのだが、聞かれるたび、こんなヒネた新婚があるもんかと思う。いつも一緒にいるので、とても仲が良く見えるらしい。結婚19年目なんだが・・・。 このツアー会社を利用するのは初めてなので、二人のオバサマにどんな感じか聞いてみる。二人とも知り合いで参加したのではなく、相部屋OKと言うことで一人参加したのだそうだ。「普通は一人参加は強制的に一人部屋追加料金がかかるんだけど、相部屋だと追加料金は要らないし、新しくお友達もできて楽しい」ということ。確かに、二人とも一泊しただけですでに打ち解けて見えた。 さて、本日は、サンチャゴ・デ・コンポステラへのフランスルートの出発点の一つ、サンジャン・ピエ・ド・ポーへ出発。専用バスに乗り込む。ツアーの注意書きではABCにグループ分けされて、Aグループの人は今日はバスの前の方、明日は中間、あさっては後ろの方とローテーションするのだそうだ。公平にするためらしい。やりすぎな気もするが、こうでもしないと不平・不満がおこったりするらしい。 サン・ジャン・ピエ・ド・ポー サン・ジャン・ピエ・ド・ポーの近くのオスタバで、パリ、ヴェズレー、ル・ピュイから出発するフランスの3つの巡礼ルートが一本となることから、余りにも長すぎる行程を省略して、サン・ジャン・ピエ・ド・ポーから巡礼をスタートする人も多い。とはいえ、サンチャゴ・デ・コンポステラまでは、ここからでも800キロを超える長丁場である。 私たちは、サン・ジャン・ピエ・ド・ポーの高台、シタデルから観光スタート。橋を渡った門のところまで行くが、中は学校らしく、入場が禁止になっている。外に回り込んで、丘の上から町を眺め、道を下るとサン・ジャックの門だ。 門を抜けると、すぐのところに巡礼の出発ポイントがある。巡礼関連の施設には、帆立貝の殻の形の目印がついている。ここに入って、巡礼の記録となるスタンプを押してもらう。 巡礼ルートを歩くと、各地に、こうしたスタンプを押してくれる場所があり、日付も共に記入してくれるので、サンチャゴにたどり着いた時にはその記録を見て、妥当な道のりと時間となっているか等、ちゃんと歩いたかどうかのチェックをするのだそうだ。 宗教的な動機で巡礼する人にのみ与えられる「クレデンシャル」と言う巡礼者の為の証明書も、ここで入手できる。これを持っていれば、各地の巡礼宿を利用でき、巡礼者用の特典を受けることもできる。 ただし、私たちのような、物見遊山の旅行者はダメ。たとえお金を出しても購入できるものではない。 それでも、係りのおじさんは観光者用に、専用のはがきにスタンプを押して日付を書いてくれた。さあ、これで私たちのプチ巡礼の旅に出発。 サン・ジャン・ピエ・ド・ポーは、フランスの中でもスペインにちかく、両国にまたがるバスク地方の町だ。家々の窓に赤や緑の木枠の鎧戸がついているのが、バスクっぽい。 巡礼事務所に寄った後は自由時間になったので、坂道を下って途中のお店に立ち寄る。「エグオン」と言うのがバスク語のご挨拶。非ヨーロッパ系の言語なのか、スペイン、フランス語とも全く違う。お店に入って、マカロンを買ってみる。数種類のマカロンが入っている。 右手に曲がると、街を取り巻く城壁に上れるようになっているので、行ってみる。細い城壁の内側の道をゆくとほどなく降り口に到着。左に曲がり、また町に戻る。サンジャックの門からの坂道に比べて、観光客用に店でなく、ワインショップや本やなど、比較的しゃれた構えの店が並んでいる。 短い道は、すぐ、デスパーニュ通りの坂を下りきったあたりと交わり、正面にノートルダム教会が現れる。ファサードの装飾が少ないので、なんだかペローンとした感じで、やたら大きい。中に入ると、劇場のように3階席まで作られ、説教壇が見下ろせるようになっている。こんな構造は初めて見た。二階にはパイプオルガンの演奏席があり、オルガンが近くから見える。横の通路からは外に出られる。確認してはいないが、高台のシタデルから続く城壁をたどると、ここに出るのだろう。 教会を出ると、城壁を越えて町の外へ向かう。新橋を渡るときの町の景色が良いというので写真を一枚。川にツアーの集合場所は町の外なので、お仲間もそろそろ同じ方向に向かって歩いている。 橋のあたりの土産物屋に、つるすように布の一部をつまんで作られたハンドタオルがかかっている。ずいぶんしっかりした厚手のもののようだ。他に売っているものは、巡礼の杖、何かの置物。フランスはこの旅では最初で最後の訪問地、記念に土産を買おうと思ったが、そのままスルーしてしまった。 バスに乗って、いよいよスペインに 国境付近は、バルカルロス(カールの谷)という。騎士道をたたえたフランス最古の叙事詩、「ローランの歌」の主人公ローランの終焉の地だ。スペイン遠征の帰途、味方のバスク人の裏切りにあったローランの危機を救いにこの谷に戻った時には、すでにローランは死んでいたというお話。叙事詩という文学作品の性質上、史実とは若干違うらしい。この近辺のバスクの人々は初めからフランク王国に属していたわけでもなく、同じ部隊にいても味方とは言えないだろう。 更にバスで走ったあと訪れたイバニェタ峠には、ローランの碑もたっていた。何年か前までは碑の中央に、ローランの愛剣がついていたのだが、私が見た時は外されていた。フランスの騎士の武勇をたたえる碑は、この土地にとっては侵略者の記念碑とも取れるわけだ。国境付近はちょっと複雑・・・。 そして叙事詩の物語の終焉、ロランが落命したロンセスバジェスの町に到着だ。大きな修道院が巡礼者のための公営の宿(アルゲルゲ)となっていて、それだけの為にある印象だ。右手には古い教会、回廊に囲まれた礼拝堂があるが、これらは見学時間でないので見られない。特段説明もなかった。 修道院の入口の売店では、巡礼疑似体験者用(要は観光客)の巡礼手帳が売られている。手帳一冊と大きな地図がセットで5ユーロ。ここで買ったものには、ロンセスバジェスの巡礼者用のスタンプも押してくれるという。もちろん「買う〜!」 売店の反対側には、本物の巡礼者が休息をとっている。自転車できている人、大きなリュックを背負っている人、みんな標高1057メートルのイバニェタ峠を越えてきてひと心地ついているのだろう。 巡礼スタンプをゲットして、ロンセスバジェスをあとにする。これから、スタンプ・ラリーだ! 昼食は、ブルゲーテという村のレストランで頂く。アスパラガスのサラダでスタート。生ではなく、瓶詰のものだ。太くて立派だが柔らかい。さっそくナバラ州の赤ワインが出た。メインは仔牛肉の煮込み、デザートはプリンだった。 向かいの人たちが「あの一番向こうのご主人・・・」と話し始めている。一番向こうにいるのは、カジュアルなズボンにジャンパー、髪型はかなりのショートだが、れっきとした女性である。もちろん隣に座っている女性とは、夫婦でもなんでもない。「え?ツアーの参加者名簿では男性は3人だったはず・・・」。(だから女性なんだってば)と言いたいところだが、そのうち気づくだろうから、ほおっておこう。 この村はヘミングウェイが滞在したことで知られている。近くのホテルがヘミングウェイの宿泊先だったというので見に行くが、他の団体客が入っているのでホールまでしか入れない。それでも、どうせ観光客がいっぱい来るんだから入ったって大丈夫だというツアー仲間のおじさんに言われ、団体さんの食事の部屋をのぞいてみる。ヘミングウェイが弾いたというピアノがあるらしいが、さすがに一瞬だからよく見えなかった。 |
サンフェルミン祭のときに付ける赤いネッカチーフ ナバラのロゼワインはおいしいらしい。 デザート、さっぱり美味しかったのだが。 |
パンプロ−ナ バスはパンプローナへ。パンプローナの牛追い祭り、サン・フェルミン祭で有名なところだ。残念ながら、パンプローナ滞在中にはお祭りは見られないが、街の中では着々と準備が進んでいる。 道標にIRUNAという記載があり、何かと思っていたら、バスクでのパンプローナの呼び名だそうだ。確かに「パンプローナ/イルーニャ」と併記されている。パンプローナもバスク地方なのだ。 ホテルに到着するが、どうも旧市街とはだいぶ離れている様子。添乗員さんが、夕食まで時間があるので、少し先にあるデパート、コルテ・イングレまで行きたい人は引率するとのこと。とりあえず参加してみる。バスに乗ったが、旧市街まではかなり遠い。徒歩で行ったら30分くらいかかるはず。 デパートでは自由時間。一階ではパンプローナのサンフェルミン祭で身に着ける赤と白の衣装、小物がたくさん売っている。週末はお祭りだ。使うことはないが、かわいいのでネッカチーフのようなものを一つ買ってみた。地下はスーパーなので、ここでは食品を買い込む。固形スープの素各種、地元っぽいものをと、コルテ・イングレ印のオリーブの缶詰、バスク地方の赤ピーマン(ドライ)を買ってみる。サフランも、北の地方ではないが、スペインっぽい。 一時間くらい買い物すると、添乗員さんの指示に従ってバス停へ移動。私たちが買い物している間に帰りのバス停や時間を調べてきたようだ。 ホテルに帰ってから、今度は夕食に出かけるためにロビー集合。ここで、このツアー会社恒例の自己己紹介が始まる。何を言ったか覚えていないが、妙に横浜市在住の人が多かった。夫婦ものが私たちを含め二組、一人参加の男性が1人、一人参加の女性が?人。お友達と参加が一組。今後の人間関係の展開も楽しみだ。 夕食は街のレストラン。夕食も地元、ナバラ地方のワインが出てきた。今度はロゼだ。 野菜が一皿、メインはレドンドという牛肉の薄切りとマシュルームのソテー。腹はほどほど。重すぎず日本人向き。デザートのシャーベットには、地元の旬の果物のチェリーを添えてくれた。食べてから気づいたが、シャーベットにはアルコールが含まれていた。おいしかったが、横を見たら、主人が酒で赤くなっていた。 ホテルに帰った後は、おとなしく就寝。 |
6月24日 コンチャ湾 ここまでする? 市庁舎前広場のNOW 昔の市庁舎前広場の絵 サン・ビセンテ教会 バスクベレーを見かけた |
サン・セバスチャン観光 パンプローナのホテルを出て、サンセバスチャンへ向かう。「風光明媚」という装飾が必ず付く、スペイン北部の海辺の町だ。まずバスが向かったのが、イゲルト山の展望台。コンチャ湾とホタテの貝殻のように緩やかなカーブを描く海岸線、対岸のウル街グル山、間に浮かぶサンタ・クララ島、貴族の別荘地として栄えた街並みを眺め、しばし休憩。展望台には小さな遊園地もあるが、まだ朝なので乗り物は動いていない。そもそも、私たち以外にはお客もまだ来ていない。こんな早くから出張ってくるのは他国の観光客くらいなもの。 山を下り、コンチャ湾のビーチを左手に眺めながらバスは旧市街へ。ウルメア川の遊歩道に降りて、歩き始める。 大通り沿いの大きな魚市場に到着。昔の魚市場を改築したという、現代的な建物で、大通り沿いの一階はしゃれたブティックが入っている。市場の部分は一つ奥の地下だ。野菜も肉も魚も、生活用品もある。魚はというと、どうしてどの店もこんなふうにディスプレイするんだろうと思うような状態で並べられている。切り身よりも一匹売りが多いので、とにかく豪快だ。肉屋では、日本に持ち帰れないが、ツアーのお仲間には生ハムを買っている人もいる。魚市場での自由行動の後は再び市内観光だ。 教会を道の突き当りに眺め旧市庁舎前広場に入る。市庁舎の前のスクエアは、三方をアパートで囲まれている。広場では闘牛が行われたこともあり、アパートのベランダは、観客席に早変わりしたのだそうだ。ベランダの窓の上には、その名残で、座席番号がついている。 サン・セバスチャンはスペイン王家の保養地となって以来、人気の別荘地となったが、ナポレオン戦争の時に街は大半が焼失したということだ。昔の姿が残っている旧市街は、道幅も狭く、路地のようになっている。焼失を免れたサンタ・マリア教会の外観を見て、町はずれの城壁の門を出ると、港があらわれる。ヨットも、漁船も停泊している。小規模だが、風情のある港だ。 引き返して、昼食のバルへ向かう。途中、「美食倶楽部」と呼ばれるバスク地方の男性限定サロンの建物を見る。普通の家だが、中ではバスクの熱ーい男達が集って料理を作るのだ。サン・セバスチャンは美食の町、この近辺にも数件の美食倶楽部があるらしい。 こんな穏やかな風景の、美食をこよなく愛する町が、ETAの活動拠点だとは思えないが、これもスペインの光と影というところだろうか。いや、バスクの人はスペインとしてひとくくりにされるのは嫌なのだろう。 昼食のバルは、港からもどってサンタ・マリア教会を少し超えたところにあった。奥の席に通されるが、カウンターの上にピンチョスに心惹かれ、横目でチラチラ見て通る。メニューは、海の幸を中心とした小皿のおつまみ系。、タラのクレープ、カニのタルト、海老とベーコンの串焼き、メインもお魚でアンコウのソテー。ちょこちょこ食べているうちにお腹がいっぱいになる。 この日はツアー参加者の男性の誕生日だということで、ツアー主催者からケーキがプレゼントされる。ツアーの中で誰かしら誕生日の人がいると、ご相伴できるのでいい。出てきたのはバスク地方のパイ菓子だったが、見た目はきわめて地味だ。ろうそくを立ててあるが、火を吹き消すのに、手で仰いで消しているので、他の男性がが「ダメだよ、それじゃ、線香じゃないか」とやじる。どこかで、それシャレにならない・・・と誰かがぼそり。大笑いだった。 食事の後は少しだけ自由時間があったので、バルの先にあるサン・ビセンテ教会まで行ってみる。大きな教会だが、昼時でもありひっそりしている。中に入れなかったので引き返す。その後は、旧市街を少し散歩しながらバスに戻る。 途中、ツアー仲間の希望で、ワインショップに寄り道する。美味しいワインビネガーでもないかと思って、お店の人に聞いてみるが、場違いはなはだしいという顔をされた。日本で酒中心の輸入食材屋に行きつけているので、ついあるかと思ってしまったが、普通、酒屋で酢を探す奴はいまい。 近代的な大通りに出てしばらく歩く。ビクトリア・エイフェニア劇場と言う立派な劇場が立つ川沿いでバスを待つ。パンプローナまで戻って、自由時間となる。 |
カテドラル |
パンプローナ大聖堂へ 一旦ホテルにもどったが、旧市街はホテルから遠い。タクシーを拾って、カテドラルまで行ってもらう。入口に回ってみるが、修復中なのか、囲みがつくられていて、入れないようだ。連れ合いが、あきらめかけているのを、念のため横にもう一度歩いてみる。すると、美術館の入口の矢印がある。私としては、美術館だけでも見られれば充分なので、さっそく入ってみる。 台所だった部屋には天井に煙突の穴がついている。隣の大きな部屋では、聖人の彫像類を見る。柱頭にも彩色された石の彫刻があって、教会や修道院として使われた建物自体も鑑賞できる。 回廊に出て、いくつか部屋を回る。大きな楽譜が飾られている部屋があったので入ってみると、楽器を奏でる天使の彫刻や絵画の写真とともに、楽器の実物が、展示されているのが面白くて、つい長居をする。後ろには、木彫りの聖歌隊の座席らしきものもある。 回廊や回廊に面した礼拝堂(バルバザーナの礼拝堂とあり、司教アーノルドの墓がある)を見て、教会の中へ。こちらの中心部にもカルロス3世夫婦の墓がある。石棺には故人の生前の姿を表した人物の彫刻がついていて、相当美化されているのだろうが、つい背伸びして顔を覗きこみたくなる。 他には聖遺物箱、宗教行事に使う宝物の展示もあり、たっぷり見せてもらう。素敵な新聞型のパンフレットもあり、頂いてくる。写真が載っているが、解説が個々の写真にについていないのが玉にきずだ。 出口の外には大きな鐘が展示されていた。 |
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ナバーラ美術館 聖堂を出て次なる目的地、ナバラ美術館へ向かう。町のはずれの方に向かっているのか、高台の下に川が見える。美術館は、たいへん古風な建物で、それもそのはず、1556年に建てられた病院が起源なのだそうだ。4階建ての立派な建物で、ファサードはプラテレスコ様式、隣接の教会もある。 まずは入ってみる。内部は近代的だ。紀元前から近代までの収蔵品を時代順に展示しているのだが、どうやら、地下の展示は見逃したらしい。また、中世の美術品、教会建築の一部もあったらしいのだが、館内は写真も取れないので、記録に残せない。 結局、もっとも有名な絵画、ゴヤの「サン・アドリアン侯爵」を求めて歩いたせいか、この優男に出会った後は、他の物の印象が極めて薄くなってしまったのだ。 隣りの教会はゴシックのゴテゴテ。祭壇はキンキラ。最近はロマネスクばっかり見ていたので、ここまで来るとあってむしろ新鮮だ。 |
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感想らしき感想がないので、パンフレットでもくっつけておこう。 |
もっと遅くまでやっていてほしいよ。 タパス 向こう側が鰻の稚魚 こんな広場で踊りが始まる |
町の散歩、繁華街のバルで夕食 美術館の後は、巡礼スタンプラリーの続きをしようと、パンプローナのツーリスト・インフォメーションを探すが、行き着いた時は既に閉館。シャッターが下りていた。昼休みが長いのだから、夜7時くらいまではやっているだろうと思ったら大きな間違いだった。美術館より先に行くべきだったと思ったが後の祭りだった。仕方がないので、市庁舎や牛追い祭りの出発点など見て、街の中へ戻る。 本日、夕食は、添乗員さんの企画に乗っかって、町中のバルで希望者が食べることになっている。私たちは観光は別行動だけど、ちょっと遅れて予約してあるお店を訪ねる予定を告げてある。もし行かなかったら、迷ったと思ってくれと言ってあるので、無理に行かなくてもいいのだが、無事にそのあたりまで出られたようなので、あらかじめ聞いておいたバルを探す。 到着した時には、バル・ツアーに参加した皆様は、すでに一通り食べ終わっていたようだが、残っていたサラダやタパスをもらい、自分たちもカウンターで好みのタパスを注文する。気になっている鰻の稚魚がのったパン、生ハムののったパンを選ぶ。色々食べたいのはやまやまだが、パンの部分でお腹いっぱいになってしまう。 このバルで食べている人は4人。ツアーのお仲間の中でも、町中に出ないでホテルの近くで食べている人たちもいるようだ。添乗員さんたちは、町の観光をしてから、観光局で巡礼のスタンプももらってきたという。えー、やっぱりスタンプは欲しかったなー! 帰りは近くの広場で町の人たちが、演奏に合わせて輪になって踊っているので見てゆく。地方に伝わる民族舞踊なのだろう。ステップを学べば何とかなりそうな、緩やか踊りなのだが、案外マネできない。年齢ゆえのものだろうか?添乗員さんは若いので、それらしくステップを踏めていた。 連れ合いは、添乗員さんの誘いで、広場の近くのアイスクリーム屋さんで、デザート代わりにアイスを買って食べた。あとは、バスでホテルに。ホテルの場所が旧市街から遠いのが難点だ。 |
6月25日 |
いよいよ巡礼の道へ 朝パンプローナを出発し、バスでぺルドン峠へ。モニュメントがあるので、写真撮影に一時停車してもらう。巡礼者の行列が、金属板で影絵の人形のように形作られている。向こう側は山と谷の景色で、天気も良く見晴らし良好だ。 もう少し先まで行き、巡礼のフランスルートとアラゴンルートが合流する地点のプエンタ・ラ・レイナでも下車。巡礼しゃん像があるのでここでも記念撮影をする。近くにある巡礼宿で、巡礼スタンプを押してもらう。 小さな通りを歩くと、プエンタ・ラ・レイナ(王妃の橋)という町と同じ名の石橋に行きあたる。手前の観光局でも巡礼スタンプが有ったので押してもらい、橋を渡る。渡った先からは、再びバスに乗って移動だ。 次にバスを降りたのは、エステージャ。 まずはお手洗いを借りがてら、町はずれのカフェで一休み。私たちは橋の向こうの協会が気になるが、団体を離れてもいけないのでカフェの周りで待つ。 巡礼道は街の外を通っているようだ。(隣りの地図参照) 本日は初めての自分の足で巡礼道をたどるのだ。ただしたった2キロ。とりあえず、やってみようという感じの小手調べである。 帆立貝を模ったマークの道しるべをたどって、町をだんだん離れてゆく。 商業地区ではなく、完全に人家しかないところに差し掛かった。坂道を登る途中で、後ろから来た車に乗ったおじさんが、なぜかパンをくれる。このおじさん、パン屋さんで、配達の終わりに余ったものをくれたのかな?バゲットが一本と言うわけでなく途中でちょん切れている。頂いたのだが、何で???と言う疑問が先に立ち戸惑ってしまう。 私たちを巡礼道をたどる人たちと思って、ご報謝代わりにくれたのだろうが、きっと茶髪に染めてた60歳のオバサマの後ろ姿が若い子に見えたに違いない。「ありがとう、ついでにハムがほしいわねー」というあたりが、私は不信心者。そして、手持ちのビニール袋があったので、むき出しのバゲットを入れて下げて歩く。次のレストランでみんなで分けて頂こうと、添乗員さんが預かってくれる。 自動車道を渡ると人家もなくなり、完全に畑の中の道になる。この辺りはブドウ畑らしい。 道の途中に地元のワイナリーの「ワインの泉」なるものがあると聞いた。底では、巡礼者は、ただでワインが飲めるらしい。添乗員さんによると、現在はサービスをやめてしまったという話もあって、行ってみるまではどうなったのかわからないそうだ。 ぽちぽち歩いてゆくと、ワイナリーが現れる。鉄サクの中に入れるようになっていて、蛇口が二つある。右はワイン左は水が出るようになっていた。コップがないと飲めないのだが、さすがに私たちの中には持参している人はない。 ヨーロッパの国からの巡礼者のお姉さんが、持ち歩いている金属のカップを貸してくれたので、みんなで回してワインを飲む。全員が終わるまで待っていてくれた巡礼の女性には感謝。きっと巡礼の旅を立派に成し遂げるに違いない。 酒好きのオジサンが、ペットボトルに入れようとして、奥さんに止められている一幕もあった。オジサンはコップの代わりにしようと思っただけらしいが、奥さんはタダ酒を詰めようとしているとふんで「およしなさいよ、みっともない」と、とめていたのだ。 蛇口の前でコップにワインを汲んでニコパチ写真を撮る人が多いのだが、居座って蛇口の前からどかないKYなオバチャンが一名・・・。写真を撮りたい人が、どいてくれませんかと言ったのだが理解してもらえないらしく、ちっともどかないので、なかなか写真撮影が済まない。 「ほら、記念撮影するならさっさとしろよ。そのコップ借り物なんだから」と、添乗員さんの心の声が聞こえてくるようだった。 みんなワインまたは水を飲んで、ひと心地ついたら、コップを貸してくれたお姉さんにお礼を言って、先へ進む。 まだまだ歩くのかと思ったら、意外とすぐに、ゴールのイラーチェの修道院に到着。あっけなく本日の歩きの行程は終了。「えー、これでお終いなのー?」とがっかりしている人もいる。 突然現れた、大きな修道院の建物。中で巡礼スタンプを押してくれるので入る。奥にある礼拝堂にもちょっと立ち入ってご挨拶し、美しい中庭を眺め一休みする。 |
昼食のレストラン 食べられなかった鴨肉のコンフィ ログローニョの町中の現代の巡礼者の像 あれがスソ修道院の入口 いかにも古い建物 様式にはイスラムの影響も ユソの修道院前にあるスペイン語発祥の碑 天井画は18世紀。 |
修道院を出て、今度はバスで、リオハ州の州都ログローニョに向かい、そこで昼食となる。 リオハ州はワインの産地で有名だ。昼でなければ飲むところだが、やめておく。ツアーでの昼食も三度目となり、何人かは話したが、まだ全員とは話をしていない状態。座る席によって、新たな組み合わせで話が弾む。 わが亭主は、向かいのオバサマにつかまって、この人が80歳だというのに頭の回転が速く、絶え間なく機関銃のように話しかけてくる。あいづちをうっていたら、ご飯を食べる暇もない。この光景を見て、隣の女性陣は、「よくしゃべるわねー」「あそこのご主人、食べる暇ないじゃない」「やさしいわね、よく聞いてあげて」「私、今夜はあの人と相部屋よ、眠れるかな」「それにしても、よくポンポンことばがでてくるわねー」と、こちらも本人に聞こえないのをいいことに会話が盛り上がっている。 ほとんど昼食を食べられなかった亭主と昼食後の自由時間に、ログローニョの街を数分散歩。ツーリスト・インフォメーションに行きあたったが、昼休み中で巡礼スタンプはもらえなかった。バスに戻ると添乗員さんが、巡礼のスタンプを配ってくれる。ツーリスト・インフォメーションが昼休みに入る前に、スタンプだけ、人数分を白紙に押してもらいに行ってきてくれたらしい。いつの間に?!気が利く添乗員さんでびっくり。なくさぬよう、帰ったら即刻スタンプ帳に貼り付けねば。 ユソ、スソの修道院見学 ログローニョの街を出て、午後はユソとスソの修道院の見学に向かう。まず、ユソの村に到着。坂の下に大きな修道院が見渡せる。 ここからは、道も細いので、小さなバスに乗り換え、まずスソの修道院に向かうことになる。スソの方がユソの村の上にあり、古いもののようだ。参加者のおじさんがふざけて「スソのほうは裾じゃない」と言っていたので、位置関係がおぼえられた。本当に、「スソ」は「上」、「ユソ」は「下」という意味らしい。 スソの修道院は、6世紀の僧、聖ミリャンの埋葬された場所に建てられた霊廟と教会がある修道院だ。山の中の小路をゆき、入口に到着する。窓の少ない石造りの修道院は、小規模で簡素なつくりのように見える。 入口を入ると中は暗め。通路に石棺がおかれているが、これがナバラ王家ゆかりに人たちや側近のものだという。王室の霊廟という役目もあったらしい。ユソの修道院に比べると、規模ははるかに小さいのだが、当時としては立派なものだったのだろう。 石棺のおかれた廊下を進み左手の小さなアーチが聖堂の広間の入口だ。それなりの広さがある。中の柱の上部はイスラム風のアーチになっている。身廊にあたる広間の奥は岩壁と一体化した、いにしえの聖人ミリャンの庵だった場所や、祭壇、小礼拝堂となっている。 ここにあった聖ミリャンの遺骸は、現在はユソの修道院に移されている。 小型バスでユソに戻るが、ユソ修道院の見学時間までに少々時間がある。みんなそれぞれ、村の中を歩いてみるが、特に見るものはないという結論が出た様だ。 修道院の前に戻り、スペイン語の発祥の碑の説明を受ける。碑には、「カスティリャの言語の道」として、ユソから始まる道が地図上に描かれている。ユソは、修道院に保管されている最古のスペイン語の聖典がこの地で作成されたため、スペインの言語学の拠点にもなっているそうだ。現在のスペイン語は、当時の中央スぺインのカスティーリャ地方の言葉であった。 見学時間になったので、修道院に入場。今度はとても立派な大きな修道院だ。入口を入ると、最古のスペイン語の書物とされている聖典の複製も、ばっちり展示されている。 ユソ修道院には実際に現在も7人の修道士が暮らしていると言うことだが、非公開。見学できる部分は博物館にもなっている。 礼拝堂のきらびやかな祭壇では、キリストを身ごもっている珍しい姿の聖母マリアの彫像がある。当時の風潮から、妊娠しているマリア様は、宗教的にちょっと問題・・・と感じたため、後から布を付けたそうだ。 祭壇の部屋では、手で回せる可動式の譜面台も見ることができる。人の背よりも高い、結構大きな台だ。 この後は、明るい展示室に入ると、聖ミリャンの遺物箱など細工物も飾られている。重厚感のある羊皮紙に書かれた楽譜も見ることができる。重厚感どころか、実際に一冊40キロもあるそうだ。本の保管には、鼠よけの猫を放つキャットホールもある。 |
ナヘラの巡礼者用宿泊施設 豪華絢爛な祭壇 宝物 ステンドグラスの下絵 ステンドグラス 鶏が飼われている檻 鶏の形のパイ 芸が細かいと言いたいが、造形ははアバウト 町の土産物屋 酷評をいただいたスイカ パラドールのマーク入り |
ナヘラ立ち寄り、サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダへ 見学後、宿泊地のサント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダに向かう途中、ナヘラという町に立ち寄り、巡礼者用の宿泊施設アルベルゲへ、巡礼手帳のスタンプをもらいにゆく。 アルベルゴに、日本人の女の子がいたので話かける。サン・ジャン・ピエ・ド・ポーから歩き始めたという。 食事は共同で、大テーブルに大きなボールに入ったサラダが出されている。全般的に簡素な食事と思われる。ベッドは3段。天気が良かったので、アルベルゴの外には宿泊者の洗濯物が沢山干してある。 まだ先は長い巡礼路。女の子に、みんなで「頑張ってね」と声をかけて出てくる。 サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダに到着したのは夕刻。ホテルはカテドラル前のパラドールで、チェックインの時間待ちの間に、希望者はカテドラルの見学に出かける。クローズまで20分ほどしか時間がないが、翌日の出発が早いので今日見てしまわないとならない。焦って見学。 グッズ売り場兼入口で入場券を買い、聖堂の中に入る。 サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダは現在では大きな町とはいえないが、当時は巡礼の道上にあり、要所だったのだろう。大聖堂も背が高く立派で、豪勢な祭壇がしつらえてある。駆け足でしか見られないのが残念だ。 この聖堂の中では、町の伝説にちなんで、ニワトリがつがいで買われている。小さい檻の中なので、ストレスがたまると言う事で、適度に入れ替えされているらしい。 伝説のことの発端は、巡礼の親子の息子が、宿屋で使用人に恋されたが、交際をお断りしたところ、窃盗のぬれぎぬをきせられ処刑されてしまったというもの。両親が悲しみを乗り越えサンチャゴへの巡礼を果たし、帰りに町に立ち寄ると、絞首刑になった息子が、吊り下げられたまま聖ドミンゴのご加護で生き返っていた。両親は、これこそ息子の無実のあかしと言って役人を訪ねたが、役人は食事中。「このテーブルのローストチキンが生き返るわけがないのと一緒で、死んだ人間が生き返ったりしない」といって追い返そうとしたところ、ローストチキンが生き返って鳴き声を上げたという。生き返った息子は無罪となり両親とともに帰途についたという。この伝説に似たものをポルトガルでも聞いたことがある。「バルセロスの雄鶏鶏」と言う話だ。 時間がないので、聖堂はさっと通り過ぎて、回廊側にある美術館を先に見に行く。絵画、彫像等、および銀器、宝物類が展示されている。最後の方に行くと、聖堂のステンドグラスの下絵らしきものがある。見比べようと、聖堂に戻ってみると、ニワトリがちょうど声をあげていた。聖堂内に響く「コケコッコー」の声を聞いて、なんか得した気持ちになる。ツアーの人たちも何人か来ていたので、一緒にホテルに戻る。 聖堂も美術館もカメラ、ビデオ共撮りまくっていたのだが、入場券を後で見てみると、撮影禁止になっている。堂々と鶏の鳴き声までビデオにおさえてきてしまったのに・・・。 聖堂を出て、一旦ホテルでチェックインを完了させ、夕食までの間、再び町中に出てみる。 聖堂の向こう側は町一番の広場。アーチつきの建物に囲まれた回廊のようになっていて美しい。 聖堂前の道は巡礼が通る道筋で、道しるべの貝マークが埋められている。 私たちはホテル近くの道を両端の店を見ながら歩く。巡礼の貝殻のアクセサリーにちょっと心が動くが、我慢。向かいの菓子屋の店先には、町のシンボルのニワトリの形のパイ菓子があったので、一つ買ってみた。他にも、なにやらホタテ貝の形のお菓子。近づいて見ると貝の中に人型が・・・。帆立貝に運ばれてサンチャゴに流れ着いたヤコブ? お菓子屋さんの先のコンビニみたいなお店でコーラとジュースを買って、しばらく散歩してホテルに帰る。 夕食はホテルのダイニングで8時から。 パラドールの食事はヌ−ベル・キュイジーヌと言った感じで結構モダンだ。のっけから、アミューズが酷評される。スイカの角切りの上にクリームチーズが絞り出されているのだ。この組み合わせがよろしくなかったようで、自分で作った料理のほうがおいしいとみなさん、この料理の奇抜さには耐え難かったようだ。私も、チーズとスイカが合うとは思わないけど、下のかぼちゃのスープはおいしいし、無謀な組み合わせを「素材のマリアージュ」とか評して有り難がる風潮のフランス料理にもお目にかかるので、特にひどいとは感じなかった。つづくアスパラガスのスープはなかなか美味しかったが、皆様の不満は収まらない。こんな時は赤ワインでも飲んで、と、私もグラスでワインをいただく。メインは鱈のトマトソース煮。デザートは果物のタルト。 部屋には、ホテルからのチョコレートがおかれていた。鶏の形のパイもひとかけら割って食べる。形が特殊と言う以外は何の特筆すべき点のない菓子だ。 |
6月26日 ホテルの朝食にこの地方の名物ソーセージ「モルシージャ」を発見 カルサダの城壁外。巡礼のシンボル、帆立貝の形がいっぱい。 サンタマリア門の向こうが中心地 サンタマリア門の彫像 13. 黄金の階段 10. ハエトリ男 17. 聖職者の席 中央にはマウリーシオ司教の横臥像 15. エル・シドと妻の墓 22. 元帥の礼拝堂。ベラスコ元帥夫妻の墓がある。 30 正面ファサードのバラ窓 エル・シドの像 モルシージャ アルタミラの展示館 アルタミラの洞窟のミニミニパンフレット? コエリ博物館の中庭 「この人を見よ」の像 教会の回廊見学は6時ですでに終わり 夕暮れの町・・・ほとんど8時 この店でいろいろ試食 当初の目的はチーズケーキ |
カルサーダ、朝の散策 前夜の料理の評判は悪かったが、朝食はとても豪華。スペインは朝から甘いものまで食わせてくれる。 本日訪れるブルゴスの名物の黒いソーセージが並べられているのを発見。すかさず頂く。チュロスはある、パエリヤはある、ゆっくりできるものならうんと食べるところだが・・・。 出発前に町中を散策する。添乗員さんが案内してくれるようだが、時間の都合上、二人で出かける。 ホテルの斜め前の小礼拝堂を見て、巡礼路に平行する裏道を歩き、城壁の外側に回ってみる。城壁の上にはコウノトリの巣がたくさんある。城壁の外には金属のホタテのマークが並んでいる。適当に戻り大聖堂の脇に出ると、他のツアーの参加者たちも歩いている。お互いに、写真を撮ったり撮ってもらったりして、出発時間まで暇をつぶす。 ブルゴス観光 バスはブルゴスへ。 まずは、サンタ・マリア門を眺めながらブルゴスの町に入る。14世紀の建造で、16世紀の皇帝カルロス1世を迎えるために改築されたというものだ。門には、カルロス皇帝やスペインの英雄エル・シド、ブルゴス大聖堂の建造の提唱者マウリーシオらの彫像がある。 町に入ると広い遊歩道があり、お祭りが近いのか出店も人出も多い。 聖堂の前に着いたが、見学まで時間が空いたので、20分ほどの自由行動。聖堂の正面に回ってみると、土産物店が空いていたので巡礼者が掛けているホタテの貝殻のペンダントを買う。コレ、欲しかったんだ。 時間となったので聖堂に入る。入口で、巡礼手帳のスタンプをもらう。ここの係りの人は愛想がよくてよくしゃべる。それはいいが、手を止めずにスタンプを押してくれ・・・。 大聖堂は想像を超える大きさ・壮麗さで、トレド及びセビリアの大聖堂とともにスペインの三大カテドラルに数えられるだけのことはある。フランスを旅し、ゴシックで聖堂を建造しようとしたマウリーシオの意見を入れ、1221年にカスティーリャ・レオン連合王国国王のフェルナンド3世の命をうけ着工。その後完成までに500年以上かかったという。 見どころ満載の大聖堂。一説では、見るのに二年かけてもみつくせないのだそうな。12時とともに出てくる、ユーモラスなハエトリ男に笑ったり、豪華絢爛な黄金の階段に感嘆したり、なかなか忙しい。礼拝堂がいくつもあるため、祭壇もその数だけある。見切れない。2年架かるところを1時間程度で回ろうとしているのだから、自分なりに見たいところを見たら、あとはあきらめることが肝心だ。 昼食のレストランは、聖堂の近くだが、時間になるまで町中を歩く。中心のマヨール広場に行きあたり、ブルゴスで有名なお菓子「ジェマ・デ・ブルゴス」が売っているという店で試しに買い物。川の近くのエル・シドの像を見て帰ってくる。 昼食のメニューは、朝のホテルでも食べたが、豚の地で固めた米の入ったソーセージ「モルシージャ」が出された。メインは羊。デザートはメロン。何テーブルかに分かれたが、ツアーの仲間に先刻買った「ジェマ・デ・ブルゴス」を配る。卵の黄身と砂糖を使った、ポルトガルにありそうな菓子だ。甘い アルタミラ洞窟へ 昼食後は、アルタミラの洞窟のレプリカを見にアルタミラに向かう。 バスの中は、近隣のシロス修道院のグレゴリオ聖歌がかかり、いい気分で皆さんはお昼寝タイム。聖歌好きのとしては聴きたい気持ちと、食後の睡魔とどちらが勝つかの攻防戦。 洞窟は1879年に発見されたが、現在は一般に公開されておらず、レプリカを展示館の中で見学することができる。 入場予約は5時。10分ほど休憩をとり、5時10分前に入口に集合だ。 ジオラマ内を巡ると彩色の道具、染料と思われるもの、技法に関するもの等当時の技術を推量し再現している。展示の方は部屋がいくつかあり充実していた。アルタミラ洞窟のレプリカは、実際の洞窟のような凹凸とそれに合わせた野鹿、牛、馬などが精緻に再現されているのだが、最初に見たフランスのラスコーのレプリカの方が強く印象に残っているせいか、こちらはあまり印象に残らなかった。 サンティジャーナ・デル・マル 夕刻、サンティジャーナ・デル・マルに到着。バスは町の中まで入れないので、ホテルには徒歩で5分くらい歩くことになる。町の奥までは石畳の緩やかな上り坂で、両側の家並みが古く風情がたっぷり。サルトルが、スペインで[最も美しい]と評した町だそうだ。メインストリートは2本並行している、どちらも教会前の広場に通じている。このうちの左の一本の途中に泊まるパラドールは位置している。チェックインを済ませると、とにかく町に出る。 バスを降りたあたりに戻り、インフォメーションを探していってみる。何か今からでも見られるものはないかと問うと、2つほど博物館が開いているというので、さっそくそのうちの1つに行く。 町の入口のすぐ脇に、レヒナ・コエリ博物館という宗教美術関連の展示がある建物がある。閉館まで1時間ほどしかないが、規模からすると大きくはなさそうなので、ざっとならみられるだろう。 建物は教会と修道院の跡。17世紀の建築物だ。残念ながら、展示室の内部は撮影禁止になっている。 一階の回廊に出ると、上階に行く階段がある。屋根裏のような天井の低い展示室まで行くと、窓も少なく、湿気が充満している感じがする。雰囲気が重さも、宗教美術を見るにはなかなかいい。 スペイン最盛期にアジアから入手した、象牙でできたキリスト像などもあり、スペインの版図の広さが実感できて面白い。 素材は木が多く「マデラ」と言う単語を覚えてきた。やたら「ポリクロマーダ」という解説がついているので何だろうと思う。塗ってある塗料の種類かなにかかもしれない。機会があったらガイドさんに聞こう。(後日聞いたら、多彩色のことだそうだ。) 出口で英語の解説書を買おうと思ったが売り切れ。仕方なくスペイン語のものを買う。なんか古臭く、写真の印刷も反対ページに色移りしていたりする。あんまり見学者も来ないかもしれないけど、新訂版、刷ろうね。 夕食は8時。まだ時間があるので、町の奥の教会まで歩いてみる。さらにその先の民家の方まで行ってみるが、特に何もない。眼下を野原が広がり、家畜小屋の匂いがする。 再び町中に戻り、左右の土産物店に寄り道。特産品なのか、チーズケーキがたくさんがおいてある。銀のアルミホイルのトレーに入っているが、意外と日持ちするようだ。 看板が出ていいる乳製品の店に入ってみる。チーズケーキもあるが、お店の小父さん曰くチョコがおいしいとのこと。試食して美味しかったので、連れ合いが購入。ミルクもおいしいから、「飲んでみな」とおまけに牛乳を飲ませてくれた。濃くておいしい牛乳だ。ついでにカステラみたいなものも試食させてくれた。 おみせをでて、他の店でも、「サンティリャーナの石畳」というお菓子を買ってみる。この狭い街の散歩で、小腹も満足、お土産のお菓子もいっぱいになってしまった。 ホテルに帰って、夕食に出かける。すぐ近くにあるもう一軒のパラドールのレストランでの食事だ。 メニューはアンチョビとカツオのサラダ。サラダには、カツオではなくツナ缶が入っていた。ツナは英吾でマグロのことだが、カツオもツナと言うらしい。マルミタコと言う名物料理が出るが、これもカツオとジャガイモの煮込みとのこと。食べたが、カツオだかなんだかよくわからない。 今夜はサッカーの試合。食事の解散も早いし、部屋でテレビを見ていて食事に出てこない人もいた。 ホテルに帰って、おやすみなさい。本日も充実した一日だった。 |
6月27日 サン・ミゲル教会のファサード ナランコ教会 これは植物文様。イスラムの影響?ロマネスクの先駆? こんなレリーフ装飾はアストゥリアス様式というらしい。 オビエド市街地を臨む説教台 途中、湖がある。 |
アストゥリアス建築をみよう 本日は9時15分に、ホテルを出発する。向かうのはオビエド。私にとっては、行ったこともないし、事前知識もない都市だ。アストゥリアス建築という様式の代物が見られるらしい。これも実のところなじみがない。8−10世紀のアストゥリアスの歴代国王が建てた建築物は、「アストゥリアス・プレ・ロマネスク建築」と呼ばれ、ロマネスク様式のさきがけとなったものと言われる。古代ローマのバシリカ風のシンプルな構造で、切り妻屋根の素朴な外観と、半円筒状の細長い身廊をもつ。中世ヨーロッパの中でも独特のスタイルであるとのこと。 アストゥリアスは今ではスペインの北部の一地方に過ぎないが、722年にペラーニョがイスラム軍を破って打ち立てた王国であり、8世紀初頭にしてイスラムからの「レコンキスタ(国土回復運動)」の発祥地となった歴史的な意味を持つ場所なのである。 オビエド自体は大きな都市だが、立ち寄るのは後。先に2キロほど離れたナランコ山のサン・ミゲル・デ・リリョ教会、サンタ・マリア・デル・ナランコ教会を見学する。 ナランコ教会の方は既に観光客がたくさん来ている。これを横目で見て、すいているであろうサン・ミゲル・デ・リリョ教会を先に回る。徒歩で移動できる近さだが、こちらは私たちだけしかいない。石を積み重ねた建物で、壁の部分が多く窓の数は少ない。後ろ姿は至って地味な印象だ。 正面に回ってみると、左右対称の均整のとれた姿。横から見ると身廊が短く、ギリシャ十字型になっているという事だが、身廊の長い教会に慣れていると、寸詰まりのようにみえる。11世紀に、近くを流れる川が氾濫して、教会の東側が押し流される迄は、現在の3倍の大きさだったという。 一部のレース細工のような繊細で美しい窓には、保護のためにガラスがかかっている。石造りとはいえ、何世紀も吹きさらしの状態では劣化も進んでしまうのだろう。 内部のアーチには、わずかに建築の最初期のフレスコ画らしき跡があるが、暗くてよく見えない。 教会は王家の為に作られたもので、王族が着席するための2階席が造られている。後ろの窓から光が入るようになっており、これは、下の階にいる人から、まぶしくて王の顔が見えないようにという配慮らしい。 すいた頃を見計らってと、サンタ・マリア・デル・ナランコ教会に戻り、内部を見学する。石の外階段で二階にあがると、いきなり広間である。もともとは、9世紀にアストゥリアス王ラミロ1世によって建てられた離宮だったが、2階はこの広間のみで、左右にテラスがついているだけだ。宮殿にしては狭いと思うのだが、当時はこんなものだったのだろうか。よく見ると壁の上部のレリーフ状の装飾が凝っていて、大変美しい。柱のデザインも色々な様式が混ざっているようで、面白い。 910年にオビエドから首都がレオンに移ってから、離宮は近隣の人たちの為の教会に転用された。美しいアーチに囲まれたテラスの一方には、説教台がおかれている。 オビエドの旧市街に入り、ランチタイムまで、街歩きをする。スタートは大聖堂の広場から。民族衣装の人たちが歩いているところに出食わす。今日は何かのお祭? 市庁舎のテラスでは、楽隊の演奏も行われている。レストランに囲まれた広場では、民族衣装の男女の舞踊が始まって、通りかかった私たちも、みんなカメラを構えて、ベストショットの瞬間を待つ。 昼食は、町のタベルナで。メニューは、チーズののったサラダ、スズキのオーブン焼き、プリン。 昼食後は、大聖堂前の広場にボチボチ徒歩で戻り、バスを待つ。少し自由時間があるので歩いてみるが、どこもお昼ご飯を食べる人たちでレストランはにぎわっているが、通りを歩いている地元の人はあまりいない。 バスの中で、オビエドにはお役所が集中していて、オビエドに住む80%の人が役所に勤務しているのだと、現地のガイドさんが言っていたが、聞いていてちょっと疑問に思う。住民の80%が公務員とは、さすがに多すぎないか?役所に勤める80%の人がオビエド市内に住んでいるというならわかるが・・・。 オビエドからレオンに向かうバスの中では、アルベニスのスペイン組曲のCDがかかる。「アストゥリアス」もこの中の一曲だ。ギターの音色で、心地よい眠りにつく人もいるだろう。途中、湖が出現したが、みんな気付いたろうか。きれいな風景だった。 |
レオンのパラドール ホタテ |
レオン到着 レオンのホテルは、街の中心から少し離れた所に立つ堂々たる風格のパラドール、サン・マルコスだ。ホテルの脇にバスが止められた時には、新館の今風の建物でたいしたものではないと思ったが、正面に回るとすごさがわかる。この横広の荘厳な建物が、元は救護院だったとは、とても信じられない。 チェック・イン後は、川沿いに散歩して、町の中央まで行ってみる。観光客なのかすんでいるひとなのか、そぞろ歩きをしている人が妙に多い。メインストリートと思しき場所では、変なパフォーマンスが人を集めている。見てみると、大きなフランケンシュタインの張りぼてが歩いている。何をしているんだろう?人通りがとまってしまうので歩きにくい。開いている施設もないので、大聖堂前の広場まで行って、ホテルに引き返す。 せっかくの5つ星パラドールなので、正面のロビー、階段、二階の回廊などを見て回る。かかっている絵画や彫像なども有り難く拝見する。ホテルの中に、美術館があるのだが、本日は既に閉館、滞在中も閉館日に当たり、今回の旅では見ることができないのが残念だ。 夕食はホテルのダイニングで頂く。メニューに、帆立の貝殻つきのグリルが出て来たので、貝殻を洗ってもらって持ち帰る。大きすぎなくて、巡礼のペンダントに丁度良い。はて、穴はどうやってあけようか???帰国後に考えよう。 メインは、イベリコ豚の串焼き。デザートはフルーツのチョコレートかけ。 |
6月28日 カサ・デ・ボティネス 真ん中の縦帯あたりがフレスコ 聖遺物箱 うるさいほど?見事な祭壇 ボティネスの中を覗くと・・・ カテドラルまでの路地 ちょっと休憩。 聖職者用の椅子 カテドラルの入場券 街角バールで夕食 変なパレード |
終日レオン観光 本日はレオン観光。バスで中心地、サント・ドミンゴ広場まで行って、そこから徒歩観光だ。 まずは、広場に近いガウディの設計のカサ・デ・ボティネスの外観を見る。元はお屋敷だったのだが、現在は中に銀行が入っている。 大聖堂に向かったが、何と年に一度の大掃除にあたってしまい、見学ができない。これはこれで珍しい光景なのだが、やっぱり大聖堂の中のステンドグラスは必見。入れないと聞いて落胆したが、掃除は午前中だけとのこと。午後来ればみられるわけだ。 添乗員さんは、頭の中であれこれ考えを巡らせている。現地のガイドさんは午後も仕事してくれるかな?昼食後一回ホテルにかえって、又大聖堂見学のためにバスを出してもらえるかな?今日は夕食がフリーの日だけど、大聖堂見学の跡はホテルに帰りたい人と、街で食事したい人に分けて、バスで送り届けた後、自分だけ希望者を釣れてどこかバルにでも案内しないといけないな・・・・。 ああ、添乗員さんは大変だな〜と思う。客はいいよ。何も考えないで連れてきてもらうだけだもん。 サン・イシドロ教会 予定を早め訪れたのは、サン・イシドロ教会だ。ここも大聖堂とならび、レオン観光の目玉である。 11世紀に、セビーリャ大司教イシドロにささげられた教会で、1149年に完成した後も、何度か改築されている。建築当時のスペイン・ロマネスクの傑作と言われるフレスコ画があることで有名だ。 まずは中に入り、待機。お土産物、絵葉書や図録が売られている。大体ここで見ておけば中に何があるかわかろうというもの。泥縄の予習となる。 狭い入口から、王の霊廟に入る。低めの天井にびっしりフレスコ画が描かれている。12世紀のものだというのに、色の状態も良い。頭上に、ロマネスク顔をした天使やキリスト、聖人達が沢山! 人びとの月々の仕事を表した絵も、アーチの部分の細いカーブの下側に描かれている。最古のロマネスクに属する柱頭の飾りも、それぞれ違うエピソードが彫られている。 残念ながら・・・当然のごとく、フレスコの保護のため中は撮影禁止である。写真が写せないれない分は、図録を買って補おう。 回廊に出てから、それでも何とかガラス越しにすき間からフレスコの写真を撮ってみた。すき間は狭すぎ、ガラスは反射や写り込みが起きて、結果は芳しくなかった。回廊を外れると、塔の上についている風見鶏のオリジナルがガラスケースに入って展示されていた。 この後は、上の階にある付属の博物館を見学。当初は見学予定はなかったらしいが、大聖堂を見ていない分、時間も余っていることだし、せっかく来たのだから見学しようということに変わったようだ。 博物館と言っても、展示品が多いわけではないが、コレクションの大きな聖遺物箱は象牙細工が施されていたり、美しい青のエナメルがかけられていたり、かなり豪華なものである。 教会のほうも見学する。ゴシックの主祭壇の前でみんなで座って見学。 教会前広場で、外観を眺める。向かって左側の教会の奥には塔。塔の上には例の風見鶏がある。 中央あたりに子羊の門と言われるレリーフのある入口がある。 午後のシエスタ サン・イシドロ教会見学の後は、中心地の路地をぐるぐるあるき廻り、マヨール広場に出る。大聖堂前で解散し、昼食まで自由行動となる。再集合して昼食のレストランに向かう。 大聖堂近くのちょっとしゃれたレストランで昼食。魚のテリーヌ、鯛のグリルと、魚なので結構あっさりしている。 昼食後は一旦ホテルにバスで戻る。予定変更で午後の見学となった大聖堂観光のための再集合までは自由時間だ。スペインと言うお国柄、昼食後の時間はシエスタで、何処も開いていない。外は暑いし、観光好きの私たちも部屋で休憩するくらいしかない。優雅な気分になろうと、パラドールのカフェでお茶を飲んで暇つぶしする。 大聖堂があくのは4時から。みんなはホテル集合で大聖堂まで行くようだが、私たちは少し前に町に出て町歩きをしたいので、大聖堂の前の待ち合わせにしてもらう。 サント・ドミンゴ広場に出て、カサ・デ・ボティネスの中をのぞいてみる。入口のガラス戸に額をつけて覗き込むと中のようすもわかる。なかはそんなにごてごてしていない。普通の銀行の店舗らしい。外見はやっぱりガウディ風。入口の鉄の扉も、屋根のあたりもいかにも・・・。 市庁舎の前の広場にも歩いてみるが、何もない。マジョール広場付近が雰囲気が良かったのでまた行ってみる。大聖堂の塔が路地からみえる。これならどう歩いても迷わない。繁華街のオルドーニョ2世通りの商店街には土産物屋もあるので、ホタテの貝殻に紅い十字架の入った小さなピンを買う。針を刺すと、布に穴が開くので、使い道はたぶんない。 大聖堂のななめ前のカフェで、暑さに負けて一休み。コーラで水分補給をする。 レオン大聖堂へ 大聖堂前で集合。添乗員さん、現地ガイドさん、他のツアーのお仲間と合流して、いよいよ大聖堂の見学だ。 レオンの大聖堂は、13世紀から14世紀にかけて建てられたスペインの初期ゴシックの傑作で、スペインで最も美しいと言われるステンドグラスがあることでも有名だ。壁の面積よりもステンドグラスの面積の方が多いというからすごい。.制作年代はばらばらだが、西正面、北側、後陣のステンドグラスが13世紀のもので、細工も細かいという。 圧巻は西のバラ窓。入ってすぐ振り返ると、一番先に目に入る巨大な丸窓で、印象も強い。内陣の仕切り壁のガラスに映って、これもまた美しい。 我を忘れ、何枚も写真を撮る。オートだから、写真の腕前は関係ないのだが、聖堂内部は暗いので、絞りやシャッタースピードなど変えてみる。聖堂内を一回りして再び入口のバラ窓を眺める。 夕食はバル 夕食は、又分散して、ホテルに帰る組、町中にとどまり自分たちで食事する組、町中にとどまり添乗員さんと食事する組に分かれるので、さあ大変。添乗員さんがホテルに帰るバスをよんで、何人かをバスに乗せ、町中で添乗員さんと食事する組と待ち合わせの時間までに、適当なバルを探してくる。 マジョール広場の方に向かう路地のバールがよさそうだと言うので、そこで総勢8人で屋外のテーブルを囲む。グラスのワインを頼み、生ハム、サラダ、オムレツなどタパスを分けあって食べる。まだ、現地の人の夕食タイムには早く、そろそろ小腹が減ったのでバルにでも繰り出すかとい時間。私たちが昼食を終える頃、どんどんバルのカウンターに人が集まってくる。彼らは、これからバルでビールやワインを一杯やって、そのあと自宅で夕飯となるらしい。 夕食の後、歩いてホテルに変える。途中の広場では、楽団の演奏に合わせ、この地方のダンスをする人の輪が見られる。簡単なステップのようだが、物覚えの悪い私には、踊るのは無理そうだ。広場の横のアイスクリームやに立ち寄り、何人かがデザートと称してアイスクリーム、シャーベットなど食べて帰る。 ゆっくり川沿いに散歩しながらホテルに到着。一旦部屋に帰ってから、ホテルの裏手から上がる花火を見るため、ホテル前の広場に出る。ツアーの人たちは出てきていない。人出が増えてきて、花火の終わりにはパレードもあるというので、人がごったがえし、12時には大混雑となった。 パレードは、なんだか異教的なにおいのする変なものだった。今日は聖人の日のお祭りのはずだが、宗教関係のダシでもでるのかとおもったら、魔女だのドラキュラだの半漁人だの、理解に苦しむものが目の前を通り過ぎてゆくのだ。最後まで見たが、最後まで謎だったが。 ツアー仲間はみんなホテルの部屋から花火を眺めて、そのあとはお休みになったらしく、誰もパレードをみていたいなかったので、翌日「あれはなんだったの?」と喧喧囂々となる・・・などという事はなかった。 |
6月29日 お菓子屋さんの看板 アストルガの司教館はこの先の内部の撮影は禁止。いいじゃん、ちょっとくらい。 聖堂は大き過ぎて離れないとカメラに収まらない |
アストルガへ レオンを立ち、アストルガへ向かう。ここは交通の要所だったのであろう、スペインの銀の道との合流地点だ。チョコレートやお菓子で有名でもあるらしい。添乗員さんがバスの中でくれたスポンジ菓子が名物らしい。 まずはガウディが設計した司教館へ。 建設中の司教が亡くなったこと、建設委員会とガウディの意見が合わなかったことで、未完成で他者に引き継がれた。結局、司教館としてつかわれることはなく、現在は巡礼博物館となっている。 司教館にはならなかったが、この地に、観光名所を作ったことは有り難いかも?巡礼博物館は、内部は、写真撮影禁止。外から見ると随分立派で大きそうなのだが、内部の見学できる面積は思っていたほど広くはない。 博物館見学の後は、町の大聖堂に行ったり、本日の昼食の買い出しをしたり、各人の自由行動の時間となる。 私たちは、聖堂の中を見学し、聖堂の脇のインフォメーションで巡礼スタンプを押してもらった後、町中のお菓子屋さんで、さっきもらった名物のカステラ・モンカーダを買った。 今日はこの先、巡礼の道を歩き、途中でピクニック・ランチとなるので、昼食のパンでも用意しようかと思ったのだが、スーパーに食べたいと思うようなサンドイッチも見つからない。不幸なことに、お腹がすいていない時には、先の食事のことなどは考えつかない。他の人たちは、うまいことサンドイッチのテイクアウトの店を見つけて、持ち帰っているが、私たちは空手。おなかがすいたら、さっき買ったお菓子でも食べようということになった。 |
イラゴ峠の十字架 許しの門 |
サンチャゴの道 フォンセバドンからセブレイロまで バスでフォンセバドンへ。ここで降り、サンチャゴの道を3キロの遠足だ。山道に入り野の花を見ながら歩く。 イラゴ峠の十字架をのあたりで休憩。各自用意した昼食となる。お腹がすいていない私たちは、お菓子で済ませ、付近を散歩する。再びバスに乗り、ポンフェラーダの町に行く。 町にはテンプル騎士団の城が残っており、カフェで休憩する。ここでは少しお腹もすいてきたが、食べるほどでもなかったのでジュースを飲んだ。 城の周りを歩いてみようかと思って坂を上がると、インフォメーションがある。係りの人が昼の休憩時間に入る前にすべりこみ、巡礼スタンプをもらう。インフォメーションのお姉さんに、他にも仲間がいるからちょっと待っててと言って、カフェに引き返し、スタンプがもらえることをツアーの人たちに教えると感謝された。休憩の後はビリャ・フランカの町まで、また、バスに乗る。 ビリャ・フランカには、許しの門がある。巡礼のきつい道のりで、病にかかったりして巡礼を続けられなくなった人のために、この門をくぐれば、サンチャゴまで行ったものと認めるという特令が12世紀にできたのだそうだ。普段はこの門は閉まっているので、通れないし、これからサンチャゴに向かう私たちにはくぐる必要もない。 巡礼者が何人かきているので、記念に一緒に写真に写ってもらう。スペイン語で話しかけたら、フランス人だった。確かに、スペイン国内からわざわざこのルートでは来ないわなあ。巡礼中は野宿の時もあり、風呂にも入らず終日歩き続けていれば、「臭い」もしてくる。宿が整備されている現代でもこうなのだから、昔はサンチャゴに到着するころには巡礼者は大変臭くなっていたというわけだ。そのため、サンチャゴ・デ・コンポステラの大聖堂では、ボタフメイロという大きな香炉を空中で揺らして巡礼者の臭いに満ちた聖堂内を消臭するのだ。 紋のあるサンチャゴ教会の隣の巡礼宿アルベルゲ・フェニックスは発起人による手作りのものとして有名なのだそうだ。 名所的な扱いにもなっている許しの門を見学した後は、巡礼道の最後の難所と言われるセブレイロ峠(標高1505メートル)を超える。お楽なツアーなので、当然バスで・・・。 セブレイロにはケルト文化の影響だという、茅葺屋根の石を積んで作った円形の家が残っている。海を挟んで、フランス、スペインの北部沿岸にケルトの文化が残っているのが面白い。 |
グラスワインにタパスで たぶん安いワイン |
ルーゴで夕食 本日はルーゴで宿泊。初めて聞く土地の名だった。どんなところなのかわからないが、ホテルは旧市内の城壁の外。歩いて旧市内に入れる近さなので、夕食前に散歩に出かける。市庁舎の裏の道は商店街なのか、こじゃれた店がある。チョコレート屋さんで買い物したあと、散歩。バルの連なる小路に入り、ちょっとだけならと思って休憩。ポテトサラダもおいしいとか、これがお勧めとか言われたタパスを取って、名物のタコとオムレツを頼む。 タパスが小皿料理だと思っていると、けがをする。だいたいはパンにのっかって出てくるので、おなかがいっぱいになる。届いたおすすめタパスは、ツナの揚げパンはさみ。これだけでもランチになる。 こんなに食べちゃって、夕食はどうするかと思ったが、とりあえず、席には着くことにした。本日は円卓2卓に分かれて座る。ツアー参加者の一人が外国人の友達からもらった手紙を、日本語が上手なのと言ってテーブルについている面々に回してきたが、知っている人の手紙でもなし、何と言っていいやら。困惑している人もいるだろうと推察。 食事は量を減らしてもらって、しつこい料理もなかったので、それなりに食べられた。ワインがジュースみたいに甘くて、私には美味しかった。たぶん大したワインではないが、ラベルをはがしてコレクションしようとしている人がいた。きれいな色、柄がついている。 |
6月30日 禿頭に落書き。絶対こうなることは想定されていたと思う 四人の聖人の説明が違う。 城壁の上に残るモスケーラ |
ルーゴ半日観光 ルーゴという都市の予備知識がないので、ガイドさんの話に期待がかかるが、本日やってきた男性の現地ガイドさんはどうやら臨時らしく、あんちょこをもって、読みながら行く。だいじょうぶか? 城壁内の広場付近を散策した後、城壁に上って歩きながら町の歴史の話を聞く。 町はローマ時代に起源をもつという。これはさすがに間違ってはいないだろう。3世紀ごろにつくられた城壁は、ほぼ完ぺきに残っている。幅は5メートルほど、高さは10メートル以上、全長は2キロだそうだ。城壁はかつては二重構造の二階建てであったということで、2階部分の城壁は崩れているが、当時のモスケーラと呼ばれる窓枠の部分が残っている。内側は歴史地区で路地やポルティコ(伊、スペイン語で何というか分からない)が続く風情のある街だが、外側の新市街は近代的なビルが並ぶ。 旧市街の城壁の中に入り、メインストリートから左折。横道に行くと、昨日夕食前に立ち寄ったバルの前を通る。この辺りはバルが多く、昨夕の店は、その中でも評判が良いらしい。そいつはラッキー、当たりだったね。 観光局に立ち寄り、地図と、巡礼のスタンプももらった。このツアー、参加者は決して意地悪とかわがままな人ではないが、周りが見えてないのか、スタンプをもらうのに並んだ順番を平気で横入りされ抜かされる。どうせ、全員押してもらうまでは出発にならないので、早くても遅くても関係ないと思うのだが・・・。 18世紀ごろのネオクラシック様式の大聖堂の外観を見る。ファサードの上に建つ聖人像の説明をしてくれるが、明らかに間違っている。あんちょこから違っているのか、左右を間違えたのか、キリスト教徒だったら絶対間違わないだろうと思う、4使徒マタイ、ルカ、ヨハネ、マルコを彫像の姿、持ち物などから判別するだけの話なのに、どうしちゃったんだろう。スペインは敬虔なカトリック教徒の国だと思っていたのに、彼はキリスト教信者でなかったのだろうか? 観光途中の道で、私が前日タコのガリシア風のタパスを食べたといったら、「おー、いい選択だったね」とか別れ際に「タコを忘れないでよ!」と言ってくれた明るい小父さんだったが、どうも観光案内の内容の信ぴょう性については、今一つ疑問が残る。 旧市街の中のカフェでコーヒーを飲んで出発を待つ。今日は、この後、バスで巡礼の道のクライマックスのコンポステーラの街の遠景を眺められるモンテ・ド・コゾ「歓喜の丘」まで、5キロを歩く。このツアーのお手軽巡礼道歩きの最後でもあり、今まで2キロ、3キロと歩いたが、今回は一番長い。 |
道しるべ 目的地はもうすぐそこ この柵が邪魔だ。 |
ラバコーリャ発、巡礼体験5キロコース 本当に宗教的な目的で巡礼をする人は、少なくとも徒歩で100キロ歩かねばならないが、そろそろ巡礼の道も最終目的のサンチャゴ・デ・コンポステーラまで残り100キロ。私たち、お気軽巡礼体験付きツアーは、ラバコーリャという村で降り、そこから5キロのお散歩巡礼スタートだ。バスを降りて、カフェでトイレによって、水を買って、歩く準備を整える。 5キロ歩く自信がない人は、ここで降りずにバスで合流点に先回りするのだが、この時点では誰も希望がなく、全員歩く意欲満々だ。3キロ歩いた時も、もっと行けるとみんな言っていたし、私たちも、軽すぎると思ったくらいだったから、5キロも問題なさそう。 天気がよく、ハイキングに持ってこいだ。歩き始めると、野の草花も目につき、緩やかな坂の田舎道には、時々人家も見える。20人ほどの団体なので、私たちは一番後ろについて、全体を見ながら行く。添乗員さんも一番後ろにつくと言っていたが、他にもバスとの打ち合わせ、連絡などの仕事もあるだろうし、私たちが列の最後に歩く事を申し出る。 とにかくさっさと歩くことが若さの誇示だと思っている面々は先を争うように歩き始める。一方では、道幅を図るように花や風景の写真を撮ったりして歩くオバサンもいるので、後ろの数人は少しずつ先頭から遅れてゆく。 合わせているとこちらも相当遅れてくる。あまりゆっくり歩くのもつかれるので、時々立ち止まり、前との距離を保つ。そのうち、すぐ前の人たちの中で、体調の悪い女性が出て、足が遅くなってきたなあと思ったら、ついに歩けなくなってしまった。後ろから見ていて、危なっかしかったので、手伝いに行く。 おぶるのは自信がないので、荷物を持ってあげて、腕につかまってもらおうかと思ったのだが、向こうから、時間がかかりすぎていることを心配して添乗員さんが様子を見に来たので、バスに連絡をつけ迎えに来てもらった。無事に、女性を収容。 さて、そこで、とり残された感じの彼女のお友達と私たちは?!一緒にバスに乗るのもありだが、歩きたくて来ているのだ。バス乗車を断り、とにかくゴールの歓喜の丘まで急ぐ。かなり遅れているので、下手するとゴールにたどり着かないうちに時間切れで、バスに強制収容されてしまう。最後の方はひた走り、巡礼者の像を探し求める。 あったーあれ! 巡礼者の像には邪魔な金網がかかっているが、とにかく記念の写真撮影だ。それから、サンチャゴ・デ・コンポステーラをバックにもう一枚!遠く大聖堂の姿も見える そのあとはバスにまっしぐら。参加者の人たちも、遅れた事情は察していたようだが、一応「おまたせしてすみませんでしたー」と言って乗り込んだ。一路、バスは、サンチャゴ・デ・コンポステラへ。 |
このタルタは8ユーロだった。 切りにくかったロールキャベツ。 大聖堂夕景 |
サンチャゴ・デ・コンポステラ 今日のホテルは、大聖堂前広場に面したパラドール。立地は最高だ。チェックインしたら、再集合して町に昼食に出かけるのだが、ホテルのロビーから部屋がやたらと遠い。他の人たちも、部屋が遠いねと廊下で話してるのが聞こえる。 昼食のレストランは,聖堂前広場から伸びるメインストリートの途中にある。食事の後はフリータイムなので、周りの土産物屋をあちこち見て歩く。この地方のお菓子「タルタ・デ・サンチャゴ」は、日持ちするようなので一つ買ってみる。土産物屋のいたるところに置いてあり、どれも大体似たような値段と大きさで、どこのお店のものがおいしいのかわからない。アーモンドの粉を焼き上げたお菓子で、ぱさぱさしそうだ。 メインストリートの裏にも一本道が土産物屋の通りがあり、巡礼の道しるべをデザインしたTシャツや、マグネットなどの小物もたくさん売られている。なんとなく手に取り、買ってしまう。聖地にありがちな、参道の土産物店を巡るのも楽しみだ。Tシャツが6ユーロ、7ユーロというのは安い。 夕食まで、広い修道院を改築したパラドールのホテルを散策、休憩。 夕食はパラドール内のレストランだ。ツアー最後から二番目の夕食だったのだが、これがちょっと不愉快な結果となった。 パラドールの食事は、ちょっとモダンな感じであることは確かだが、それなりの雰囲気でまずまずのレベルのものが出てきていると思うのだが、みなさんのお口が肥えていらっしゃるのか、食事の不満がたらたら・・・。隣席の人が、出てきたロールキャベツのキャベツがナイフで切れなくて、給仕を呼びつけナイフを替えさせる。それでも今度は味がおいしくないので、「口直しに」と言ってテーブルの飾りになっているリンゴの皮ををむき食べ始めた。私たちもすすめられたが、ちょっと失礼すぎないかと思い、お断りする。他のツアーの人たちが同じレストランに来ているので、今度はその話。ここの食事なんて大した値段じゃないとか、あっちのツアーの方がいい料理なんじゃないかとか、料理の値踏みを始めた。この辺りから、普段温厚な主人の顔が、完全にこわばってきた。 そのうち、リンゴをむいて食べていた人が、部屋に体重計がないんだけど・・と普通あるのが当たり前と言う論調で、苦情交じりの質問を添乗員さんに向ける。ホテルの人に聞いてもらったが、体重計の備付はないそうだ。なぜ、体重計がいるのだろうと、何人かが不思議がると、その人は、旅の終わりに近づいたので、荷物の重さをはかるのに必要なのだと説明。重さを超過してしまったら困るが、ぎりぎりの重さまで買い物をするのだそうで・・・。 ま、あればいいだろうけど、そんなに旅慣れているなら、持ってみた感じで重さなんてわかるでしょ。飛行機乗るときに重量超過って言われたら、その場で詰め替えるとか、潔く追加料金払えばいいのに。なければないでいいんじゃないって思う。 ちょっと嫌な気持ちの夕食を終えると、ツアーの有志で添乗員さんとホテルのカフェでコーヒーを飲みなおす。サンチャゴの大聖堂の夜景がきれいだ。 |
6月30日 ホテルの朝食 広場と大聖堂正面 キンキラの主祭壇 許しの門。ここをくぐれば罪は許される!! 主祭壇の聖ヤコブ像を後ろから見る。像に触ることができる。 これが元祖? 修道院のタルタ けっこう立派な市場 |
市内観光 スペインの朝食は概して豪華。甘いものも朝から食べるらしくバラエティーに富んでいる。パラドールの朝食を終えたら、本日は徒歩で市内観光だ。昨日買った、巡礼地にちなんだ十字架柄のTシャツを来て出発。 ホテルは、大聖堂前のオブラドイロ広場に面している。この一帯は旧市街の観光名所が集まる地区だ。観光名所というのではなく、宗教施設と言うべきか。広場は、大聖堂、神学校、ホテル、市庁舎が取り巻いている。 さっそく、サンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の目的地である、聖ヤコブが祀られている大聖堂に入場だ。北側のエベチュリア門に回る。金色の主祭壇を見る。天井には大香炉「ボタフメイロ」が下がっている。 12世紀の彫刻師マテオによる傑作、栄光の門は今回は修復中で見られなかったのは残念だったが、聖ヤコブの彫像は見ることができた。 一旦外に出て、今度は聖ヤコブ年しか開かない「許しの門」をくぐって大聖堂に入るため門の外に並ぶ。これをくぐると、罪が許されるという結構な門である。ヤコブ年めがけて来たのはこのためだ。ほぼ半世紀分の罪を、このひとくぐりで一切洗い流してもらおう。 もちろん各国からの巡礼もこの年は多いのだが、私のようにキリスト教徒でない俗人でも、巡礼道を行く旅をすると、身も心も清められるような気がする。通算10キロしか歩いていないので、図々しいか? 内陣の細い階段を登って主祭壇の裏に入る。階段の頂上に上がると、聖ヤコブ像の真後ろに到達。聖ヤコブの像に触れて十字を切るのが信者さん。俗人も、御利益あるかと期待して、触れてみる。そのあとは地下のヤコブの遺体を拝んで、聖堂の見学はお終い。今日は再び夕方のミサの時間にここに来て、大香炉を振るボタフメイロを見学することになっている。クリスチャンでなくても入れるらしい。 |
大聖堂をでてキンターナ広場からサンタ・ペヨラ修道院の外観を見て、メインストリートに戻り、つき当たりのアルメイダ公園まで散策。アルメイダ公園の先は、もう新市街のようだ。ホテルに戻る途中のインフォメーションで巡礼のスタンプをもらう。サンタ・ペヨラ修道院は、名物菓子「タルタ・デ・サンチャゴ」の発祥地との説もあり、今もこのお菓子が作られているというので、お土産に買いに戻る。 ガイドさんが修道院の入口に入って、呼び鈴を押す。修道女が出てきて、用件を聞く。トルタがほしい人、クッキーがほしい人など、数をまとめて注文。タルタは小さい方で10.5ユーロ。紅茶のクッキーも有名なのだそうだ。でも、こんな売り方だと、ガイドさんがいないと買えないかも。 さて、買ってはみたが、これをどうやって持って帰ろう。崩れないといいのだが。 市場によって、現地の食材など見てゆく。世界中どこに行ってもマーケットを見るのは楽しい。これは女ゆえ? 整然とした建物の中に生鮮食品の店が並んでいる。オシャレなグローサリもある。旧市街はあまり広くないのに、こんな市場があるとは意外。そういえば町のはずれの方に小さなスーパーもあった。後で行ってみよう。 本当の巡礼の度を終えた人が認定をしてもらう事務所の前を通った。人が並んでいる。この人たち、どこから来たんだろう。途中で出会った巡礼の人たちは、もうここまでたどり着いたかな。100キロ歩こうと、800キロ歩こうと、カトリックの教義による動機がないと、巡礼を果たしたという認定が下りないことがあるという。 ここで目的を果たした本物の巡礼者達は、今宵満足と安堵の気持ちで宿を取るのだろう。ちょっといい宿に泊まり、久しぶりのお風呂で汗を流す人もいるのかも知れない。 プラプラ歩いてホテルに戻り、小休憩のあと、昼のミサを見に大聖堂に戻る。 大香炉が揺れる、ボタフメイロという行事を見るためだ。ボタフメイロは、宗教的行事であり、経費も掛かる。行けば必ずみられるというものではない。巡礼者の団体などが寄進をしてボタフメイロの申し込みをすると実施してくれるというもの。そもそも起源は、風呂も入らず汗だくで汚れきってたどり着いた巡礼の人たちが、一同に聖堂に会するととても臭い、だから、お香をたいて、巡礼者の頭上で振り回す、というわけ。確かに道々出逢った巡礼の中には、すごい体臭の人もいた。そんな人が何千人も集まったらと想像するとクラクラする。 ヤコブ年は毎日ボタフメイロが見られるというふれこみだったが、本当なのだろうか。確証はない。誰も申し込みをしないということはないだろうと予想されるのだが、やはり、絶対に見たいと思ったら、自分たちで金払って申込むのが確実。添乗員さんが、ツアーの人たちから、ボタフメイロを観たいという希望者からお金を集め、教会に申し込みをしてくれるというので、参加する。総額は300ユーロらしいが、中には見なくていいという人もいたので、11人で頭割りにしたら、一人27.3ユーロになった。夫婦だから倍の54.6ユーロとなるので、ちょっとした出費である。 まず、これだけの人数が世界から集まるので、誰もボタフメイロの希望をしないとは到底思えない。自分がお金を出さなくとも、誰か一人がお金を払えばいいわけで、あとの人たちはタダで見られるのだ。ここのミサに集まる個人訪問者はたぶん300ユーロものお布施を払っていないだろう。だが、他の人たちはいいが、同じツアー内に、寄進もせずに同じものが見られた人が混ざっているのは不公平で気分がよろしくない。金払った希望者以外はミサに出るなよ〜、と、ボタフメイロの為の寄進を頭割りにして払った人たちは、腹の中で思っている。 |
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香炉からもくもく おお、こっちくるぞー。 |
ボタフメイロを見る 有志は昼前に集合し、大聖堂に入って、空いているところに分散してミサの席に着く。 ミサは何か国語かでやってくれるが、さすがに日本語はない。年配の修道女だが、細いきれいなソプラノの聖歌が時折混ざり、その指揮に従って、歌詞も旋律も知らないが、なんとなくごまかしながら歌う。 30分くらいの説教が終わり、いよいよボタフメイロが始まる。敬虔なクリスチャンだってしっかり、カメラやビデオを構えてスタンバイしている。ボタフメイロから煙が出始めた。係りの人が紐を引くと、するすると香炉が天井に上がっていく。聖歌の歌われる中で、香炉がゆらーりゆらーり揺れはじめる。ゆっくりのように見えるが、高く上がるには加速度もついて結構なスピード。しかも重そうだ。 その昔、ゆらしすぎたのか、香炉が窓から外に飛んで行ったと聞いたことがあるので、こっちに飛んで来るなよ〜と祈る。 振り子の揺れが小さくなりやがて止まる。香炉が降ろされると再び説教だ。そして、今日ここに神に導かれて集った周りの人たちと手を取り合い、共に神に感謝しなさい・・・とか、汝の隣人を愛せよ・・・と言ったかどうかは分からないが、何らかのメッセージが出されたのか、説教の区切りを契機に、みんな、隣の人と握手したあとは、振り向いて後ろの列の人とも握手している。私たちも隣り近所の人たちと、言葉も通じないが、とにかく手を取り合ってこの偶然の出会いを喜びあう。涙が出そうになるのが何故かはわからない、不思議な感覚だ。 |
どれにする? |
ミサが終わって、ぞろぞろと大聖堂から出る。 この時点で一旦ツアーは解散し、再び夕食までの自由行動となる。 お昼は、添乗員さんが、希望者を募ってパエリヤを食べに行くと言っていたが、私たちは簡単に町の中のバルで食事をとることにした。 参道のはずれ辺りの気楽なバルに入り、ここでも、タコのガリシア風を注文した。それと、目の前のケースにあるアンチョビとサーモンのオープン・サンドをえらんだ。コーラとコーヒーを頼み、21.3ユーロ也。イリィみたいな形状・デザインのデミタスカップがかわいい。 小さなスーパーマーケットを見つけ、ホテルで飲むための水、自宅土産用にタコの缶詰を買った。 |
食後は、大聖堂の美術館、博物館の見学に充てる。 |
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一階の屋根の上には回廊ができており、中心部は広場のようになっている。更に上の階は回廊の幅の分の建物になっていて外側に細い回廊がついている。幅の狭い部屋の中には、宝物、タピスリー、本などがある。 |
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中庭の鐘の上部には貝殻のマークが。 階上の回廊 この下は墓? |
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聖遺物の礼拝堂、祭壇 回廊の上の階の外回廊 |
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マテ貝 |
最後の夕食 さて、ツアー最後の晩飯。通例こういう〆のご飯はちょっといいお店で食べるものだ。ホテルから近くのお店で、何度か前を通っているが、どんなお店か楽しみだ。 海の幸の並ぶテーブルは、やっぱり魅力的に感じる。知らない貝がお皿にのっている。マテ貝というものらしい。日本でも北に行けばあるというが、こんな形態の貝で見たのは初めてだ。 他にもムール貝など海産物がいろいろ出てくる。もちろん帆立貝や、タコのガリシア風も出てきた。どれかがメインでバーンと出てくるわけでないが、皿数が多いと豪勢に感じる。この日の食事は平和に終了。昨日の文句言っていた人たちは違うテーブルだったし、今日の食事は美味しかったらしいから、悪口もきかなくて済んだ。 |
7月1日 ああ、乗り換えすんで一安心。 |
帰途 帰るだけの一日。4時15分にモーニング・コールで、ボックスに詰まった朝食をもらうが、こういうので美味しかったことはない・・・。 5時にはスーツケースを出して、5時45分にロビー集合、出発だ。 6:55発 イベリア航空565でマドリッドへ。乗り継ぎ時間は2時間15分あり、乗り換え可能とはいえ余裕はない。それでも10:15分のエールフランス1001にのってパリに。 ここでも乗り継ぎが1時間10分しかない。12:20パリ着、13:30のエールフランス276便で成田へ。 自分が乗り換えるだけで精いっぱいで、空港で買い物なんて時間は全くない状態だった。これでは、荷物は乗り換え損ねている可能性も。 |
7月2日 | 8時10分、成田着。 人間は無事に東京に到着した。皆様に挨拶しながら、散ってゆくが、そういえば体重計でトランクを計りたいといっていた人は、一人だけ、トランクが行方不明になってしまったらしい。添乗員さんに連絡していたのを見て、近くに居合わせたツアーの参加者に「あの人たち、トランク無くなっちゃったみたいよ」というと、「よりによっても、ねーえ」となる。ちょっと体重計のことや何やかんやでいつもうるさ目の人だったから、みんな覚えているみたい。 その後のことはわからないが、私たちは何事もなく無事旅を終了した。 |
サン・ジャン・ピエ・ド・ポーで買ったマカロン | パンプローナで買った乾燥赤ピーマン | パンプローナで買った肉、野菜、魚のコンソメ | パンプローナで買ったパエリヤの素、サフラン | パンプローナで買ったインスタントパスタ、オリーブ缶 | パンプローナで買った牛追い祭りのネッカチーフ |
ブルゴスのお菓子 | サンティリャーナ・デル・マーレで買ったチョコ | サンティリャーナ・デル・マーレで買ったご当地菓子 | サンティリャーナ・デル・マーレで買ったチーズケーキ |
アストルガで買ったポルボロン | アストルガで買ったスポンジケーキ |
タコのガリシア風 缶詰 | タルタ・ダ・サンチャゴ | タルタ・ダ・サンチャゴ | 十字架の付いたTシャツ | 帆立貝のペンダント | 帆立貝型のピンバッチ |