新嘉坡 シンガポール
アジア各国の文明を紹介する博物館。展示内容は中国、東南アジアからインドまでカバーする。文化、宗教、工芸、日用品、衣装など、大変充実している。併設の美術館グッズの売店あり。リゾートホテルのバンヤン・ツリーが出資したということで、ホテルのオリジナルグッズも売っている。 |
数本の細い道がはしるアラブ・ストリートは、アラビアにいるような異国情緒たっぷりの町。イスラム教の寺院、サルタン・モスクの前の椰子の木の植えられた道は、両側に観光客向けの土産物店も並んでいる。他には、籐製品、絨毯などの店がある。テキスタイルの店も並んでいる。 |
今なおプラナカンが多く住む地区で、全体に高層ビルが少なく、色とりどりのプラナカンの集合住宅(長屋)が見られる。大きなマレー建築のマーケットを背にをジョー・チャット通りを下ってイーストコースト通りにたどりつくまでは、わ結構な距離がある。通りに面したプラナカン式住宅は店舗になっている。2階の窓や装飾が美しいので見て歩くと面白い。ここのラクサは「カトン・ラクサ」と言われるほどで、隠れた美食の中心地だけあり飲食店も多い。この辺りは開発が進んでいるらしく、近代的なビルも建ちつつある。今の風情を残し、うまく共存してほしいものだが・・・。 |
1827年に建てられたシンガポール最古のヒンズー教の寺院。聖なる白い牛、妖艶な多神教の神の像がたくさん刻まれている。入り口の高い塔は、1936年につくられたものだ。ヒンズー教寺院だが、チャイナ・タウンの中にある。 |
タンジョンパガー駅を降りて少し歩くと、2階建ての西洋風の長屋のような建物が続く町に出る。ところどころカラフルな家もあり、楽しい。通りの店には、こじゃれたブティックもある。シンガポールのチャイナタウンには、日本にあるような中華街の雰囲気はない。食料品や中国の日用品を売る商店はコンクリートのチャイナタウン・コンプレックスというビルの中にまとまって入っている。さまざまな食の材料が売られているところはさすがチャイナタウンだ。 |
シンガポールの人気のお遊びスポット。 日が落ちてから、ガイド付きのバスで園内を回り、夜行性の動物の生態を見る。車に乗るコース以外に徒歩で回るコースもある。 日本語ガイド付のバス確約の、ホテル送迎付きの現地発パンダバスのツアーに参加。日没までは、園内のフードコートで食事したり、お店を見たりして過ごす。7時ぐらいになると、火を使ったショーも始まる。同じツアーで夕食付を選択すると、ブッフェの食事が付くらしい。 |
外観も素敵 | フードカバーだそうだ。 | 婚礼の衣装や持参する箱 | 花婿側からの結納の品 | 婚礼の列の様子 |
女性のたしなみ、ビーズ刺繍 | 壁掛けもビーズ | 独特の色合いの焼き物 | お菓子の型 触っても可 | 民族衣装の変遷 |
マレーやインド、中国の人たちが結婚してできた融合文化、プラナカンの生活を展示した博物館。日本語の解説付きのツアーもあり、とても面白い。近年プラナカンもブームらしく注目度が高くなっているようだ。婚礼衣装の地方による違い、結納品のやり取りや、結婚までの道のりなど興味深い。プラナカンの定番モチーフ、鳳凰や牡丹の花を使った陶器は色彩もパステルでかわいい。お金持ちの名の入った食器セットも豪華。 台所や客間、食堂、玄関など住居のようす、宗教の祭壇や葬儀、喪服の生活、習慣にかかわる展示もされている。訪問した時は、特別展でプラナカンの女性の民族衣装・クバヤの変遷をやっていた。 |
カラフルなゲートで濃いお迎えをしてくれるインド街。ちょっと歩くと、広い道路の両側に広がる路地からは、スパイスの香りとインドの音楽が流れてくる。パンジャブ・スーツを着た婦人達が闊歩している。大通りの中ほどにはヒンズー寺院の門がそびえている。コンクリートの建物に市場が入っていて、1階は食品、2階はインドの衣料、日用品などがある。この熱気は独特だ。 |
台湾
台北
台北で最大の夜市。洋服や雑貨の常設店の間に露店が並ぶ。屋台で立ち食いしたり、安い衣料などをワゴンから探す人たちでごった返す。地元の若者も観光客もごちゃ混ぜのようだ。ゲームセンターや日本で言うところの100円ショップのような店もある。 飲食店は、通りの露店も出ているが、「士林美食廣場」という建物にまとまっている。入り口のタピオカ入り飲み物やジュースの専門店の呼び込みがすごい。活気に満ち溢れる一画だ。 台北市北部 |
徳が高く三国志の中でも人気のある武将・関羽を主神として祀ったお寺。空真子とその弟子達が1943年に台北市の北部に「行天堂」を創建したが、1949年に現在の場所に移された。建物も宗教団体としても歴史的には新しい。関羽が商売の神でもあることから商売繁盛を願う人が多く参拝するが、行天宮自体は奉仕活動を旨とし利益の追求を行わないという信念をもっており、内部に賽銭箱などの設置はない。 台北市民権東路2段109号 |
蒋介石の死の翌年から建設が始められ1980年に完成した、高さ70メートルの巨大な中国風の建物。蒋介石の歿した時の年齢にちなんだ89段の階段を上った2階には、高さ6メートル以上にもなる蒋介石の座像がある。1階は蒋介石の業績に関する資料が展示されている。中正紀念堂は広大な敷地の中にあり、周りは公園になっている。 台北市中山南路21号 |
中国の貴重な宝物65万5千点が収められた博物院。青銅器、書画、彫刻、陶芸、工芸品、宝物と多岐にわたり、1,000〜1,500点の常設展示がある。1965年に建てられた中国の宮殿のような堂々たる外観の博物院だが、内部は近代的にリニューアルされている。 台北市至善路2段221段 |
1969年に建てられた、辛亥革命や日本占領への抵抗、中国共産党との戦いで犠牲になった数十万人の英霊を祀っている。奥の壮麗な飾りの本殿は紫禁城太和殿を模しているという。一時間に一回の衛兵の交代式に人が集まる。 台北市北安路139号 |
台北では最古の仏教・道教の寺院であり、1738年に建てられたが、その後天災、人災のたび修復されてきた。中には数多くの神様が祀られており、全員にお祈りを捧げるのは大変そうだ。学問の神様も祀られているので、若者の姿も多くみかける。 台北市広州街211号 |
台北郊外
1890年に近くで金鉱が発見され栄えた町だが、その後鉱脈が尽きて町も衰退した。今は、映画「悲情城市」のロケ地として有名になり、そのノスタルジックな街並みが人気の観光地になっている。山の上部に向かう緩やかな坂の両側はびっしり簡単な飲食店、菓子屋、雑貨屋などの商店が並ぶ。上りきった辺りから下に伸びる石段がメインストリートの賢崎路。両側には赤いちょうちんが下がっていて、風情がある。 台北郊外 |
ベトナム
ホーチミン
フランスが作った南仏風のカトリック教会で、ロマネスクの外観とゴシックの内装になっている。2度移転して現在の町の中心に落ち着いた。レンガはフランスのマルセイユから、ステンドグラスはシャルトルから材料が運ばれたということだ。前に立つマリア像はイタリア人彫刻家の作品。ベトナムは仏教が主だが、3割くらいはキリスト教とのこと。 |
中央郵便局の前 | 中央ホールには売店もある。 | 一般の郵便窓口 | 電話ボックス | 切手を貼って投函する場所 |
エッフェルが設計した鉄のアーチが使われている駅舎のような郵便局。ホールの壁に沿って郵便の窓口が並ぶ。国際電話をかけるブースがホールの入口の両側に並び、主要各都市の現地時間が時計で示されている。ホール中央には切手や土産物の売店がある。入口の両脇の階段をあがったところも観光客向けの土産物屋さんで、品揃えもよい。実際に一般人が利用する郵便局と、観光名所が同時に存在する。 |
チョロン地区は、ホーチミンの中心地からはバスで30分くらいかかる。中国人が多く居住する地区なので、近づくにつれ、漢字の看板がふえてくる。有名なビンタイ市場以外でも、その周辺にたくさんの店舗が並ぶ。店の前も物がおかれ、バイクが停まり、物売りや地元の人がテーブルまで出して座っているので、歩道はあっても歩くスペースはほとんど残っていない。かなり広範囲にわたる、ホーチミンのディープ・ゾーンだ。 |
1760年に建てられたホーチミン最古の中国寺院。海の神、天后聖母を祀っている。渦巻きの線香、供物などは脇の売店で購入できる。 |
統一会堂前景 | ホーチミン像の前で説明中 | 黄色でまとめた食堂 | 大統領の国内客応接室 | 国書呈上の間の漆絵 |
部屋を取り巻く長い廊下 | 大統領官邸の住居部分 | 住居部の中庭 | 映画室や娯楽室も完備 | 裏庭に緊急時用ヘリ |
歴史を語る戦車は前庭に | 統一会堂の下には通路 | 作戦司令室や通信室もある | 近代史を語る展示室 | 外に続く工場のような台所 |
南北に分かれていた頃の南ベトナム大統領官邸だった建物。爆撃を受け1960年代に再建された。1975年にベトナム解放軍戦車が無血入場し、事実上のベトナム戦争の終結となる。ベトナム現代史を勉強できる場所だ。 建物は4階建てで、公務に使われた部屋の奥には私室がある。最上階には屋上と大きなフロア。飲み物の売店がある。地下室にも入れるようになっており、作戦司令室や放送、通信施設などがある。市内のどこかにつながる脱出用通路もあるが、詳細は秘密とされている。 |
正面入口は中国風。 | マスクのデザインも色々。 | 食器の纏め売りの店 | 市場内の売り場地図。 | カラフルなプラスチック製品。 |
中国人が多いチョロン地区の市場。卸売りが専門なので、観光客にはあまり声がかからない。中には、ひとつで売ってくれる店もある。内部は、殺風景なコンクリートの建物だが、二階建て。細い通路にたくさんの店が並んでいる。値段が安いかどうかは謎。買い物することより、見学することに価値がある。 |
熱気むんむんのベンタイン市場。中央には簡易食堂のコーナーがあり、フルーツや食品の臭気が混ざって、えもいえぬ匂いがただよってくる。売り子は商売っ気旺盛で、観光客然と歩いていると、日本語で声をかけられたり、腕をつかまれたりもする。観光スポットとなったため、価格も観光客値段となり、安いわけではないようだ。一説では上手くねぎって、ドンコイあたりの店と同じ・・・だとか。 |
香港
ヴィクトリアピークにもピークタワーが建ち、とてもにぎやかになった。おそらくすごく昔に行った人は驚くだろう。夜景を見た後はちょっとお茶を飲んだり買い物をしたりして遊べる。ピーク・トラムで下りながら夜景が見られるので、夜景の見えにくい席の人は立ったまま乗っている。 |
年間300万人もが訪れるという黄大仙は香港最大の儒教のお寺で人気が高い。最初は広州にあったが、中国が宗教禁止政策を採ったため、1921年に香港に移転したというはなしだ。極彩色のお寺も、信心深いお参りの人々とお線香の煙で、すっかりかすんでしまうほどだ。 |
超高級住宅地のレパルス・ベイに突如現れる極彩色の一画・天后廟。海の神様を祀った場所らしいが、所狭しと並ぶ派手なタイル張りの作り物には、よく作ったなあと呆れつつも感心する。渡ると寿命がのびるという長寿橋や、触るとご利益のある縁結びの姻縁石や財を成す仙人の腹など、何のいわれがあるのか、なぜここにあるのかが分からないほど、多数の多様なものが配されている。 |
二階建バスで香港島の銅鑼湾へ。あるいは九龍・モンコックの雑踏へ。高層ビル街や高級ホテルの並ぶメインストリートから離れて、バッタものやあやしげなお店が並ぶディープな路地にはまるのも面白い。 |
マカオ
かつて、この辺りに、營地大街、關前街、草堆街の三つの地域の交流施設があり、そこに隣接して關帝廟が造られていた。門の「関帝古廟」の字の下にある「三街會舘」というのがその名残のようだ。現在は関帝廟だけ残っているが、引っ込んだ場所に入口があるので、気を付けていないと見落とす。 |
1587年にドミニコ会のスペイン人修道士によって建立された歴史ある教会だが、1997年にようやく修復が終了し公開されるようになった。天井にはアヴェマリア(AM)の装飾文字が描かれている。主祭壇の聖母子の下の黒と白の十字架はドミニコ会の紋章だ。 |
1582年に建てられた時は、聖アントニオ教会付属の礼拝堂だった。1601年の火災のあと再建、1640年に聖母教会となった。この時には、キリシタン追放令で国に帰れなくなった日本人も参加したらしい。彼らは、ファサードの聖母の周りに、故郷を思って菊の花を彫ったと言われる。東洋一の規模の美しい教会だったが、1835年には再び火災にあい、結局残ったのはファサードだけ。遠い異国に宣教の旅に出て、やはり故郷に帰れずに亡くなったザビエルの彫像もファサードに残っている。 門をくぐって中に入ると、本堂にあたるところには、今は何もない広場。ファサードの裏側は、登れるようになっており、マカオの町が一望できる。地下にはクリプト(墓地)があり、横の展示室には美術品が公開されている。長崎の日本人キリシタンの磔刑図(複製)もかかっている。 |
狭く高い門を入ると | 奥まで道が続き | 更にもう一つ門をくぐると | どうやら、今度はお屋敷の | 入口に着いたらしい |
吹き抜けの小さな中庭 | 美しい装飾の扉 | 階上には立派なホール | 両側には椅子が並ぶ | 美しい窓の扉 |
中庭に面したテラス | 鳥かごが優雅 | 建物の上部にも絵柄がある | 大きな中庭 | 最近の修復工事の資料 |
1881年に建てられた思想家、鄭観應の屋敷跡。2010年、大規模な修復が終わった。基本的には、建物は中国式だが、中国だけでなく、西洋の影響を受けた美しい装飾もみられる。入ってすぐ、屋敷の手前の建物は展示室になっていて、最近の修復のプランや経過を写真や展示で説明している。 |
1565年にマカオで最初の礼拝堂が建てられたのがこの場所で、後、聖アントニオ教会は1638年に建てられた。3度の火災にあい、現在の建物は1930年に再建されたものだ。教会の前にある十字架だけは1638年当時のもので、年号が彫られている。 |
新馬路の南奥にある福隆新街は、昔、遊廓があった通りで、2階建ての白壁に赤い格子戸や透かし彫のある装飾窓を持つ家並が続いている。今では、飲食店や土産物屋が入っている。この一角は特別にムードがあるので、夜の散歩にもいい。 |
ペンニャの丘の上にたつ、石造りの聖堂。外見も内部も、装飾が少なくすっきりしている。屋根に聖母子の像がたっている。起源は17世紀だが、1837年に再建されている。世界遺産群には含まれていない。 |
エスカレーターで丘の上へ | 室内に、さらに洋風の建物 | こんな陶器が運ばれた | 貿易船の積荷を再現 | 印刷機 |
館内にマカオの街並み | 茶を売る店 | 人形、玩具の店 | 伝統菓子やパンを作る店 | 受話器で店の説明が聞ける |
漢方薬の店 | 爆竹を作る店 | ポルトガル風の食卓 | 人形劇の人形 | 中国風の客間 |
ポルトガル風の食堂 | マカオの広場の模型 | 赤い中国の寝台、携帯家具 | 近現代のコーナーの展示 | マカオといえば、カジノ! |
聖ポール天主堂跡の脇からモンテの砦方面に行くと、入口がある。そこから更にエスカレーターで上がと、建物の中に更にポルトガル風の黄色い建物の前面が作られている。一階は船と貿易、二階はマカオの生活の展示中心だ。小さく区切られた部屋の中に職人の仕事場が再現されているコーナーでは、各部屋の前に、電話機がおかれており、受話器を持ち上げて日本語のボタンを押すと解説が始まる。マカオの歴史がわかる、楽しい博物館だ。 |
バーラ広場 | 媽閣廟 | 港務局 | ||
鄭家屋敷 | 聖ローレンス教会 | 聖ヨセフ聖堂と修道院(下) | リラウ広場 | 聖オーガスチン広場 |
聖オーガスチン教会 | ドン・ペドロ5世劇場 | 聖ヨセフ修道院 | ロバート・ホー・トン図書館 | 大聖堂広場 |
大聖堂 | 盧家屋敷入口 | セナド広場と民政総署 | 民政総署 | 仁慈堂博物館 |
関帝廟 | 聖ドミニコ広場 | 聖ドミニコ教会 | 聖ポール天主堂 これぞマカオ! | |
イエズス会広場 | ナーチャ廟 | 旧城壁 | 聖アントニオ教会教会 | |
ギアの灯台とギア教会 | モンテの砦 | カーサ庭園 | プロテスタント墓地 | カモンエス公園 |
マカオの世界遺産は全部まとめて一つ。歴史的には比較的新しいものや、「どうしてここ?が」と思うような広場等も含まれる。さすがに30件も集まると全部たどるのは一日仕事だ。南側の遺産群はほぼ一本道上にあり、要所要所に案内の矢印が付いているので迷わない。ただし、すべて回るなら、地図を見ながら1個ずつつぶさないと見落とすようなところもある。スタンプラリーカードを作ったらどうかと思うのだが・・・。(気になった場所は別途写真あり) |
入口は狭いし、地味。 | 吹き抜け、上には・・・ 。 | 下は中庭になっている | 天井の格子の色も特徴 | 色ガラスの窓が美しい |
1889年に建てられた、中国人実業家・慮華紹の邸宅。1910年まで実際に住まれていた。地味な外観だが、中に入ると広いホールが色ガラス入りの衝立で区切られている。吹き抜けの中庭を配した清朝時代の広州の建築様式で、内装は豪華。中庭に向いて開かれる木枠の窓に色ガラスがはめ込まれているのがステキだ。係りのおばさんが、天井を指さして、ここも見て行けと、わからない中国語と手ぶりで何やら解説してくれた。 オススメ。 |