ブラゴダーリャブルガリア/ムルツメスク、ルーマニアの旅
    
         突然都合がついて、行くことになったバラ祭りのブルガリア。ルーマニアの修道院めぐりも楽しみ。
1日目 成田⇒ウィーン ウィーン⇒ソフィア ソフィア
2日目 ソフィア⇒リラ/僧院観光 ⇒ソフィア 市内観光 ソフィア
3日目 ソフィア⇒プロブディフ/市内観光 ⇒カザンラク/トラキア人の墓、バラ博物館見学 カザンラク
4日目 カザンラク/バラ祭り、化粧品工場、イスクラ歴史博物館、クラタ民俗博物館見学  ⇒ヴェリコ・タルノヴォ ヴェリコ・タルノヴォ
5日目 ヴェリコ・タルノヴォ/市内、サモヴォドスカタ・チャルシャ散策 ⇒ルス経由でブカレスト ブカレスト
6日目 ブカレスト/国民の館、革命広場観光 ⇒(列車)スチャバ⇒(バス)ヴォロネッツ ヴォロネッツ
7日目 終日ブコヴィナ地方の修道院観光 ヴォロネッツ
8日目 ボロネッツ⇒トゥルグ・ムレシュ/散策 ⇒シギショアラ/フリータイム シギショアラ
9日目 シギショアラ/観光 ⇒ビエルタン/観光 ⇒ブラショフ ブラショフ
10日目 ブラショフ⇒プレジュメル/観光 ⇒ブラショフ/観光 ⇒ブラン/ブラン城観光 ⇒ブラショフ ブラショフ
11日目 ブラショフ⇒シナイア/ペレシュ城観光 ⇒ブカレスト/着後フリータイム、美術館訪問   ブカレスト
12日目 ブカレスト⇒ウィーン ウィーン⇒ 機中
13日目 成田 -
1日目/6月4日
成田出発10:55
オーストリア航空052便でウィーンへ。
昼に出発だったので、昼食の後にさらに軽食が出る。おにぎり、カップラーメン、ラップで握りつぶしたようなサンドウィッチが択べる。たいしたものではないのだが、同じツアーの人が二つ欲しいといったら断られたそうだ。
私は懐かしいチキンラーメン、相方はサンドイッチをいただいた。
ウィーン着14:55 予定より1時間早くついてしまい、ただでさえ待ち時間が長いのに、時間をもてあますことになるだろう。ウィーンの空港は、久しぶりに来てみると、内の店も充実したような気もするが、5時間は潰せない。新しくできていた市内中心部への直通列車に乗ってみることにして、空港の地下へもぐる。到着は市の中心地の東端。そこからは地下鉄で中心へ。
日本風に言うと、ウィンナーコーヒーとカフェオレ せっかくだからカフェ・グリーンシュタイドルでブレイク。このカフェは場所がわかりやすく、わりとすいているのが魅力。ウィンナーコーヒーと日本で言っている「アインシュペンナー」とミルク入りの「メランジェ」を注文。メニューはドイツ語なので頭が拒否反応をおこして、文字すらにじんでみえる。ソラで言えるものはこの二つだけなので、いつもこれらを頼むことになる。
電車の車窓から
タラッタッタッタ、ターララー、ターラー
雨がぱらついてきたので急いで駅に戻る。17時8分の鉄道でウィーンの空港に戻り、地下のスーパーにも立ち寄って買い物をする。再度出国審査を受けて空港内に入り直し、免税品店を見て時間を潰す。添乗員さんに内緒で市内に出かけたが、黙認してくれていたのだと思う。早めに帰ってきたから許してね・・・。今後はツアーの運営に支障をきたすような可能性のあることはいたしません。
ウィーン発  20:05
  ソフィア着  22:45
ウィーンからの飛行機では簡単な機内食が出る。ブルガリアのホテルに着くのはたぶん夜中。これが夕食だ。スパイシーなミートソースをご飯にかけてある。混ぜて食べる。東京からの便で食べたものよりはるかにおいしい。それからホームメイド・デザートと書いてあるババロア・・・。この場合、ホームってどこさ?
ブルガリア・レフ 
       紙幣と硬貨

ソフィアの空港到着後、ケンピンスキー・ホテルへ。町の中心から外れているので、空港からは少し近い。それでも夜中。後は寝るだけだが、フロントで100ユーロのうち、20ユーロを現地通貨のレフに両替する。20ユーロで74.32レヴァ。「レフ」は複数になると「レヴァ」となるというのだが、紛らわしいので覚えられそうもない。
2日目/6月4日

リラ観光
ソフィアも少し観光
2日目にしてようやくツアーの開始という感じ。9時出発で、リラ村に向かう。旅のはじめに、ブルガリア正教の総本山・リラの僧院を訪問。今回の旅の目的のひとつでもある場所だ。一気に気分が盛り上がる。

バスで市内を抜けてゆく。途中、湖があったり、コウノトリが巣作りしている村があったりもする。リラの清流が流れる山のなかの村に入ってゆく。
リラの僧院 リラの僧院の入口に到着する。小さな入口のアーチをくぐると、眼の前には、白黒の横じまのアーチの聖母誕生教会がたっていた。外壁かと思っていたものはすべて4階建ての建物で、教会を囲むように立てられている。中は僧房だったという。一階の台所や、実際に現在使われている僧房を見学した。上階の一部は一般人も泊まれる宿泊施設になっているらしい。
聖母誕生教会入口
       天井のフレスコ画
教会の外壁や天井は、色鮮やかなフレスコ画に埋め尽くされている。聖書の場面、ブルガリアの聖人の物語が描かれ、教会入口上の天井にはキリストのフレスコがある。リラの僧院は1833年に火事にあり、大半は焼失したので、現在のものは修復されたものだが、1983年に世界遺産に認定されている。
内部は暗め、厳かな雰囲気 正教会にある特徴的なものは、聖人の姿を描いたイコンと、信者の参拝場所と僧侶しか入れない場所を分け、一定の決まりでイコンを配した装飾的な壁面「イコノスタシス」だろう。教会の中は薄暗いが、金色のイコノスタシス、ろうそくの灯りで、荘厳な雰囲気が作られている。教会の中は、撮影禁止になっているのが残念だ。
美術館の入口近く 教会の裏手に、博物館があるので、こちらも見学する。。中はまたも撮影禁止だ。いくつかのイコン、キリル文字の聖書などが展示されており、奥にはラファエロという僧が彫った木製の十字架がある。この十字架には140もの細かい聖書のシーン、1500人ほどの人物が掘り込まれているという。ハイライトとなる部分を拡大した説明書で確認するも、一部を垣間見られるだけ。誰か数えたんだろうか。
フレリョの塔 中に階段がないというフレリョの塔は、火災を免れた唯一のもので、14世紀の姿のままだ。

1階が土産物屋なので見に行く。教会の中や、美術館の中のものの図録がないかと探したのだが、混み合ってきたので、手近にあったイコンの絵ハガキを買って退散。聖歌のCDもあり、店は狭いが、品揃えはよかった。
フレスコ画で埋め尽くされている教会の外壁、回廊 リラの僧院では半分自由見学のようで、教会の中や台所、美術館の解説はあったが、教会の壁画の解説がほとんどなかったのが残念。

聖人の物語だろうと思って当たりをつけても、有名なものはともかく、ブルガリアの聖人となるとキリル文字で、名前すら読めない。
雪のようにかかっているのがチーズ リラの僧院を出て、バスでさらに奥へ行く。本日の昼食場所に到着。
野外に屋根つきのテーブルが用意されている。4人テーブルなので、みんな適当に分かれて座る。

メニューは、名物ショプスカサラダでスタート。胡瓜とトマトのぶつ切りにたっぷりヤギのチーズの細切りがかかっている。
鱒。この大きさなら、一人で食べられる。 それだけなのだが、チーズの塩分とみずみずしい野菜がよくあって、おいしい。チーズとの相性という点では、赤いグラスワインをもらっておいてよかった。さわやかな軽いワインだ。

メインはリラ川で取れたという鱒のグリル。程よい大きさで、焼き加減も良く、おいしかった。
道端に店を出しているオジサンに、一日どのくらい売れるのか聞いてみたかった。 食事が終わるころ、空は明るいのに突然雨が降ってきた。もともと天気予報はカミナリと出ていたので、こうなっても仕方ないのだが、観光が終わってからでよかった。

バスでソフィアに戻る。途中で蜂蜜屋が出ているのを発見。山の中に、養蜂場があるようで、採った蜂蜜を直売をしているのだ。
この水、飲める?・・ぬるいね。 来た道をソフィアまで戻る。午後はソフィア観光だ。

ツム・デパートの近くでバスを降りる。共産主義だった時代からの老舗デパートで、石造りの建物が豪華。中には入らず、近くの公園へ行く。イスラム寺院のバーニャ・バシ・ジャーミヤ、公園の反対側には温泉施設の建物がある。どちらも外から見るだけ。
こんなところに、
      地下遺跡・・・
再度ツム・デパート前から地下通路にもぐると、地下鉄工事の際に発見されたローマ時代の遺跡があり、城壁らしきものが残っている。

その先には数件の観光土産店、屋根がなくなったところには聖ペトカ地下教会がある。教会自体も地下に建っているが、さらに入口に入るには数段階段を下りねばならない。
こんなところに、
    聖ゲオルギ教会・・・
外見は地味だが中はすばらしいと説明があった地下教会には入らず、肩すかし。地下道を通り抜けて地上に戻る。入らせろ。

シェラトン・ホテルの裏手から、鉄柵の門を入ると、中庭が一段くぼんで、遺跡がむき出しに残っている。その真ん中にはホテルをバックに、四方を現代建築に囲まれた聖ゲオルギ教会が建っている。
中に見えるのがイコノスタシス ここで、ようやく内部見学となる。レンガ造りのアーチをくぐると、入口の小部屋。その奥の教会は広くなく、カーブした天井の梁やレンガの柱は荒削りな感じ。

それもそのはず、この建物は4世紀のもの。ソフィアでは最古の教会だ。建物のわりに装飾的な天井画は10世紀以降の比較的新しいものだそうだ。
美しい聖ニコライ寺院は、ロシア正教の教会だ。 ゲオルグ寺院を出て、アレクサンダル・ネフスキー寺院に向けて歩く。

途中、黄色い壁の堂々たる建物の国立美術館、美しい金色のドーム屋根がある聖ニコライ寺院、20世紀に再建されたレンガ色の聖ソフィア教会を外観だけ見てゆく。
アレクサンダル・ネフスキー寺院 前方に、積みあげられた緑色の屋根のドームの頂上に金色のドームをいただいたアレクサンダル・ネフスキー寺院が見えた。幅も広いが、高さもひときわ高い。ドームの高さは60メートル。バルカン半島で最も美しい寺院といわれている。
金色のモザイク ドームが重なりあったビザンツ式の建物だが、歴史は意外に浅く、露土戦争で戦死したロシア兵士の慰霊のため建てられたもので、1882年に着工され、20世紀に入ってから完成した。露土戦争は、長くトルコの脅威にさらされていたブルガリアの独立の契機となった。この点では、ブルガリア人はロシアに感謝しているということらしい。
金色の屋根・・・豪華! 内部には大きなシャンデリアが吊り下げられ、金色のイコノスタシス、モザイク画とあいまって、とにかくゴージャス。

地下にはイコン博物館があるそうだが、もう時間もなく、見学できない。今回の旅程はバラ祭りに合わせており、バラ祭りの滞在を長くするため、ソフィアでは駆け足観光になっている。
本日2度目のショプスカ・サラダ ホテルに戻り、宴会場のような場所で丸テーブルを囲み夕食。披露宴みたい。昼食と同じショプスカ・サラダでディナーのスタートだ。

ここでツアー参加者の自己紹介となる。他人と一緒のツアーは嫌いという人も多いが、参加者の方々との会話は、思い出に残る重要な要素。今回、面子はバッチリで、面白い旅行になりそうな予感がする。
3日目/6月6日

プロブディフは
芸術家の町

午後はバラの谷へ
朝食後、ホテルの回りを散歩。道路の脇にもバラがたくさん植えられている。車の窓を開け、イスタンブールに行くには、どっちに出たらいいかと大声でホテルのドアマンに聞いている人がいる。ここは、トルコとも陸続きなのだなあと実感する。ただ、ホテルの出口に、イスタンブール行の高速道路の入口が直結しているわけでもなし、この段階でどちらを選んでもかわらないと思うのだが・・・。
プロブディフ旧市街の入口 本日も定刻8:00出発。

プロブディフはブルガリア第二の都市というだけあって、大きな国際展示会場がある。バスは、オルフェウスの像がある広場に止まり、そこからは徒歩で城壁の中に入る。実際に歩く旧市街はとても静かで趣がある。大都市の真ん中だとは思いがたい。
メインストリート この街は文化人、芸術家が集う町で、家も民族復興期建築といわれる様式が多いようだ。

実はこの様式、ガイドさんも説明してくれないので、確固たる様式なのかどうかは不明だが、ガイドブックには出てくる表現だ。2階以上が出窓をもち、時には家の輪郭が曲線や曲面を含む装飾的な建築である。
聖コンスタンティン・エレナ教会 道の途中の左側の塀の中にに、教会らしきものがある。壁に鮮やかに絵が描かれている。ここでの説明は何もなく、どうせ内部の写真は禁止だし、自由時間もないので、皆、気にはなるのだが、ちょっとだけ敷地に入ってすぐ出てゆく。実はこれが見所のひとつ聖コンスタンティン・エレナ教会だったとは・・・。後の祭りというやつだ。
土鍋、ほしいな。でも、重たいよな。 メインストリートの左右には、お土産もの屋がポツポツと並んでいる。途中の立派な家は医者の家、音楽家の家、画家の家などだ。博物館もあるのだが、どこにも入場しないらしい。

みやげ物店を覗きながら歩く。民芸調の土鍋に惹かれるが、重たそうなので購入は見送り。
薄いピンクの鐘楼 少し時間にゆとりがあるので、メインストリートを登ったところで道をそれて、聖処女教会に行くことになった。三層になった鐘楼がある。

内部は、イコノスタシスのスタイルがブルガリア正教と違う。・・・と、ガイドのドナさんに言われたと思うのだが、中が写真に撮れないので、どんなものだったか思い出せない。何を見たのか印象に残っていないのがもったいない。
ローマ時代の円形劇場 道を登りきると崖にローマの円形劇場がたっている。この階段状の劇場を降りると、町の下に行ける。

現在も使用されているもので、3,000人も入れるという。芸術の盛んなこの町で、どんな催しが行われるのだろうか。
ラ・マルティーヌの家 細い道をたどって町を散歩を続行。フランスの詩人ラ・マルティーヌが逗留した家をみた。

このあたりの家は、1階より2階がせり出す形が多く、ベランダや窓に装飾が施されている。ステキな外観の家も博物館、美術館になっているのだが、この旅では、時間がなくて、内部を見学できないのが残念だ。
タラートル 昼食は旧市街のレストラン。中庭での食事で、西洋人のツアー客もいた。

冷たいヨーグルトのスープ、タラートルが出てくる。これもブルガリアの名物料理だ。胡瓜のみじん切りが浮いている。さわやかな初夏の味。

昼食後、ドナさんの機転で、新市街の大型スーパーに立ち寄る。
甘いですよ、とガイドさんに釘を刺されたお菓子 地元のワインの品揃えが多く、見ごたえがある。いずれも高くない。サラダにかかっているシレネというチーズを買っていく人もいる。日本までもつのかなあ?私たちはお菓子や調味料などを買い込む。出口で、それぞれ戦利品を見せ合って、買い物は終了。プロヴディフの街を出る。
バラに囲まれた博物館 バスで移動。山に入っていくと雨が降り始める。かなりの雨だが、カザンラクに到着し、バラの博物館に降り立ったら、やんでいた。

バラ園の中の小さな家が博物館。バラの香水の抽出方法の説明や、バラを摘んで入れる容器、蒸留器、香水ビン、バラの女王の歴代の写真など展示も楽しみ、帰りにはバラの香りのグッズを買う。
トラキア人の墓(レプリカ)入口 バスで移動し、世界遺産になっているトラキア人の墓へ。紀元前4世紀頃のトラキア人の遺跡だ。

本当の墓は近くにあるが、説明だけ聞いて通り過ぎる。実際に入ったのは墓の複製品だ。初めの部屋に、本物が、世界遺産になるまでの過程が写真で展示されている。
この奥には・・・ 亀裂のような細い入口を入ると円形の部屋があり、丸天井には儀式祭礼の様子のフレスコ画がある。神話に出てくるような婦人、騎馬、馬車を繰る女神などが、くっきり色鮮やかに描かれている。

複製なのに写真は撮らせてくれない。ガイドブックには有料で撮影可とあったのだが。
香水、くれるんだって。 ホテルに着いて散歩。町の広場では、今夜はバラの女王のセレモニーがあるらしく、準備が進んでいる。雨がポツリと頬にあたる。あわててホテルに帰る。窓から見ていると、大降りになった。

夕食はホテルの食堂で食べる。食事の始まりには、民族衣装の男女が各テーブルにバラの香水のプレゼントを配って回る。
踊りの衣装も可愛い そのうち、4人ずつ男女が出てきて、民族舞踊のショーが始まる。可愛い前掛けつきの女の子の衣装についつい目が行く。男の子達はちょっとハードな踊りもあって、大丈夫?けがしないでね・・・と心の中で思って見ていた。

食事が終わると、ホテルの近くの町の広場に、バラの女王の表彰式みたいな催しを見に行く。
町のイルミネーションも、バラをイメージしたらしい 同じホテルに泊まっている別の日本人ツアーの人に聞いたら、彼らには桟敷席が手配されているそうだ。年配のお客様ばかりだが、皆さん、夜10時からのステージを見に行くのだろうか。旅行会社の手抜きなのか、大して見る価値が無いからか、私たちのツアーには、これは予定に含まれていない。外はまた雨が降っていて、見に行きたいという人は、私達を含め結局3組だけだった。
前置きが長すぎて・・・ 雨の中を、長い主催者のお話を聞いた後、やっとバラの女王が登場。あらかじめ誰が女王に選ばれたかは発表になっていたらしく、当日は新女王が花束と王冠を授与されるシーンがクライマックスだった。いつの間にか雨も小降りになっていて、式が終わると、大音響のバンドの演奏で、花火大会かのように花火がバンバン打ち上げられる。
ホテルの部屋 雨が降った後のびちゃびちゃなイスには座れなかったので、立って見学は疲れたが、何とか無事式典も終わった。

雨で開始が遅れ、終了したのは真夜中。地元の若者も大勢繰り出しているので、町はがやがやしているが、観光客はとっととホテルに戻って眠る。
4日目/6月7日

 今日は、バラ祭り!
今回の旅のハイライトは年に一度のバラ祭り。予定は全てバラ祭りの実行委員会のようなものが管理していて、観光客はそれに従うようになっているとのこと。ゆえに予定はよくわからない。

朝食の食堂には別の日本人観光客がいっぱいで、ブッフェテーブルの食べものはほとんど取られた後!同じような出発時間なので、大混雑だ。
バラの谷 外は小雨だ。祭りはどうなるのだろう。
まず、バラの畑に入るというので、靴にかぶせるためのビニール袋と、何の必要があるのかホテルの名前入りの紙の帽子を渡された。

バラの畑につくと、ビニール袋で靴ごと覆って足首で結ぶ。心もとない感じだったが、ぬかるみの中で、このビニールだけは役に立った。
民族衣装に身を              包んだ女の子達 畑に入る前に、可愛い民族衣装の女の子からバラのレイをかけてもらう。いい匂いがする。畑は広くて、何人もの観光客が入っても、込み合うことはない。一面にバラの花が咲いているのかと思っていたが、一本の木に数個花がついているが、密集して咲いていないため、華やかな印象はない。
摘んだばかりのバラの花 木に近づいて行くと、ピンクの小ぶりの花が見える。渡されたビニールに、朝露の残る花を摘んで入れる。誰かが「労働したんだから、私の摘んだ分で香水作ってくれるのかしら?」と言っていたが、後の香水工場見学で、それはありえないとわかる。香水を作るには、すごい量の花が必要なのだ。
輪になって踊ろう お祭りが始まるというアナウンスがあったので、ビニールにつめた花は、花の集積用のカゴの近くにおいて、畑の前の広場に戻る。

それらしい音楽が鳴り始め、赤い衣装の子供達が踊り始める。次は黒の衣装の子供達、男の子も出てきて、バラの女王が中央に担ぎ出されると祭りも最高潮。観光客も連れ出され、何重もの踊りの輪ができ、大団円となる。
ピンクのバラのジェルはとてもいい匂い、つけるとすーっと水になる感じ。 バス移動で、化粧品会社の工場見学。抽出したバラのエキスを薬品で安定させる。化学の実験みたいで面白い。できたジェルを一人一人手につけてくれる。見学終了後は、併設の売店で買物。

数点買ってバスに戻ったら、工場から、見学者全員にハンドクリームなどのプレゼントと先刻作ったジェルを容器につめて渡してくれる。ちょっと嬉しい。
イスクラ歴史博物館 再びバスで、イスクラ歴史博物館に移動。外はかなり雨が降ってきた。

1階が考古学博物館で、ツボやアクセサリーなどのトラキア人の時代の出土品が展示されている。非常にシンプルな展示の博物館だ。

2階は現代美術が展示されているが、今回の見学の対象ではない。
バラの蒸留中 スタフラタ川の橋を渡って、カザンラク・クラタ民族博物館を見学する。

入口では、バラ祭の時の「蒸留祭」をやっていて、大釜にバンバン火がくべられている。ここでバラ水を振り掛けられ、バラのジャムやお酒をもらう。あいにく雨模様なので、庭を楽しむまもなく館内に入る。
布使いのおしゃれな民家の部屋 2階建ての民家を使った博物館で、それぞれの部屋も面白い。民族復興建築という建築様式があるらしいが、これもそう。プロヴディフでもそうしたものが多くあったが、何が様式の特徴なのか説明はなかった。大体、他国文化の影響がなさそうな、木造のフォークロアな感じがするものは民族復興建築なんだろうと思ってはいたが、明確な基準は知らない。
機織り機 居間、客間、寝室、台所を見学、庭の奥にある別棟にも行ってみる。1階は倉庫、見学は主に2階だ。子ども部屋、寝室を見学。

階段自体も外壁の外で、上がってゆくと、2階の前面は屋根つきのオープンエア・スペース。部屋は外廊下に繋がっている。廊下に機織り機も出ている。この地方は暑いのだろうか。今が雨なので、全くイメージできない。
門の中で、可憐な少女のお迎え 見学の後はバスで昼食場所まで移動。バラ祭に来た観光客は、みんなここに連れてこられるようだ。

門を入ると、民族衣装の女の子から歓迎のパンのようなものを一片もらう。雨なので、せっかくの晴れ着も、レインコートの下になってしまい、もったいない。
取り放題の豊かな食卓 食事は野外。屋根つきの席が設けられているが、雨漏りするところがあり、客も手伝って応急処置で修理。

ブッフェになっていて、各自好きなものを取ってきて食べられるのだが、雨が酷くなってきたのと、団体で取りに行ったり席に座ったりするのは大変なので、添乗員さんとドナさん、ミラさんが見つくろって次々運んできてくれる。
食事もおしゃべりも、    
       とにかく楽しい
おいしそうにグリルされた、肉、肉、肉。生野菜もグリル野菜もたっぷり、ツボに入ったヨーグルト、チーズ、フレッシュなさくらんぼや苺・・・。豊かな食卓が楽しい!ツアーは、個人旅行と違い、回りとのお付き合いが面倒くさいと敬遠されがちだが、メンバーさえ良ければ話もはずんでとても楽しい。外は雨だが、こうしてみんなでがやがや陽気に食べるのもいいものだ。
雨で大変 すべらないでね 食事も大体いきわたって、ペースも落ちてきた頃、民族舞踊が始まる。ステージは庭の真ん中で、屋根はない。

昨日各ホテルを回って踊っていた少年少女たちが中央に出てくる。可愛そうに、雨がますます強くなってきて、踊りにくかろう。最後まで笑顔で踊ってくれた少年少女に、一生懸命拍手を送る。
100キロの山道の移動だ ランチが終わると、バスで第二次ブルガリア帝国の首都だったヴェリコ・タルノヴォへ向かう。到着は夕方4時だ。ホテルは旧市街のヤントラ川に面した場所。チェックインした後、付近を散策に出かける。

ここは文化都市、有名な大学もある。琴欧州の故郷でもある。ツアーによっては琴欧州の実家を見に行くものもあるらしい。
薄緑色のドーム屋根が目立つ聖処女降誕聖堂 地図は見たものの、やっぱり方向がよくわからない。適当に歩いたら、きれいな緑色の丸屋根がある教会・聖処女降誕聖堂に行き当たった。結婚式が行われていたので、中には入れなかった。

ツァレヴェッツの丘に登ってみようかと思ったが、入口で入場料を見たら、二人分の現地通貨がなかったので、引き返す。
結局夕方なのであいているのはお店のみ ホテル近くにサモヴォドスカタ・チャルシャという古風なショッピングストリートがあるので、散歩がてら買い物に行く。観光客相手の店で、ドルでもユーロでも店によっては円も使えるので、現地通貨がなくても、こちらはOK。

店のアルバイトの女学生が気さくで可愛いので、ご当地Tシャツやバラの蜂蜜を購入した。
肉に目玉焼きがのった変わった料理 夕食はホテルで。夕食まで何をしたか、武勇伝の報告だ。

食事までの間、ホテルのプールで泳いだというご夫婦は二人とも60歳をこえているそうだ。元気で旅行好き。冒険談も可笑しい。教会で結婚式の写真を撮らせてもらったご夫婦、私たちと同様に、丘に登ろうとして、入場料が一人分しかなくてあきらめたご夫婦もいた。それぞれ楽しんだようだ。
6日目

ヴェリコ・タルノヴォ
観光

午後ルーマニアへ
朝食の時、ツアー仲間が、ヤントラ川で夕べ光と音のショーがあってきれいだったと話していた。部屋から見えたのだそうだ。私たちは気づかず、見なかったが、有名らしい。団体客の希望があってお金を払って行うイベントらしいが、町から見るのは無料。ガイドさんはしらなかったのかな。「もし音がしたら、外をみてくださいねー」と、事前に教えてほしかったよね・・・。
聖処女降誕教会の入口 ヴェリコタルノヴォの観光は、まず、昨日行ったツァレヴェッツの丘の入り口をめざす。

途中に聖処女降誕教会にもよるが、中には入らなかった。興味のある博物館がいくつかあるがどこも入らない。全く入場料がかかっていない観光だ。
-「おいこら、ツアー会社、お金かけてないだろう!」
がんばれ、ミラさん! 丘の入り口に着くと、今日でブルガリアを去る私たちに、ここで分かれる見習いの現地ガイド嬢ミラさんが、日本語で最後の説明をはじめる。先輩のガイドのドナさんも共に対岸に見える名門ヴェリコタルノヴォ大学の同窓生だ。

「日本語は上手なんだから、ブルガリアの魅力をもっと打ち出して自信を持って話したほうがいいよー」と、ツアーの参加者のアドバイス。
昨日の光と音のショーはこんなふうだったのかな? 私は、すごくいいアドバイスだと思う。「がんばってね」とみんなが激励すると、ミラさんがちょっとほろり・・・。

橋を渡り登ってゆくと、教会やかつての宮殿だった建物までいけるのだが、ここも入場しないで入口で丘の上をながめるだけ。とても美しい自然の中の町だが、他は見なくていいのかちょっと疑問だ。
サモヴォドスカタ・チャルシャ
チャルシャは市場という意味だそうだ。
ホテルの近くに戻り、観光名所になっているショッピングストリート、サモヴォドスカタ・チャルシャへ。それにしても舌をかみそうな名前だ。

今度は積極参加型観光である。道の両側に、観光土産がならぶ。職人が集まってできた町なので、今でも工房と店が併設のところも多い。
ミルクパン12ユーロ=12ドル? 何人かが旅行出発前に『大使の食卓』というTV番組で見たことがあるという銅の細工物のお店に入る。おじさんが手作りで銅製の鍋を作っている。なんとなく欲しくなる手作りのあたたかさ。何に使うんだろうと思いつつ、ミルクパンのようなものをひとつ買ってゆく。ドルでもユーロでも同じレートなのが大雑把。だったら対円レートの安いドルで買うのがお得。
意外とかたくてしっかり 「ここもTVで見た!」と話題になったお菓子屋さん。クッキーやキャンディーも一個から売っている。お菓子屋さん兼テーブル席がある小さなカフェだ。

一人参加の奥様が、大きなメレンゲを買って、みんなに勧めてくれたので、一口いただいた。めちゃくちゃ甘いかと思ったがそれほどでもない。日持ちしそうなので買ってみた。日本まで持ってかえれそう。
両脇にお店 どんなものがあるのかな そうこうするうちに、だんだんみんな興味のある方向へ散って、自由行動となった。

私は、日本人のと結婚したブルガリア人の奥さんが書いている料理の本を買う。集合場所に戻り、本をめくって見ていると、ツアーの仲間の奥様が、「あらー、その本いいわね。どこにあったのー?」と言うので、大分戻るけど・・・と、お店まで急いで案内し、休憩時間に入ってしまった店番を呼び出してまで同じものを購入したのだが・・・。

再度集合場所に戻ってきたら、他の人が「あら、それホテルの売店にあったわよ」というではないか。とんだ骨折り損だと大笑い。
1階はレストラン
    上はステキなホテル
ブルガリアの観光はヴェリコ・タルノヴォでおしまいだ。ホテルで集合した後、バスで昼食のレストランに移動する。

バスを降りてから、どんどん谷のほうに下る。もっと近い駐車場もあっただろうにと思うくらい歩いてレストランに到着。店の前にお花のカゴが置いてあり、とても可愛い。上の階はホテルだそうだ。
こんな民芸調の布、
        欲しかったな
イスに張った布も、テーブルクロスも民芸調。濃い色同士なのに、組み合わせると温かみのあるステキな色合いだ。

お料理もおいしいし、テーブルの会話もはずむ。これが、ブルガリアでの最後の食事となる。
ドナさん、お元気でね ブルガリア国境の町のホテルで、最後までついてきてくれたガイドのドナさんともお別れ。乗ってきたバスを降りて、ホテルでトイレ休憩をとったあと、待機していたルーマニアのバスに乗り換える。

参加者全員、ドナさんが乗って帰るバスに、ちぎれるほど手を振ってお別れだ。ちょっとしんみりしてしまう。
橋を渡ってゲートをくぐればルーマニア 国境はドナウ川 ルーマニアのガイドさんはカティー(カトリーヌ)さん。こちらも若くて美人さんだが、いせいがよくて、強そう!

国境は川だ。対岸はもうルーマニア。ゲートを通過すると長い橋がある。川の中の島は生い茂る草原。ずいぶん立派な河川だと思ったら、ドナウ川だった。
ルーマニアのお札レウ ルーマニアの偉人がデザインされているが、他国人には知られていないと思う。 バスの中でルーマニアの紙幣を一万円分交換してもらう。

単位はRONと書くが、レウと読む。2005年のデノミ前はLeuと書いていたというので、その時の発音が残ったのだろうか。プラスチック製で、透けている部分があるキレイなお札だ。
道沿いにずーっと民家が並ぶ のどかな風景が広がる 道を走っていると、ルーマニアはイメージしていたのとはちがう、明るく豊かな感じがする。家は平屋で、ひろい庭がある。作物もできるらしく、おばあさんやおばさんたちが家の前に座り込んで、果物を売っているのが、バスの窓から見える。老人たちは、家からイスを持ち出し、日がな一日座ってしゃべっているのだろうか。のどかだ。心が豊かなのだろう。
首都ブカレストのホテル アテネ・パレス・ヒルトンホテル 長時間ドライブ後、夕刻にはブカレストに到着。ホテル周辺は中心地で、整然とした都会だ。ホテルも今までで最も高級そうだ。ロビーも広々豪華。

ツアーの夕食は中華なので、あらかじめ添乗員さんに地元の料理が食べたいと希望を言っておいたら、フロントで、お勧めのお店を聞いて予約を入れてもらってくれた。有難いことに、丁度行きたいと思っていたお店だった。
立派な建物に
   取り巻かれた革命広場
革命広場とアテネ音楽堂 食事までの間、周辺を散歩する。
ホテルの前は革命広場アテネ音楽堂。気になる美術館もあるが本日は時間がないのであきらめる。

来るときのバスからも見たが、念のため予約してもらったレストランの場所を確認する。歩いてみたが、ホテルからとても近い。
人気のレストラン「ラ・ママ」 人気のレストラン、ラ・ママ 夕食のレストラン「ラ・ママ」は、有名人もごひいきにするという人気店で、予約も取りにくいらしい。ホテルの近くの店は、その支店である。とはいえ、ルーマニアの家庭料理を出すというカジュアルなところなので、安心して行ける。

外の庭で食べるのが人気らしく、入口近辺は華やかな雰囲気だ。
メニューもカジュアル カジュアルなテーブル 通された奥の席はカジュアルで、なんだかファミレスのような雰囲気だった。他にも、ブラッスリーのようなコーナーもある。

サラダとルーマニアの名物料理のロールキャベツのサルマーレ、豆とソーセージの煮込み、デザートはパパナッシュというドーナッツのようなものにした。
これが名物サルマーレ、黄色いのはママリガ サラダはひとつで二人食べられる。チーズがのっているので、見た目より食べでがある。サルマーレは酢漬け(発酵)キャベツで巻いたロールキャベツで、とうもろこしの粉を練って作るママリガがついている。イタリアのポレンタとにているというが、どうかな?素朴な味で、粉と水の割合や、出来上がりのやわらかさはお店によって違うと思う。
パパナッシュは、軽めのドーナッツ デザートのパパナッシュ パパナッシュを注文する時に、「これは二つ入っている・・・」と説明された。「ひとつずつ分けて食べるから、ひと皿でいい」というこちらの話がどうも伝わらないようだ。そもそも英語通じてる???通じないのは、こちらのせい?むこうのせい?・・・と思っていたら、ちゃんと一皿だけ持ってきた。なーんだ、わかってたんだ。
一流ホテルはいいね、こんなにお茶が飲める このデザートはやっぱりおいしい。軽く揚がったドーナッツにチェリーのソースの酸味がベストマッチ。

サラダは7.40、サルマーレ14.40、ソーセージの煮込み14.40、パパナッシュ9.90レヴァ。飲み物など合わせて59.91レヴァ。

適量の食事をして、この辺りでは有名店ではあるが、物価が全般に安いため、会計もリーズナブルだった。

ホテルも近いから歩いて帰れる。

ソフィア以来の大規模な近代的設備の備わったホテルの贅沢なお部屋で就寝。フリーのお茶の種類も多いし、エスプレッソマシーンがある。
6日目

ブカレスト市内観光
「昨日、何食べに行ったの?」とツアーの人たちに聞かれ、撮ったデジカメの写真を見せる。土地の名物料理で、値段も高くなかったと報告すると、「あなたたち、正解よー」といわれる。ツアーの夕食は中華料理で、だからこそキャンセルしたのだが、「なんだか炒め物と、もうひとつ炒め物と・・・」という特色のない普通の中華料理だったらしい。
中央にルーマニア初代王カール一世の顔のモザイクがある 観光のスタートは、ホテル前の革命広場から。ホテル隣のアテネ音楽堂は堂々たるギリシャ神殿のような建物だが、市民の募金で作ったものだ。建物の正面の入口の上には金色のモザイクの装飾がある。

規模は大きくないが、音響の良い良く考えられた音楽堂だそうだ。前の庭はきれいに手入れされている。
空に伸びる慰霊塔 革命広場には大統領府があり、1989年のルーマニアの民主革命で市民のデモ隊が、ここに集まった。これを鎮圧するため、チャウシェスクの部隊は、地下にあった秘密の通路を通り、広場の真ん中に出現。秘密通路の存在を知らない市民は当然パニックに・・・・。

そして、激しい銃撃戦となって、多くの犠牲者が出た。
犠牲者の名前が連なる 革命広場は生々しい現代史の舞台で、革命の犠牲者の慰霊塔、名前を書いた碑も作られていた。慰霊塔の先の玉はじゃがいも。じゃがいもは共産党の象徴なのだそうだ。

1989年12月22日、故チャウシェスク大統領は、旧共産党本部のテラスで演説中、市民のブーイングにあい、屋上からヘリコプターで脱出した。
このテラスでの演説が最後 その後、見つけ出され、処刑されたニュースはリアルタイムで世界中に流れた。報道はされたが、何がどうなったのかよく判らないうちに終わっていたスピード処刑だった。

チャウシェスク時代は思い出したくないとカティさん。皆、語りたがらないというが、西欧化された現代社会に疲れ、懐かしむ人もいるらしい。
広場にぽつんとあるクレツレスク教会 広場に面してルーマニア正教の教会があるが、ツアーでは内部の見学はなかった。双子の塔を持つ変わった建築だ。

このあと、バスで移動。チャウシェスクがシャンゼリゼをまねて造らせた統一大通りを通って国民の館へ向かう。通りの両側の立派なマンションは高級官僚の住居用だったらしい。
国民の館はチャウシェスクの宮殿 ブカレストは東欧のパリとも言われていたらしいのだが、この大通りを作るために古い歴史的建造物は壊されたという。

前方にチャウシェスクが作らせた巨大な白亜の建物が見えてくる。「国民の館」という名前だが、実態は国民を搾取してつくった巨大な宮殿だ。1500億円相当をかけて作ったらしいが、未完なのだそうだ。
大理石の大ホール 
     ガラス天井がキレイ
ツアーの客が入口に並ぶ。入場料は20レヴァ(900円くらい)だが、なんとビデオの持ち込み料金が10ユーロ(1600円)!レヴァで払うほうが割安だというが、手持ちがないので仕方ない。とりあえず、売店で支払う。

ガイド付きツアーで中に入る。ここまでする必要があるのかと思うほど広い。3107部屋あるという。
100メートル以上も
     継ぎ目がな長い絨毯
大理石の巨大な建物の中の部屋は、どれも大きくて豪華な装飾がされているが、血が通っていないような冷たさがある。

あるご婦人の発案で、館内で、撮影代を支払ったツアーの人のカメラ借りて、みんなで集合写真を撮ってもらう。
テラスの天井 
     柱はギリシャ風
会議室のように準備された小部屋を通りテラスに出てみる。天井がとても高く、立派。テラスの正面に、先刻通った統一大通りが見える。

「このテラスには、有名な人がきました。誰でしょう?」とガイドのカティーさん。何か答えないと怒られるかと思ったが、「マイケル・ジャクソンです」とあっさり教えてくれた。東欧も、自由な国になったんだと実感する。
統一大通りは、チャウシェスクがパリのシャンゼリゼと同じに作ろうとしたが、本物より広く出来てしまった。 国民の館内には、今回見学していないが、コンサートホールもあり、実際に使用されているそうだ。

しかし、光熱費等かかりすぎ、やたら不経済な建物だと思う。そういえば、見学の最初の方では、電気がついていない部屋もあった。
ステキな内装のビアホール 国民の館を後にし、昼食へ。

旧市街の趣きの残る地区にある、とてもステキなビアホールだ。中はとても広いのだが、ビアホールということからか、テーブル小さめ。ツァーの団体が来るところでないせいもあるが、ひとつのテーブルを4人で囲んだのでは、飲み物とパンでテーブルはほとんどいっぱい。
どのお料理も、見栄えもいいしおいしかった しかも、料理は大きなお皿に盛り付けられている。メインのお料理は、半分テーブルからはみ出しているお皿を支えながらいただく。

テーブルさえもう少し広ければ、またこんなにつめて座らなければ、お料理もどれもおいしいし、場所も雰囲気もいいし、満点だ。
Caru'cu Bereという古くからあるお店 昼食後は電車で6時間以上の旅となる。

列車内では軽食が用意されているということだが、あまり期待はできないので、ここでしっかり、ゆっくり食事もを楽しんだ。

バスで鉄道駅に移動。
大きな駅舎の北駅 長距離列車も発着する。 構内のコンビニで、車内で食べるのに、ちょっとしたお菓子を買う。
ゆったりした6人用のコンパートメントで、ツアーの人とガイドさんで3部屋に分かれる。気さくなカメラ好きのご主人と奥様、シベリア抑留を経験したというツアー参加者最年長の男性、添乗員さんと、私たち夫婦が同じコンパートメントになった。
6時間半は長いと思ったが、同乗者の話を聞いているのが面白くて、いつの間にか時間が過ぎていた。 添乗員さんが、他の部屋を見回ってきて、最初のコンパートメントの人たちは、全員靴を脱いでソフィアのホテルで持ってきたホテルロゴ入りのスリッパに履き替えてくつろいでいる、次のコンパートメントは、靴組が半分、スリッパ組が半分、そしてここは全員靴を履いたままだと報告。「性格が出るんですねー」と言って大笑いした。
お弁当は、まとも。レストランでつくってもらったものだそうだ。カツレツ、サラダ、デザート、温かい飲み物も用意されている。 途中、物乞いがコンパートメントに入ってくることもあるので、相手にしないようにと添乗員さんが言い置いていった。隣のコンパートメントあたりまできていたようなので廊下をのぞいてみたら、ガイドのカティーさんが、あやしそうな人たちを仁王立ちして「しっしっ」と追い払っている。さすがカティーさん!ちょっとこわいけど、頼もしい!もしかして、空手とかならってたんじゃ???
スチャバ駅到着。やれやれ、ここからまたバスだ。 スチャバ駅到着は夜の8時半過ぎ。あたりはまだ明るい。

ここからまたバスで、約50キロ離れたヴォロネツ村の宿に向かう。本日は起きている時間の半分以上、移動に費やした計算だ。

だんだん暗くなってくると景色が見えなくなり、退屈する。
簡易宿泊所みたいだが、清潔で私鉄内も広い。エレベータなど無いので、設備面では2〜3つ星ホテル相当か? 途中にいくつか町もホテルもあったので、ここでもういいじゃない・・・と思ったのだが、そうは行かない。私たちの宿はさらに先で、他に何もない場所だ。

敷地に何棟も建物があり、何組かで分かれた棟に泊まる。部屋に入ったが、2部屋続きになっていて、快適だ。家族で来て何日か滞在するリゾート用のペンションだろう。部屋に電話もなく、シャワーのみだが、これで充分。
7日目

ブコヴィナの修道院と
民家訪問
朝食は、別棟の本館のレストランで食べる。小さなレストランだ。混雑しないのが不思議。

9時出発。ブコヴィナ地方の5つの修道院地区で5つのうち4つの修道院を巡る一日だ。どうせだったら5つとも見たいのだが、どういうわけかひとつだけ行かない。中途半端で気持ち悪いがしかたがない。
ヴォロネツの青といわれる原料が不明の青色が特徴 最初はヴォロネツ修道院。シュテファン大公が命じて建てさせたもので、1488年に完成した。敷地の手前は墓地になっている。

入口で撮影料を10レウを支払う。門を入ると、フレスコ画で埋められた外壁の修道院が現れた。すらりと縦に伸びた独特の姿だ。後陣の屋根の木ひさしが傘のように張り出しており、丸い壁には聖人の姿が並んでいる。
カメラ持込のチケット 横に回りこむと南には入口があり、青色の基調に「エッサイの樹」が描かれている。西には「最後の審判」が外壁一面に描かれている。通常、こうした建物の入口は西と決まっているが、ここだけは、この絵を描ききるため入口を南に持ってきたのだそうだ。

カティーさんが、「最後の審判」の絵の解説を始める。
システィナ礼拝堂にもたとえられるルーマニア版「最後の審判」 中央のキリストの足元から赤い川が流れ、画面が地獄と天国に分けられている。キリストの足下には、神の手が持っている天秤があり、善悪をはかる天使がいる。ここで選別されて、生前良いことをした人は天国へ招かれ、悪人は地獄に落とされる・・・。

絵の構図は、これから行くほかの修道院でも同様だ。
消えてしまった、外壁のフレスコ画 カティーさんの説明は大変長く、周りの人はみなあきかけているが、それでも数回繰り返される。

反対側に回ると、今度は、フレスコ画はほとんど消えている。やはり野外にあっては、傷みも激しいのだろう。再びエッサイの樹のある南面に戻り、内側も見学する。
手刺繍のブラウス 外に出ると、民芸風の手刺繍ブラウスが干し物をするように並べてある。見てみたが、相場がわからないので、なんとなく買いそびれてしまう。値段を見ると大人のもので7000円くらい。ハンドメイドとはいうものの、ご当地の物価から言うと安い価格ではない。これで売れれば、悪い商売ではなさそうだ。
フモール修道院は塔がないシンプルな形 次は、モルドヴァ公国の大臣夫妻が建てたフモール修道院だ。ヴォロネツは青が基調だったが、フモールは赤が基調となっている。入口を入ると、やはり似たような形の修道院が現れる。

ただし、この修道院には塔が組み込まれていない。この形のほうが、ブコヴィナ地方の典型的なものなのだそうだ。素朴な感じがする。
保存状態の良い南側は、聖母に捧げられた24の詩の場面で、壁面最上部には、中心に聖母、左右に聖人達が一列に並んでいる構図。聖母はこの教会の守護聖人だ。

「コンスタンチノープルの包囲戦」も描かれているが、史実では7世紀前半のことで、敵軍はペルシャ人のはずだが、トルコ人のように描かれている。
やっぱり西には「最後の審判」がある。 西側の聖堂への入口には「最後の審判」が描かれている。キリストの足元から流れる川の構図はヴォロネツの修道院で見たものと同様だ。

壁画を描いたのはトーマという宮廷画家で、画家の名前がわかっているのはここだけだそうだ
二種のパスタ、おしゃれじゃん 昼食は、フモール修道院から、相当走った町にあるイタリアンレストランで。

地元の料理を飽きるまで食べてもよいと思っていたのだが、無難なところでイタリアンになってしまうのだろうか。実際イタリア料理は、ルーマニアでも、比較的手軽で、おしゃれに思われるのかも。
スチェヴィッツァ修道院



ここもビデオ、カメラ持ち込み料10レウ
レストランからは比較的近いというスチェヴィッツァ修道院だが、どこをどう走ったのかサッパリ判らない。

修道院は城壁のような壁に囲まれており、門を入ると草の中に、緑をベースカラーにしたとんがり帽子の塔を持つ建物が見える。ヴォロネツの修道院と形は同じだ。5つの修道院中最大のもので、フレスコの保管状態も良いが、建てられた時代が16世紀後半と他に比べて少し新しいので、世界遺産に入っていないということだ。

ここの見所は北の壁(南だと思っていたが、北らしい。もう、言われるがまま。どっちが北か南かわからない。)に描かれた「天国の梯子」。「美徳の階段」ともいうらしい。
梯子は32段ある 壁面に大きく斜めに人の生涯のシンボルとして梯子が描かれている。梯子の上には天国がある。上ってゆく途中で左下に落とされている人々がいるが、服装を見ると、明らかに当時の脅威だったトルコ人のものだ。

敷地内の資料館も見学する。ラテン語の書かれたモルドヴァの地図、木のイコン、修道僧の衣装、ベルベットやシルクのタピスリー等がある。
敷地は壁に囲まれている。 最後に、観光地の旅館みたいに、訪問記念の書きこみ用ノートがおいてある。こういうところに、思い出にハートマーク付の署名をしていくカップルもいるし、世界遺産に認定されますように・・・とか、美しい修道院を讃える言葉を書いている人もいる。

受胎告知
修道院見学の最後は、モルドヴィッツァ修道院だ。

モルドヴィッツァ修道院は、初めに行ったヴォロネツ修道院を建てさせたモルドヴァ公国の名君・シュテファン大公の息子であるペトゥル・ラレシュが、1532年に建てたものだ。敷地内にはラレシュの胸像がある。私たちは行かなかったが、周りの建物は博物館らしい。

南壁には「聖母マリアの生涯」と「コンスタンチノープルの包囲」が描かれている。

この修道院の基調は黄色だというが、「ヴォロネツの青」のようにハッキリしておらず、あんまりぴんと来ない。
西の入口には、赤い川がドクドク流れる「最後の審判」のフレスコ画がある。

最後の審判がある壁面は、完全なむきだしではなく、ポーチがついている。ポーチの四角い柱の四方にも、柱と柱のアーチの内側にもフレスコ画がすき間なく描かれている。
お菓子が置いてあるので
       みんなでつまむ。
ツアーには、5つの修道院のうちの4つを巡った後、イースターエッグの工房と普通の民家を訪ねるというイベントが組み込まれている。

イースターエッグの工房にはいると、まず、入口のお部屋でお菓子や強いお酒が出される。こうしておもてなしをするのがこちらの風習なのだろう。
民族衣装の女性が、卵の下絵書きをする。片手で卵を支えながら、棒の先についた細い刷毛で幾何学模様のような線を書いてゆく。この柄も、民族衣装と同様のものが多い。希望者は、下書きの線をなぞらせてもらっていた。私も触ってみたかったが、平らなところでさえ直線がひけないのに、どうして卵に書ける?・・・やっぱり、やめておこう。
観光客の人気者、この家の少女 余興に、ご主人がピアノを弾き、それにあわせて女の子が歌った。この子が、めちゃくちゃ可愛い!契約しているツアーのお客さんが来る度に、自分が可愛いことも、出てきて歌えば、絶対に受けることも学習してわかっている。これが大人だったら鼻持ちならないところだが、子どもっぽい無邪気な笑顔には、ついカメラを向けてしまう。
指先が生む芸術 こうなると美術工芸品 工房は、美術館のようにもなっており、色々な絵付け卵が展示されている。2階にも、ダチョウの卵ほどの大きなイースターエッグがいくつもあって、細かい絵柄が描かれている。

工房だから、もちろん販売もしている。むしろ、これが目的だろう。ひとつ15ユーロ〜。別にいらないなあと思い、私は購入しないで帰った。
木造民家 工房のあとは、この人たちのおばあちゃんの家に案内される。一族でツアー客を誘致して商売としているのだろう。

庭には、納屋があり、鶏が放し飼いにされている。猫に獲られたりしないのだろうか・・・。犬が日向に寝そべっている。
天候がよければ、気持ちがよさそう。普段も外廊下で仕事するのかな? 家は木造で、母屋を囲むように外廊下がついている。台所やリビング、寝室など1階の部屋を見せてくれる。

一般の民家訪問と言っても、私たちの参加したツアー会社と契約して、観光コースに組み込まれているのだから、人に見せるために、それらしくきれいに、且つ自然に見えるように配慮しているんだろうなあと思う。

この家のおばあちゃんがいい表情だ。深いしわを刻んでいるが、そんなに年寄りではないのだろう。写真を撮っていいか聞いたら、一寸待ってといって、納戸から道具を出してきて、糸つむぎの実演を撮らせてくれた。
牛乳の水分を落としてチーズを作る さっき歌を歌っていた女の子のお姉ちゃんらしき子供がいたが、民族衣装は着ていない。こちらは本日はオフなのか、観光客の前には出てこない。。

民家や工房を訪ねるより、5つの修道院の5つ目アルボーレ修道院に行きたかったのだが・・・・と思った人は私たちのほかにもいたようだが、未練を残しつつ宿にもどる。
民族衣装の踊りは
       バラ祭り以来
夕食は、ホテルのレストランに集合。民族舞踊の夕べだ。踊りとバイオリンの演奏で盛り上がる。その場は良かったのだが、演奏者が最後に、CDを売りにテーブルごとにまわって来るが、買うほどでもない。全く売れていないので、気まずい雰囲気になったが、一人参加の女性が一枚購入してくれたので、テーブルみんなで感謝する。
8日目

ドラキュラの里、トランシルバニアへ
9時ホテル出発。今日は長いドライブとなる。ブコヴィナ地方とはこれでお別れだ。

馬車にわらを積んで走っている光景は牧歌的で楽しいが、途中の道路工事で、コンクリートのブロックを重ねてはいるが、鉄筋をどこにも入れていないのを見てびっくり。土の重みだけで固定するのだろうか?この道、大丈夫?
狩猟の獲物の角が飾ってあるのはいかにも領主の館 カルパチア山脈を越えボルゴ峠のドラキュラ城で一休み。城ではなく、ホテルだ。ここでお休みついでに、アトラクションに案内される。

要はお化け屋敷。場所が場所だけに出てくるのはドラキュラだ。まず薄暗い部屋に入れられ、おどろおどろしげな音が・・・。お化け屋敷大嫌いの私は、このアトラクションはノーサンキュー。
ベタ過ぎて笑っちゃう
      ドラキュラの絵と棺
効果音の後、あっけなく電気がつくと、壁のドラキュラの絵が見える。これでおしまい・・・?と拍子抜けする。そこにある棺を開けると誰もいない。誰かが、暗闇の中で、「棺から何かが出て行ったよ」と言う。全く気がつかなかった。

さて、部屋を出ようとすると、そこにしかけがあった。
ドラキュラ城 泊まれます 一人ずつしか通れない狭い通路に向かうと、さっき棺の中に入っていた人が待機していて、廊下を通る人間を脅かす。もうお化け屋敷はおしまいと思って帰る人の不意をつくわけだ。ご婦人が「キャーッ、誰か触った〜!!」とさけんでいる。

なるほどそういうことか、とからくりがわかったので、一気に通り過ぎた。
誰が買うのかなあ ホテルの前のみやげ物やでは、ドラキュラ城がある場所だからということで、骸骨やドラキュラの面など恐そうだけど笑っちゃうようなものから、サッカーチームのマークが入ったたぶん非公式であろうグッズから、ルーマニアに何の関係もない、これでもかというほどくだらないものが売られている。
たぶん二度とこないだろうと
思われる、昼食をとったホテル
昼食はバスで移動途中、どこだかわからない町のホテルのレストランで食べる。我々のほかに客は無いのか、がらんとしている。

前菜はセロリのサラダ。全体に白っぽく、どこにセロリが入っているのかと目で探す。セロリが見当たらないなあと、食べてみると、一皿全部が、セロリの茎の白いところを細かく切ったものだった。
唐辛子の辛さの度合いは個体によって違うが・・・。辛くないなんてことはない。 青い唐辛子が出される。辛味が欲しい人は、端をかじりながらスープを飲むらしいが、ひとかじりするだけでもめちゃくちゃ辛い。早速火を吹きそうになっている人もいる。スープはなかなかおいしかった。メインはお魚のグリル。デザートは苺。
左右の傾斜面に合わせ正面からも小さな屋根がついている 食事の後は、トゥルグ・ムレシュという町に向かう。このあたりはハンガリー人の一派によって建てられ、ハンガリー人の住む村が点在するということで、途中の家の作り、屋根にもハンガリーの影響があるという。

どこかのホテルの駐車場でバスから降りて、散策スタート。公園のようなところを降りてゆくと大通りにぶつかる。
文化宮殿の横のモザイク。中も見たかったのだが・・。 大通りを歩いてゆくと、文化宮殿というものがある。ずいぶんと大げさな名前がついた立派な建物で、コンサートホールや博物館が入っている。

残念ながら中には入らず、外見を見るだけだ。横から見ると金色のモザイクが見える。ウィーンの分離派と同系列の、ハンガリー・セセッシオ建築の流れを汲んでいる。
役所とは思えない優雅な建物の市庁舎 隣の旧市庁舎前には、この地がローマ起源であることを物語る、神話でローマの建設者として出てくる、オオカミに育てられた双子の兄弟レムス、ロムルスの像が置かれている。

旧市庁舎の前で写真を撮っているうちに、添乗員さんが、バスが来たと知らせに来る。
レムス、ロムロス 大通りで、バスは短時間しか駐車できないからといって、急いで乗り込む。散策ってこれだけ???大通りを少し歩いただけでおしまいだった。なんだか判らないうちに、町中をバスで通り過ぎる。

本日は移動距離が長いため、途中で降りて歩いたのは、トイレストップ兼運動不足解消のサービスみたいなものだ。
シギショアラの旧市街 やがて目指すシギショアラに到着。12世紀にドイツ系民族の職人や商人がハンガリー王の命によって入植した都市で、歴史地区として町ごと世界遺産に認定されている。

また、ドイツ系の移民が住んでいたため、町外れの山の上には、プロテスタントの教会やドイツ語学校がある。
外見のステキなホテル 城壁内にあるホテル、シギショアラに泊まる。歴史的建造物を改装したホテルで、雰囲気はステキ。エレベーターが無いので、ポーター泣かせだ。日本人の荷物は重いんだよねーと笑いながら愚痴っていた。

部屋も、均一ではなく、私たちの部屋は普通の広さの部屋だったが、ベッドが二つ縦に並んでいる細長い狭い部屋もあった。
町の広場と時計台 夕食まで散歩するが、町は狭いし、特にこれと言って見るものも無いので、中心地に戻る。

ホテルの近くの広場にはカフェが出ていて、ツアーのお仲間がお茶をのんでいた。皆、ここに戻るしかないようだ。
幾分センスのいいお土産屋さん ホテルの向いにあるアンティークのお店が一軒あいていた。民族衣装が欲しい・・・。閉店時間も近いらしい。結局見るだけ見たが、買わずに帰る。

夕食はホテルのレストランにて。石壁のレストランで、ランプがともっているが、一寸暗くて、これも中世風。
夜中まで眠らず我慢して
    見に出かけたのだが。
食事の後は、時計塔のからくり時計が、真夜中に人形が動くというので、やることもないのに退屈をもてあましながら、眠らずに待つ。

12時少し前に、ホテルを出る。時計塔はすぐ近くだから、気楽に出かけられるのがありがたい。

何人か外人の観光客が時計塔の前の広場に集まってきたが、同じツアーの参加者は誰も来ていない。

さあ、始まるぞ!と待っていたが、人形が動いたかどうかもよく判らない。動いたような気もするというくらい。
この人形、動いてる? 12時をわずかに過ぎたが、やっぱり人形が動いたかどうかはわからない。他の見物者の様子を窺うが、彼らも帰ろうとしているようだ。

どうやら終わりらしい。これって、ガイドブックに書くほどのものか?がんばっておきていたのに・・・と愚痴りたくもなる。眠たくて速攻で帰って寝る。
9日目

中世トリップ〜大都市ブラショフへ
午前中はシギショアラの観光だ。城壁の中は狭いので徒歩で充分。

まず広場の脇を歩いて突き当たりの教会へ。ルーマニア正教ではなく、カトリック教会だ。すぐ左を見ると城壁と見張りの塔がある。これで町の端に着いたことになる。この見張りの塔は、靴屋のギルドのもので、他の職業のギルドの塔が他にもあるそうだ。
石造りの市庁舎 市庁舎は、白っぽい石造りの建物。役所ではあるが、テラスがあって、優雅な感じ。

入口のアーチの柱には、ルーマニアの国章とトランシルバニア地方の紋章が、その上にはルーマニア国旗と2007年に加盟したEUの旗が飾られている。市庁舎の横にはドラキュラ伯爵の石像がある。
ドラキュラが生まれた場所とされている。 町の広場に面する黄色い壁の館は、1431年から35年までワラキア公、ヴラド・ドラクルがハンガリー王によって幽閉されていた家で、ドラキュラのモデルになったといわれるヴラド・ツェペシュはここで生まれた。

現在はレストランになっている。
スクープ! これが、からくり時計の舞台裏だ! 時計塔は、14世紀にこの町が商業ギルドの自治都市となった記念に建てられて、17世紀に消失後、再建された。

塔の中は博物館になっていて、生活用品など展示されているが、からくり時計の裏側が見ることができる。各曜日の人形が時計の中に仕掛けられている。

これを見て、昨夜のからくり時計の謎が一瞬で解けた。ガイドブックにのっていた真夜中に動くからくり時計というのは、私達が見た旧市街側にあるのではなく、反対側にもうひとつ別の時計があるのだ。真夜中に日付が変わるとき曜日に合わせて1回だけ動くというわけだ。
時計台から見た町 塔を上ってゆくと、一番上はテラスになっていて、360度景色が楽しめる。こじんまりとした旧市街は全景が見渡せる。世界の主要都市の方向に、キロ数が書かれたプレートがとりつけてある。東京は8890キロと書かれていた。

ドラキュラの生家の隣の中世武器博物館と拷問部屋もついでに見学。目の前の広場では、魔女裁判も行われていたらしい。おお、こわ。
屋根付きの階段 シギショアラの観光のおしまいは、旗の屋根がついた階段を上って、山の上の教会へ。と言っても、教会の中はこの日は入れなかったので、上から景色を眺めるだけだった。

プロテスタントの教会自体も、今はルーマニア人が多いため、あまり必要がなくなっているらしい。
ここも中に入ってみたかった。 山の上の教会は14世紀のものだが、後に、プロテスタントの教会となった。

見たところは大きいが外には装飾も無くサッパリしていて味気ない。中には壁画も残っているということだが、入れないので見ることができず残念だ。
若者の門出の風景にめぐり合うこともまた幸せ この日は山の上の学校の卒業式だ。坂道の両端に下級生が並び、卒業生を送り出すらしい。学生たちは、カーネーションを手に待機している。

卒業生は、坂道を歩き、屋根つき階段を下りていくのだろう。

私たちの観光もこれで終わり。そろそろシギショアラを出発だ。
見取り図でまずチェック。 次なる訪問地は、シギショアラから30キロほど離れた、ビエルタンの要塞教会だ。ビエルタンの周辺には要塞教会がいくつかあり、全体で世界遺産に登録されているが、ここの教会はその中で唯一、三重の壁に囲まれている。

バスの中で、カティーさんが要塞教会の見取り絵図を回してくれた。
城砦の中へ バスから教会の上のほうが見えてくる。下は壁のみだ。

狭い入口に入り、屋根つきの階段を登って教会に行く。

この町もドイツ人が入植して作った町で、当時の敵、トルコ人の攻撃に備えて、教会の周りに城壁を築いた。
祭壇画 教会が武装しているのは違和感を感じるが、当時はそれが必要な情勢だったのだろう。幸いにして、トルコ人の攻撃を受けたことは無かったそうだ。

これもまた建てられた当時はカトリック教会だったが、宗教改革後はプロテスタント教会になったものだ。パイプオルガンと立派な祭壇があるが、壁は白くそっけない
鍛冶屋のギルドのマーク 町の守りもギルドの自警団で行っていたとシギショアラの町で聞いたが、教会の中でも、ギルドごとに座る席が決まっているというのが面白い。

座席に、それぞれのギルドの特徴を示すマークがついている。
確かに壁はあるが・・・ 三重の壁の、壁と壁の間はあまり広くない通路になっている。外見からは、これらの壁が特に防御に優れている感じもしないが、トランシルヴァニア地方の農村部にある城塞としてはたいへん強固な作りであるらしい。

昼食は、要塞の壁の外にはりついたレストランで食べる。
すごくおいしいチーズフライ 外見はピンクとブルーの可愛い色の家だが、中には中世の武器(本物かどうかはわからない)が飾られている。テーブルも騎士の食卓風だ。

こんな観光客向けのレストランにしては、珍しくどのお料理もおいしい。サクサク衣のチーズの揚げ物、肉団子入りのスープ、メインの肉と野菜の串焼きまでは、しっかり食べきった。
ひとつ、ふたつ、みっつ、全部ちゃんと見える! デザートのチーズケーキもおいしいが、そろそろ満腹。一口食べた後、ベイクドタイプだったので、紙に包んで持って帰ることにする。

食後は要塞の外をゾロゾロ散歩。壁が三重になっていることを、外から確認できる場所を探す。二重までは見えるが重ならずに三重の壁全てが見えるポイントは意外と少ない。
教会自体はゴシック後期の様式に属するそうだ。 時間帯のせいか、もともと静かなのか、辺りには人影もない。さらに、昼下がりの村に入ってゆくと、人家の庭か野原か境界がわからないが、要塞教会がきれいに入る場所に到着。

早速写真を撮る人たちはいいアングルを探している。少し先では、村の住民が自宅の菜園の手入れをしていた。
お散歩快適、歩行者天国 ビエルタンを出発し、夕刻に、ブラショフに到着。なかなか大きい活気ある街だと思ったら、それもそのはず、ブカレストに次ぐルーマニア第二の都市だとのこと。

ホテルに直行した後、夕食までは自由時間だ。ホテル前に露店が沢山出ているので散歩がてら見に行く。
スーパーの外にも野菜や果物の市がたつ。 みやげ物から、食品、アーティスティックなものまで色々出ているが、可愛い人形を売っているお店の前で写真を撮ろうとしたら店のオバサンにダメだしされた。売りものだからしょうがないけど、けちだなあ。

その先のスーパーにも行って、ホテルの裏のほうに当たる目抜き通りをぐるっと回ってホテルに戻る。
綺麗な椅子の装飾も、実は布を巻いて結んだだけ。 本日も、夕食はホテルのレストランだ。イスの飾りつけ、、テーブルセッティングが水色できれい。結婚披露宴でもあるのかしらと思ったが、自分達の席だった。

夕食のデザートに、この地発祥のデザートで私の好物の「パパナッシュ」が出てきた。これは、うれしい!
時間があれば登ってみたかったトゥンパ山 暗くなってくると、トゥンパ山の頂の近くに「ブラショフ」の文字のライトがともる。ハリウッド気取りかなと思ったが、なんだろう?山の上まで、ロープウェイがあるらしい。

ホテルの窓は部屋の幅ほどに大きく、ブラショフの旧市街が眼下に広がる。中世の街並みを残した歴史ある都市。茶色い屋根の家々が並んでいる。
ホテルからのブラショフ夕景 ブラショフは、12世紀に、同様にドイツ人がトルコに対抗するためハンガリー王の命令で町を築いた。当時はドイツ人が力をもっていたが、その後は領土の取り合いでハンガリー人が移り住んだり、ルーマニア人が戻ってきたりと複雑。国際情勢も変わり、現在はドイツ人は減ってしまった。この地方には似たような歴史を持った町が多い。
10日目

プレジュメル要塞教会、ブラン城
本日も9時出発。早めにロビーに着いたが、もう他の人たちはバスに乗っているという。このツアー、本当に集合が早い。定刻に行ったのではビリだ。年配客が多いので、こうなってしまうらしい。

今日は午前中はプレジュメル要塞教会に行く。ビエルタン教会と違い、背の高い白壁が教会をとり囲んでおり、外からは教会の塔しか見えない。
城砦内のアパート 中に入ってゆくと、内部は3階建てのアパートになっている。敵襲があれば、周辺の村人がここに立てこもって生活できるように、手狭ではあるが一世帯一部屋が用意されているらしい。各部屋は外廊下で繋がっており、学校まで組み込まれている。
祭壇画に聖歌隊の椅子 教会は、作られた当初はカトリックだったが宗教改革後は、ドイツ人が多く住んでいたため、プロテスタント教会となる。内部はあまり広くない。

説教台、聖歌隊の椅子ストールなども近くで見ることができる。
要塞の外壁の内側 外壁になる建物の中は通路になっており、攻撃用の設備ができている。窓は小さめで、矢を射ったり、死のオルガンと呼ばれる連発式の銃を用いた攻撃をしたり、時には下の敵に煮え湯や油ををぶっ掛けたりする。攻撃が終われば、閉じてしまえる回転式の木の窓もある。

この要塞は難攻不落といわれたそうだ。実際は、一度降参したことがあるらしい。

生活用品や家具、民族衣装、武器なども展示されている。
聖ニコラエ教会 プレジュメル要塞教会からブラショフに戻り、午前中の残りは、ブラショフ市内観光だ。

バスはブラショフの城壁の外の町で止まる。尖塔のある、おとぎばなしのお城のような建物は、ルーマニア正教の聖ニコラエ教会だ。中は、ルーマニア正教らしく、金色のイコン、イコノスタシスの世界。

教会の対面には、屋根つきの塀で区切られて墓地があるのだが、立ち入ってみると天気がいいせいか意外に明るい雰囲気だ。

また教会の横には、ルーマニア最古の学校があり、現在は学校博物館となっている。
読めないから、「ほら」といわれてもね・・・ 内部の見学に立ち入ると、「みなさん席に座って、テストを受けます」と、ガイドのカティさんに脅される。言われたとおり、席に着き、係りのおじさんの話を聞く。ここには古い教科書があり、地理の本には日本のことも出ているといって、当該箇所を開いてくれた。日本人はお茶を飲むとか責任感が強いとか切腹をするとか数行書かれているとのことだ。
1581年Coresi Diaconの印刷本
印刷機も置いてあり、印刷機の使い方を実演してくれる。

当時、教会ではスラブ語を使っていたが、ワラキア地方で印刷技術を学んできたコレシは、1559年からルーマニア語での印刷も始め、ここで多くのルーマニア語の書籍の印刷を行った。彼が携わった印刷本も展示されている。
スケイ門 教会前からバスでスケイ門へ。ドイツ人がブラショフの町を建設した時に、町の防御に壁を作った。先に住んでいたルーマニア人は町の外に移動させられ、この門と壁によってルーマニア人とドイツ人の居住区が分けられた。

門をくぐればブラショフ中心地だ。バスは通れないので、ここから徒歩観光となる。
入口の脇など、黒い部分が残っているが・・・ 門の中に入ると、前方に見えてくるのが黒の教会。高さが65メートルあるので、町のどこからでも見える。14世紀から15世紀にかけてゴシック建築だが、外見は装飾の施された塔やバットレスも無く、こざっぱりした質実剛健な石の建造物だ。

1689年に、ハプスブルグ軍に攻撃された際、外壁が黒く焦げたので「黒の教会」と言われるようになったというが、現在は修復が進み、大分きれいになっているので「黒」といわれてもピンとこない。

内部はゴシックらしく、高い天井、長い柱、荘厳な祭壇、ルーマニア最大級のパイプオルガンがある。意外なものとして、商人たちが寄付したというトルコのアナトリア地方産の美しいタピスリーがある。
スファトゥルイ広場 教会の反対側に抜けると、そこは開放的な雰囲気の明るいスファトゥルイ広場にでる。中央にある鐘と時計つきの建物は旧市庁者で、現在は歴史博物館だ。見て行きたいところだが、このツアーでは、博物館の見学は一切無い。

広場で少し自由時間を取ったあとは、近くのレストランで昼食だ。
おしゃれなスープ 町のイタリアン・レストランでは、こじゃれた料理を出してくる。盛り付けも綺麗なレストランが多い。

ここで少しゆったり昼を食べたら、午後は、ドラキュラ城のモデルとなったブラン城の観光に出かける。あちこち大忙しだ。
ブラン城は丘の上 バスを降りたら、丘の上に立つブラン城に向けて、山の中の坂道を歩く。

ブラン城が初めに建築されたのは11世紀頃とのことで、その後もトルコに対する防衛目的で使われていた。ドラキュラゆかりの城といわれるが、ドラキュラのモデルとなったブラド・ツェペッシュ自身ではなく、祖父に当たるワラキア公ブラド1世が住んでいた城だそうだ。
内側から見ると、以外に複雑に繋がっている建物だ のち、1920年に王室の持ち物となってから、1948年に追放され共産党に差し押さえられるまで、王妃マリアが別荘として使っていた。城の内装は、マリア王妃がルーマニアの伝統工芸も取り入れながら選んだものだ。20世紀になってからのことなので時代錯誤的な豪華さは無く、至って常識的。飾ってある王妃の写真は、なかなかファッショナブル。
広がる緑の風景 最上階のテラスからは眺めが良い。外人観光客が、ここで写真を撮ったり、眺めを楽しんだりしていて、全く動かない。私達が風景を眺められないので、カティさんが「さっさとどけ」と文句を言っている。

対トルコ防衛のために作っただけあり、周囲がよく見渡せる。トランシルバニアは森深い土地だというが、上から見ると、確かに緑が多いことがわかる。
人気の写真スポット
       中庭の井戸
中庭には井戸がある。なんだか雰囲気がいいので、観光客が集まって入れ替わり立ち代り写真を写している。何かいわれがあるのかもしれないが、時に説明も無く、判らずじまいだ。

もと来た坂道を戻り、城の門を出ると、広場には土産物屋が軒を連ねている。ここも、観光地らしく、よくもこんなものを・・・というような物品の宝庫だ。
誰が買うのかなあ パート2
そうか、ハロウィンに使える!
売り物は、ドラキュラTシャツ、ドラキュラのマグカップ、ドラキュラやその他化け物のゴム製のお面・・・。

記念だからと、ブラン城の絵の付いた小さいグラスを買ってみる。ブラン城に関係ないものも色々売っていたので、先日は買わなかった絵付けの卵もなんとなく買ってみる。
本当はシギショアラで見た服が良かったのだが、この際何でもいいから買っておこう! 民族衣装好きの私は、それっぽい服でも買ってみようと、お店に入る。店のオバチャン、おばあちゃんが、洋服の上からスポッとかぶせてくれて、「きれいだよー」「プリンセス・ダイアナみたいだねー」とおだてまくる。ダイアナ妃ってとっくに物故者だけど・・と思いつつも、50ユーロもはたいて一枚購入。現地通貨が無かったのでユーロ換算で高くついたが、旅の記念ということでよしとしよう。
間接照明のおしゃれなレストラン ブラショフに戻って、自由時間に町を散歩。小さなデパートに行って、民芸品のポシェット小銭入れ、アンチエイジングで有名な化粧品・ジェロビタールのクリームを買ってみる。しわとり効果があるらしいが、どうだかね〜。

散策後は夕食に出かける。タベルナという、ちょっとムードのあるレストランだ。
11日目

シナイア観光〜
ブカレスト
本日はこのツアーの観光の最後の日となる。

9時にホテルを出発し、午前中は「カルパチアの真珠」といわれるシナイアの観光。貴族の別荘地として栄えたカルパチア山脈の中ほどにある美しい町で、今も人気の避暑地、観光地だそうだ。


19世紀に建てられた大教会
僧院は、17世紀に、ワラキア公カンタクジンが建立させたもので、彼がイスラエルのシナイ山に詣でたことにちなんで「シナイア僧院」と名づけたことから、このあたりの地名が「シナイア」になった。

まず、シナイアの僧院に行くが、今日は日曜で、ミサの時間にかかってしまい見学できない。

カティさんが、入ってすぐ振り返ったところにこの教会の創立者の姿が描かれているれているから、それだけ見て出てこいと言うが、足を踏み入れたとたん、ぎっしり入口近くまでつまっている信者の熱気と視線が・・・。不信心者は入るべからずといわれているようで、何も見ないですぐに出た。
17世紀の古い教会 外見が新しいと思ったら、それもそのはずで、19世紀にドイツからカロル1世がルーマニア王に迎えられた時、ドイツ人建築家によって建てられたものなのだそうだ。

この新しいほうの教会を大教会と呼んでいる。同じ敷地に、以前からあった教会もあるので、そちらを見に行く。
聖母マリアの死、キリストの審判、使徒等、もうすっかりおなじみの画面だ 古い教会は、17世紀のカンタクジノが僧院を建立した当時のもので、白い壁のくすっきりした教会だが、入口のところには「最後の審判」のフレスコ画がある。入口のポーチは17世紀に増築されたものだ。この天井にも、聖人様ご一行のフレスコ画が描かれている。

再び大教会のほうに戻り、教会や、周囲の僧院の外観を眺める。
これは普通の女の子の姿 教会は伝統的な形に見えるが、渋目の赤と縞模様が独特の建物だ。外壁上部にイコン風の絵が描かれているが、色も鮮やかで、やはり新しい感じ。

使徒と同じ12人の僧侶が住む建物は、白い壁に、緑の屋根で、落ち着いた雰囲気だ。扉の脇にはモザイクの絵があるが必ずしも全てが宗教画と言うわけではないようだ。
高級避暑地、別荘地ということで、ステキな建物が目立つ。 僧院を出てバスで移動。

シナイアは貴族の別荘なども残っているということで、時々、車窓からステキなお屋敷が見える。この後は、1875年にルーマニア王国の初代国王カロル1世が建てさせた王室の別荘、ペレシュ城の見学だ。
様式ごちゃ混ぜのお城 ルーマニアは王国としての歴史は新しく、しかも短い。長くトルコの支配下にあり、ワラキア、モルダヴィアの連合公国がルーマニア王国の基礎として国際社会に認められたのはなんと19世紀になってからのこと。おまけに、カロル1世も、公国の長が内乱で退位させられた後に、ドイツのホーエンツォレルン・ジグマリンゲン家から連れてこられたドイツ人なのだ。
外壁に絵を描くのは、ドイツやスイスのよう。 そして、ドイツ人の王の下で作られたペレシュ城も、ドイツ・ルネッサンス様式といわれている。一見すると、建築様式がちゃんぽんになっている変わったお城だ。石の円柱がある南欧風かと思えば、ドイツやスイスみたいに壁に絵が描かれていたり、城の上部には木を使った山小屋がのっかっているように見えたり、御伽噺のお城みたいに先のとがった優美な塔があったり・・・。
靴の上からはくスリッパ しかも、それはそれで、調和が取れているのがすごい。

お城もメンテナンスがたいへんらしく、入口で、およそ見栄えの悪いフエルト地のスリッパ状の靴カバーを、靴の上にはくことになっている。かかとにも布はついているが、紐でぴったり結ぶわけでもなく、履き心地はよろしくなく、脱げ易い。
人通りが途切れるのは稀 ホールで靴カバーをはくと、赤絨毯の階段を上るのだが、階段の幅が広くないのに、のぼりくだりとも共用で観光客が沢山いる。キレイな写真が撮れそうだとカメラを構える人も、人通りがなくならないので難儀している様子だ。高いカメラの撮影料を払ったのだから、いい写真が撮りたいだろうに・・・。
ハープが優雅 ここでのビデオの撮影料は50RON.(2300円位)。撮影されたDVD(35RON)を買うほうが安い。当地の物価で言えば、ぼったくりだ。日本の物価にあわせて考えてもかなり高い。完全に客の足元を見ている。

部屋は160もあるという。ヨーロッパ大国の城に比べれば小規模だが、離宮であるから充分のはず。色々趣向の違う部屋が出てきて楽しい。
本棚の下を見ていくと、発見が容易かも 楽器が置かれた音楽の間はサロン風、立派な図書室のどこかに隠し扉があるからさがしてみろとカティさん。見つからないと怒られそうなので、みんなで探す。わずかに棚に切れ目が入っている場所が、本棚ごと隠し扉になっていて、棚のガラス戸の中の本もニセモノらしい。隠し扉もあるが、部屋の角には開口部ができており、上階に行く階段がある、
どこかで見た彫刻だよね・・・ あれ?これはミケランジェロのパクリ?!と思ったら、なんのてらいもなく「フィレンツェの間」と名づけられている。

他にも、中近東風に作った部屋には水タバコが置かれていたり、アラビア語が書かれた椅子があったり、細部にもこだわっている。
これもどこかで見たような・・・ フランス風の部屋に、ルイ14世の胸像まで置いてあるのにはびっくり。ルーマニア王室はドイツ系で、フランス・ブルボン王家とは何の関係も無いだろうと思うのだが。

途中に小劇場があるというので覗いてみると、天井や壁にクリムトやその一派の絵が描かれている。この辺はウィーンっぽい。
彫像の人口密度が一部だけ高い。 庭には石の彫像が点在し、城の主カロル1世の立像もある。

城の前面はひな壇のような作りになっていて、下に向かう階段があるが、時間が無いので一番下までは行かなかった。周辺は緑の草の原で、庭と繋がっているのだろうが未確認。
緑の中に建つ美しい姿 ここで最後の観光だから、恐いカティさんに勇気をだして一緒に写真に写ってくれと言ってみる。快くかどうかはわからないが、OKだったので、私達以外の参加者も頼み始めた。「ん、1回10ユーロね」とか言っていた。

城を出てから歩いて、お城全体を見られる場所まで行き、ここでも記念の写真を撮って帰る。
サルマーレはルーマニアのご馳走 昼食はシナイアのホテルにあるレストランでいただく。今日のメインは名物料理!夕食はイタリアンの予定だから、最後のルーマニア料理となる。

酢キャベツに包んだルーマニア風ロールキャベツのサルマーレだ。黄色いとうもろこしの粉をこねて熱したママリガ添え。こりゃおいしい。
バスの中で流してくれたルーマニアの作曲家の名前も曲もついに、覚えられなかった。 帰りのバスは、ブカレストに戻るだけでおなかも満ちたり、ひたすら眠い。カティさんからル−マニア観光の学習の成果をテストされ、答えが遅れると怒られるというスリルも今日で終わり。

その代わり、ルーマニア土産の紹介がある。どたんば駆け込みで、みんな何か買おうか・・・と相談しているようだ。
ルーマニア美術ってどういうものだろうね 私達も、胡桃のジャム、皺とりクリーム、陶磁器のレース皿を購入することにする。夕食に出かけるときに希望を聞いて、カティさんが旅行会社から持ってきてもらい、バスで配るという。日本円払いでもOKで、らくちん。

ホテルに戻ってから、すぐ目の前の革命広場に面したルーマニア国立美術館に駆け込む。美術館は共和国宮殿の一部に入っている。
予備知識はゼロ、皆無だ 美術館の中は、ルーマニアの宝物、美術、ヨーロッパ美術に分かれているが、時間が無いので、ルーマニア宝物、美術に絞って見学する。

残念ながら館内は撮影禁止。今まで目にしたことのないルーマニアの貴重なコレクションというと、どんなものがあるのか楽しみだ。
お宝は、ルーマニア正教の聖遺物入、十字架、僧侶の衣装、装飾品等。英語のタイトルもついているので、何に使うのか、大体は想像できる。イコンも多く、正教教会のイコノスタシスごと移設して展示されている部屋もある。

実際に修道院、教会等ではこうしたものは、美術品として近くで見ることはなかったので、ありがたく拝見する。
立派な建物は元共和国宮殿 ・・・が、一つ一つ見ていると、たいへん時間がかかる。

ルーマニア美術のコーナーでも、時間が無いので効率よく見るために、ガイドブックに従い近代三大巨匠アンドレスク、グレゴレスク、ルキアンという画家の作品を見る。ただ、この国での近代絵画は特徴が無く、正教美術ほどの魅力は感じなかった。
旅行会社の日程表では「地元で人気のレストラン」っていうお決まりの紹介 帰りに絵葉書を買おうと思ったのだが、すでに閉館の7時前にレジがクローズしていた。7時までやってろー!

夕食は、バスでちょっと遠くのレストランへ。全然観光できなかったが、にぎやかなロマーナ広場のさらに北、行きたかった農村博物館のほうにある。
中心地の喧騒を離れた緑の中の一軒家のレストランだ。 最後のディナーで、ツアーの男性の中では若輩者の主人が、お世話になったからとシャンペンを提供し、スピーチをしだした時はびっくりした。予想外の余興として、ツアーのお仲間にも笑っていただけたので、ほっとした。

ホテルのロビーで、行きしなに注文したお土産品を受け取り、早速部屋で荷造りだ。
12日目
ブカレスト発 11:45
ウィーン着 12:25
ウィーン発 14:05
朝8時半にホテルロビーに集合。いよいよ帰る日が来た。バスで空港に向かう。しないから空港はそんなに遠くないようだ。空港で、ルーマニアのガイド、カティさんともお別れだ。

飛行機はウィーン行き。その後日本へ乗継だ。
13日目
成田着 8:15
また、狭い飛行機のエコノミークラスでうんざりだが、もうひとがんばりだ。

楽しいツアー仲間に恵まれた良い旅行だった。ツアーが終わった後も、いつの間にとったのか、私達の写っている写真を送ってもらったり、添乗員さんからも旅行日記や食事や名所の写真のCDをもらったりして、帰国後もしばらく楽しめた。




***ブルガリア/ルーマニアのお土産*** 
リラ僧院/絵葉書、リラの僧院のイコンではなかった プロヴディフ/民族衣装の女性を描いた手書きのカード プロヴディフ/バラの香りがする超甘い求肥風の菓子 プロヴディフ/チョコもまったり甘い プロヴディフ/近くの土地の葡萄で作ったワイン
カザンラク/工場見学のお土産、とバラ水を使った化粧品  カザンラク/バラ博物館で買ったバラの香水 カザンラク/バラ博物館で買ったバラ水入りの化粧品 カザンラク/スーパーで買った調味料、一部用途不明 ヴェリコ・タルノヴォ/バラ蜂密 姉妹品のジャムと瓶が同じ
ヴェリコ・タルノヴォ/サモボドスカタチャルシャのメレンゲ ヴェリコ・タルノヴォ/ブルガリアっぽい柄のTシャツ ヴェリコ・タルノヴォ/キリル文字が書いてあるTシャツ ヴェリコ・タルノヴォ/工房で買った銅製のミルクパン ヴェリコ・タルノヴォ/料理本と調味料
修道院/向きによって絵が変わる聖母子&キリスト 修道院/貝殻に書いた聖母子、金属枠のミニ・イコン ブラン城/土産物屋で買った絵付き卵 ブラショフ/スーパーで買ったチョコ。もちろんどろ甘。 ブラショフ/スーパーで買った調味料
ブラショフ/ルーマニア・サッカーチームのユニフォーム ブラショフ/デパートで買った民芸柄ミニポーチ 現地旅行会社で買った胡桃のジャム 現地旅行会社で買った陶器のレース皿 空港で買ったブラショフの町のマグネット

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