説明によると、オペラ座の設計者ガルニエは、医学生であり、建築は、始めは趣味に過ぎなかったのだとか。ホテルリッツのプールは、水中にいるときだけ音楽が聞こえるが、あがると何も聞こえないとか・・・。これは、私たち夫婦には、一生確認することはできそうもない。

エッフェル塔は、あまりパリの人に好まれていないというのは有名だが、このガイドさんもそうらしい。ただ、夜のエッフェル塔だけは悪くはないといっている。もしエッフェル塔を10センチの高さに縮小したとすると、重さはたった7グラムだという説明をしてくれた。鉄骨でできているのに、大変軽いのだそうだ。レーズのように繊細に作った鉄骨は装飾的にもきれいだが、強度を保ちながら軽量化をはたしているのなら、さらに凄いと思う。

豪華なホテルの中のカフェ・チュイルリーで朝ごはんを食べる。まだ、暗く、あまり人がいない。フランス風の普通の朝ごはんなので、クロワッサンとコーヒー。果物に、マンダリンオレンジがあるのでいただく。ホテル内の探検をしながら部屋に戻る。この豪華なホテルは一泊きりで、次のマレ地区のホテルにタクシーを呼んでもらって移動。

マレのホテルは高田賢三も泊まったというプチホテル「パヴィヨン・ド・ラ・レーヌ」。雑誌にきれいな写真とアドレスが出ていたので、旅行会社に頼んで予約してもらった。ちょっとお高くとまった白人金髪マダムがフロントにいて、あまり愛想がよろしくない。まだ、チェックインの時間にならないので、荷物だけ置いて観光に出かける。

美しいロビーが入口の脇にあり、外人の客が何人か座っている。そこではお茶なども出すらしい。きれいなので、よく見ようと思って近づいたら、フロントのマダムが、こんな貧民が何しに来たんだという態度でやってきた。はいはい、近づきませんよ。私たちは、醜い、絵にならない有色人種ですからね。

小雨まじりの肌寒い天気なので、ヴォージュ広場ベンチで休むということもできない。広場の周りの建物はレンガ色で様式も統一されている。王の館、王妃の館が建物の南北に位置しており、静かなたたずまいの回廊でつながっている。

ホテルサンジェルマンをチェックアウト。最後のホテルとなるサン・ジェームズ&アルバニー・ホテルにタクシーで向かう。リヴォリ通りに面した、非常にロケーションのよいホテルで、料金は手ごろだが、周りはすべて高級ホテルだ。リセプションはいまひとつだが、入ると広いロビーがある。

フォーム・で・アールに出かけ、買い物をし、エスカルゴ・デ・モントルグイユというエスカルゴ料理の店で昼食を取る。以前来たときはもっとカジュアルな雰囲気だった気がするのだが、店内のテーブルのデコレーションも上品で、高級そうになっている。メートル・ドテルと給仕の階層がはっきり分かれている。お値段はランチタイムなので、定食が130フランからあり、そんなに高くない。

初めてのパリ、悪天候旅行

それぞれパリには行ったことがあるが、二人で出かけたのは初めてだ。相方の夫が海外旅行を好きになった「運命の旅」である。

8時に朝食。チェックアウトの時に素敵なお部屋で満足しましたと伝えると、「またきますか?」とフロントのお姉さん。機会とお金があればまた来たいホテルだ。すぐ近くの名門ホテル「ラファエル」の系列らしく、私たちのような身分で泊まってよいものか迷うところだが、初日に泊まった豪華なインターコンチネンタルや、高飛車なフロントのパヴィヨン・ド・ラ・レーヌのような、客の方がかしこまってしまうような雰囲気はなく、本当にくつろげた。

次のホテルはサン・ジェルマン・デ・プレのプチ・ホテル、その名も「ホテル・サン・ジェルマン」。一泊が520フランと安い。部屋は狭いが、雑誌などで見る「パリのプチホテル」という感じだ。ここも部屋に入れるので、荷物を置いてから出かける。

まず、パンテオンに行く。地下が偉人の墓になっているので見てくる。入口の両側は右にルソー、左にヴォルテールと有名どころでかためている。ルソーの棺は、中から腕が出ているような浮き彫りがされ、死者がふたを開けて出てきそう。なんともおかしな感覚だ。

奥に行くと、ゾラとユゴーが同室になっていた。ただし、誰だかわかるのはそのあたりまで・・・。部屋の外には誰が眠っているのか名前が書いてあるが、全く知らない人ばかりだ。いずれも、フランスに貢献した偉大な政治家、学者等なのだろうが、聞いたことがあるのは、わずかにジャン・ジョレスくらいだった。
そろそろチェックインできる時間のはずなので、ホテルに戻る。

雑誌には、廊下にある騙し絵が載っていたが、確かにあることを確認した。エレベーターのドアにも、向こうに続いているかのような絵が描かれている。家具は南フランスの木工職人の手作りだと書いてあった、泊まった2号室には、雑誌の紹介では青だったが、同じものの色違いのオレンジの花柄のベッドがあった。広くはないがかわいい部屋だ。

途中で、りんごのジャムのクレープを買って食べる。りんごのコンポートは牛乳の1リットルパックのような紙の容器に入っており、スーパーでも売っている。クレープを焼いて、これを乗っけておしまいだ。13フラン。厚手で、案外食べごたえがあった。
7時半に朝食の食堂へ行ったら満員。待てばいいのに、ホテル前のパン屋でクロワッサンとパン・オ・レザンを買ってきて済ませる。さらに凱旋門近くのカフェでコーヒーを飲む。

本日、火曜日にやっている美術館は少ないので、選択の余地なく、オルセー美術館へ行く。朝もはよから、すごい行列だ。ぼやきながら並ぶ。カルト・ミュゼを持ってるのに、なぜか有料。よく見ると、アメリカのバーンズ・コレクションの特別展をやっているのだった。場内もやたら混んでいて、むしむしし、特別展の絵なんか見えもしない。オマケに常設の方も写真撮影は禁止だそうだ。以前はOKだったのに・・・。

オルセー美術館を退散し、地下鉄で移動。シテ島に渡る。

パリで最も美しいステンドグラスがあるという、サント・シャペルに行く。現在も使われている裁判所の敷地にあるので、荷物のチェックを受けてから入る。知らないと、どこが入口がわかりにくい場所だ。
混んでいるときは、日本語のガイドさんの解説がいろいろなところから聞こえてくるのだが、今回はシーズン・オフらしく、日本人観光客がいないので、自分のガイド・ブックが頼りだ。

それぞれの部屋の名前の由来は天井画にあるというので天井、その他壁にかかる絵画、タピスリー、家具、装飾品、彫像などを眺めながら部屋を移動する。

鏡の間は、いつでも光が煌いているようなイメージがあるが、凄くきらびやかだというわけでもなかった。もちろん鏡が貼られ金銀の装飾が施された壁面は豪華だし、光も反射するのだが、夕刻の日の光が入り、廊下の灯がともる時間が、もっとすばらしいのだろうと思う。

朝食はルームサービスで食べる。

また天気が悪そうなので、どこか美術館に行こうということになり、9時半からあいているギメ美術館に出かける。美術館自体も、つたの絡まる円柱状の素敵な建物で、趣がある。

今までアジアの美術というのはあまり見る機会がなかったのだが、ここの展示物の数、質には圧倒された。フランス人が、これだけ熱意を持って、異文化、異宗教のアジアを研究し、収集したということ自体にも驚いた。そしてまた、アジアに住む自分達が気づいていないアジアの文化のすばらしさを、ヨーロッパの人から知らされたことも衝撃だった。

朝、フロントに行って、シャワーのみの部屋だったが、バスタブつきの部屋に変えてもらった。地下の食堂でクロワッサンの朝食を食べ、ヨーグルトを追加で頼んだら、「ない」という。メニューに載せておくな!と思う。今日もまた雨だ。

昼食後、地下鉄でマルモッタン美術館に行く。ここも行列が館の外まで続いている。冬のパリは美術鑑賞のシーズンらしい。「印象派の女性展」という企画展示があるので、そちらが目当てらしい。混んでいるので、もったいないが、企画展はさっと流して見る。

私たちの目当ては、モネの「日の出」と、バラの花の絵。「日の出-印象」は、前回は盗難にあって行方不明中だったのでお目にかかれなかったが、今回は無事戻ってきたので、拝みに行かねばと思っていた。こればっかりは、本物の色やタッチを見なければ話にならない。

穏やかな朝の光に包まれた海を、まだ覚めきらぬ目で眺めているようで、絵画ではなく「印象」に過ぎないと酷評された「印象派」の命名の発端となった作品だ。確かに、キャンバスに塗りこんだものでもないし、対象物の輪郭も色彩もおぼろ。それでも、印象というよりも写実性さえ感じた。

買い物もかねて町の中心にくり出し、マドレーヌ寺院近くの「メゾン・ド・ラ・トリュフ」というトリュフ専門店で昼食をとる。トリュフ入りのリゾットは、薄く薄くスライスされたトリュフが乗っているが、香りと歯ざわりを楽しむという感じで、味自体は、木の実のようだった。少量入っているだけだが、165フラン(3,300円ほど)もして、さすが高級食材だと思う。話の種といったところで、たぶんこの店に何度も来ることはないだろう。

隣にやってきた日本人の女の子は、トリュフのメニューを持ってこられたら普通のメニューの方を要求していた。この店でトリュフ抜きのランチがあること自体意外だったが、わざわざここで普通のランチを頼む人がいるのも意外だった。おそらく安いというわけでもないだろうし、おいしいという評判も旅行者用のガイドブックにはかかれていない。オマケにスープが冷めているといってクレームしていたところを見ると、あえて食する価値があるのかなあと疑問になる。彼女が食後に珈琲を頼んだら、トリュフ・チョコがついてきていた。早速私たちも珈琲を追加。トリュフは量が少なくて味がわからなかったが、チョコレートのトリュフの方はよく味わえた。

サン・ジェルマン・デ・プレのカフェ・ドゥ・マゴに行ってみたが満員。フロール波動かと思えば、改装中。数件先のカフェに座り、サラダと飲み物で昼食を済ませる。

メトロに乗ってシテまで出て、ノートルダム寺院に行く。ろうそくを聖人に備える。1本10フランだ。信者ではないが、厳かな気持ちになる。

木彫りの壁画に描かれているのはキリスト教徒なら誰でも知っている聖書のシーンなのだが、何を表しているのか理解できないものもある。次回までに少々お勉強が必要かもしれない。

ノートルダムの宝物館はカルトミュゼでは入れなかったので、入場料を別途支払い、見学する。聖衣や聖具も宝石がちりばめられ、十字架だって金でできている。教会は金持ちだ。

ノートルダムの正面を見てセーヌ川沿いに裏手に回る。日本人も多く、観光バスが沢山停まっている。ノートルダムをぐるっと回って、いかにも・・・というような土産物屋を見る。
1日目  12月11日 夕刻、パリ到着
2日目 12月12日 カルナヴァレ博物館、コニャック・ジェイ美術館、
3日目 12月13日 オランジュリー美術館、ル-ブル美術館、ノートルダム寺院
4日目 12月14日 オルセー美術館、サントシャペル、コンシェルジェリー、パリ市立近代美術館
5日目 12月15日 ヴェルサイユ宮殿、ルーブル美術館
6日目 12月16日 ギメ美術館、パレロワイヤル、ルーブル美術館、ポンピドゥー・センター(現代美術館)、レアール
7日目 12月17日 パンテオン、クリュニー美術館、モンパルナス墓地、ルーブル美術館
8日目 12月18日 モンマルトル、フォンテーヌブロー城
9日目 12月19日 クリニャンクールのみの市、サン・ルイ島、レアール、マルモッタン美術館
10日目 12月20日 ショッピング、パリ・イルミネーションツアーとリドのショー
11日目 12月21日 ショッピング、ぶらぶら
12日目 12月22日 帰国の途につく
昼食は、カフェのクロック・ムッシューで済ませ、今度はクリュニー美術館へ行く。パンテオンからは近い。中世美術専門の美術館で、今までの旅では同行者の興味があまりないジャンルだったため、行く機会がなかったが、いつかぜひ行きたいと思っていた。

クリュニー美術館は名前の通り、クリュニー派の修道院長の館を改装したもので、2階建てで風格のある外見も魅力的だ。また、敷地内に紀元前の浴場跡が見えている。

門を入ると中庭になっていて右手奥の小さな入口を入るとチケット売り場だ。カルトミュゼで入れるので、そのまま進む。展示物は生活用品が多く面白い。武器、暖房用具、台所で使う鍋、鏡や櫛、年中行事の美しい絵の描かれた祈祷書、金文字を使った星座や暦等、美しい写本がある。これらは、ガラスケースに入っているのでなく、各ページに木枠が付いていて、めくって見られるようになっているのが嬉しい。

2階には、この美術館の名品、「貴婦人と一角獣」のタピスリーがある。照明を暗く落とした丸い部屋に6枚の赤いタピスリーがかかっている。椅子が用意されているのでゆっくり座って鑑賞することができる。人間の味覚、聴覚、触覚、視覚、嗅覚の5感をあらわしたものといわれる5枚のあとで、「私のただひとつの望みにしたがって・・・」といったような一節が書かれたタピスリーが残る。この意味ありげなタピスリーの謎解きは?正解はなぞのままだ。そのものの美しさに加え、秘密めいたところもまた人気の原因なのだろう。

さて、もうひとつ必見のものは、礼拝堂だ。「燃えあがる炎」というような意味のフランボワイヤン様式で、できている。小礼拝堂なので自分の身の丈でも、柱が美しくクロスする天井部がよく見える。

1階にはシャバンヌのフレスコの壁画、「パリの街を見下ろす聖ジュヌヴィエーヴ」がある。この人の絵の不思議な静謐な雰囲気に惹かれ、パリの守護聖人、聖ジュヌヴィエーヴの生涯を描いた連作を眺める。静かだ。パンテオンの上にも上ってみる。登るうちに、かなり高い建物であることに気づく。その分、最後の急階段を登ると、360度のパリのパノラマが見られる。パンテオン自体が少し小高い丘に建っているので、高層ビルを除外すれば、左岸ではいちばん高いところになるかもしれない。天気は相変わらずよろしくないが、サクレ・クール、アンバリッド、エッフェル塔など目印になるものはよく見える。

特に目的もなく、散歩しショッピングして、最終的には郊外のデファンスまで行ってみる。モダンなビルが立ち並ぶ新都心で、以前サミットも行われた場所だ。新凱旋門のアルシュもたっている。アルシュからは、凱旋門が直線上に見える。

デフェンスは、地下からずっとショッピング街のようになっていて、地下鉄の駅から外に出るのに迷い、再び駅に戻るのに迷い、歩きすぎて足の裏が痛くなる。

リドはシャンゼリゼに面する小さな入口を入ってゆくとある。昼間は目立たないが、夜は入口付近はにぎやかだ。会場の中は大変広く、びっしり観光客が入っている。コートは預けなければならず、ひとり45フランと、ちょっと高い。北欧のオバサマと私たち夫婦は同じテーブルでショーを見ることになる。ひとりシャンペンが半本付くというので、私たちのテーブルには、ハーフのシャンペンと大きなシャンペンが一本ずつのっていた。

私たちが見たのは、創設以来24作目になる「ブラヴィシモ」というショーだそうだ。「アステカ族の祈り」の幕では動物が出てきたり、滝が現れたりしてびっくり。トレジャーハンターが出てくる幕では、きらびやかな宝石のイメージのシャンデリアや飾りが天井からおりてきたり、ヘリコプターが横切ったりするのにも驚く。この頃になるとトップレスの姉ちゃん達にも目が慣れてくる。

どのショーも、言葉がわからなくても楽しめる様になっていて、大道芸のようなものから、マジック、ラインダンスと、飽きることはない。

最後には白と青の衣装の女性がでてきて幾分地味だが上品な雰囲気となり、舞台の中央に噴水が出てきてフィナーレだ。再び派手に「リド」という文字が照明で作られ、光が交錯する中で閉幕となる。

さてショーが終わり、あまり飲めない私たちのテーブルにはハーフボトルのシャンペンがひとつ残った。「北欧のオバサマが「もって帰っちゃいなさいよ」というのだが、あまり飲めないので「オバサマこそどうぞ」と譲り合いをしていると、ボーイが通りかかる。「お金払ったんだから持って帰っていいわよね」とオバサマがボーイに聞くと「もちろん!」と言って前の席の人が手を着けていなかった大瓶のシャンペンまで持って行けと渡してくれる。そっちは明らかに私たちは金を払っていないと思うのだが、せっかくの親切だから、もらうことにする。「あなた達は二人なんだから」と、大きいビンは当然こっちの責任となる。のめもしないのに、これをもって帰ることになる。

やがて、パリ・バスがむかえにきてくれ、パリのナイト・ツアーに出発する。夜も雨はやまない。車の中から、運転手兼ガイドさんの説明を聞きながら、ガラス越しに町を見る。雨で歩道が濡れているため、イルミネーションが反射して、かえってきれいかもしれないなあと思った。オペラ座、コンコルド広場、シャンゼリゼのゴールデントライアングルというオートクチュールの立ち並ぶエリアなど、イルミネーションの美しいところを回る。

ホテルに帰って、バスツアーのピックアップの時間まで休憩する。朝買っておいたポワラーヌのパンをむしって食べる。近くの菓子屋でジュースやヨーグルトを買ってきたので、あわせて質素な夕食とする。

ポワラーヌの田舎パンは、自然発酵、海の塩、挽きたての粉を使って巻きで焼くという。すこし酸味があリ、小麦粉の風味が生きている。ガイドブックによると、世界一有名なパン屋さんなのだそうだ。歯ごたえがあり、外皮が硬いので、引きちぎって苦労しながら食べる。薄く切って、パテか何かを塗って食べたいものだ。そのままではさすがに飽きてくる。フロントからツアーバスが一時間遅れるというので、さらにもう一時間パンと格闘する。

レアールに出て、本、CDなどを売る大型店のフナックで買い物。日本の漫画、「キャンディ・キャンディ」が単行本でレジの横に平積みになっている。もちろんフランス語だ。ヨーロッパの名作・文芸物を劇画タッチの漫画にしたシリーズもあり、めくってみたが、雰囲気が現実的過ぎて、殺伐とした感じでいただけない。そんなギャップもおかしくて、ちょっと笑える。

フォーラム・レ・アールというショッピング街の入口で、チョコレートを買う。量り売りで無造作にビニールに入れてくれるのだが、ちゃんとしたトリュフだ。美味しいのに安い。

朝からまた雨だ。もううんざり。先日のベルサイユ訪問ではお庭が見られなかったので、敗者復活戦に行こうとしたが今日もダメ。また市内の散策だ。

ホテルのフロントのマダムに、翌日のバスツアーの申し込みをしに行く。イルミネーション・ツアーとムーランルージュのショーのコースにした。ホテルまで送迎があるので便利だ。料金は一人845フラン。フロントで3万円を両替してもらって1,500フランもらって、手持ちのフランを足して支払う。

今日は日曜日。クリニャンクールの蚤の市でも行こうかと思って、マダムに聞いてみると、雨でも市はやるから大丈夫とのこと。傘を持って出かける。10時前についたので、あまり人もいない。店も出始めたところだ。

どうしてこんなものが売り物になるのか不思議なほどのガラクタが並んでいる。さびた釘、ドアノブ、片方だけの靴なんて誰が買うの?!また、アフリカのお面、アラビア語の本、竹内まりやのCDなど、国際色も豊かだ。

帰りは丁度バスが来たので順調かと思ったら、駅についてからパリに戻る電車がなく、小一時間待たされる。寒いし、することないし、駅前にカフェも一軒もないし・・・。

夕食はモンパルナスのヴァヴァン交差点近くで食べる。有名店のル・ドームでもロトンドでもないが、手ごろなお値段で雰囲気もよい。肉の串焼きと海の幸の串焼きを頼む。そろそろ旅にも外国の食事にも慣れたらしく、相方が普通に食事ができるようになってきたので助かる。前菜にオニオングラタンスープまで頼んでいたので安心。デザートは三色シャーベットにした。

非公開で、奥を覗いてみるだけのディアナの回廊は壁面を書棚が埋めていて、本がびっしり入っている。後世、図書館にしたものだ。素敵な空間で、城の中でも最も気に入った場所だ。

ナポレオンが退位状にサインをしたという退位の間が見学の最後にあった。サインのあと、先の馬蹄型の階段の上で演説をし、馬車にのせられて城を出て行った。映画のシーンを見るように、別れの場面が浮かんでくる。

フランス式庭園の正面奥には馬蹄型の階段が見える。

ナポレオンがエルバ島に追放されるとき、部下に「引き続きフランスのために働いてくれ」と演説した階段だ。この庭で稀代の英雄、ナポレオンは歴史の舞台から去ったのである。

城の中に入ると、比較的小さめな部屋が次から次へとつながっている。そこかしこで管理人達がお喋りをしている。想像していたより華美ではなく、落ち着いた雰囲気だ。
1階は主として石像で、かなり大きなものからなる宗教美術の部屋がある。カンボジアのクメール美術、ベトナムのチャンパ美術など東南アジアのものだ。土着信仰の神、ヒンズー教の神、仏像もある。保存状況もよく、どれも美しい。2階には、インド、パキスタン方面のものがあり、さらに3階は北アジアのものがある。人が5人くらい入れそうな中国の大きなたんすや、韓国や日本の陶磁器、相当な数の展示物を見る。早くも午前中なのにくたびれる。

さらに別館は、日本と中国の仏教美術のコーナーだというので、行ってみると、法隆寺から姿を消したという釈迦三尊像の一体、勢至菩薩像がある。三体そろってひとつの作品なのだが、誰か心無い日本人が、ドサクサにまぎれて外国に売り払ったようだ。しばらくは日の目をみず倉庫に眠っていたらしいが、ある日これを見た人が、価値があるものと気づき、ここに展示されるに至ったという。日本にあれば文句なしに国宝。凄い目利きもいたもんだ。

パリに戻り、またルーブルに行く。カルトミュゼの五日間パスだから、いつでもいけて便利。

昨日見られなかったナポレオンの戴冠式を見に行く。他にはミロのビーナス、ミケランジェロの「奴隷」も見ておく。寒さのため体調を崩したようなので、名品をいくつか見て、ホテルに帰る。

夕食は、シャンゼリゼのカフェ・レストランで、まずサラダ。夫が珍しくメインにハンバーグを注文、妻はシェフお奨めのサーモングリルを頼む。早めに引き上げて、ホテルでゆっくり休む、

宮殿内を見て、外の庭に出ようとすると、「本日は悪天候のため閉園」との看板がかかっている。作から覗くと、地面は水溜りでぬかるんでいるし、いかにも寒々としている。残念だが、お庭の見学は、また次回にまわそう。

ベルサイユ宮を出てから、駅の近くのイタリアンレストランで昼食にした。サーモンのクリームパスタを頼んだら、パスタがよくゆでられていて、くたくたになっている。ラザーニャはまだまし。概して、フランス人はやわらかいものが好きらしいから、イタリア以外でアルデンテのパスタを食べてはいけない。判ってはいるが、お店の名前が「パオロのピッツァ」となっているから、イタリア人がやっているのだろうと期待。失敗だった。

ホテル、リ-ジェンッ・ガーデンで朝食をとって清算を済ませもらう。2泊で1,456フラン。外はどんより曇り、時々小雨。本日も寒そうだ。

タクシーを呼んでもらって、今度は凱旋門の反対側に位置するマジェスティック・ホテルに行く。小さな入口は一見ホテルには見えないが、中に入ると、こじんまりとした素敵なロビーがある。リセプションにはビジネスマン風のお兄さんがいて、ニコニコしていて感じがよい。出てきたマダムもにこやかで、「部屋を用意するのに時間がかかるけど」、とすまなそうに言う。こちらもまだチェックインの時間でないことは承知の上なので、「荷物を預かってもらえればもらえれば、部屋はあとでいい。夕方に戻ってくる」と告げたのだが、10分くらいで用意できるというので結局ロビーで待つことにした。マダムが「待っている間にコーヒーでもいかが?」というのでありがたくいただく。冷えた体に温かいコーヒのもてなしは嬉しい。これで、ホテルのイーメージは一挙にアップ!

部屋の準備ができたというので、見に行く。ドアを開けると廊下があり、そのあたりにトランクが置かれた。ということはここはもう泊まる部屋の中。ドアの正面はバスルーム、ドアの左に続く廊下にはクローゼットがあり、つきあたりの左が部屋になっている。予想以上に広く、ベッドのスペース以外にデスクやたんす、ソファとテーブルが置かれている。広々としたスペースで、壁で区切られていないものの、ちょっとしたスウィートだ。ボーイに「部屋はいかがですか?」と聞かれ、「すばらしいです!」と即答する。

赤い東洋風のカーテンを開けると空が明るくなっている。今日も天気が悪いので市内の散策で済ませようかと思っていたが、気持ちも晴れてきたので、ベルサイユに行くことにする。

遅めの昼食後には、地下鉄に乗って、パリ市立近代美術館に行く。ここは、ボナールやレオナール・フジタ、レジェなどの、現代美術より少し手前の作品が並んでいた。

ほとんど展示を回って、「あれ、マチスがないぞ」と気づく。これは目玉だから見てゆこうと思っていたのに、どうやら展示室を仕切って行われている「マチス展」という方に組み込まれているようだ。特別料金20フランを支払わないと入れない。以前はマチスのダンスがある部屋は、常設展で見られたはずなのだが・・・。あこぎな商売しおって。それでも特別料金を払う価値があると思ったので、とにかくはいってみる。

マチスの「ダンス」は、依頼主から、裸婦では困るといって引き取られなかった作品だと聞いていたが、パステルカラーでリズミカルな諧調の好ましい作品だ。今回は、「ダンス」の連作も展示されている。ほかにも、マチスが後年好んで使ったカラフルな葉っぱの形のモチーフもたくさん出てきて、気分が明るくなった。

また、デュフィの大作「電気の妖精」は、以前別途入場料がかかったが、今回はマチスと一緒に見ることができたので、部屋の真ん中に立って、前面、左右広がる大きな絵を楽しんだ。これは、パリ万博の電気館のために、依頼されたものだという。そして今は、パレ・ド・トーキョーという、日本のパヴィリオンだった建物の中の市立美術館に収まっている。

パリ万博は何回か行われているが、そのたびに建物や美観が整えられているので、見所が追加されていくみたいだ。同じく万博の産物であるエッフェル塔が、市立美術館をセーヌ川の方に下りると、見えてきた。

絵画のコーナーに回ろうとしてふと見ると、階段の途中にサモトラケのニケがいる。躍動感のあるその姿に引き寄せられて、かいだんをおりてしまったら、ドノン翼の絵画コーナーに行くはずが、再びシュリー翼の古代エジプトの世界に逆戻りだ。古いものはそれだけ歴史があり重たい。ずっしり重く、くたくたになった。ここでの人気者は「書記坐像」。オレンジ色の地肌にくっきり描かれた目、胡坐をかくその姿は、美術の教科書に出ていたまんま。

しかし、こんなにも展示品があるなら「古代エジプト美術館」を作ったらどうだろう。その方が見るほうも覚悟ができるのでは?逆に言えば、ルーブルにくれば、何でも見れてお得なのかもしれないが・・・・・。

今度こそ、絵画を見ようとドノン翼に向かう。始めはイタリア絵画だ。ボッティチェリ、ラファエロなどを見て、ちょっとほっとする。ギャラリーの長い廊下を歩いていると、突然モナリザが現れる。以前はこんなところになかったと思うのだが、ルーブル計画という改装が行われており、場所が少し変わっている。モナリザを通り過ぎて、横の部屋に入ると、「カナの饗宴」、「メデュース号の筏」、「民衆を率いる自由の女神」など次々有名どころが現れる。

もうこの先は「ナポレオンの戴冠式」というところで、二人とも電池切れ。これ以上見たら消化不良を起こすので外に出る。

なかなか見ようと思ったものに行きつかないのがルーブル美術館だ。わき道にそれても、そこにも面白いものがあるので見てしまう。百科事典で何か調べようとして、違うもの箇所を読みふけってしまうようなもの。

ルーブルの目玉はモナリザ、ミロのビーナスなどおなじみのものが沢山あるが、入ったところはエジプト美術のコーナー。よくもこんなにあるもんだと思う。数点だけなら脚光も浴びるだろうが、何列にもかためて所狭しと並べられている部屋もあるくらいで、相当有名なものしか人は見てゆかないだろう。

アポロンの間では天井や壁の豪華な絵がもともとは宮殿であったことを思い出させる。ここだけはきらびやかで他の展示室とはちょっと違う。展示物も、ダイヤモンド、ルビーなど宝石類、ガラス器、陶磁器などだ。

ホテルの地下の食堂は、白壁のワイン蔵のような造り。給仕してくれる女性は感じも良く、フロントの威圧的なマダムでなくてほっとする。中世風の石壁の階段に鎧がおいてあったりするのも面白い。

メトロのバスティーユ駅まで出て、一週間定期のカルト・オランジェを買おうとする。まずは定期に貼る写真を撮らなければいけないので、3分間写真のボックスで撮影。あまりにも写りが悪かったので、大笑いして死にそうになる。こんなものを出したら、見た方も狂い死にしそうな顔だ。結局日本から持ってきたものを使うことにした。

ホテルをチェックアウトし、また次のところへタクシーで移動。今度は凱旋門の近くのリージェンツ・ガーデンというホテルで、もとは、ナポレオン3世の主治医の家だった。ここも雑誌で見たホテルだ。。

今度はボーイもおらず、荷物も自分で運ぶ。その分気楽だし、フロントのお兄さんも気さくだ。チェックインをさせてくれたのでありがたい。この頃から相方がフランス語の数字に興味を持ち始めたようだ。部屋番号の言い方を調べている。部屋は14号室。「キャトルズ」と繰り返し、あとで使うつもりのようだ。部屋は雑誌で見たような豪華なものではなかったが、庭が見えて気持ちがいい。

マレのヴォージュ広場の回廊をつたって歩いていたら、ココナスというレストランがあった。おなかもすいているので入ってみることにする。ムニュ(セットメニュー)もあるし、値段もそんなに高くはない。

入ってみると店の中は人がいっぱい。席と席の間がとても狭かった。前菜に、私はエスカルゴ入りのフェトチーネ、相方はサラダ、メインは二人とも魚料理、普通はデザートはあとで注文を聞きに来ると思ったが、先に聞かれたのでミルフィーユにした。

メインの料理が、量が多い。鱒と白身の魚の半身の半分で玉ねぎをはさみ、両面に薄いパイ皮をつけて油で焼いたか揚げたかしたものが2つ、ついている。ズッキーニとポテトのクリームソース和え、野菜などの添え物も多かった。魚料理は素がさっぱりしているということで、カロリーが高くなるような調理法法にしてあることが多いので、さっぱり食べたいときは肉のグリルでも頼むに限る・・・と食べてから悟った。魚料理は思いのほか満腹感があり、すべて食べ切れなかった。とどめのデザートもミルフィーユだから、食べきれないなあと思う。
ここも昔は貴族のお屋敷だった建物で、コレクションは、庶民的なデパート、サマリテーヌの創設者であるコニャック夫妻の寄贈である。当時のブルジョワの趣味がわかるものだが、金にあかして集めた成金趣味ではなく、むしろ優美で上品。ただ、どこに行っても、係員がぴったりあとをつけてくるのがうっとおしい。「盗りやしませんよ!」と言ってやりたいくらいだ。
セーヌ川岸を走り、セーヌ川遊覧の観光船バトー・ムッシューから降りるお客さんをピックアップするという。セーヌ観光とムーラン・ルージュのショーのコースの人たちだ。乗ってきたのはフランスの地方から旅行に来た夫婦と、北欧から来た初老のインテリ風のオバサンだ。フランス人夫婦は、これからムーランルージュに行くといっているが、北欧のオバサマはムーランルージュに行きたかったのに、定員オーバーでリドにされてしまったといっている。私たちも、ムーランルージュは一軒家で風情もあり、典型的なフレンチ・カンカンがみられるときいてたので、ムーランルージュを選んだのだが・・・。この辺からちょっと変だぞと思い始める。さっきから運転手兼ガイドさんの口ぶりだと、私たちも「リド」に行くような感じである。「リド」と「ムーランルージュ」をいい間違えているのかと思っていたが、どうもそうではないらしい。

案の定、リドに着くと北欧のオバサマと私たちは車からおろされてしまう。たぶん、私たちも「ムーランルージュ」は予約が取れず、シャンゼリゼの「リド」の方に割り当てられたのだろう。ホテルのフロントのマダムに、伝統的なフレンチカンカンはムーランルージュ、アメリカンで豪華なのはリドと説明され、「ムーランルージュ」を選んだのだが、とれなかったのなら、予約したときに教えてくれよと思う。どちらも行ったことはないので、かまわないが、勝手にどっちでもいいだろうと判断するのはやめてほしいもんだ。
フランソワ1世の回廊もすこし色あせたような感じである。彫刻あり、レリーフあり、フレスコ画、漆喰の装飾など何でもあり、ポリシーなし・・・みたいなつくりなのだが、木を用いているためか、全体で見ると落ち着きがある。この回廊は、建てられたときは両側が窓だったというが、どんな感じだったのだろうか。現在は片側には部屋が増築されており、窓ではなく壁になっている。

ところどころにフランソワ1世の頭文字と、紋章のサラマンダーの装飾が見られる。

ここは永久礼拝の寺院で、1885年から昼も夜もずうっと礼拝を続けているという。司祭さんがよってきて、「日本の方ですか」と日本語で聞いてきた。そうだというと日本語の説明書をくれた。教会内の寄進箱にわずかばかりだがコインを入れてきた。

サクレクールの裏手のテルトル広場に行くと、観光客相手の似顔絵描きがカモを探している。相方が足早に通り過ぎる。一応かんこうめいしょだからさ、ちょっとくらい見ていってくれとも思う。テルトル広場を一瞬にして立ち去った私たちは、裏手の細い階段を下りた。メトロの駅に出る途中で、土産物屋の並ぶ細い道に出る。みやげ物から布地、えらく安いTシャツの類まで大変庶民的な店が並んでいて、人でごった返している。

まだ時間があるのでルーブル美術館に行く。カルトミュゼが使えるのも、今日までだ。

ハムラビ法典を見ようと思ってイスラム美術のあたりをさまようが、見つからない。展示室も変わったらしく、持参したガイドブックと場所が変わってしまったようだ。法典を求めて歩き回ったが徒労に終わった。

モンパルナス墓地に行ってみることにする。入るとすぐにサルトルとボーボワールの墓があり、花束が備えてある。ジャンポール・ベルモントやゲインズブールの墓は熱烈なファンがいるらしく、花束や捧げものの数が多い。凱旋門の彫刻を彫ったリュードの墓は奥まっ他と頃に発見。モーパッサンの墓は探してみたが見つからなかった。本当になくなったばかりの人のお墓に親族がお参りしているのを見ると、観光気分できてはいけないような気がして落ち着かない。人の安息の地に土足で踏み込んでいるわけで、居心地が悪いのは事実。今度来ることがあれば、花束持参で、有名人の墓に詣でたら、すぐ立ち去ることにしよう。

パレロワイヤル近くのカフェまで出て、昼食にする。クロック・ムッシュで済ませるが、家計食と言っても決して安いわけではない。8枚切の食パン1枚に、ハムとスライスチーズを1枚のせてせて焼いただけで何で50フランもするかな?

ホテルに帰るはずだったが、地下鉄を降りたらホテルの場所がわからず迷ってしまう。角に薬屋があったと思ったのだが、緑色の十字マークは町中のいたるところにある。薬局は全く目印にならないということを悟った。番地をたどって帰る。

夕食はホテル近くのレストランに行く。日本人の夕食時間はフランス人より早いので、私たちまだ客はいないようだ。

魚料理が得意らしく、生牡蠣6個、魚のスープ、海の幸のマリネ・サラダ、白身魚のシュープリームを食べる。食欲旺盛な妻はお魚料理を注文したが、夫が余り何も食べたがらないので、明らかにバランスが悪い。レストランに来て前菜ばっかり注文するのはいかがなものか。給仕が前菜をどういう順でサーブすべきかわからなくて困っている。さらに、二人とも満腹でデザートが入らない。食事を楽しむ文化の国で、これはちょっと野暮かも。

しばらくすると、日本語が聞こえてくる。「いや、いいお店を見つけましたなあ」と話しながら、ビジネスマン風の日本人数人が2階へあがっていった。8時過ぎになるとぼちぼち人も入ってくる。その頃には私たちは退散だ。

そして出てきたミルフィーユがまた大きい。唖然としながらも気を取り直して一口食べると、「お、おいしい!」 たぶん今まで食べた中でも上位にランクインするものだ。パイの部分は、上と下にしかなく、間に苺が挟まっているだけだが、皿に敷かれたアプリコット・ソース、フランボアーズ・ソースとカスタード・ソースが絶品。これだけはなんとしてもと思って、全部食べた。会計は160フランの定食が二人前と水、コーヒーで372フラン。ボリュームのわりには安い。

ただ、お店の人の応対がぞんざいな気がした。またとなりの人がこっちを見てこそこそしゃべっているのも感じが悪かった。後年、こぐれひでこ氏著のパリのレストランお話を見たとき、ココナスが感じがよくなかったと書いているが、やっぱりそうかと思ってしまった。トゥール・ダルジャンのセカンド・メゾンのようなお店なのだそうだ。私たちのような庶民は行ってはいけなかったのか?でも、店構えなどはカジュアルなんだけど。

      

1993年12月、夕刻に到着した飛行機の機内放送では、気温は4度と言っていたが、冬のパリは予想以上に寒かった。しばらく海外旅行をしていなかったので、すっかり旅行の勘が狂っている上に、寒いので体が思うように動かない。いや、動かしたくないのに動いてしまう。凱旋門でエール・フランスの空港バスを降りて、タクシー乗り場で待つ間に、歯が絶え間なくガチガチ鳴ってとめられない。オーバーコートをきていても、とにかく寒い。

並んでいるのか?とか聞きながら、他の人が来たタクシーに乗っていく。見りゃ判るだろう、並んでるんだよと思っても、口に出して行動しないとだめ。そうだった、海外ではボッーっとしていてはいけない。次に来たタクシーに、ともすると順番を抜かそうとする後ろの人を制して乗り込む。

ホテルはリヴォリ通り、コンコルド広場の先で遠くないはずだと思ったが、道がとても込んでいて時間がかかる。広場で渋滞している車の間を物乞いが車の窓をたたきながら歩いてゆく。ホテルまで、タクシー代は90フランかかった。

宿泊するインターコンチネンタル・ホテルは、高級ホテルの部類で、ドアマンも立派だ。入っていいのかと気後れするようなロビーで、チェックインの手続きをする。廊下も階段も豪華だったが、いざ部屋に入ってみると、安い部屋だったのか、たいしたことはなかった。

ヨーロッパタイプのホテルの部屋は概して暗い。ムードがあるとか雰囲気がいいとか言うべきなのだろうが、こんな高級ホテルにいてさえ、なんだか貧乏くさくわびしく感じる。
高速地下鉄に乗り込んで、いざ、ベルサイユ!電車に乗り間違えたりしながらも、たどり着いたが、やっぱり寒く風が強い。

初めの方はマリー・アントワネットと、フランス革命の頃の絵画や書簡、ルイ16世がとらわれていたときの服、ルイ16世のいもうとの獄中での生活を再現した小部屋など、ずっしり重い展示が続く。突如、ベルエポック調の、アントワネットの映画のポスターが出てきたりもするのだが・・・。

館内は工事中のところがあり、一部見られないが、展示物は多種多様で、見ごたえがある。

プルーストの部屋の再現コーナーで立ち止まる。神経質だったという小説家プルーストの部屋は青でまとめられたインテリア。面積は狭いが、机もベッドも置いてある。

人権宣言の碑を書いた絵、ダビッドの描いたレカミエ夫人、ルイ14世時代の家具、どれも見るのに時間がかかっていつの間にか2時間以上もたっていた。

館の外には美術館グッズを売る土産店パリ・ミュゼがあり、面白いものがいっぱい。邪魔にならない程度に、ルイ14世の姿絵の絵葉書などを買ってゆく。

一休みするまもなく町に出かける。すぐに凱旋門の姿が見えてくる。凱旋門からメトロでコンコルドに出て、チュイルリー公園の中のオランジュリー美術館へ向かう。5日間おおよその美術館に入れるぱす、カルトミュゼを窓口で購入する。170フラン。

2階の小作品を横目に見ながら、モネの睡蓮の部屋へ直行する。窓がない楕円の部屋で、真ん中に立つと自分の周りに360度、睡蓮の池が広がっている。鑑賞者がいるにもかかわらず静かで、ピトッと水滴の音がしそうだ。

12月14日
サント・シャペルは、フランス王家の礼拝堂だったところだ。さぞ豪華なのだろうと、中に入ってみると、ステンドグラスは、聞いていたように、天に向かって高く伸びるというような類のものではなく。天井も低いし、地下室のようだ。オレンジと青が組み合わされた柱には、フランス王家の高貴な金色の紋章があり、色の取り合わせはさすがだなあと思う。

入口近くに細い螺旋階段があるので、のぼってみる。暗くて細くて、意外に疲れる階段だ。よっこらしょ、と上がってみるとそこには・・・・・。

四方八方がステンドグラス。ちょうど陽が差し込んで、2階の礼拝堂は光と色の洪水のようだ。高い高いステンドグラスを見上げると、自分も光を浴びせかけられる。旧約聖書の物語が、この16枚のステンドグラスに1134の場面が描かれているそうだ。上部まではよく見えないが、大体鍵になる場面をガイドブックと照らし合わせて探してみる。まず、間違いなく首が疲れる。

これだけの高さで、しかも壁面がほとんどステンドグラスなのだから、いったいどうやって建物の強度を保っているのだろうかと思う。この頃のゴシック建築の技術はかなりのものだ。

サントシャペルをでて、すぐ近くのコンシェルジェリーに入る。セーヌ河岸沿いの入口から入場する。元は宮殿だったというが、フランス革命時に牢獄煮改築され、使用されたことで有名だ。マリーアントワネットが、死刑を待つ間暮らした独房が再現されている。本当はその隣の場所だったようだが、位置は少し変わっている。狭くて暗い部屋で暮らし、唯一許された自由は陽のあたる中庭を一定時間散歩することだけだったという話を聞くと、重い気持ちになる。2階の独房が続く廊下の果ての部屋にたどり着くと、そこには革命で断頭台の露と消えた2,600人の人名がパネルに連ねられている。アルファベット順だが、アントワネットの隣の列にはルイ16世が並んでいる。
夕食はホテル近くの気楽そうなお店に行く。赤と白の格子のテーブルクロスが、いかにも家庭的であたたかいレストランの感じだ

今日も食欲旺盛な妻はタルタルステーキを、食欲不振の夫はサラダと野菜のポタージュ・スープを頼む。タルタルステーキには通常フライドポテトがつくというので、サラダはキャンセルしたのだが、なぜか来てしまった。フランスでは会食する人同士の皿数をあわせる必要があると聞いたことがある。人が食べている間、片方の人が皿を目の前に置いていないのは不自然なのだということだ。夫がスープのときは妻はサラダ、夫がサラダのときは妻は肉を食っているわけだ。強い女房そのままで、格好が悪いことこの上ない。格好も悪いし、貧乏臭いので、夫にも、メインを頼んで欲しいのだが・・・・

お店は現地の人で込み合ってきた。マダムやギャルソンもお高くとまっていないし、フランス人のおしゃべりがにぎやかになってきて、庶民的で感じの良いレストランだった。現地の人が頼んでいるのは片手鍋に入ったまま出てくるお料理。ここのお奨めなのだろうか、興味がわく。もし次にここに来ることがあればぜひ試したい

結局サラダは一人前しかレシートにはついていない。どういうことだろう?
近くの服飾美術館にいてみたが、こことは相性が悪く一度も中に入れたことがない。閉館中だ。仕方なくシャイヨ宮に向かいエッフェル塔をバックに写真を撮る。この塔の姿が醜いとは思えないのだが当時のパリの街並みにはマッチしていなかったのだろう。建築当時はパリ市民には受け入れがたかったというエッフェル塔も、今では観光客にはなくてはならないパリのシンボルになっている。

常に古いものと共存する新しさを取り込んでゆくのがパリ。現在も、パレロワイヤルの中庭にストライプの柱を配したり、ルーブルにガラスのピラミッドを造ったり、その度物議を醸しながらも、いつの間にか異端児を普遍的なものに調和させてしまっている。不思議な都市だ。
野菜のスープ      36フラン
サラダ         23フラン
タルタルステーキ   77フラン
コーヒー        10フラン
ハーブティー     10フラン
  
      合計   170フラン

水         16.90フランサラダ×2    59.80フランサーモン     68.50フランハンバーグ   48.50フラン コーヒー     10.90フラン ジュース     16.90フラン 

   合計  221.50フラン

結局絵画にたどり着いたときには、歩きすぎて足が痛くなっている。リシュリュー翼に移されている、「マリー・ド・メディシスの生涯」の連作をみて、フランドル絵画のコーナーまで行くが、足の疲れが頂点に達しており、フェルメールが探せない。あきらめて、外に出る。

もう歩けないと思っているのに、ポンピドゥ・センターに行き、現代美術を見る。好きなルオーの絵を見た後は、美術館の椅子に座って、足が復活するのを待つ。相方も相当疲れている様子なので、切り上げて、5時過ぎにポンピドゥーを後にする。街がライトアップされ始めている。

夕食はレアールのピエ・ド・コションというブラッセリーで食べる。相方はサラダと、メニューで唯一単語がわかる舌平目、私は、オニオン・グラタン・スープと店の名前のお料理「豚足」を食べる。皿に足が」1本横たわっている料理だ。

こんなに毎日天気が悪いのではどこにも出たくないが、パリまで来てそれはもったいなかろう。少し小雨になったので、モンマルトルに出かけてみる。ユトリロの風景のなかを石段を登り、サクレクール寺院の前に着くと、かつては殉教者の丘だったのだろうが今は観光客の丘といえるくらい各国の人々がたむろしている。ここからパリの町を見下ろす観光客、階段に座って話し込んでいる若者、なんだか判らない物を売りつけようとするアフリカ系のお兄さんなどでにぎやかだ。

サクレクールの中に一歩入ると、静寂が保たれ、おしゃべりも禁止だ。

午後からどこにいきたいか相方にきいたら、「フォンテーヌブロー城」という。パリ市内を想定していたので、ちょっと面食らう。国鉄のリヨン駅に出て、切符売り場に並んで、フォンテーヌブロー城に行くには?ときくと、フォンテーヌブロー・アヴォンで降りるのだとのこと。パリ近郊用の切符は幹線用の自動販売機では購入できないらしい。勝手がわからないので、インフォメーションで聞いて、近距離用の切符が売っている窓口の番号を教えてもらい、また切符売り場に並ぶ。駅の構内でパンを立ち食いして昼食をすませ、やっと買えた切符をもって電車に乗る。現地についたらまた誰かにきけばいい。

フォンテーヌブロー・アヴォン駅からお城までは、さらにバスにのるようだ。まあ、駅前にお城がたっているなどと思ってはいなかったが・・・。どのバスに乗るんだろうと悩む相方を尻目に、「この小さな街でシャトーにいかないバスなんかあってたまるか!」とやってきたバスに乗り込む。「しゃとー?」と聞くと、女性の運転手さんが「行きますよ」と答えてくれた。「終点か」と聞くと「終点ではないけど、アナウンスします」とのこと。何でもわからないことは人に聞くのが楽だ。程なくお城の前に到着。なんとかなるもんだ。

また、睡蓮はよく見るが、モネのバラの絵もマルモッタンにはいくつもあるので、それも楽しみにしてきた。オランジュリーに匹敵する数、質のモネがあるので、パリの中心地から少し離れてはいるが訪れる価値は大。高級住宅街の一角なので、美術館になっている邸宅もあわせ、ハイソな雰囲気も楽しめる。

ようやく地下鉄に戻ってルーブル美術館近くのレストランで夕食を食べる。定食は158フランで、飲み物まで含まれている。メインを食べた後頼んでもいないのにチーズが出てくる、デザートでなくチーズのほうをいつの間にか選んでしまっていたのかなあと思いながらいただく。すると、デザートも出てくる。食べきれない。観光客向けのお店のようだが、気楽でよかった。

ホテルにもどると、ロビーにはふんぞり返った日本の男子学生がいる。部屋に帰ると、あほそうな男女がさわいでうるさい。専門学校の卒業旅行か研修旅行のようだが、こんなバカのマナー知らずを連れてくるのは学校側も恥ずかしいと思ってもらいたい。夜中にたびたび部屋に電話がかかる。学生同士の間違い電話かと思ったが、どうもわざといたずら電話をしているようだ。こんなことをして何が面白いのか意図がわからない。新婚だとでも思っているのだろう。帰国したら学校にクレームしてやろうと思ったくらいだ。

12月22日

12月21日

デパートで買い物を、レジに並んでいると、列の前に並んでいた日本人の女の子が、人にプレゼントするので包装して欲しいといいたかったのだろうが、買った商品を指差して、「プレゼント」と店員に言っている。レジのお姉さんは。きょとんとしている。そのまま日本語の発音で「プレゼント、プレゼント」と繰り返すのだが、一向に通じない。日本人の方は仲間の日本人に、「この人、英語できないみたいー」とぼやいている。・・・・ちがうだろ、できないのは自分の方だ。結局、レジ係りの人も、ラッピングして欲しいということだとわかってくれて一件落着したのだが、箱に入った品物を受け取った日本娘は、お礼も言わず去っていった。後ろにいた私たちは唖然とする。フランス語を話せとはいわないが、サンキューとかプリーズとか、英語でいいから簡単な言葉くらいは言ってほしいものだ。

朝食のあと、近くのポワラーヌのパンを買いに行く。この店は田舎パンで有名で、東京の三越に空輸されているが、1つ6千円。もちろんパリで買えばもっと安い。ただ、私の頭<ポワラーヌの田舎パン<相方の頭という大小関係で、人の頭くらいデカイので、800円くらいに相当する。スーパーでは、これをスライスして数きれビニールにツメ、ポワラーヌのパンの表示をして売っているらしいのだが、そんなことは知らないからパン屋さんで丸ごと購入してしまった。朝食前ならいざ知らず、あとで食べるのに苦労することとなる。

12月20日

城の外のイギリス式庭園を歩く。雨でぬかるんだ土の道を行くと、アヒルが親子で出てきてガアガアと騒いでいる。そっちの方向に行きたいと思っているのに、近寄ると怒って攻撃してきそうな勢いなので、通り過ぎるまで待つ。

鯉の池という池の中には小さな八角系の建物が浮かぶように建っている。昔は、そこで午後のお茶を楽しんだというから、優雅でうらやましい。こんなティールームを庭園内に作ってくれれば、必ず立ち寄ってゆくのだが。鯉の池の反対側には、ディアーナの中庭があるのでそちらも散策する。

12月16日

12月15日

町はクリスマスイルミネーション。色とりどりではなく、上品に白一色だ。ホテルに戻る道もまた寒い。
12月11日
いよいよ帰国。タクシーを呼んでもらって、凱旋門までいき、そこからエールフランスのバスで空港まで行くつもりだ。

呼んでもらったタクシーは、他の人が呼んだのに結局乗らなかったものをまわされたらしい。来るなり、45フランのチャージがついている。ちょっと高くない?チャージに加え待たされた待ち時間をこちらにつけたに違いない。
12月17日
12月12日

雰囲気も味もよかった。ちょっと改まった時に使えるレストランとして、お奨めしたい。

牡蠣(No.3)      68フラン
魚のスープ      48フラン×2
魚介サラダ      89フラン
魚料理        168フラン
ワイン         25フラン
ミネラルウォーター  20フラン
コーヒー        18フラン×2          
        合計  502フラン

空港バスに乗り換え、バスが凱旋門を背に走り出す。パリの街がトンネルひとつで遠のいた。さよならパリ。

AU REVOIR!また会おう。

そしてこれが引き金になり、相方のパリかぶれが始まった。   (後の旅行日記に続くこととなる)


サンジェルマンデプレに戻り、「ル・ミニッシュ」というブラッスリーに行く。昔行った時とは場所が変わっている。以前はもう少しオデオンよりでお店も狭かったが、デプレ教会のすぐ近くの、広いフロアに入っている。私はアルザス料理のシュークルトを注文。いつも思うが、もう少し人間が食べられる量で出してほしいものだ。相方はラム・ステーキの定食にする。珍しくワインも一本頼んでみた。デザートに、リンゴのタルトを頼んだら、10分以上かかるがかまわないかと聞かれる。待つこと10分以上。でもこのタルトはとても美味しい。薄いパイ皮に薄切りのりんごがのっている。かなり大きいが美味しいので全部食べた。本日も満腹プラスアルファ。食べすぎだ。

人ごみの中で相方がスリに遭遇。手口は背の高い黒人男性が、コートの肩にタバコをぶつけ、「オー、アイムソーリー」と謝ってきたところへ、反対側からもう一人がやってきてコートのポケットに、さっと手をさしこんだ。気づいたので、すぐに立ち去ったようだが。コートのポケットには何も入っておらず、先方も収穫はなかった。

「しけてんな、金、持ってないぞ、あのガキ」「日本人じゃなかったんじゃねーか?」と話しながら帰ったに違いない。

一時間ほどクリニャンクールでぶらぶらしてから、地下鉄でサン・ルイ島に行く。パリの日曜日はお店が開いていないので、基本的にショッピングはできない。それでも近年は、ある地域の店や観光客が来そうな店は開いている。「レピスリー」というお店も日曜は営業するので行ってみる。「るるぶ」系のガイドブック片手に、日本の女の子がよく来る店だ。食品、スパイスなどの店だが、オリジナル製品もあり、店の作りも場所も高級感がある。紅茶の缶を選んで、つめてもらえる。小さなものもあるので、お土産向きだ。クリスマスシーズンのせいか、何も言っていないのに、ひとつずつきれいにラッピングしてくれる。自分の分は包装しないでよいというと、お店の老マダムが笑ってうなづいてくれた。支払を済ませると、「これは貴女に」と言ってポプリの匂い袋をくれた。

オデオンまで地下鉄に乗ってゆく。近くのレストランに入ったら、ヴォルテール像がある。透かしガラスには、「1688年に建てられた」と書かれており、どうやら、パリ、あるいは世界初のカフェといわれる、カフェ・プロコープだった。ガイドブックで確認すると、「世界最古のカフェと聞けば行かずにいられない」という、ありがちなキャッチコピーだった。

今では、レストランになっているので食事もでき、それなりの値段がする。144フランのチョイスメニューの定食を頼む、相方は、野菜をさいの目に切ってマヨネーズで合え、丸い型に入れたもの、私は野菜をパテ風に仕上げ、トマトソースを敷いたものにした。ケーキのようできれいだ。メインは、珍しく相方がビーフストロガノフ、私が牡蠣、デザートは三色シャーベット。苦しくなるほどではなく、適量の食事ができた。

昼食に、サラダを食べた。フランスで美味しい生野菜サラダにはめぐり合わない、チキンサラダを頼んだら、チキンと卵でおなかがいっぱいになる。とあるフランスの人に聞いたら、フランス人は、たっぷり温野菜を食べており、野菜を生で食べることは一般的ではなかったが、アメリカ人観光客が太った体でやってきて「サラダ、サラダ」と騒ぐのでお店に置くようになったとか。だから味なんてどうでもいいのだそうだ。本当かどうか知らないが、その説が信じられるくらい、生野菜サラダはまずい。それに新鮮でない。作りおきしているので、野菜が乾いていたり折れたところが変色していたりする。それでも夫はサラダを今日も注文する。

部屋に入ってしばらくは、満腹のため苦しくて動けない。ようやく8時過ぎに、夕食を食べに出る。バスチーユまで歩いて、冴えない喫茶店に入る。夕食と言っても、食べる気はあまりしないので、サラダと飲み物だけで済ませる。

楕円形の中庭が見られるというので、2階の窓から外を覗いた。言われてみればちょっと変わった形にも見えるが、素直な感想では、「四角い庭」だ。これも増改築をしたため、楕円ではなくなってしまったのだという。

ランチの後はまたルーブルに行く。

今日こそ絵画コーナーへと思ったが、また迷って、ナポレオンのアパルトマンというコーナーに入り込み、その豪華さに驚く。ふかふかな絨毯、きらめくシャンデリア、小さな食堂と書かれた、結構大きなダイニングルーム、植物を配した広いロビーなどがある。ナポレオンの「N」マークのついたお茶のセット、医者の道具なども展示されていた。

オランジュリーの2階の展示室に戻り、今度はゆっくり絵を見る。穏やかなローランサンやルノワールの室内画がある。木漏れ日が差して温かいが、絵に日が当たってしまわないかと心配になる。

カルトミュゼを買ったので、このいきおいで、そのままルーブルに行く。
夕食は、食欲がないという相方の言い分に従い、寒い中をカフェに行こうとする。どこのカフェにするか全く思いつかず、何となく歩いていると、オペラ座付近に出てしまい、有名な「カフェ・ド・ラ・ペ」に入ってサラダを食べる。絢爛豪華な内装のカフェで、少しわびしい気がした。だが、パリの名物カフェだけあり、値段はさすがに一流。ミックスサラダは36フラン、プロヴァンス風サラダは78フラン、コーヒー22フラン、紅茶29フラン。
結局王族だけでなく、革命家達も属する派閥の失脚によってここに送られ、最後にはギロチンにかけられることになる。その人数の多さを目の前のパネルで実感した。目を覆いたくなるような歴史の暗部が、確かに、ここに在ったのだ。その重苦しさに耐えながらのコンシェルジェリー見学だった。たぶん、もう、ここへは見学にこないだろうと思う。

ホテルの近くで昼食を食べる。のびのびにのびたタリアッテーレが出てくる。パスタは絶対食べてはいけないと思っていながら、うっかり頼んでしまい後悔する。皿いっぱいのサラダも美味しくはない。せめて、量が半分か、値段が半分、もうすこし美味しいか、どれかひとつでも該当すれば我慢できるのだが・・・。

外に出ると、まだ引けた跡なので人がいっぱいたむろしている。迎えの車を待って乗って帰る。オバサマは車の中でもまだ「リドもよかったけど、やっぱりムーランルージュに行きたかった」と言っているのがおかしい。オバサマのホテルに先に到着したので「よいご旅行を」と言ってお別れする。私たちのホテルに着いたら、玄関が閉まっている。ブザーを鳴らすと、「わすれてた、ごめんね」と男の人が出てきて開けてくれた。パリで、午前様まで遊んだのは初めてだ。

12月19日

12月18日
12月13日

カルナヴァレ館を出て、コニャックジェイ美術館へ行く。入場料は12フラン。

館はこじんまりとして静かなたたずまいで、見学者も今日はあまりいないようだ。絵画はワットー、フラゴナール、ブーシェなど貴族趣味のもの。陶磁器の人形は、髪や衣装に散っている花が繊細でびっくり。それらを展示するサロンもやはり華やかな調度品が並んでいる。実用品として成り立つのかどうか判らないほど装飾的な化粧道具いれ、お茶のセットなども陳列されている。

3階には小部屋があり、係員に聞くと、劇場だという。この小劇場自体がまた一見の価値がある展示品なのだろう。

マレ地区はかつてのお屋敷街で、その建物を利用した美術館、博物館などがある。とりあえず、ヴォージュ広場の近くのカルナヴァレ博物館に入ってみることにする。30フラン。
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