フランス南西部 ロマネスク探訪の旅

フランスの南西部ツアー
           
6月24日(火)
   出発      


成田集合  9:30
   出発 12:05
   (AF275)

パリ到着  17:30

今回は現地合流プランでツアーに参加。

現地合流プランでは、通常ボルドーで集合なのだが、この日の出発だけはパリのホテルで合流。パリからボルドーまでの飛行機は自分で取らなければいけないだろうと旅行会社に確認したのだが、不要とのこと。では、パリ・ボルドー間の航空料金は現地集合ツアーの料金に加算しなければいけないだろうと尋ねたが、それも不要だという。営業の係が心もとない受け答えだったので、改めてメールで質問したが、メールでの返答はなし。申し込み時に再度「それだと、旅行会社さんの損ですよね」と電話口で念を押したが、やはり追加料金はないという。

ところが、旅行会社から、出発の一週間前になって「パリからボルドーまでの航空券はとっていただいていますか?」との確認の電話がかかってきて、びっくり!こちらは航空会社のマイレージでいただいたチケット、日本からボルドーでもパリでもタダなのだ。だから事前に、どちらがパリ・ボルドー間の飛行機を手配するのか質問したのだが・・・。ともあれ、今更キャンセルもできないので、「そちらで差額なしでフライトを用意してください」と言い切って、参加することに。私の今までの人生の中でここまで怒ったことはない。


当日は他の参加者と同じ便の飛行機なので、ツアーカウンターに立ち寄ってツアーの添乗員さんにご挨拶。偶然7年前にこの旅行会社を利用した際の添乗員と同じだったので安心だ。パリ到着は夕刻。翌朝早くパリを出発するのでホテルは空港内のシェラトンだ。

到着後パリ市内の散歩にコンダクターさんが連れて行ってくれるというので、行ってみた。地下鉄でコンコルドまで行きヴァンドーム広場、オペラ座を通過してオペラ座の裏から空港行バスに乗って帰る。お茶ひとつ飲むこともなく、買い物もなく、とにかく散歩。

空港に着いたが、もうコンビニも閉まっているし、軽食を買う場所もない。飛行機で食事はしているので、休むことにする。長い一日だ。
      
6月25日(水)

パリ出発 7:35
ボルドー着 9:50 
(AF7620)


ノートルダム教会


メゾン・デュ・ヴァン


カンコンス広場のジロンドの塔


あなた、モンテスキュー?

ボルドー市内観光


5時にモーニングコール、 ホテルのロビーで用意してもらった朝食ボックスを受け取りその場でむしゃむしゃ。パンばっかり入っていて食べきれない。6時5分にはホテルを出発。空港内なので移動は10分ほどだ。

国内線に乗りボルドーへ。一時間弱のフライト。

ボルドーはさすがワインの町、空港の荷物の引き取りのターンテーブルにはワインの置物がある。空港の建物の外には、ブドウの木も植えられている。

空港から待っていたバスに乗り込むとボルドーの市内観光だ。本日の現地ガイドは日本人の女性。

まずはノートルダム教会を訪ねる。ゴヤの葬儀が行われたそうだ。
ノートルダム教会の前の広場はロザリオ広場というようだ。ファサードには美しいバラの花にかこまれたマリア様のレリーフがある。

内部はさっと入るだけ。何しろ「時間がありません」とガイドさん。教会の内部の装飾は鉄と石のコラボが見ものとのこと。側廊の2階の手すりは鉄細工だ。パイプオルガンもある。 

ガイドさんにせかされ教会を後にし、18世紀に建てられた大劇場前へ移動する。コリント式の12本の柱が並ぶネオクラシック様式で、世界で最も美しい劇場のひとつともいわれるらしいが、ここでは外観を見るだけだ。 説明を聞いていると、大劇場の前を白い車体の市電が横切って行った。

次は、ボルドーワインの情報館、メゾン・デュ・ヴァン・ド・ボルドーに立ち寄る。中に入ると、ボルドーに集まってくる近隣の産地からのワインが並び、試飲、購入も可能らしい。ここも、さっと入ってさっと出る。

そして、ジロンドの記念塔の建つカンコンス広場に向かう。カンコンスとは「和合」という意味だそうだ。ヨーロッパで一番広い広場のようだが、ただ、だだっ広いだけで、ジロンドの塔以外に2本の塔があるだけのように見える。2本の塔の上にはこの町ゆかりの有名な思想家、モンテーニュとモンテスキューの像が立っている。

ジロンドの塔の下には「第三共和制の勝利」と題された象徴的な意味合いを込めた装飾の噴水がある。ボルドーは、フランス革命期の穏健派ジロンド党の中心地だったという。
広場の中心まではいかず、端の方を横切るだけで、広場の先の駐車場で待っていたバスに乗る。

今度は旧裁判所前広場にバスを止めて下車。裁判所の屋根の上には、4人の彫像がある。彫像の一つは、「法の精神」を著し、司法にも携わったモンテスキューだという説明があった。ここから徒歩で、ボルドーのカテドラルであるサンタンドレ大聖堂へ向かう。

大聖堂は、ゴシック様式の威容を示すような尖塔と、側面に回るとフライング・バットレスがきれいに並んでいるのが見える。 11世紀には、ロマネスク様式の古い教会があり、アキテーヌ公国の公女アリエノールが、のちのフランス王ルイ7世との結婚式を執り行った記録がある。アリエノールは、のち、離婚し、広大なアキテーヌ地方を持ったまま、後のイギリス国王とも結婚することとなるが、そのため、しばらくボルドーはイギリスの都市となる。

ショッピングセンターのようなところでトイレ休憩の後、近くの支庁舎の外観を見てバスに戻る。バスの車窓からボルドーの川沿いの美しい建物を見ながら、ピエール橋を渡ったところで橋と川向こうの街並みをバックに写真ストップ。あとはサンテミリオンまで一直線だ。

忙しいボルドー見学。昼食がサンテミリオンの予定なのでとにかく急がされる。

ボルドーは、「月の港」という美しい呼び名を持つ。蛇行したガロンヌ川にそって展開した町を三日月の形に見立てた。ガロンヌの水面に、川岸の美しい建物が映るという。夜にも見てみたい町だが、ここでサヨナラ。

飛行場のターンテーブルの装飾もワインボトル








ファサードのレリーフ


大聖堂













大聖堂内部


ピエール橋から見たボルドー

レストランに到着


おー、麗しい。


コレジアル教会の中

サンテミリオン観光


ボルドーを11時半に出発、40キロを走り、サンテミリオンのレストラン到着したのは12時半。レストランは、ぶどう畑の中のシャトーホテルにある「グラン・バライユ」というところだった。ガイドさんの話だと、評判もよく、シェフも有名だそうだ。どんなお料理か楽しみ。

レストランはアール・ヌヴォー風のガラスで飾られていて、外光が差し込み、とてもきれい。お料理は前菜からお肉なので、せっかくの機会にグラスで赤ワインをもらう。なんたって、ここは有名なワインの産地サンテミリオンだ。ハウスワインだってきっとおいしかろう。

お料理は塩気も強めのはっきりした味付け。ワインは重たいというほどではなく、飲みやすい。

メインは牛ひれ肉の赤ワインソース。デザートは温かいチョコレートケーキとかわいいプチフールが出てくる。ツアーの人たちが誰も食後の飲み物をたのまなかったら、「プチフールは下げちゃおうかなあ」とギャルソンが冗談を言っていた。ツアーの食事には、通常コーヒー、紅茶が含まれていないので、時間に余裕がない昼食時は、私たちもあえて飲まないことが多い。でもプチフールはいただいた。おいしかった。

このレストランがあるホテルは、スパの設備などもあり、きれいなリゾートホテル。建物の前のブドウ畑では、畑のお手入れの車が動いている。ブドウは思ったよりずっと背が低く、まだこの季節だと、緑色の堅そうな房があるだけだ。

ブドウの畝の手前には、必ずバラの木が植えられている。虫よけになるのかと思ったら、ぶどうとバラは同じ病気にかかりやすく、バラのほうが早く発症するということで、バラを病気予防の目安にしているのだそうだ。

食後は、城壁に囲まれたサンテミリオンの村へ。ひとまずメインストリートを入って右に曲がるとインフォメーションがあるのでそこで休憩。トイレがきれいで無料なので、旅行者は大いに利用すべしとのことだ。地図、観光土産等の簡単な売店もある。

インフォメーションの裏に出てみると、コレジアル教会の回廊につながっている。次に控える、サンテミリオンでの唯一の観光、モノリス教会の見学時間の関係で、ここでは、ちょっとの休憩時間を利用して教会堂に入り、静かなたたずまいに身を置いてみた。
 
ここまで来たら、やっぱり飲むしかない

メインは牛ひれのワインソース

ベベ・カヌレにフルーツ入りマドレーヌ、フリュイ・ジュレ。このプチ・フールだけでも幸せだ。
トリニテ礼拝堂の内部


残っていたフレスコ画


この風景が世界遺産
モノリス教会は、見学に予約が必要で、現地ガイドさんが事務所でカギを借りてくる。その時間が決められていたので本日の予定は、まったくゆとりがなかったと・・・いうことのようだ。 

各団体で入れ替え制になっている。まずは、13世紀に建てられたトリニテ礼拝堂に入る。きれいにしたら出てきたという、赤色系の天井のフレスコがきれい。一部は共同墓地カタコンブになっていて石棺も見える。

サンテミリオンという地名の由来となった、8世紀ごろの修道僧エミリオンの庵があった場所も見られる。なぜかサンテミリオンが座っていた椅子代わりの石に腰をかけると、 子宝に恵まれるという。しかも、一年以内という具体的な期限付きだからすごい。どなたかお試しあれと思ったのだが、ツアーの参加者はもう孫がいる年齢の方が多く、誰も座ろうとしなかった。

いったん出て、今度は隣のモノリス教会へ。一枚岩でできた教会といわれてもピンと来ないのだが、確かに、教会の中には、天井まで一本で続く大きな柱が連立している。窓のそばにマリア様の像も置かれていたが、何しろ中心部は暗くて目が慣れないとよく見えない。

一枚岩というと、奥行きがなさそうに聞こえるので想像しにくいのだが、大きな岩盤の山のようなのようなものを、下からくりぬいたのか、上に登って掘り下げていったのか?・・・・どうやって作ったのか、そのあたりの説明はなかった。

見学が終わると15分くらいの自由時間が与えられたが、この間に表通りにあった有名なマカロンの店にもどり、マカロンを買ってくる。ゆっくり見ている時間はないので、二箱ほしいというと、空箱に中身を詰めてくれる。初めから箱にパックされているわけではないのだ。

モノリス教会前に戻ってくると、「ここからの景色見ましたかー?」と添乗員さんが声をかけてくれる。そういえば、世界遺産指定のブドウ畑をまだちゃんと見ていないではないか。このブドウ畑は、ブドウ畑としては初めて世界遺産に認定されたところなのだ。サンテミリオンの村は高低差があり、坂道が多い。教会前のテラスから見ると、目の下に村の家の屋根が見え、その外には延々とブドウ畑が広がっている。

写真撮影をしたところで、サンテミリオン観光はお終い。村の外でバスを待って16時半に出発。途中の鉄道駅で、ガイドさんを下す。昼食の時間、モノリス教会見学の予約時間など、決められた予定をこなすためではあったのだが、彼女の電車の時間に間に合わせるため、ずっとせかされたのかと思ってしまう本日の観光だった。いや、よく説明もしてくれていたんだがなあと思い返すも、どうも妙に急がされた印象が強くて・・・。

きれいな彫刻の石棺


どうやって造ったんだろう?


台紙に貼りついたマカロン
 

これが領主の館


2方向が窓で明るい部屋

夕食 20:00-

長距離ドライブでホテルに到着


サンテミリオンからホテルのあるヴィトラックという場所までは2時間半以上かかった。ようやく到着したホテルは領主の館を改装したというもので、広い庭の中にあり、落ち着いた感じ。庭のむこうには、ゴルフ場も付いている。私はゴルフのことが分からないので何とも言えないが、ちょっと見て、「ま、田舎のコースだね」という感想もあった。

お部屋も広くてゆったりしている。もう夜の7時過ぎだが、まだ明るいので、ベランダのデッキチェアーに座って、8時からの夕食を待つ。
レストランのフロアには、隣にビリヤードテーブルのあるバーがあり、レストランスペースより広い。レストランにはテラス席もあり、赤と白の布の日よけがかかっている。これもまた素敵だ。屋内の丸テーブルに着席。まだ時間が早く、私たち以外には、お客さんはいない。

前菜の前に出てくるアミューズが、変わっている。小さなグラスに入った赤い液体、プチトマトのリンゴ飴風 なんだかわからない小品が大皿にのって出てくる。「こりゃ、なんだろうねー」の連発だ。

メインは鴨のローストだったのだが、デザートの後にもプチフールが出てきて、もうお腹いっぱいだ。

あとは寝るだけだから、食後にコーヒーを頼んでゆっくり飲んでゆく。終わった人は自由解散だ。思えばパリからボルドーに飛んで、バスで延々と移動した長い一日だった。
   
6月26日(金)

起床 7:00
朝食 7:30
出発 9:30


果物のジャム各種。このカラフルさは目の毒。 



クルーズ 11:00
       -12:00 


すれ違う舟には、やっぱり手をふっちゃうよね。

ドルドーニュ川沿岸の観光


ゆったり眠って、モーニングコール前に、鳥のさえずりで起床。
朝食のレストランは昨夜と同じ場所。ジャムの種類が多くて、どれも試したくなる。朝から食べ過ぎそうだ。

一休みして、身支度を済ませて出発は9時半。ホテルの敷地の外はもうドルドーニュ川で、近くの村には水遊びの人もやってくる。

少し走ると、もうドルドーニュ川クルーズの出発点、ロック・ガジャックの村だ。岩山にへばりついたような村で、こういう村を訪れるのは初めてかもしれない。

乗り場の前には朝市が開かれていて、食品が時に興味を引く。おばちゃんが、自家製のものを瓶に詰めて売っているのかな?この辺りは、田舎ではあるが、美食の里といわれる地方だけに、食べてみたい。でも、これからクルーズだからなあ・・・。と思いながら通り過ぎる。

ドルドーニュ川のクルーズ

舟は帆掛け船みたいで、船底は平らだ。ガバール船という。帆は開いていないがマストが数本立っている。日本語対応のイヤホーンガイドもついており、船乗りの語りという形で川、歴史、舟の役割などの説明が展開される。

横には、むき出しの岩肌の切り立った崖の景観がゆっくりと流れてゆく。中腹に建つ家の壁も、岩と一体に見える。右手にも左手にも小さな城塞が見える。今は、平和にゆったりと時が流れるこの田舎の村も、何百年も前には戦乱の地だった。当時はこの辺りはイギリスだったわけで、イギリスとフランスの戦いが繰り広げられ、ドルドーニュ川が血の色になったといわれる。とても想像しがたいが、ドルドーニュ地方は受難の地でもある。

20分ほど、さわやかな風を受けながらクルーズすると、奥に美しい橋と城が見えてきた。これがお写真ポイント。金髪の現地ガイドさんが、ちょくちょく二人の写真を撮ってくれる。

緑色の水面には細かい白い花が浮いている。船は、この先は違う名前の支流になるという分岐点まで行って、引き返してくる。約一時間の気持ちのよいクルーズだった。

川から町を見ると・・・。


橋のアーチもきれいに水に映っている
フリータイム&昼食       12:00-13:45


素朴な石の教会

前菜の断面、サーモンのムースの上に帆立に海老


ガチョウの絵柄の皿
ロック・ガジャック散歩

船を降りたら、もう朝市は終わりかけていた。特に見たいお店もないので、フリータイムに崖の中腹の道まで行ってみる。崖の表面にある村落なので奥行きはない。坂道を入ると、すぐに中腹の一本道に出る。下から見ていた時は遠いかと思っていた教会にも、簡単にたどり着いた。建てられた年代はわからないが、ロマネスク風の小さな教会だ。中も簡素。新しい時代のものと思われるステンドグラスがついている。

ゆっくり、中腹の一本道を歩く。さらに上に行く道がもう一本あるが、そのまま先の門まで行って引き返す。何か臭ってくるなあと思ったら、パカパカと馬が数頭、人をのせて、歩いてきた。観光客なのだろうか。各馬には引率者がついている。道が細いので、馬も人も一列だ。

途中で坂道を下ると、ツアーのお仲間の声が響いてくる。集合場所は川沿いにあるレストランの前。もうそろそろ集まってきているのだろう。
川沿いの道には観光客のための道。土産物屋とかホテル、レストランがある。


昼食は≪ガチョウの羽亭≫

私たちが昼食をとったのは、ホテル兼レストランのプリュム・ドォアというかわいいお店だ。中に入ると、お店のマダムのあいさつがある。食事を出すときも、親切に説明してくれるのだが、割と聞き取りやすいフランス語だと思ったら、お店の人は実はイギリス人なのだそうだ。「いったい何を思ってこんな外国のド田舎まで来て、ペンションやろうって思ったのかね?」と同じテーブルの旅仲間としゃべっていたが、「もっとも、この辺、元イギリスだったんだよね。」とオチが付いた

お料理だが、こんな山の中で、生のホタテやエビを使った前菜が出てきてびっくりした。盛り付けも美しい。醤油まで用意してあるのは日本人向けのサービス。メインは白身魚のオリーブオイル焼き。料理法もシンプルで、さっぱり食べられる。海外だと肉食が多いが、今日は前菜もメインもお魚で、ちょっと軽めなのがありがたい。デザートも軽めで、きれいで美味しかった。重た目の郷土料理、グルメの里のドルドーニュで、この食事は予期しなかった。これからフレンチの食事が続くことを考えると、これはうれしい。

食後は、川沿いの土産物屋に寄って、買い物をする。フォアグラの産地だけあって、陶器の絵柄にもガチョウを描いたものが多い。旅仲間の上品な奥様が、5ユーロで、陶器の柄が付いたバターナイフを見つけて購入していた。ガチョウの絵、鮮やかな花の絵がついていてとてもかわいい。何本かかって、お友達にあげるのだそうだ。いいお買いものだなと見てはいたのだが、なぜか買わずにきてしまった。失敗!
ロック・ガジャック出発     14:00 
ベイナック城観光
    14:25-15:30  


この車、絶対邪魔!


城門


こんな色気のない城




ベイナック出発
     16:20


ベイナック観光


ロック・ガジャックからバスでベイナックに移動。ふもとでベイナック城全景と村の写真を撮ってゆく。城までは、緩やかな坂の自動車道がある。バスで登っているときに、「城の見学後、徒歩で降ります」といわれたが、この道は風情は何もない。みんな無言でいると、「降りるのは別の道ですよ」とのこと。 

城の周りに小さい集落がある。入口の門近くで下車し、徒歩で入る。土の色の民家が並んでいる。中世にもどったような村の小路の写真をとろうとしたら、住人の車が駐車されていた。どこかに隠してくれればいいのに、と観光客は思うわけだ。

門から城門まではとても近い。ベイナック城は、12世紀ごろに建てられ、2世紀かけて増築されたもの。1999年公開のリュック・ベッソン監督の映画「ジャンヌ・ダルク」のロケにつかわれたので、まだ城内には、撮影時に使用したものが残っているという。

門の中は広場。厩もここに置かれている。中世の、防御用の砦なので、優美な王族の住居ではない。外見は装飾もない石造りで、外から見える場所には窓など開口部はほとんど設けられていない。高い位置に、出窓のように飛び出した小部屋があり、下には穴が開いている。排泄物が、直接落ちる簡単な仕組みのトイレだという。洋の東西をとわず、昔のトイレは寒かった!?

中に入ると、がらんとした暗い部屋に槍が立てかけられている。家具はほとんどおかれていない。上の階に行くと、暖炉やタピスリーのある部屋があるが、この石造りの暗い部屋では暖炉がどれほど効果があるのだろう。宗教画、騎士団の旗などがかけられた大広間がある。ただ広い石造りの広間は、冬場は体が凍えそう。

間違いなく住環境は悪い。だから、持ち主も住まない。ベイナック城については、個人が買い取り、修復をすすめつつ観光用に公開している。中世の映画やTVのロケ地にとして、時々利用されるようだ。

城の上に登り、ドルドーニュの流れを眺める。ドルド-ニュ川の両側の丘には、英仏で領地争いをしていたころの名残の要塞としての城が点在している。城の持ち主は城の維持ができないことから売却してしまい、今は他国人の所有になっているところも多いという。私たちは行かなかったが、観光スポットとして、戦争の博物館として公開しているお城もある。

城の門に戻って、入場口兼売店でベイナック城土産の買い物。静かな城の入口が、ツアーのおばさまたちの声で、一気ににぎやかになる。記念にベイナック城の形のマグネットを一つ買う。地味な中世風の石壁の色がそれっぽい。「あれがいい」、「これがいい」でひと騒ぎして全員買い物が終わると、バスで来た時とは逆の方向にむかう。

ベイナック城の裏側には急な坂がある。石造りの家々に挟まれた細い道だ。石壁についているランプや、絡んだつたの葉、途切れた家の間から見える川や緑の平原の風景を楽しみながら、転ばないように気を付けて坂を降りる。高低差はあるが家の件数も少なく、小さな村だ。

午前中に行ったロックガジャックも、このベイナックも、フランス観光局が認定した「フランスの最も美しい村」の一つだ。美しい村の条件の一つは、村の人口が少ないこと。この家に何人住んでいたとしても、間違いなく人口は少なさそうだ。

ふもとに戻ると、そこには少し観光客向けのカフェや土産物屋もある。外国人観光客がゆったり屋外のテーブルに座り、ビール腹に更にビールを足している。

そろそろ4時だが、まだお昼のような感覚。川辺を散歩しながらバスに戻る。

乗ってしまえばホテルまでは20分ほどだ。夕食まではずいぶん時間があり、ゆっくりできる。
城の遠景 


大広間


この杭は映画に使用したもの。


転がりそうな坂だ。

夕食 19:30


アミューズ


前菜の生ハムサンド。日本では
これだけでランチの時もある。

ホテルで夕食


まずは、アミューズ。 前日と同じような趣向で、また何かのジュースと、トマトの砂糖がけ、小さなパイが一皿にのっかって出てくる。 これらは、何かわからないので、解説がほしい。つづいて、ハムのトースト・サンドがでてきた。

この地方での夕食は2晩目。名物のフォアグラはいつ出てくるのかなあ。添乗員さんが、このコースでは、お客さんに「フォアグラはもういいわ・・・」といわれたと言っていたので、ちょっと期待していたのだが、この日のメインはラムのケルシー風。ケルシー地方の料理の特色ってなんだろう???ラムは、「ポレンタ添え」となっていたが、イタリアの黄色いトウモロコシの粉をこねたものを想像していたところ、水分が多く色も鮮やかではない、予想とは違ったものが出てきた。いろいろな土地で食べる食事は、驚きがあって面白い。

夜はゆっくり時間があるので、ワインを楽しむ人も多い。給仕さんがボトルから注いでくれるのだが、隣りのテーブルから、ワインの量が少ないと苦情が出る。こちらのテーブルで、もっと一杯注げ、と給仕に無理強いをして入れさせた人がいたので、その分のしわ寄せが隣にいってしまったのでは?意図していなくても、こんなことも起きるかもしれないので、飲みたければ、「もっともっと」とか言わずに、二杯目を頼もうよ!少なくとも、私たち以外は皆さん金持ちなんだからさ。

デザートに、更にまた謎のプチフールの盛り合わせで〆。本日もにぎやかな夕食だった。
  
6月27日(土)

起床 7:00
朝食 7:30

出発 9:00

サルラ到着 9:15


マルシェの活気が・・・


ソーセージだ。むき出し。 


⑤近辺 大聖堂の裏手


⑤死者の角灯。この形は。たけのこの里?




説明はついているが、すべてフランス語。年代くらいしか理解できない。


こんな店でランチタイム


高級キノコ入りオムレツ

サルラ出発 13:45
サルラ観光




ホテルを9時に出発。15分ほどでサルラの町に着く。城壁の外の駐車場にバスを止め、旧市街まで歩く。わずかの間に、安い洋服を並べたお店が出ている。Tシャツ5ユーロ!

城壁に囲まれたサルラの旧市街は、町並みの保存のための法律「マルロー法」を初めて適用された町。この地方では大きな町に分類され、美食の郷ペリゴールの中心地だけあって、メインストリートのレピュブリック通りに入ると、すでに食品の市がたっている。蜂蜜、ハーブ、キノコ、フォアグラ、すごいにおいのチーズもある。自由時間には買い物してゆこう。   

まずは、見学の為横道に入る。訪れたのはサン・サセルド大聖堂②だ。はす向かいに立つラ・ボエシの家㉒は、装飾的で美しいのだが、大聖堂のファサードは極めて地味だ。中に入って、余り説明もなくそのまま裏へ抜ける。大聖堂の裏手は共同墓地になっており、ロケットの先端のような形の「死者の角灯」⑤が建っている。表通りから少し離れているのでとても静かだ。

聖堂の横に伸びる細い道に入り、石造りの壁の間を歩く。ところどころ、解説のプレートが付いている家がある。観光上重要な場所なので、観光局でもらった地図と合わせてたどるとよい。町の規模も小さいので、一人でも、名所をくまなくまわれそうだ。

細い通りを抜け、ガチョウ広場へ。この町の紹介写真に必ずと言っていいほど使われている、3羽のガチョウの像のある広場だ。家に囲まれた小さな広場だが、観光客の人気スポットで、大体ガチョウのそばで写真を撮ってゆく。その辺は、外国人も同じらしい。すぐそばにある、マリアの泉に立ち寄り、リベルテ広場周辺のマルシェを見学、それぞれちょこちょこ買い物もする。

その後、2時間近く自由時間となる。昼食を個人で食べるのは不安だという人は、広場で再集合してガイドさんと一緒に行くことになっているが、私たちは食べたいものがあるので、さっさとツアーの人たちと別れ、まだ行っていない観光スポットを回りながら、昼食のレストランのあたりを付ける。

観光客向けのレストランの店先には茸がディスプレーされている。地元の特産品のセップ茸(イタリアでいうところのポルチーニ茸)を使ったオムレツを食べようと決めていたので、そのうちの一軒に入る。12時過ぎているが、まだ客がいない。さっそくマルシェで買った乾燥コノコ各種(ジロール、セップ、トランペット、モリーユ茸)を確認がてら、テーブルに広げてにんまり。フランスでも高級キノコとよばれるものなのでいいお値段だが、日本ではあまり見ないラインナップで、茸好きには嬉しい限りだ。

連れはセップ茸のオムレツ、私は、ジロール茸のオムレツを注文。簡単なサラダとパンが付くワンプレートディッシュで、10ユーロ。フランスの観光客値段の割には量も料金も手ごろ。近くの店も、相談して決めたのかというほどほぼ同じような価格設定だ。別料金のコーヒーを飲んだら、又観光の続きに出かける。

町中歩き回るが、最後に、地図にある「市役所とサント・マリー教会がないね・・・」「どこだ~?」ということになる。「リベルテ広場に面しているはずだが・・・?」と思ってよく見たら、マルシェのテントで、市役所は隠れてしまっていた。マルシェの店がをたたむ時刻となり見晴らしがよくなったので、ようやく気付いた。

サント・マリー教会も、リベルテ広場の近くの、どーんと目立つ建物で、こちらも何度も通って見ていたものだった。今は現代建築家の手で改装されモダンな建物に生まれ変わり、中には市場が入っている。そういえば、ガイドさんの説明をきいたっけ・・・。そんなこともすっかり忘れ、地図でサント・メリー教会という文字を見たときに、古い教会だと思いこんで探したので、見逃したのだ。場所を確認して気が済んだので、ついでに市場ものぞいてみる。ここにも、フォアグラ、トリュフがいっぱいだ!

大聖堂が集合場所なので、大聖堂に向かう。途中のインフォメーションにトイレがあるので立ち寄ると随分混んでいる。トイレは無料。一人が入ってから次の人がすぐに入れないようになっている。なんでだろうと不思議に思ったが、トイレの個室のドアに赤ランプが点灯して、次の人が入るのを拒否するのだ。えええ?どうなっているのかわからない。

急を要するわけでもないので、しばらく歩いて、他の公衆トイレに行ってみる。連れが出て、誰も入っていないのに赤ランプが点灯。開かないのかと思ったら開けることはできたので、中に突入。すると、周りから霧のように水がかけられ、便器が移動し始めるのを目撃。利用者が外に出たあと、便器ごと壁の方によせて、あるいは一旦壁の裏側に格納して、洗って乾かして戻すのだろうか。さすがに、予想だにしないことに驚き、水をかぶるのも嫌なので、すべてを見ないうちに探究心も捨て個室を飛び出す。これでは時間もかかり、行列ができるわけだ。フランスって、いつからこんなご丁寧な無料トイレを置くようになったんだろう。すごいぞ!でもやりすぎの感も否めない。

素晴らしきトイレ体験の後は、集合時間まで、あまり見ていなかった大聖堂の中を見学する。大きなパイプオルガンもある立派な聖堂だ。隣接の塔や教会も見どころにあがっている。静かな聖堂を一回りして出ると、そろそろほかの人が到着している。この後は、城壁の外の駐車場からバスで次の目的地へ向かう。



②聖サセルド大聖堂


㉒ラボエシの家


⑫の左、ガチョウの広場。今日も仲良くグワッグワッグワ。



⑭コンスル通りのパルモンの館



⑧ル・プレシディアル 変わった建物だ。



⑳ヴィエンヌの館


⑪リベル手広場、テントの後ろは市庁舎


⑫元サント・マリー教会
モンティニャック到着
      14:15

ラスコーⅡ見学 14:30


意外と質素な入口


本物のラスコー洞窟の入り口は柵の中。この奥かな?

モンティニャック出発         16:00

ラスコーの洞窟

山の中に移動。ラスコーの洞窟へ行く。

本物の洞窟は、保護保存のため、現在立ち入りできない。観光客は、「ラスコーⅡ」という洞窟のレプリカに入場する。内部は暗く撮影も禁止だ。洞窟の見学は係り員の引率と解説がつくが、英語なので、添乗員さんが訳してくれる。まず初めの部屋では、映像を使った、歴史的背景や洞窟の発見、その後の複製の制作に関する話などを聞く。

続いてドアが開きいよいよ洞窟複製の内部へ。薄暗く、ひんやりした洞窟の中は、外の暑さを忘れさせてくれる。入ってみると、洞窟の壁の凸凹まで本物に忠実に再現したと説明で聞いてはいたが、想像以上に臨場感がある。一か所細くなっている場所があり、そこを通過するとさらにもう奥にも小部屋がある。そんなところも芸の細かさが感じられる。

天井に牛や鹿がたくさん描かれている。天井や岩壁の凸部分を利用した牛の腹の量感が見事。鹿の躍動感もすごい。今ではいないマンモスも、描かれている、目が慣れて落ち着いてみると、馬もたくさん描かれている。

1万7千年前の人類に、こんな描きにくい洞窟のなかで、素晴らしく写実的な絵をかく技術があったことに感心すると同時に、芸術という意識はないだろうに、何のためにこのような絵を描く必要があったのか疑問に思えてくる。宗教的な意味だとか、狩りの成功を願う呪術的な意味だとか、諸説紹介されるが、今一つ決め手がないそうだ。

見学したレプリカの洞窟自体は狭いのに、説明を聞いて見学し終わったら40分も経っていた。少し体が冷えた。

本物の洞窟は、レプリカから200メートルくらい離れた林の中にあるとのこと。少し坂道を上り、柵越しに、「あのへんだね」と確認して戻る。
    
ドンム到着 16:40



電気で走るミニ・トレイン。最近は色々な村で見られる。

教会内部は、全体に白っぽい。


中央の建物が旧役場。今は観光案内所だ。


観光案内所の入口には、中世っぽい御仁が立っている。


貸切ミニトレイン。個人負担で了承したのに、ツアー会社が費用をもってくれた。

ドンム出発 18:00

ドンム観光   

ホテルに帰る途中、まだ時間もありそうなので、ドライバーのロランさんの提案で「美しい村」の一つ、ドンムという山の上の村に連れて行ってもらうことになった。旅仲間はみんな拍手。年配の方の参加が多い、ゆったりした日程を売りにしているツアーなのだが、まだ誰も、お疲れの様子はなく、早くホテルに戻りたいという人もいない。

山のふもとでバスを降りたら、そこに、電気自動車のミニ・トレインが来ている。緩やかな坂を上り、村の中心部まで行く。教会前の広場で降りて、一時間程度の自由時間後、同じ場所で再集合だ。村はこじんまりしているので、散歩だけなら一時間で足りそうだ。

まず、こういう時は、教会に挨拶がてら入ってみる。ノートルダム教会とある。一枚岩がペロンと立っているようなファサードだ。内部は白い石が積まれているので暗い感じはないが、開口部は少な目。アーチ型の天井なので両端が下がっていて多少圧迫感がある。身廊の脇の部屋は鉄柵で区切られ、中に僧衣が展示されている。きれいな刺繍で、鉄柵に貼りついて見てしまう。

教会の並びの目立つ建物は元の役場。今は観光局になっている。前の通りは、この村のメインストリート。少し下り坂になっており、城門の一つにつながっている。



両側には小さいお店が並んでいる。土産物店、フォアグラ専門店、酒屋・・・。狭い村の中だから、他の旅仲間が、店頭であれこれ土産物を選んでいるところに出くわす。私は、この土地の名物のクルミのケーキを、買おうか買うまいかと迷う。きちんと焼いてあるので、常温保存でOK。賞味期限も大丈夫。でも大きい。こういう時は結論は先送り。

ほかの店も見に行こうとしたら「ちょっと、これ、なんですかね?」とお仲間に呼びとめられる。たぶん、食いしん坊の私たちは、食品に詳しいと思われているらしい。参加最長老のご夫妻は、お酒のつまみに、パテなど買ってゆきたいのだそうだ。随分と、お若い食生活だとびっくり。私たちは結局あれこれ迷って、パテの缶詰だけを買っておわりにする。クルミのケーキを買わなかったのを・・・後になって悔いた。

一本道を入ると小さな民俗博物館がある、入りたいのはやまやまだが、さすがに展示を見学する時間がなさそうだ。城壁の方まで散歩して、ロード広場、コンベ門に到達したら裏通りに外れて、小さな坂道を楽しみながら散策する。茶色い壁の家々に囲まれ、中世っぽい。

多少余った時間で、絶景ポイントの公園から、ドルドーニュ川と平原の眺めを楽しむ。もう夕刻だというのにあまりに暑いので、公園の手前のカフェで缶コーラを買って飲む。隣りの建物には鍾乳洞への入口もある。小さい村と思ってはいたが、もう少し長くいても遊べそうだ。

18時に集合。最終トレインかと思ったら、定時に出るものではなく、バスのドライバーさんが特別チャーターしてくれたものらしい。私たちのツアーの客だけを乗せ、走り始める。大通りを下り、城門の手前で左折、右手に低い城壁ごしに風景を眺めながらゆく。「おー、いい景色だねー」と歓声を上げると、トレインは一旦停止して、写真を撮らせてくれる。城壁に沿って内側を進むと、入口の門に到着、そのまま抜ける。ドンムの村とお別れだ。
麗しや、聖母子に、花の絵柄。こんな法衣なら欲しい。



パテ、テリーヌなどのセット。安かったので、フォアグラは入っていない


夕方の裏通りは静かだ。日は高いがもう5時過ぎ。


ドルドーニュの流れ


ドンムの村の入口の門


ホテル到着 18:30 
夕食 20:00



夕食はフォアグラだ!・・・が。


ドンムの村を出てバスが待っている駐車場へ。ミニ・トレインの運転手さんと記念撮影をする人たちもいる。トレインの運転手とバスの運転手が似てると言い出す人がいて、この兄弟で、結託して商売してるんじゃないかなんて言う噂も・・・。「そういえば、仲がいいね」「ほら、絶対兄弟だよ」なんて、旅仲間の勝手な憶測や盛り上がりも面白く聞かせてもらった。

バスにのりかえてから、ホテルまでは10分くらいなものだ。夕食は今日も20時。できれば前倒ししてくれれば早く寝られるのだが、フランスは8時でも早い方らしい。

三日目ともなるとパターンもわかってしまって、面白くないが、今日はフォアグラが出るという。よっ、待ってました!と言いたいところだが、私の好物はフォアグラのポアレ。今日はフォアグラのパテだ。こってりフォアグラのパテの後は、スープもメインも魚だったので、さっぱりといただいた。デザートもフルーツサラダとシャーベットで、とても美味しかった。
    
6月28日(日)

ホテル出発 9:00
カオール到着 10:15

ロット川にかかるヴァラントレ橋


買いたいが、荷物になるのであきらめた。

これが北の門 ここからは入れない。


カオール出発12:10

悪徳の町、カオール観光

9時にホテル出発。 カオールの鉄道駅で、現地のガイドさんをピックアップ。

まず、カオールの外を回り、ロット川にかかるヴァラントレ橋を見学。この橋を渡ると細い道が山の中に続いており、昔ながらの巡礼道だという。

ヴァラントレ橋は遠景での見た目もきれいだが、要塞としての役割も果たすというすぐれた橋だで、実際にわたってみるとかなり頑丈なつくりなのがわかる。1308年から1360年に建築されたが、カオールの町をずっと守ってきたという。さて、この田舎の町が、果たしてどこまでそんなに守りを固める価値があったのかというと・・・。実は、カオールは当時は巡礼道の中継点としても栄え、ことに金融業者が多く住んでいて、町も富んでいたという。キリスト教国では、昔は金貸しはさげすまれていたので、その繁栄ぶりは「悪徳の町」とも例えられたのだそうだ。

ヴァラントレ橋を引き返し、橋のたもとに植わっているブドウの木の説明を読む。カオールはかなり古い時代、おそらくフランスで最初のワインの産地といわれている。ブルゴーニュやボルドーほど有名ではないが、黒ワインと言われるフランス王家にもおさめられた由緒あるワインを作っている。主な葡萄尾の種類は、マルベック。

ワインの売店と反対側には小さな土産物店がある。ワインの専売所は冷やかしでは立ち入りがたい雰囲気だが、売店のほうはなんでも売っているコンビニエンス・ストア風で入りやすい。旅仲間のご夫婦にカオールのワインは有名で・・みたいな話をすると、「お詳しいですね、そういう関係のお仕事で?」・・・と感心されるが、バスの中でガイドブックを読んだだけ。そのガイドブックも、彼らと同じもの。小さなコラムだったので目に留まらなかったのかな?

葡萄の木が植わっている川沿いを散歩し、ヴァラントレ橋の全景をバックに写真を撮りながら、迎えのバスに乗る。少し走って、今度は町の反対側で降りる。今度はサンテティエンヌ大聖堂の見学だ。

後陣の庭にはたくさんの植物が植えられている。きれいに区画されて色別になっている。これらの植物は、また、薬草でもあり、無駄に育てているのではないとのこと。じりじり暑くて説明を聞くのも限界、日陰に移動する。

このカテドラルの最大の見どころは北の門のキリスト昇天の彫刻だ。中央にキリストを配し、左右の天使はなぜかノリノリでのけぞって踊っているようだ。キリストの下の段には聖母を中心に裏切ったユダを抜かして11人の使徒が並んでいるが、端の一人は入りきらず、半分体をのぞかせている。この聖堂の名前になっている聖エティエンヌは石を投げられて殺された聖人だというが、その物語も、キリスト昇天の横に描かれている。脇の柱には花の彫刻がある。高さも適度で、すぐ近くから見られるのがありがたい。

日曜なので中ではミサをやっていた。新生児の名づけのミサをやっているらしく、普段見られないものを見せていただいたが、このミサのおかげで、ドームの片方にあるフレスコ画を見損ねることとなり、後で悔しい思いをする。(素晴らしい天井のフレスコがあると知ったのは、旅の最後のパリでのことだった。)  

カオールの大聖堂はミサだけ見て出てくると、現地のガイドさんが町の地図を観光局からもらってきてくれたところだった。ミサも終わったので中に入って見学するのかと思いきや、地図を配られただけでお終いでバスに戻る。ガンベッタ通り見学というのも、広い通りをバスで通るだけだった。これだけだとちょっと観光が足りない気がするのだが・・・。この町に、又来ることはあるだろうか?

 
ヴァラントレ橋の真ん中の塔


この人、石を投げようとしています?

わりとすっきりした植物柄
サン・シル・ラポピー
  到着     12:50

昼食 13:00


これがカオールの黒ワイン

観光出発 14:30


風景の話だけで炎天下に30分熱射病一歩手前までいく


わずかに色が残るフレスコ画


13世紀-14世紀ごろの窓


外から見る美しい村の全景


サン・シル・ラポピー出発    16:00
サン・シル・ラポピー  

又もフランスの美しい村として有名な場所へ。サン・シル・ラポピーという山間の村だ。崖にへばりつくように家が建っている。

バスの駐車場から、徒歩で村に入って、一本のメインストリートをひたすら下る。目標は昼食のレストランだ。だいぶ下ったところにレストランの看板を発見。「下がったってことは帰りは登りだね」「しかも昼飯の後は、からだが重くてきついね」などと言いあいながらレストランに到着した。

階段を登って2階がレストラン。半分は帽子屋さんになっている。かなり奇抜なカラフルな帽子が多い。田舎風の家を利用したレストランだが、壁には現代アーチストの作品がかかり、店員はパンク系の入れ墨ありのお姉ちゃんだったりする・・・。

食事は田舎風のオニオン・スープと鶏のグリル。みんなで黒ワインなるものを飲んでみようと、カオールのワインを一頼んだ。確かに、ちょっと黒いかな? 思ったほどタンニンが強くはなかった。デザートは、かぼちゃのケーキ。これも美味しかった。

食事が終わるころ、この町の現地ガイドさんがやってきた。こんどはレストランから一気に村の絶景が見える展望台へ。ガイドさんは、そばかすの残る若い女の子で、サン・シル・ラポピを愛しているのがよくわかる。きれいなところを見てもらいたいと、一生懸命説明してくれるが、さすがに炎天下で30分も続けられては、みんなも参ってしまった。

写真撮影が目的の参加者の男性は、すでに適当にカメラを持って、あちこちの絶景スポットで、ロット川の渓谷の風景写真を撮りまくっているが、その他の旅仲間は一応説明を聞いてるふりをしながら、頭の中では日陰を探し、早く説明が終わることを願っていた・・・に違いない。私も暑さで、初めに聞いたサン・シル・ラポピーという村の名前のいわれさえも10分後には忘れていた。

ようやく説明が終わり、ボチボチ坂を下る。今度はもう一つの高台のサン・シル教会(地図の6)に登る。この村は高低差があるので、観光するときに、上から順とか下から順とか効率よい順路を考えてもらいたいものだ。観光局からもらった地図も、妙に縦長。入口から、ほとんど下りの一本道の坂道だと思ってもらっていい。(1から22)

サン・シル教会は外見も古い要塞の壁のような建物だ。飾り気もないが、背が高く立派。内部には一部だけ当時の柱やフレスコが天井に残っているがそれ以外は、見るべきものもなさそう。

集合場所に戻るのに、石造りの古風な街並みをゆっくり鑑賞してゆく。どの道をとっても、フォトジェニック。花が咲いてたりテラスにプランターが置かれたりしていると、申し分ないお写真スポットだ。途中の、中世の窓を持つ家は美しいので、芸術家のアトリエに使われているという。普通の古い建物で「全然きれいだとおもいませんよねー」と言っている旅仲間もいたが、私は相槌を打つのを躊躇した。アーチを組み合わせた窓を、私もとっても素敵だなあと思っていたところだった。

村の入口に戻り、一件しかない雑貨屋に水や絵葉書を買うために入る。しゃれたアトリエはあるが、こういう雑貨屋は、美しい街並みの中では見つからなかったのだ。旅仲間が会計をしている間、ちょっとした事件が起こる。連れ合いが、手に持っていたビデオをカバンにしまったところを、お店のおばちゃんが、万引きと勘違いして怒声をあげたのだ。

とっさに何が起こったのか誰もわからない。ただ、おばちゃんが怒鳴りまくっている。添乗員さんが事情を理解し、彼はそんなことはしないと言ったが、おばちゃんの怒りは収まらない。私も、カバンをレジの上にあげて、あけてみてくれと言ったが、「盗んだけど、もう戻したんだ」と言って聞かない。「けっ、誰が、こんなケチな雑貨店で、子どもじゃあるまいし飴玉(ボンボン)なんかとるかよ・・・」と思ったがまあ、疑われるようなことをした方も悪い。李下に冠を正さずと・・・。連れにお菓子に触ったかどうか聞いたが、触ってないというので、いざとなったら「警察呼んで指紋の検査しろ」と言ってやろうと思ったが、なんとなく静まったので水だけ買って出た。おばちゃんはまだ怒っていた。この美しい村で、身から出たさびとはいえ、イヤーな思いをした。

バスに乗って少し走ると、村全体が見渡せる場所があるので、バスを止めてもらい写真を撮りに降りる。外から見ると、サン・シル教会がすらりと背が高く、恰好がよい。石の壁や屋根の色も統一がとれていて、なるほど「美しい村」だなあと思った。美しい村(正式には「フランスのもっとも美しい村」)に認定される基準は、歴史的建造物や景観など遺産・遺跡が最低2つ以上あり以外にも、規模が小さいことも条件だ。人口は2千人以下となっている。
 
ロカマドール到着
      17:40


ロカマドール全景。山の上の城から崖の中腹に聖域、下には細い筋状に家が並んでいる。

夕食 19:30

村の入口、イチジクの門から聖域を臨む

聖地ロカマドールへ
  

炎天下の観光で体力を消耗したらしく、みなさんも疲れ気味。バスの中で仮眠するのも丁度いい。

しばらくすると、眼下にロカマドールの町が見えてくる。上から見ると、この村は谷あいに一本の道の両側に家が建っているだけ。村の手前には急カーブがあり、バスに乗っているのは怖いくらいだが、運転手のロランさんは手慣れものだ。曲がりきると拍手が起こる。

村の中はもちろんバスなど通れない。村の入口の「いちじくの門」(下の図の5)の手前に駐車場があるので、そこでバスを降りる。通りをホテルまで歩く。道の両側にはホテルが数件、飲食店も数件、あとは土産物屋ばかりだ。フランスでは、モン・サンミシェルに次ぐ人気の観光地だというが、ホントかな? そういえば、成田のラウンジで帰省する同じ会社のフランス人と偶然あったが、ロカマドールに行くと言ったら、「いいところだよ」と言っていた。
 
ホテルは村の門の中の古い騎士団館跡を改装したホテル。ロビーが中世風でカッコイイ・・・と思ったら、宿泊するのは別館の方だった。まあ、古い本館より新しい別館の方が使いやすく機能的だろうといい方に考えてみたのだが、別館もわりと粗末なお部屋だった。ここは巡礼地なので、豪華なホテルは要らないのだ。村の門の中には数軒しかホテルもないので、これでも一番の高級ホテルとなるらしい。お部屋には冷蔵庫もない・・・。ジュースなど飲み物は階段の下の自販機で買えということらしい。

夕食時に、一人参加なのに部屋をアップグレードさせているという男性が、カード式のカギで部屋のドアが開かないと一悶着起こす。係りの人が一緒に行ってみたら開いたというが、また開かなくなったという。添乗員さんがついて行ったら、普通に開いたらしい・・・。「差し込む方向でも間違えたんじゃないの?」「さっき開いたのにあかないわけがないわよね・・・」と外野の声。本人がいないから、きこえないだろうし、まあいいか。それにしても添乗員さんは食卓にもつけづ、てんてこ舞いだ。

私たちの部屋は何の変哲もない部屋だったが、上の階のお部屋は屋根の傾斜にそって、ベッドの頭の方の天井が低くなっていて、仮眠して起きた時に頭をぶつけてしまったと、ある夫婦のご主人が言っていた。北枕にならなければ、頭と足の方向を変えてみたらどうかと言ったら、「なるほどそれはいいかもしれない」と独り言を言いながら真剣に考えていた。よっぽどぶつけやすい構造なのだろう。不注意な私たちが、もしその部屋だったら、絶対たんこぶだらけになっているに違いない。

夕食はホテルの屋外のレストランで別館入口のすぐ横だから、部屋に帰るのはとっても楽。お食事に手を抜いたのかと思ったが、結構おいしい。大きな一枚もののスモーク・サーモンは海もないこの土地の名産品ではないが、食べたかった味。野菜も嬉しい。メインは魚だ。・・・あれ? そういえばフォアグラはもう出ないのかしら???まあいいか。デザートのリンゴ・タルトも満足。

夕食後はみんなお部屋にもどったが、私たちは夜の探検。とはいえ一本道で、少し行くともう村のはずれだ。10時過ぎになって、聖域と言われている崖の中腹の方がライトアップされ始めた。月も出て、幻想的できれいだ。散歩し終えて、ジュースを買って部屋に上がろうとしたが、自動販売機に入れる小銭がない。レストランのお姉ちゃんに両替してもらった。レジは遅い時間でクローズになっていて、自分のお財布を持ってきて両替してくれた。コンビニもないし、店も閉まっているので、都会の生活に慣れていると不便。

6月29日(月)


エレベーターもあるが、歩けるうちは、足で登ろう。

ロカマドールの黒い聖母


外にはこんな絵


岩肌が壁になっている


外壁にあるフレスコ画。こんなところにあって大丈夫?


アマドールの墓

受胎告知のフレスコ画
人物の顔の向きが逆。次回印刷時はなおそうね。



これで、700円も取るなよ・・・。

ロカマドール聖域観光


 聖域はこんな立体図


本日の午前中は、ロカマドールの聖域観光だ。訪問地はすぐそこなので、徒歩で観光だ。出発は10時と、朝食後も余裕がある。

村の真ん中あたり(9)の223段(日本語のガイドブックには216段とあった)の階段を登ると、崖の中腹にある聖域に到達するはずだ。

200段くらいなら、一気に行けなくもないが、巡礼者はここを膝で登るのだという。階段の奥行が充分にあるわけでもなし、危ないと思うのだが・・・・・。(まったく階段を登れない人のためには、メインストリートから直通のエレベーターもある。)

階段は途中で曲り、その先の広場には土産物屋、ホテルがある。聖域の入口はさらにその先にある。さらなる階段の上は、聖域の中心の広場「聖母の前庭」(28)だ。

私たちは、直接入口から入らず、建物の外側を回りこみ、聖域の出口の方から入る。

聖域は、七つの聖堂、教会などからなり、それらが小さな広場に面して集まっている狭い地区だ。

まず最初に、広場に面した階段を上がり、ノートルダム(聖母)礼拝堂に入る。15世紀に建てられたこの教会には「黒い聖母子像」がおさめられていることで有名だ。

黒い聖母は、12世紀から、数々の奇跡を起こしたと言われ、この聖地の信仰の対象でもある。ヨーロッパ各地に残る「黒い聖母」の中でも知名度は一番ではないかと思う。私たちの今回の旅の目的の一つは、これを見ることだった。祭壇の上の方に祀られているので、よく見えないのが残念だ。

黒い聖母を見た後は、もう一度入口を見る。入り口脇の壁には骸骨2体の絵が残っている。こんなものが、入口の天使の彫刻のそばに、描いてあったのかと思うと意外。中世に流行った「死の勝利」をあらわしたのだろうか?

向かいのサン・ミシェル聖堂と塔は、岩肌を背に立ち岩山の一部が屋根の代わりになっている。外壁には、「受胎告知」と「聖母のエリザベス訪問」(たぶん)の場面をあらわした美しい青地のフレスコ画が描かれている。天使のお告げを聞くマリア様のギョロ目が印象的だ。フレスコ画は12世紀の者だというが、この吹きさらしでよく保存できたものだ。

インフォメーションでもらったパンフレットを見ると、このフレスコ画の写真が左右逆に印刷されている。よく見ると、他の写真もところどころ逆焼きになっている。

サン・ソブール・バジリカ聖堂にも入る。岩を利用して作った聖堂で、座席の後ろの壁は岩肌そのもの。木で組んで二階が作ってあるのが面白い。入口からは想像できないほど内部は広い聖堂になっている。地下にはこの町の名前の由来となった聖アマドールの地下聖堂がある。

ロカマドールは、サンチャゴ・デ・コンポステラの巡礼路が近くを通っているが、正確には巡礼路のメインルートではなかった。だが、1166年に、聖アマドールの遺体が腐敗もせずに発見されたということで、この村は多くの巡礼者が訪れる、フランスでも重要な巡礼地となった。 聖アマドールは、ゴルゴダの丘に向かうキリストの汗をぬぐった聖ヴェロニカの夫だ。妻の方は、キリストの顔が写し取られた聖願布を得たことで有名なのだが、夫の方は「隠匿の聖人」というだけでその活動はよくわからない。めぐりめぐって、この地で亡くなり、一応聖域に墓も残っている。

地下聖堂には入れなかったが、見学のあとの自由時間で、他の小礼拝堂もさっとお参りしていく。行きたいと思っていた聖域の美術館は閉鎖中で見ることができない。とても残念だが、仕方がない。あとは、修学旅行生のように、土産物と聖なるグッズを求めてショップに買い物。聖母像のメダルは絶対買わねば!

ここで解散し、本日は昼食もフリー。添乗員さんと一緒に村のレストランで食べたい人の為の集合時間が告げられる。午後は、村の外のバス停で2時に集合して、鍾乳洞を見に行く。私たちは、昼食もフリーで頂くつもりなので、バス停集合でいいのだが、「午後の観光用にコートを取ってきたいのでホテルに戻る時間はとってもらえるのか」と聞いている男性がいて、他の参加者の女性たちが、「自由時間なんだから、その間にとって来ればいいじゃない、幼稚園児じゃあるまいし。ねぇ~。」と大声で言う。内心その通り!と思ったが、返答は控えた。この女性の声は参加者の女性中、特に大きくて、相手の男性に聞こえやしないかとひやっとする。けんかにならないといいけど・・・。

聖域の出口から、九十九折の山道が続いていて、辻ごとにキリストの受難の場面を描いたほこらがある。受難の場面をたどりながら、最後の十字架にたどり着く「十字架の道」を私たちもゆっくりたどりはじめる。急な坂でもなく、緑の中をゆっくり行くので心地が良い。途中で聖アマドールの庵があったと思われる場所もたずねる。洞窟は柵が建てられているが、中には祭壇のようなものがおかれている。ゴールの十字架を過ぎて、さらに上ると、そこは山頂。城跡がある。下から見たときはずいぶん上の方にあると思ったが登ってみるとわけもない。

城は、特に何かああ見るものがあるわけではないらしいが、上からの眺望がよいらしい。入場する小銭がないので風景だけなら見なくてもいいかとあきらめ引き返す途中に、絶景好きの男性がやってくる。城からの景色がいいらしいと言うと、行ってみるとのこと。

エレベーターの駅の方にカフェがあるので、そこで昼食にしようかと歩いてゆくと、前方からかしましい声が聞こえる。日本語だ。絶対同じツアーの女性陣だ。たぶん、聖域で解散してから添乗員さんとエレベーターで上まで上がり、これから下界に帰り昼食をとるのだろう。私たちはお邪魔しないように歩く速度を緩める。

カフェで簡単な昼食をとる。私はクロックムッシュー、連れ合いはサラダ、飲み物は炭酸水のバドワを注文した。毎日しっかりたべているので、こういう軽い食事も必要なのだが、軽く食べる場合には、食費はかえって割高になるのがフランスだ。

昼食を終えて、もと来た十字架の道を下る。すると、上の方から名前を呼ばれる。絶景と写真が好きな男性が後からついてくる。城の上からは、いい写真が撮れたそうだ。私たちはマイペース、彼は途中写真を撮るので、そこでお別れした。

彼は、みんなと一緒に食事に行かなかったようだが、2時の集合までに、ホテルにもどり、グレードアップした部屋で持ってきた日本食を食べ、コートを取ってくることができたようだ。
ロカマドール出発
     14:00

パディラック到着
     14:30


洞窟の入り口

洞窟入場 14:45
洞窟観光終了 16:15

パディラック出発
     16:30

パディラックの鍾乳洞見学

今日はフランスの労働法で、ずっと運転していたロランさんの休暇の日。代わりのドライバーさんがやってきたが、ロランさんも一緒に乗っている。休まなくていいのかな?

パディラックの鍾乳洞には30分ほどで到着。大分地下深く潜るらしい。水が落ちてくるのでレインコートがあるといいと言われていたので、連れ合いは防水加工のコートを持参。ひんやりするので、一枚でも上にはおるものがあると重宝する。
 
階段とエレベーターでまず潜る。そこから、小舟に分乗し、地底の川を行く。鍾乳洞の幻想的な光景の中を舟で進むのは特別の趣があっていい。バイエルン王のルートヴィッヒが城の地下に地底湖を作り、舟遊びをしたというのはこんな感じだったのだろうか。

対岸に上がるとあとは徒歩で観光だ。順路には階段の上がり下がりがあるが、一番深いところだと地上まで94メートルもあるそうだ。一番長くぶら下がっている柱の長さは60メートルだ。

見事な鍾乳洞だが、残念ながら、写真等の撮影は禁止。記念になるものは、最後に帰路の舟で撮られる集団写真だけだ。遊園地等でよくある商法で、希望者は出口付近で係りの人から購入するシステムになっている。

1枚目は7.8ユーロ、同一写真の2枚目からは6.8ユーロとなる。こういう場合は共同購入が得策なので、添乗員さんが、希望者でまとめて買おうと提案。すでに買ってしまったご夫婦の分を一枚目とみなしてくれと言ったら、係りの姉ちゃんもダメだという。先に買ったご夫婦は、大した金額でないからいいと言っているのだが、添乗員さんも意地で引っ込みがつかなくなったらしく、係りの姉ちゃんと言い争いになっている。添乗員さんのご主人はフランス人。小さなことでも、徹底的にやりあう習慣ができているのかもしれない。とはいえ、今回はこちらの負けで、すでに会計済みの人の分までは計算に含めてくれなかった。まあ、妥当なセンだろう。本日の珍道中はこれかな?

 

写真が違うチケット。添乗員さんの分ももらった。
ルブルサック到着
      16:45


後をつけたんじゃないよ。


今日も静かな午後のはずが。

出発   17:10

ルブルサックの散歩


パディラックの帰り道、近くにある小さな村、ルブルサックに立ち寄る。かつて添乗員さんが訪れて気に入ったところだそうで、村の名前を忘れていたのだが、運転手さんに話したところ、たぶんここだろうとあたりを付けて連れてきてくれた。予想していないショート・トリップでちょっとうれしい。

村の入口には公園がある。観光局は村役場の建物にあったので、添乗員さんがパンフレットをもらってきてくれる。小さなお店が一件あり、絵葉書を売っていた。今まで訪れた美しい村の中でも、俗化していないという点では一番だろう。 

村の人口は100人足らずだそうだ。静かで誰もいない。村の中に行ってみると、前方をゆっくりおじいさんが歩いていたが、この村で人を見たのはそれっきりだった。
 
  
小さい村だが、城跡もある。教会も古そうだ。歴史的記念物OK、町並み保存OK、人口100人でOKと、立派に「美しい村」の資格はクリアしている。本日も暑いのだが、石壁の家並に、庭の木の緑が涼しげな印象。花も咲いていて美しい。

私たちのツアーは12人。この日、ルブルサックは一時的に人間が1割以上増えたわけだ。今夜は、村の人々は、「今日はなんだか、いつになくうるさかったね」と会話しながら静かに食卓を囲むのだろう。

ロカマドール到着
      17:45

ハム入り 


チョコレートかけクレープ
夕食にクレープを

私たちは、ロカマドールに戻り、夕食もフリーだ。他の人たちは、添乗員さんと一緒に行くようだ。昼はクレープをたべたといっていたので、たぶん夕食は一区画先のイタリアン・レストランにゆくのだろう。レストランの件数が少ないので予想は立てやすい。たぶん、すごーくにぎやかだろうな。

皆さんとご一緒も楽しいのだが、今回は割と自由行動のときは別に過ごしている。ここまで来てパスタを食べな気もしないので、今夜も失礼して、彼らが昼に行ったであろうクレープ屋さんに行くことにした。

 ホテルのとなりだと思ったら、ホテルのオーナーの息子さん夫婦がやっているのだそうだ。可愛いお店だ。室内の奥の席に座ると、村のトイメンの断崖がよく見える。絶壁に立つ聖域ばかりを見ていたが、向かい合った山の崖、岩肌も奇観の部類だ。

クレープ屋さんでは室内だというのに、ハエがいっぱい入ってきて、手をパタパタさせながら食べなければならないので、せわしない。この辺りでは、レストランでも、衛生面はまったく考慮しないのだ。うるさいハエと戦いながら、そば粉のギャレットで食事ものを、小麦粉のクレープのデザートをたのんで、夕食は完結。 

まだ明るいので散歩する。ツアーの人たちが行っているであろうレストランの近くに行くと、にぎやかな話し声がしている。外の席で食事をしているらしい。近くで引き返すことにした。
 
向かいの山


クレープリー

6月30日(火)

ロカマドール出発
        8:30
コンク到着 10:20


後陣から見た聖堂


狭くて頭があげられない聖女フォア


内部はすっきり


ステンドグラスというにはあまりに地味。修復中かと思った。


宝物館の入口


ご当地土産。これ買ったのはツアー仲間でも私だけだろう。


美しい村コンク 

コンク出発 12:00

コンク 金ぴかのフォア(フィデス)に会いに


この旅の目的の一つは、コンクに聖なるお宝を拝みにゆくことだ。聖人の遺骨や遺品はカソリックでは崇拝の対象となり、巡礼者が集まってくる。コンクも一時交通の便利なフィジャックの町にとってかわられそうになったが、聖女フォアの遺骨を手に入れたことで、衰退を免れた。

当初、聖女フォアの遺骨は、フォアの故郷のアジャン村の修道院に守られていたが、コンクの修道僧が潜入し長きにわたり機会を窺いついに盗み出し、コンクに持ち帰ってしまったという由来なのだが、その盗みさえも悪行ではなく、「フルタ・サクラ(聖なる盗み)」と言い放っているのがすごい。ということで聖女フォアは、泥棒→囚人という連想からか、囚われの人の解放者、守護聖人とも言われるが、囚人の守護って何をすればいいんだろう?無実の罪を着せられた囚人ならわかるが、極悪犯罪人にも守護がいるのか? さすが、左右ともほっぺたをひっぱたかれまくっても赦すというキリスト教・・・という事ではなく、当時の世相からいうと、戦争の捕虜を囚われの人と想定していたようだ。

また、まんまとお宝を盗まれたアジャン村から、文句が出なかったのも変な話である。故郷の村から盗み出されたコンクで次々奇跡を起こしてやった聖女フォアも人が良すぎないか?・・・とまあ、俗人の素朴な疑問である。

コンクは山間の村で、フリーで行くのは大変だが、ツアーは大変便利。どんなところでもバスで目的地までドア・トゥー・ドア。手ぶらで観光。ガイドが付いちゃう。日本語の解説もしてもらえる。ホントにありがたいことだ。  
一時間半かけ、バスは、山の中のコンクの村に回り込む。上から見ると、枯れた黒茶色のスレートの屋根、明るい茶色の壁の二色できた村だ。坂道を下るとコンクのサント・フォア教会の後ろに出る。教会は坂を下りきったところに建っているので、後陣につながるシュヴェの屋根を少し見下ろす感じになる。教会の中に入ってしまうと、側廊に沿ってそのまま周歩廊まで自然に歩いているが、外から見ると後陣の外側の半円形の小祭室のつながりに、継ぎはぎして造ったようなぎこちなさが見えておもしろい。

この教会は11-12世紀の建造だが、正面の左右の塔は後世のもの。見ものはタンパンの空間を埋め尽くすかのような彫刻群だ。テーマは最後の審判というわけで、狭い半円に、キリストを中心として悪人、善人、悪魔も天使もびっしり詰まっている。

キリストの向かって右は悪人、左は善人で救済される人たちだ。(キリストから見ると、右が正しい行いの人たち、左が悪い行いをした人たちということになる。)悪人の方には、お決まりの地獄図が展開されているが、奇想天外でユーモラスにさえ見えてしまう。善人側はというと、整然としていて教訓めいていて面白さには欠ける。

そのなかで、必見なのがキリストの下の段の向かって左の狭い三角のスペースにある聖女フォアの彫刻だろう。彼女の遺骨を収めた教会にきたのだから、どんなふうに描かれているのかぜひ見たいところだ。フォアは頭が大きく、宙から出ている神の手の前でひれ伏している。彼女の後ろには囚人の守護としてのシンボルの手錠もぶら下がっている。

彫刻にはまだ彩色が残っている。色が褪せていなければ、どんな感じなんだろうかと考える。私も、ロマネスクの枯れた感じがいい・・・なんて古寺をめぐっているが、実際に作られた当時はすごく色鮮やかだったわけで、わびさびとは程遠い。しいて言えば形が素朴とでもいうところか。

中に入る。ごてごてしていないシンプルなつくりだ。身廊の幅の割に高さがあるので、内部の空間がすらりとしている。そこへ、白い光が注ぐように入ってくる。

ステンドグラスには色がない。近くに寄ってみると、ガラスに斜めに黒い線が入っているのみのモダンな窓だ。黒のぺインターとして知られる南仏出身の現代の芸術家、ピエール・スーラージュが1987年から7年かけて作成したもので、全部で104枚ある。

いくつかの小礼拝堂の真ん中に、ポツンと小さめの祭壇がある。全体的に内部は地味だ。その分、ところどころに施された彫刻が、かえって人目を引く。受胎告知のシーンは名品だろう。

聖堂見学で静かな時を過ごした後は、中庭に出て宝物館へ行く。展示室は小さいが、あるわあるわ、金ピカのお宝が!フォアの遺物入れにたどり着く前にも、宝石がごろごろついた金銀象牙の装飾品がガラスのケースに展示されている。最深部には、これを目当てに巡礼が訪れるフォアの遺骨の入った遺物入れが、ありがたーいお姿がある。

頭部も手足も衣装もすべて金の板で形成したもので、自然な人物の丸みなどは出ない。そもそもが、物を入れるための箱であり、人を模ってはあるが体のバランスも悪く造形的には稚拙。頭部だけは何かほかのものだったが、体の部分は制作年代が異なり、後で付けたものだ。衣装には宝石や輝石が散っていて超豪華。 






































他にも、宝石をちりばめた額、七宝の聖遺物箱、ミサの道具、何に使うのかわからないが、ただただきらびやかな有り難いお宝が薄暗い宝物庫にいっぱい。なんだか海賊にでもなったような気がする。

宝物館内は撮影禁止なので、小冊子を買って帰ることにした。ついでに、近くの土産物屋でフォアの聖遺物入れの置物も買ってしまった。金色だが金ではないし、宝石の部分はプラスチックとガラス玉だ。自由時間があまりないので、お土産を買って、写真を撮っていたら、もう集合時間。

バスで、村の眺めがいい場所に回ってもらって、もう一度上から眺めて帰る。

フィジャック到着
       13:00


川を渡ると旧市街


変わった形の教会だ。

板絵


半地下の礼拝堂


かつての庭?校庭みたい。駐車場になっている。


これが読めるか?



フィジャック出発
         16:30
ロカマドール到着
         17:20

夕食に出発 18:50
夕食  19:00-21:00


ホテル着  21:10


聖域への入口


マリーの家(立ち入り禁止)


ポメットの家とあるあたり

フィジャック観光

フィジャックの旧市街に入る前に、昼食をたべる。川の近くのホテルにあるレストランだ。アットホームなサービスで、クッキーみたいなお菓子が食事前にテーブルに出てくる。うるさいほどの花がらの内装だ。ダイニングルームは広いのだが、客は私たちだけ。

食事の後、ガイドさんと待ち合わせして、川の前の空き地で、フィジャックの町の魅力の説明を受ける。正直言って、フィジャックの町はロゼッタストーンの解読者シャンポリオンの生まれた町とガイドブックで見た以外に、何の知識もなかった。町全体が世界遺産だという話も初耳。何かこれというめだつものはあったっけ??

現地ガイドさんが言うことには、大聖堂や宮殿といった歴史的に価値のある建造物があるわけではないが、一般市民が石造りの家を作り、それらの古い家は何百年も住み続けられているところが特異なのだそうだ。この町の中世の主役は一般市民だったのである。

説明を聞いたところで、川の向こうの旧市街に入ろうと、橋を渡り始めると、巡礼者の印の帆立貝の貝殻を下げている日本人に出会う。ツアーのメンバーみんなで話しかけたり一緒に写真を撮ったりと、勝手に盛り上がって、巡礼者の足を止めさせる。お互いの旅の無事を祈って、私たちはサン・ソヴール教会の見学に向かう。

ガンベッタ通りを曲がると、この町一番の大きさのサン・ソヴール教会が見えてくる。ちょっと変わった教会で、ファサードは、両脇にあった塔がなくなってしまったかのような形だ。

中世のベネディクト派の修道院を基にして造られた教会で、宗教戦争で破壊された部分は再建されている。内部には木に聖書の場面を彫った大判の飾りがかけられている。

教会の右袖が長く伸び、礼拝堂になっている。形が変わっているヴォールトが交差する低い天井が特徴的。ステンドグラスの位置も低く、光が横から入るせいか、全体に薄暗く雰囲気がある。駐車場になっている庭から建物の外側を見ると、ステンドグラスが地面スレスレにある。中から見ると、ステンドグラスの下には壁もあるので、礼拝堂は半地下に建っていることになる。建物の形も、木製の彫刻絵の装飾も、あまり他では見ない面白い教会だった。

教会から中世の家が並ぶ細い道を歩く。シャンポリオンの博物館があるシャンポリオン広場まで出て小休止。広場で周りの家を眺める。要らなくなった窓を塗りこめて壁にしたり、上の階と下の階の窓の様式が違ったり、中世からの建築様式の流行り廃りも、家々の増改築した跡が残っているのが興味深い。

ツアーでなければシャンポリオンの博物館に立ち入っていただろうが、そのような自由時間はなく、すぐ脇の細い道を通ってエクチュール広場に出る。行き止まりかと思わせるような路地の先に、塀に囲われて、黒っぽい石碑を敷いた広場が現れる。石碑は、シャンポリオンが読み解いたロゼッタストーンの複製だ。本物は大英博物館で見たが、こんなに拡大されてしまうとイメージが違う。敷石の巨大ロゼッタストーンの上を歩きながら、近くで見てみると、ギリシャ語とエジプト語、エジプト語が刻まれているのがわかる。更に、エジプトというと即イメージする「ヒエログラフ(神聖文字)」の他に民衆文字といわれるものがあるのだそうだ。本物よりは大きいので文字は見やすい。いずれにせよ、どの文字、どの言語も読めはしないのだが・・・。

エクチュール広場を通り抜けると、土曜には市場がたつというカルノ広場にでた。この辺りから、自由行動。観光局の前での待ち合わせまで、たらたらと町を歩く。みんな向かう方向は一緒なので、同じ道上のどこかにいるが、集合場所に到着して暫くしても、一人参加の男性が見えない。初めは、好きな写真を撮っているうちに遅れたのだろうと思っていたが、遅すぎる。ガイドブックを買いたいと言っていたから、添乗員さんが、別れたあたりの店を見に行ってくると言って探しに出たが、入れ違いに、まったく違う方向からその人は戻ってきた。私達は今度は添乗員さんを迎えにでる。添乗員さんが無事戻り、全員揃ったころついに事件が起こった

声の大きいおばさまが冗談半分本気半分で「あやまっていただきたいわよー、みなさんに。」すると、「なんだとー!」「だーって、みなさん、待たされたのよ。」「いや、みなさん心配してたんですよ」(やんわりと他の人が)。「あやまれとはなんだ!」

戻ってきた添乗員さんが割って入るが「謝れっていうんだよ、謝れって」と怒っている。道の説明をちゃんとしなかったとか、ずっと買い物にもついてサポートすべきだとか、いろいろ不満もあったようだ。とはいえ添乗員さんは一人だし、全員つれて移動するのに、一人だけ別行動を取られたら大変だ。終いには、一人でタクシーを拾って帰ると言い始めたので、添乗員さんが「そんなこと言わないで」と懇願して一緒に連れて帰る。語学は得意でなさそうだし、ホテルまでは相当遠いので、一人で帰るのは大変だと思うが、よっぽどプライドが傷ついちゃってゴネずにはいられなかったのだろう。実のところ、何も言わない他の旅仲間も腹に一物あったと思うのだが、「添乗員さんがかわいそうだからやめましょー」となる。バスに乗っても、添乗員さんが自分の説明不足だったと謝りっぱなしでお気の毒だった。

本日の夕食はロカマドールの上の町のレストラン。レストランまで、バスで登る。ロカマドールの町全体がきれいに見える場所だ。

ツアーの食事は、だれがどの席に座るかがあらかじめ決まっていないので、その場で状況を見て譲り合うのがルール。一緒に来ている人が別のテーブルにならないか、一人参加の人は気にして座るべきだと思うのだが、あまり気にしない人も多い。先刻のフィジャックの険悪な雰囲気から喧嘩の双方が近くの席にならないように・・・と気にかけながら、座る席を考えていたら、添乗員さんが「もう大丈夫ですよ」と言う。謝って解決したらしい。

とまあ、食事は穏やかに始まった。今日は食前酒にキールがついていた。連れ合いは、世界のどこにあっても異常に盛り上がれるオバサマ達のけたたましさに頭痛を起こすが、私は料理にとまろうとするハエの方が気になっていけない。この辺の土地では誰も気にしていないようだが、少なくともこのツアーの参加者の日本人は、こんなにハエがいるという生活はしていない。しかも、牛や家畜が多い場所である。どう考えても、このハエは汚い。他の人も、絶えず手でハエを追い払いながら食事している。

この土地のチーズ「ロカマドール」が出て、食事も終わりに近づいても、外はまだ日暮れ前の西日でまぶしいくらいだ。私たちはちょっと散歩した後は、バスに乗ってホテルに戻ったが、写真を撮りたいという男性は、山の上に残って、自力で帰ると言っていた。この夜景を見てホテルに帰るようにミニ・トレインをチャーターすべきだと意見を述べていたが、今回はそのようなプランはなく、添乗員さんは今後のツアーのプランニングの参考に、貴重な意見として本社に持ち帰ると言っておさめていた。とっとと宿に帰り、シャワー浴びて寝たい人だっているからね。



ロカマドールのホテルに戻り、日暮れまで近くを散策する。大階段を登って、聖域に入らず、まだ見ていない反対側に行ってみた。目指すは、「ポメットの家」という観光地図に書かれた家だが、予備知識はない。現地のパンフレットでは、15世紀には、縦仕切りのある優雅な窓のある店があったそうだ。「この家のことかなあ?」 -ポツンとある古い家は今はガラスか何かの工房兼ショップになっているらしい。中には入りにくそうだったので、外見だけ見て村はずれまで行って引き返す。

岩壁にへばりついた「マリーの家」は、聖域から行く道らしきものが「立ち入り禁止」と書かれていたので、下から見あげるしかないようだ。古い修道院を移築したもので、今は巡礼者の宿舎になっているということだった。やっているのかどうか不明だった。10時過ぎ、ロカマドールでの滞在は今夜で最後なので夜景をもう一度見ておこう。
7月1日(水) 
ロカマドール出発 
     8:30
コルド到着  10:20


村の中へ。


メインストリートはよそ行きの顔


命を救った(?)スムージー

コルド出発 12:30

コルド観光


ロカマドールともお別れ。今日も暑くなるという天気予報だ。 まず、コルド・シュル・シエルに立ち寄る。

コルドの村の下に到着すると、ミニ・トレインが出発するところだったので、みんなで乗ることにした。コルドは、高台にあるので、霧の上に浮いたように見えることもあるので、コルド・シュル・シェル(空の上のコルド)と呼ばれている。そんなロマンチックな光景を見てみたいものだ。

コルドは、13世紀に、キリスト教の異端とされ撲滅されたアルビジョワ派から守るために要塞化された村だが、逆にアルビジョワ派の巣窟となり、異端審問の対象になったという。その後は皮革産業や藍染などの産業が発展し村も栄えたが、疫病で衰退したのだそうだ。

長い間住む人もなく荒れ果てていたというが、少しずつ村の人が戻り、また移住してくる人も増えて、今ではすっかり観光客に人気の村になっている。古くからの家は立派なもので、しゃれたショップが入っている。

ここでは、自由時間。みんなそれぞれ行きたいところに行く。添乗員さんが帰りの集合時間と場所を決める。いつものごとく、何人かから質問が出る。添乗員さんの説明が個別対応になりかけて、ちょっとうんざりした旅慣れたご夫婦のご主人の方が、「要するに、ここに言われた時間に集合した人は一緒に帰る、来なかった人は勝手に村の外の広場に戻る、ということですね」といって話をまとめ、さっさと自分の観光に繰り出した。私たちもそれにならって、集団を離脱する。

歴史ある家、観光上見るべき場所には青いプレートの目印がはられているので、端からたどって見るのもいい。私たちはミニ・トレインで町の裏側から入った様で、史跡の番号が逆だが、まあいいか。

メインとなるストリートは2股に分かれてまた一つになる。その他裏通りがあるが、村が細長いので、メインストリートから横に歩くと、村はずれの石壁にあたってしまう。村はずれの方まで行くと、よそ行きの建物に収まったホテルやレストラン、お店などではなく、人々の生活が見られる普通の家がある。子どもがピアノを弾いていたり洗濯物が干してあったり、実際に住んでいる人もいるのだなあと感じる。

裏通りでは写真好きの男性が絶景を求めて歩き回り、表通りに戻るとオシャレなご夫婦が陶器やガラスのショップで買い物を楽しんでいた。添乗員さんの助けがないと、買い物も不安という人たちはグループで行動しているようだ。狭い村の中では、ツアーのメンバーがどこにいるかだいたいわかる。

のんびりできない貧乏性の私たちはあちこち歩き回って、余りの暑さに熱射病になりかけ意識が遠のく。メインストリートにもどり、何か水分を取ろうと、ジュース屋に入った。コーラや水でよかったのだが、入ったのは変わったお店で、何種類かのフルーツや野菜を組み合わせたスムージーを扱っていた。飲み物に「夏の庭」「ラブ・トニック」「ミラクル・ジュース」など即座に内容物が想像できないような名前がついていて、メニューの解説を見ないとならないので注文するのが時間がかかる。一つ4ユーロというのも割と高いが、何も飲まないと死にそうなので適当に注文。

飲みながら村の入口の門に向って歩く。スムージーはずるずると吸い込んでいるうちにすぐなくなった。大きな声が響いてきて、振り向くとツアーの参加者がそろっていた。時計の付いた門が目の前に見える。そろそろ、村の出口だ。ゆっくり坂を下ってゆくと、来た時にバスを降りた広場にたどり着く。村の下の広場まで歩いているうちに、自然にメンバーが全員集合したようだ。今日は平和そうだ。
 
アルビ到着 13:00
昼食 13:10-14:20


郷土の名物料理、カスレ


聖セシル大聖堂建学
    14:30-16:45

教会っぽくない聖セシル大聖堂の外見


内部は聖堂そのものだが・・・

ロートレック美術館見学
    15:45-16:45



アルビ出発 
      17:00

アルビ、赤い町

30分ほどバスで走るとアルビの町だ。まず、駅の近くのレストランによって昼食からスタートだ。

添乗員さんが、カジュアルなアルコール飲料「パナシェ」があるか尋ねたら、「うちはちゃんとしたレストランだからそんなものはない」と言われたらしい。そうか、そういえば、花やテーブルセッティングもきれいで、ランチタイムながらちょっといい雰囲気だ。

前菜は、美しいテリーヌ。涼しげに野菜で飾りつけられている。メインは、この暑いのに、観光客用に、季節外れの土地の名物カスレを出してくれる。白いんげんや鴨を煮込んだお皿まで熱々の一品だ。ツアーの人たちとテーブルが分かれてしまったが、多人数の方はすごい大音響。他の外人客がびっくりして振り返るほどだ。たいていは外人の方が声はでかいのだが・・・・・。

食事の終わりごろには、いつものようにみんなトイレをすませておこうとする。日本人の特性として列を作るのだが、並んでいる人を見てこれまた外人たちは嘲笑している。もちろんお上品でないことはわかっちゃいるが、仕方がないんだよ、ツアーだから。

さて、食事を済ませて観光に出発だ。まずは、タルヌ川の対岸、ポン・ヴュー橋から赤い街といわれるアルビの町を見渡す。赤い色の壁の建物が並んでいる。市内もさっと歩くものの、気温40度と言われみんなげんなり。今回のアルビでの観光ポイントは2つだけ。聖セシル大聖堂とロートレックの美術館で、二つは隣接しているから、たどり着けば後は楽だ。

聖セシル大聖堂は殉教した聖女セシルにささげられた聖堂だが、外見は、聖堂らしいファサードや尖塔は見あたらず、お要塞のような堅牢さが感じられる。脇に入口の階段があり、登ってゆくと、そこは大変繊細なレース細工のような装飾が施され、外見との違いにびっくりする。入口の扉の上にも多数の石像が彫られている。

内部ではさらに特異な装飾にであう。後陣のパイプオルガンを支える2本の大柱の間にアーチを作り、アーチの上部を柱と一体化させて仕切りの壁としている。ここには、15世紀に「最後の審判」の絵が描かれた。例にもれずかなりグロテスクだ。

礼拝席に座って説明を聞く。この町には、12世紀のキリスト教の異端アルビジョワ派はアルビを拠点としていたため、1213年のアルビジョワ派撲滅時には大虐殺が行われたという暗い歴史がある。フランス西南部にはこのアルビジョワ派との抗争の歴史がよく語られるが、アルビジョワの過度の禁欲的な教義は町の発展の足かせになっていたようだ。アルビも、アルビジョワ派撲滅以降は、商業の中心地となって栄えた。1282年に着工した聖セシル大聖堂も、カトリックの権威を見せつけるために、このような威圧的な建物としたらしい。

そんな話を聞いている間に、連れ合いがいなくなっていた。横の通路を見ると、大聖堂の最後の晩餐をバックに、写真好きの男性のニコパチ写真を撮らされている。説明を聞きたいだろうに・・・。私の目の前では、イヤホンガイドの電池が切れたことを、姉妹で参加している声の大きな妹さんの方が、お姉さんに訴えている。声を出してはいけないということは理解しているらしく、まったく音声を出していないのだが、身振りがでかくてうるさい。見かねたお医者さん夫婦のご主人が、イヤホンガイドの予備電池を換えてあげていた。みんなそろそろ説明が長くて飽きているようだ。連れ合いに写真を撮らせていた男性はもう、好きなように内部の撮影も済ませ、説明を聞く場所には戻らずどこかに行ってしまった。

確かに説明は長い気がする。次にロートレックの美術館訪問が控えているが、その時間が押しているのだ。添乗員さんが現地のガイドさんに言うと、現地ガイドさんとは時間配分に誤解があったことが発覚。私たちがもっと長くアルビに滞在すると思っていたらしい。このままではロートレック美術館の時間がなくなってしまうと参加者からも抗議が・・・。見学時間確保のため、添乗員さんがバスの出発時間を遅らせ、聖セシル大聖堂の見学も切り上げる。

ロートレック美術館は大聖堂の隣なので移動に時間はかからない。が、ここで、件の大聖堂からいなくなってしまった写真好きの男性が見当たらない。団体で入っているので、添乗員さんが入口で遅れた人が来るまでしばらく待機。又も行方不明になって悶着を起こさなければいいが。他の人たちは時間がないので、中の見学をそれぞれ始める。

ロートレック美術館は、ロートレックの死後遺族が寄贈した作品を中心に展示している。建物は、1922年に元の司教館を改装したもので、大変立派だ。

最初の部屋には、他の人が描いたロートレックの姿、ロートレックが子供の頃に描いた小品、17歳の頃描いた馬の頭部の秀作もあった。大体が年代順の展示になっており、最後の大展示室には、パリのキャバレーのポスターなどの超有名な作品がドーンと展示されている。館内は撮影禁止だ。

せっかく来たから、ロートレックの絵の絵葉書でも買ってゆこうかと館内のショップを見てみる。かさばらないように、切手風のシールのシートを一枚買った。

美術館の外に出たら、裏の庭を見に行く。タルヌ川に面して開けた庭で、上から眺めると、低木が模様のように植えられている。川にかかる橋、家の屋根や壁の赤っぽい色に、庭の緑の絨毯がよく映える。

美術館の見学を終え、すこし歩くとロートレックの生家がある道に出た。時間もないし、建物内部も公開していないという事なので、立ち止まって通りの奥の方を覗くだけにする。そのまま、バスに乗り込みトゥールーズへ向かう。

タルヌ川から聖セシル大聖堂をのぞむ


アルビの赤い家 


聖堂入口付近の天井


おどろおどろしい絵


ロートレック美術館は、元は13世紀に建てられた司教館。


馬の頭部は青年期の作品?


トゥールーズ到着
         18:00 



夕食に出発19:45
夕食 20:00-21:30


最後のディナーには、フォアグラも出たが・・・。


あれがサン・セルナン寺院だ。
トゥールーズで、ツアー最後のディナー

このたびは小さい村を巡ることが多かったので、トゥールーズは、久しぶりの都会だ。緑の木々の間にちらりと見える川は、ミディ運河。240キロも続いているのだそうだ。橋を渡ると、トゥールーズの中心部だ。ぐっと交通量も多くなる。

トゥールーズのホテルに向かう途中、又も問題が・・・。バスの運転手のロランさんが、いつもはとても静かな人なのに、珍しく怒っている。どうやら添乗員さんがホテルの人と電話で、もめているらしい。ホテルは細い道に面しているので大型バスは入れないらしい。近くにバスを停められる場所を教えてくれと言っているのだが、ホテルの人は前まで入れると主張しているようだ。運転手さんはかつて、その道に入って、大型車の規制に引っ掛かって警官に怒られたことがあるらしく、絶対入れないと言っている。近くの公園で客を降ろすので、ホテルからトランク運搬用の車を出せと交渉。その結論はわからないが、とりあえず私たちは公園のそばで下車、ホテルまで歩く。

トランクはホテルの人がホテル内を移動するような金色の台車でガラガラ運ぶようだ。時間はかかったが無事部屋にトランクも収まる。これを待っていたので、街の散歩に出るのが遅くなってしまった。夕食まで、あまり時間がないので、ホテル近辺を歩くだけにした。ホテルは、トゥールーズの中心のカピトル広場に面し、周りにカフェが並んでいる。人通りも多く華やかな雰囲気だ。広場には星座の絵模様がはめこまれている。正面は左右対称のレンガ造りの市庁舎で、右側は劇場になっている。

ホテルのロビーに集合し、徒歩で街のレストランに向かう。明日の朝、トゥールーズからパリ経由で東京へ向けて出発する予定なので、これがツアーの最後のディナーとなる。私たち夫婦はトゥールーズで離脱し個人旅行をつづけ、旅慣れたご主人と上品な奥様のご夫婦も、トゥールーズの同じホテルに延泊、レンタカーでミヨーの橋を見てゆくという。賑やかご姉妹はパリ観光の為、パリの空港でツアーから離れる。11名の参加者の半分以上が同じ飛行機で帰らないというツアーも珍しい。更に、パリから関空へ向かうの人たちもいるので、東京に戻る人はごく少数となるだろう。

歩いてみると、トゥールーズの町はさばけた都会で、一流ホテルの下にM&Cなんていう廉価衣料品店が入っているのも面白い。レストランには10分程度で到着。若い店員がいるちょっとおしゃれなレストランだ。全員、細長いテーブルに着く。ツアー会社からのプレゼントで、今夜はワインもついている。夫婦で乾杯しているところを写真に撮ってほしいという人もいるので、連れ合いがシャッターを押しに行く。年をとっても、こんな風に夫婦なかよくいきたいもんだと思う。

食事は、まずトマトの冷製スーから。続いて、フォアグラ・・・。やっと食べられると思ったら、これもポアレではなかった。表面をこんがり焼いて甘すっぱいフルーツソースで食べたかったなあ。旅の初めには添乗員さんが、「フォアグラはもういいわというほど出てくる」と言っていたのを思い出す。結局3回だったかな。美食の里のはずだったのだが。

メインディッシュのお魚はヒラメだという。フランス人はハ行の発音ができないと思っていたが、ちゃんと「イラメ」でなく「ヒラメ」と言ったので、「発音できるの?」と聞いたら、「僕は日本人なんだよ」と陽気に返してきた。このお店は、団体客向きではなさそうだが、日本人観光客もよく使うのだろうか。旅の最後ということでワインも食事も会話もすすむ。色々悶着はあったが、円満に終わりそうだ。

食事のあとは、また徒歩でホテルに帰る。夜のカピトル広場は、まだまだ人も多い。サン・セルナン寺院の尖塔がライトアップされ、美しく輝いているのが見える。少し先まで散歩したが、サン・セルナンまではいかないで引き返した。

明日は8時過ぎに、ツアーの人たちはホテルを出発。荷造りして帰る準備をしなくてはいけないだろう。
7月2日(木)
ホテル出発 8:20


キリストの昇天


でかすぎて・・・・







グループ・ツアーの終わり


ツアーのお仲間の出発だ。バスがホテル前につけられないので、大通りまで歩く。私たちは、これよりツアーから外れるが、なんとなくバスをお見送り。ツアーというのは、人とのかかわりがわずらわしいこともあるので嫌う人もあるが、反面、面白い事も多い。バスが発車する瞬間は、やっぱり淋しくなる。みんな仲良く日本まで帰れるように、誰にともなくお祈りする。

バスが行ってしまうと、今度は二人だけで移動しなければならない。荷物も運んでもらえない・・・。ホテルに戻って、チェックアウト時間ギリギリまでトゥールーズ観光を済ませようと出かける。

サン・セルナン寺院


まずは、トゥールーズの巡礼道に含まれる、由緒あるサン・セルナン寺院を見学。65メートルもある美しい8角形の塔が目印になるので迷わないですみそう。カピトル広場から伸びる道をゆくと、つきあたりが寺院だ。大寺院を中心に、道が四方に出ている感じになっている。近づくと、かなり大きい建物で、カメラに収まりきらないことがわかる。それもそのはず、ロマネスクの寺院では西ヨーロッパで最大規模なのだそうだ。

寺院南側の必見のミエジェヴィル門のタンパンの彫刻「キリストの昇天」を見て、堂内に入る。一通り内部を巡って身廊にもどると、ミサの時間になってしまう。司教様のお出ましだ。ガイドブックを持ったまま、あわてて手を合わせようとする無粋な観光客に気づくと、司教様が微笑みかけてくれた。それだけで感激してしまった。ミサが始まれば邪魔はできないので、中の見学はお終い。今度は外見を見てみよう。

正面入口は工事中で殺風景だが、反対側は後陣の半円、左右に伸びた袖廊、交差部に上に伸びる塔とが均整のとれた美しさを見せている。全体的に大きい建物で、東西にも長いが南北の袖廊も長い。


ジャコバン修道院

サン・セルナンからいったんカピトル広場に戻り方向転換、一旦行き過ぎてガロンヌ川のほとりにですが引き換えし、ジャコバン修道院へと向かう。

随分とフランス南西部を回っていると出てきたキリスト教の異端の一派、アルビジョア派が出てきたが、ジャコバンはドミニコ会派がアルビジョア派の対抗策として、ここに修道院を建てた。外見は丈夫そうで、アルビの聖セシルの縮小版みたいだ。


ここの見どころは、「やしの木」といわれる、上部が木の枝のように22本に分岐して天井を支える柱だ。上ばかり見ているので、首がつかれる。回廊に出ると、細い木の幹を束ねたような柱もある。


 

キャピトル正面広場


アンリ・マルタンの部屋


オーギュスタン美術館入口





ただの墓標とは思えない美しさ


サンセルナン聖堂の柱頭も保護されている。


昼食は、ばっちりファーストフード


博物館の入口の目印


歴代市長の肖像


夕飯はここでクスクス。カジュアルなお店だ。
キャピトル見学

キャピトル広場に戻って、ホテルをチェックアウト、荷物をホテルに預けて、キャピトルの中を見学する。入場無料だ。
左右対象のレンガ色の建物は横幅が150メートル。市庁舎だが一部が見学できる。

入るといきなり立派な階段。踊り場にも脇の壁にもすべて壁画が描かれている。上がってホールを抜けると、アンリ・マルタンの部屋で、彼の描くトゥールーズ、ガロンヌ川の四季の大作が飾られている。アンリ・マルタンは、1860年生まれで、トゥールーズの美術学校を卒業した、新印象派に分類される画家。色彩は分割され点描で描かれる。日本では有名な画家というわけでもないが、保有している美術館もある。やはりこの辺り出身のフランス社会党指導者のジャン・ジョレスが描かれている絵もある。

さらに先に行くと、フレスコ画の天井、壁には彫刻、絵画が並ぶ豪華絢爛な大ギャラリーになっている。広場に面した窓からは光が入り、とても明るい。この部屋は19世紀に改装されたもので、現在では公式行事のレセプションや、結婚式に利用されている。

等間隔の窓の間に置かれた絵画の中で、二人の女性、上空から街を見守る武装の女神ミネルバ、バルコニーにたつ美女パウルの絵が印象に残った。

パウルは16世紀の実在の人物だという。大変な美貌のために衆人の注目を集めてしまうのだが、控えめな性質の彼女は、自分の行くところで騒ぎが起きるのを嫌がり、外出しなくなってしまった。するとお役所は、この美女に週二回、人々にバルコニーから姿を見せるよう義務づけたという話が残っている。美人すぎるというのも大変らしい。
   
オーギュスタン美術館

トゥールーズの観光の中で、ここは絶対はずせないと意気込んで乗り込んだのが、オーギュスタン美術館だ。

14世紀にオーギュスタン修道院として建てられた建物で、他の修道院や教会から、フランス革命時に破壊を免れた宗教美術、柱頭などが集められており、ロマネスクのコレクションが充実している。





入場してすぐに回廊のガーゴイル達と対面。これは、美術館の紹介の写真で何度も見たが、ついに本物が見られたなあと思う。ガーゴイル達も、近隣の修道院の教会にあったものらしい。それぞれ、口の開き方、体のひねり具合にも表情があって面白い。
  
続いて見たのは、壁に並べて展示された墓碑の一部。石に彫られた草花の絵柄も、文字も装飾的で美しい。数ある墓碑の中には、さっき見てきたジャコバン修道院のものもある。

証明を落とした細い廊下の展示を過ぎると、今度は、明るく広々とした柱頭のコレクションの部屋に着く。一部屋すべて、ロマネスク寺院の石の彫刻、柱頭が集められている。

柱頭は赤い柱の上に適度な高さで飾られているので大変見やすい。

ユダの接吻、イエスのエルサレム入城、聖母子、東方の三博士の訪問など聖書の場面、草花や動物をテーマにしたものだ。柱にタイトルと、どこの教会から来たものか来歴が書かれているので、たどりながら見てゆくと、相当時間がかかる。

上の階に登ると、宗教美術だけでなく、絵画のギャラリーもある。ロココの小作品、静物画、ドラクロア、コロー、ロートレックなど見慣れた画家の作品もある。

オーギュスタン美術館まで一気にまわったら、さすがにお腹もすいたので、簡単なファーストフード店で昼食をとる。ケバブサンドのセットにすると、缶ジュースとポテトが付く。お軽い。

古きトゥールーズ博物館

昼食後は古きトゥールーズ博物館に行く。細い道に面したもんを入ると、中庭。館のような建物が博物館の入口だ。暑いので、博物館の中なら冷房も効いているかと思って階段を上がるが、天然冷房の風と屋内なので日陰だというだけ。こちらの小規模の博物館はこんな感じなのだろう。

入口にいる係りのおばあちゃんが赤に白い水玉のスカートをはいている。金髪が白髪にかわってしまったおばあちゃんだが、とてもかわいらしい。とってもスカートが似合っていると言おうとしたのだが、どうしても通じない。

もう一人の方はおばさんで、英語もできるらしい。ところどころ、フランス語交じりの英語で説明をしてくれる。主なものは英仏のワープロ打ちっぽい説明書きがありファイルになっているので、一冊借りて館内を持ち歩き、読みながら回る。

歴代の市長の肖像画、かつての劇場の内装やポスターの絵柄、トゥールーズの地方の家、民族衣装、家具、生活のようす等が展示されている。

最後に説明のファイルを返却するとき、「あなたたち、どこでこの博物館のことを知ったの?」と聞かれた。道に案内版があったから、というと、納得した様子だった。日本のガイドブックには、街の地図には博物館の場所はのっていたが、特に説明書きはなかった。大体、「古い+地方名+博物館」だと、民俗博物館であることが多いので、そのことに気づいてからは、私は見つけたら行くようにしているのだ。ここも小規模ながら面白かった!

ホテルで預けた荷物を引き取って、タクシーを呼んでもらう。明日の朝早い電車に乗るので、トゥールーズ駅に近いホテルに移動する。

トゥールーズ・マタビオ駅の前を通って、すぐ横にタクシーが止まる。ホテルの入口は駅舎のすぐ脇、というか駅舎そのものだ。部屋は二階だが、完全に駅舎の建物の中である。

ホテルの廊下も部屋も、歩くと床がみしみし音を立てる。部屋も変わったつくりだが広いし特に不満はない。

夕食は駅の前から旧市街に向けてのびる道沿いにアラブ風のカフェ・レストランを見つけたのでクスクスを食べる。グループツアーから離れた途端、お軽い飯になった。スーパーで飲み物を買って帰る。


ジョレスの胸像が入口に



絵の中にジョレスや画家本人が歩いている
 
大広間



幻獣ガーゴイルの像が並ぶ


柱頭のコレクションは圧巻

いかにも古い建物を生かした美術館というようなギャラリーもある。



古いトゥールーズ博物館のチケット一応番号が振ってある。



この地方の民族衣装


トゥールーズの陶器

 7月3日(金)

トゥールーズ出発 7:49
モンペリエ到着 9:52


コメディ劇場は大きくはないがゴージャス


入場券はクールベの作品

こちらはスーラージュ


入口はモダン


屋外でランチ。暑゛~!


部屋はシンプルだけど、ロビーは現代アートだらけ


ショッピングセンターのル・ポリゴン


もしもし女神さま、こんなところで何を?


なんでこんなにギラギラしてるかなぁ・・・。


細い道でも入って行っちゃうミニトレイン。
モンペリエに

7:49発の電車でモンペリエへ向かう。モンペリエの駅を降りてから、ホテルまでは、荷物を引っ張って歩くにはちょっと距離がある。

ホテルは街の中心のコメディ広場に近い。外見はパリなどにあるヨーロッパのホテルの典型的なタイプだが、中はモダンアートのギャラリーのようだ。なかなか面白そう。

まだ、チェックイン時間の前なので、荷物を預かってもらって、町に出かける。

ファーブル美術館


コメディ広場を横切って旧市街を経由し、ファーブル美術館に行く。

外見は堂々たる建物、一歩はいると入口が中は前衛的。コレクションも、15世紀から現代アートまでと幅広い。

美術館は、1828年に、ファーブルという画家のコレクションを基に開館した。画家としてのファーブルの絵もパンフレットを見るとあったようなのだが、見たっけな・・・印象に残っていない。


















展示のスペースがたいへん広く整っている美術館だが、展示数も多く、全て回るのが結構大変だ。しかも、前半戦は素人にはあまりなじみのない画家が多く、これといった目玉がない。絵の題名もふくめて誰でも知っていそうなのは、クールベの「こんにちは、クールベさん」くらいなものだろう。

知らない画家の知らない作品のオンパレードは、さして美術好きでもない人間にとっては苦行。
これを何とかクリアして、最終階で「クールベさん」に出会うと、ほっとする。

この段階で、展示もかなり後半だが、この後に控えるコンテンポラリー・アートもなかなか曲者で、作品数も多い。美術館のフロアがアップダウンに差し掛かり、順路がわからなくなって学芸員さんに聞くと、この下がスーラージュの部屋だから、ぜひ見てゆけと言っている。スーラージュと言えば、コンクのサント・フォア聖堂のステンドグラスを手掛けたアーチストだ。知っている名前が出てきたと思って、もうひと頑張りした。かなりヘトヘトになった。

お外は暑いんですけど・・・

美術館を出ると目の前はシャン・ド・マルス庭園だ。公園に沿って歩く途中で、ランチを食べることにした。店舗もあるのだが、そっちはもぬけの殻で、客は入れない。公園に出したテントの下の席しか用意されていない。夏はこうして外で食べるのが気持ちがいいということのようだが、気温は相当高い。気持ちの良さを通り越している気がする。テントの下の日陰になるところを選んで着席し、暑いので冷たい飲み物も注文。食事は定食の鮭のグリルにする。13ユーロ。今回はユーロ高だったので、こっちの昼飯は高いと感じる。食事後にもデザート、珈琲を頼み合計42ユーロ。やっぱり高い。

観光するにも、昼休みに入ってしまうだろうと、一旦ホテルに帰ることにする。途中、すずむためにデパートに入るが冷房があまりきいていないし、品揃えも今一つ。スーパーでも入っていてくれるといいのだが見当たらない。町のどこかにはあるだろうが、暑くて歩くのがいやだ。

ホテルのチェックインがまだだったので、手続きを済ませ部屋に入ると、暫く外に出る気力がなくなった。結局、冷房を入れて、ベッドに転がってだらだら過ごす。午後は教会や博物館にも行こうと思っていたが、この観光好きの夫婦がどこにも出られないほどの暑さだった。たぶん40度くらいあるだろう。

アンティゴンに行ってみた

5時頃、一念発起して、ホテルを出る。ショッピング・アーケードなら涼しかろうと、駅の近くのポリゴンというビルに入ってみる。ここを抜けると新市街に行けるはず。新市街は都市計画に沿って作られたデザインされた町で「アンティゴン」という名前がついている。設計者はリカルド・ボフィルというスペイン人で、日本でも原宿や銀座の商業ビル、川崎のラゾーナというショッピングセンターを手掛けている。

新市街に出た。うむ、変な町だ。町は道を挟んで左右対称、建物はモダン建築だが柱だけはギリシャ風だったり、彫刻がところどころにたっていたりする。レストランが数件あり、奥の方は集合住宅のようだ。

夕方だが、まだ日が高い。太陽がギラギラしている。少し歩いたものの、暑さに耐えられず再びショッピングアーケードに戻って時間つぶしをする。

暫くしてコメディー広場に戻る。最終のミニトレインでささやかに市内観光に出かける。

白いミニトレインは旧市街の路地を回り、メインストリートを凱旋門、ペイル公園まで行って引き返す。帰りも路地に入り込み教会の前やショッピングストリートを通って広場に戻る。全て屋根つきのミニトレインに乗車したままの観光なので、細い道沿いにある高い建物は見るのが大変。その代り、目線の移置のカフェやお店のショーウィンドーなどはよく見える。

不思議なレストラン「東京」

夕食は中華料理のトンキン(東京)というところに入る。前菜、メイン、デザートを選べる14.5ユーロの定食を二つ頼む。内訳は、ベトナム風サラダ、海老の炒め物、シトロン・シャーベットと、バーミセリスープ、チキンのしょうが焼き、三種の果物のベイニェ(ドーナッツみたいなもの)で、どちらもおいしかった。定食だけで29ユーロのはずで、お水も頼んでいるのに、総額で25.75ユーロとなっているのはおかしい。レシートを確認すると、二人ともまったく違うものを選択しているのだが、定食の二つ目は半額になるという変わった価格設定だった。妙に安く済んでお得な夕食だった。

    
           
 7月4日(土)

モンペリエ発 7:20
パリ着 10:41


モンペリエ駅


気に入っている紅茶屋さん


このデザート、旨し


なんとなくまぶしい、サンポール寺院内部。



チョコレート屋さんにも、たちよった


パセリのサラダ、タブーリ

パリへ

7:20発のTGV パリへ。二階席だ。

リヨン駅に到着後、タクシーでホテルに行く。凱旋門に近い三つ星のお手頃なホテルだ。プリンセス・カロリーヌという名前は、モナコの王女の名前からとったのだろうか?

とにかく町歩き

地下鉄に乗って出かける。カルネを買ったら11.6ユーロだった。フィーユ・デュ・カルベールという駅まで乗る。

目指すはベッジュマン・アンド・バートンという紅茶屋さんで、大通り沿いではあるが、観光地からはちょっとずれているので、わざわざ行かなければならない。私にとっては、ここのフレーバー・ティーは、わざわざ買いにゆく価値がある。茶葉を量り売りしてもらおうと思ったのに、この日は、私の欲しいブレンドが品切れだという。入荷は次の週だというが、私は二日後には日本に発つ身で、買いには来れない。店のおじさんが、量り売り用の茶葉はないが、既に缶に詰められているものがあるというので、そちらを一つ買うことにする。缶は要らないんだが、この際仕方がない。せっかく来たので、他にもストレートティーも買ってゆく。
紅茶を買った後は、ランチでもしようと歩いてマレに出た。以前見かけた新ダオ・ビエンというベトナム料理屋が気になっていたのだが、今回ちょうど歩いていたら行き着いたので、入ってみることにした。

トルビアックにダオ・ビエンという店があって、何度か行ったのだが、あるとき行ってみたら閉店していた。もしかして、新ダオ・ビエンと関係があるのかとも思いお店の人に聞いてみたが、ないという。では、ダオ・ビエンいう名前はベトナム語でよくある単語なのだろうと思い、意味を聞いてみる。どうやら桃の園、「桃源郷」というような意味をもっているらしい。ペーパーのテーブルクロスの上で筆談する。‘Garden Pechet Longlive‘って説明自体が既に英語とフランス語のちゃんぽんになっている。漢字でも書いてくれる。

食事の後デザートを食べようか迷っていたら、おじさんが、あったかいデザートでおすすめがあるというので、それを頼んでみた。大好きなタイのお菓子、ココナッツミルク入りの蒸し菓子に似ている。とても美味しい。すすめてくれたおじさんに感謝すると、漢字で菓子の名前らしきものを書いてくれた。でも、なんで「肉」という字が付くんだろう???

ランチの後は、サン・ポール教会に入ってみるがさっと一回りして出てくる。ローマ様式の柱のファサードで壮麗すぎる教会だ。田舎のロマネスク教会を見てきた後では、頭の中が切り替えが付かず、見学する心の準備が足りない感じがしたからだ。

また、マレ地区というと、日曜日もやっているオシャレなショッピングストリートというイメージなので、また、秀でたコレクションの美術館が複数あるので、それ以外はあまり見学したことがない。そんなわけで、サン・ポール教会はマレの真ん中にあるのに、いつも前を通過するだけになっている。いつか、機会を改めて訪れることにしたい。

夕食は放浪の末・・・

セーブル・バビロンのボン・マルシェに回って買い物。近くに昔行って美味しかったバスク料理のレストランがあったはずなので、食事しようと思って探したが、見つからない。どうやらイタリアン・レストランになってしまったようだ。重厚な店構えのいいお店だったのに、なくなってしまうなんてがっかり。

この後、パレ・ロワイヤルの近くにあった、美味しかったビストロに行ってみたら、ここも違う店に代わっていた。お店の入れ替わりも激しいようだ。歩き疲れたし、あてもないし、参ったな・・・と思いながら結局シャンゼリゼに戻る。

パリまで来たからには、日本では食べられないものを食べたいと、シャンゼリゼの裏手のアラブ料理のレストラン、アル・アジャミで夕食にする。

名店っぽく、入口付近に店員がたくさん控えているのも気楽に入りにくい。内装は重厚だが、席と席の間は割と狭く、テーブルも小さい。こういう作りがアラブっぽいのだろうか。

パセリのサラダのタブーリ、ひよこ豆のペーストのフムスはアラブ料理を食べる際必ず注文する。このほか肉を薄切りにしてピたパンにはさんだものやシシケバブを頼み、パンケーキ風のデザート、ライスプリンも食べた。脂っこくないので、そんなにお腹にひびかない。

やっぱり、お値段はちょっと高め。

よく歩いたが、卿は観光スポットらしきものには寄っていない。
     
 7月5日(日)


シテ島、鳥の市。
きれいな色だ。


ノートルダム内部

パリの休日

朝はちょっとだけ涼しい。

地下鉄でシテ島に行く。目当ては、日曜日にたつ鳥の市だ。朝はまだ人も少ないが、籠の中の鳥たちのさえずりが賑やかだ。もちろん旅先で買うつもりはないが、きれいな色の鳥を見ていると、いつの間にか時間が過ぎてしまう。

鳥のえさやかごも売っている。もしかしたら、白く塗った鉄柵に青い飾り玉が付いたチュニジアの鳥かごがないかと思い探してみるが、見つからない。木でできた同じような形のものはあるが、求めているものとはちがうので断念して、鳥の市をあとにする。

ノートルダムに立ち寄る。日曜のミサをやっていたが、中に入れたので、ミサをちょっと見学させてもらう。外人観光客が、フラッシュたいて撮影している。よくいるんだ、この手の不届き者が、外人でも! 売店でミサのCDを買って帰る。

サン・ルイ島を歩いて、行きあたったロクシタンでちょっと買い物。そのまま、マレに出て、ツアー中ついに出てこなかったフォアグラのポアレを食べる。焼き方はよかったが、ちっと塩辛かった。マレ地区も入れ替わりが激しく、最近は韓国料理店がいい場所にできて、外の席でコリアンバーベキューの美味しそうな匂いを発している。

やることもないのでカルナバレ博物館の庭に行ってみる。花がきれい。

14番線でクール・サンテミリオンのベルシー・ヴィラージュへ。とりたてて町中と違うショップがあるわけではないが、日曜日もやっているのはマレ地区やここだけなのだ。レストランやカフェ、おしゃれな生活雑貨の店が倉庫を改造した建物の中にきれいに並んでいる。

手芸用品、生活用品、本などをぶらぶら見た後は、お菓子屋さんで可愛い缶に入ったチョコレートや量り売りのクッキーを買う。甘ーい匂いが広がる。

夕食は、さんざん散歩して凱旋門の向こうまで行って、中華料理店を見つけたので、またも中華。

本日も歩くばっかりで何もしなかった。
 
フォアグラはポアレに限るよ。でもこれ、塩辛い。


ベルシー・ビラージュの裏手


余りに平凡な中華だ。

 7月6日(月)


舗道で食べてる感じ





博物館の入場券


どれもレプリカなんだが見入ってしまう。


コンクの聖堂のファサード見た見た。


これ、どこにあったっけ?!


コルビジェのマルセイユの集合住宅。積み木の家みたい。

パリ発 23:35
パリ最終日

午前中、ラファイエットの食品館で、カオールのワインを探して購入。旅先では買えなかったが、さすがに大きなデパートに来れば見つかるもんだ。しかも、「店長のおすすめ」のような札がついている。その他菓子だの調味料だのを、いつものごとくばらばらと買って帰る。

マドレーヌ広場近くに出てランチをたべる。外国に来たら一度は食べたいタルタル・ステーキを注文。道路に面したカフェで、席の前は人が行き来する。


建築・文化財博物館

午後はトロカデロの建築・文化財博物館に行く。昔行ったことがあるが、そのあとの改装後では初めて訪れた。

今回、ツアーで見てきた建物のおさらいだ。ロマネスクのコーナーには、幾つかの有名寺院のファサードが原寸大で再現されている。「これこれ。コンクのヤツ、見たねー」と複製の寺院のファサードを確認する。普段は教会の上に方にある柱頭やファサードのタンパンなどが見やすい高さに展示されている。また、聖堂や教会の全体をミニチュアにした模型もおかれていて、展示物がどの部分にあたるのかわかるようになっている。ロカマドールで見た「受胎告知」の壁画の複製は、外で吹きさらしの現物よりも、室内におかれライティングされているので、色が鮮やかに見える。風化、褪色などはどうやって表現していくのだろうか。

2階に上がると、大きなドームのコーナーがある。ドーム自体も大きいが、フレスコの天井画も素晴らしく、ドームの下で足が止まる。「すごいねー、これどこ?」と言って説明のプレートを見ると「カオール」と書かれている。カオールは行ったはずだが、この天井画は見た覚えがない。「カオールの聖堂に、こんなのあったっけ???」

見学に訪れた時、カオールの聖堂の中では、ミサをやっていたので、入り口付近で見ていたが、聖堂自体の内部見学はしていない。

私たちも、奥の方までは入れなかったし、ミサに気をとられていたので、ちょっとでも天井の方を見ようともしなかったのだろう。

あんなところまで行って、これを見てこなかったとは・・・・。カオールなんて二度と行かないだろうに。フレスコ画にちょっと興味があった我等には見落としたことはなんとも残念。先にこっちを見てから行きたかった!

この博物館を回っていると、本物を見たいと思うものがどんどん増えてしまう。その中には、どうやって行くのかわからないような場所もある。

次の旅行先の候補に入れたいところだが、ロマネスク教会となると不便な山の中が多い。自力到達は面倒な場所に関しては、おマニア様向けツアーを探していつか行ってみたい。

近現代の建築の展示になっていて、コルビジェの集合住宅の一室が原寸大の複製で設置されている。実際に中に入れるので、感覚がより具体的にわかり面白い。

作り付けの家具など含め四角を組み合わせたシンプルな空間の構成で、おもちゃ箱の中にいるような感覚になる。

入口で、写真は写してもいいと言われていたが、この階は別で、写していたらダメだと言われた。展示がすべて現代の建築家のものだからだろう。

見学後は、時間調整の為、ホテルの近くの(なんと!)マクドナルドで休憩する。夜のフライトで帰国するので、ホテルに戻り荷物を引き取って、夕刻空港に向かう。凱旋門近くのホテルは、帰る時、空港バスの出発場所が近いので便利だ。



機内に乗り込めば後は翌朝東京に着くだけ。食事をしたらおやすみなさい。





  
           
                         
こんなお土産、買いました。
サンテミリオンで買った伝統的レシピのマカロン  ベイナック城で買ったマグネット ロック・ガジャックで買った紅茶用小皿  ドンムで買ったパテ缶詰のセット  ロカマドールの聖域で買ったメダル ロカマドール 黒いマリア像置物
コンクの聖女フォア聖遺物入れ型置物  サルラ、ラスコーで買ったTシャツ  パリに来てから買ったライニョールのバターナイフ パリのベッジマン&バートンの紅茶  パリで買ったカオールの黒ワイン  サン・ルイ島で買ったお土産用ロクシタン 
                                                                                                                                                                                                       
                                   
           


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