アミアン/アルビ/アルル/ヴァンス/エクサン・プロヴァンス/エズ/カオール/コルド・シュル・シェル/コルマール/コンク/サルラ/サン・ジャン・ピエ・ド・ポー/サン・シル・ラポピー/サンテミリオン/シャルトル/ストラスブール/ディジョン/トゥールーズ/ドンム/ニース/ニーム/バイヨンヌ/パディラック/パリ/フィジャック/フォンテーヌブロー/ベナック/ボーヌ/ボルドー/マルセイユ/ラスコー/ラ・ロック・ガジャック/ランス/リクヴィル/リヨン/ルブルサック/ルルド/ロンシャン
フランス
アミアン
フランス、ゴシック3大建築のひとつ。パリのノートルダムの2倍の大きさを誇る。身廊の天井の高さが42.5メートルでフランスの聖堂の中では最も高い。 |
アルビ
キリスト教の異端・アルビジョワ派の本拠地のアルビは、カトリック教会のアルビジョワ十字軍によって13世紀の初めに焼き払われた。血で血を洗うような抗争で1213年にアルビの異端は撲滅され、その後カトリックの威厳を示すべく要塞のような聖セシル大聖堂がつくられた。自らの血の中で死ぬまで三日もかかったとされる殉教者聖女セシルの名を冠した大聖堂は珍しいという。 40メートルの高い壁を持つ大聖堂の建設には、1282年の着工から200年もの時間を要した。南仏風のゴシック様式で、レンガ造りの飾り気のない外壁を見ながら階段を登ると、繊細なレースのような彫刻の入口に到着する。教会の内部も広く、天井が高い。天井画は青を中心とした華麗なものだ。15世紀に描かれた外陣のフレスコ、「最後の審判」はスケールの大きい地獄絵図で、人々を戒める役割を担っているとか。フランドル派の画家の手になるもので、ボッシュの地獄絵を思い出させる。最後の審判の上におかれたパイプオルガンも大変立派だ。2010年に世界遺産になった。 |
アルビに生まれたロートレックの美術館は、聖セシル大聖堂の隣にあり、元は13世紀に建てられた司教館・ベルビー宮だった。1922年より、ロートレックの作品を中心とする美術館として使用されるようになり、有名なパリの酒場のポスターなども展示されている。遺族からの寄贈のコレクションの中には、珍しくロートレックの父親を描いたものもある。 |
レンガ造りの街並みのアルビは「赤い町」ともいわれる。どこを見てもレンガ色。タルン川にかかるポン・ヴュー(古い橋)は本当にアルビで一番古い橋で、11世紀のもの。12世紀はキリスト教の異端の一派カタリ派を受け入れていた町として、異端撲滅のためアルビジョワ討伐が行われて町は大変な被害を受けたが、15-16世紀には青い色の染料となる植物の栽培で繁栄を迎えた。裕福な商人の邸宅が多い。貴族だったロートレックの生家(非公開)もある。 |
アルル
プロヴァンスの詩人ミストラルが設立したアルルの民族博物館。民族衣装、プロヴァンスの人の生活を垣間見られる絵画・写真などの展示がある。 |
紀元前1世紀のローマ時代の、136メートル×107メートルの2層のアーチの円形闘技場。フランス国内で現存しているローマ時代のの円形闘技場の中では一番大きいらしい。 |
紀元前1世紀に建てられたローマの遺跡。劇場の後ろの壁は一切残っておらず、名残の大理石の円柱が数本立っている。半円形の階段にイスを置き、現在もコンサート、演劇等が行われている。 |
3世紀のアルル司教聖トロフィームを祀るために作られた11世紀のロマネスク教会。入口のタンパンの彫刻「最後の審判」は有名。美しい回廊の柱頭にも、植物や聖書の物語を題材にしたロマネスクの彫刻が見られる。 |
ヴァンス
山の上の旧市街は城壁に囲まれている。ペラ門を入ると、すぐに小さな教会があるが、これがこの町の大聖堂だ。中にはシャガールのモザイク画があり、川に流された赤子のモーゼが拾われようとするところが描かれている。両側の古い家並み眺めながら石畳を歩いていると、すぐに城壁の門に出会う程こじんまりとした町だ。ところどころにある広場には時間によっては市場がたち、レストラン、カフェなどがあって意外とにぎわっている。 |
マティスが晩年を捧げて制作したロザリオ礼拝堂はヴァンスの旧市街の外にある。中心地からは1キロほどあり、曜日によって開いている時間が違うので、観光案内所で見学できる時間を確認してから行くのが良い。礼拝堂内には、黒の線画でキリストが磔刑にかかるまでの「キリストの道行き」、黄色やブルーの明るいステンドグラス、がある。中は撮影はできないが、付属展示室には、マティスの秀作や実行に至らなかった礼拝堂のデザイン図も見ることができ、図録等を購入できる。 |
エクサン・プロヴァンス
エクサンプロヴァンスの画家グラネにちなんだ美術館で、生前は評価されなかったセザンヌノ絵も「水浴」など10点以上が展示されている。2回行ったが2度とも修復中で全て見ていない。2006年に改装も完了し、きれいになったらしい。 |
ローマ時代から17世紀まで増築を重ねてきたという変わった聖堂。聖堂内は暗く、壁の絵画は全く見えない。ニコラ・フラマンの絵「燃ゆる茨」もなぜか見つからない。ロマネスク様式の回廊が美しいと言うので、聖堂内の回廊の入口と思われる扉の近くで待つ。やがて係りの人がやってきて、集まった人たちと一緒に見学する。 |
エクスで見たサントン人形の工房兼売店。焼く前、彩色前のものが並んでいるのも見た。サントンと言うのは「小さな聖人」と言う意味で、キリストの生誕のシーンに出てくる聖家族、天使、三博士などの人形(クレ-シュ)が主だが、南フランスの民族衣装を着た人形もある。人形は土を焼いたものだが、数センチの小さいものは彩色するタイプ、大きい人形には、布の洋服を着せるものもある。 |
町の賑わいを抜けてからしばらく歩くと左手に現れる。一般の家なので、入口の表示を見ないと判らない。2階がアトリエだった部分で、見学できる。大きなカンバスやイーゼル、筆や絵の具、デッサンに使ったガラスのビンなどが残っている。 |
17世紀の館にある古きエクス博物館は、小規模なエクスの民族博物館。民族衣装、昔の人々の生活様式などが見られる。 |
サン・ソヴール聖堂の隣にあるタピスリーの美術館。17〜18世紀に作られたタピスリーを展示しており、ドンキホーテの物語を描いた連作もある。館の中にかざってあるので、部屋の装飾品も見られる。洋服も展示されていた。 |
フランス式庭園の中に、ヴァンドーム公によって建てられたアバンチュールのための館だとのこと。中には17-18世紀のこの地方の家具や絵画を展示している。元は2階建てだったものに3階を立てましたが、ファサードの美しいバランスを損なっていない。 |
サント・ヴィクトワール山 | 旧市街、市庁舎 | 石畳にセザンヌのマーク | セザンヌの生家 | ミラボー通りのカフェ |
いたるところに噴水が。 | こぎれいな店が並ぶ | 聖堂横の広場に市がたつ。 | アルベルタ広場 | エクスの名物菓子カリソン |
エズ
ニースの近郊にある、高い丘の上に外的の目から隠れるようにして作られた要塞の村「鷲の巣村」のひとつ。急な坂を上って城壁の中に入ると、小さなテーマパークのようだ。どれも規模はきわめて小さいけれど、こじゃれたブティックやカフェ、高級ホテル、頂上には植物園もある。城壁の外には海に向かって下る長い坂があり、ここでニーチェが「ツァラトゥストラはかく語りき」の着想を得たという。特に何もないが、のんびり滞在してみたい村だ。 |
カオール
カオールは中世に繁栄した交通の要所であり、ルピュィを出発点とするサンチャゴ・デ・コンポステラへの巡礼の途上にある。当時の町の繁栄振りから悪徳の町にもたとえられた。ロット川にかかるヴァラントレ橋は非常に強固で町の防衛のために要塞としての役目も果たしたが、見た目は大変美しい。また、橋のたもとには葡萄の木が植えられており、カオール・ワインのワインショップもある。カオールは、フランスでも非常に早い時代にワインを生産した地であり、マルベック(オクセロワ)という土地の葡萄を使用する赤ワインは「黒ワイン」とも呼ばれる。 |
12世紀の建造のサンテティエンヌ大聖堂は北側の門にキリストの昇天の彫刻があることで有名。聖堂は大きな二つのドームがあり、そのうちの一つにフレスコ画が描かれている。後陣側の庭には、キリストの受難にちなんだ色の、薬草にもなる植物が植え分けられている。中で礼拝を行っていたためドームのフレスコが見られなかったのが大変心残りだった。 |
コルド・シュル・シェル
丘の上に、壁に囲まれた中世の家々があり、「空の上のコルド」と呼ばれる村。古くは皮革、織物など工芸で栄えたが、衰退。現在は再び、職人やアーチストが移り住んでアトリエや店舗を開いている。メインストリートは村の中では2つに分かれているが、どちらを歩いても13-16世紀のゴシック風の美しい邸宅が並んでおり、観光ポイントには目印がついている。メインストリートから外れ、城壁の外を覗くと、一般民家があるようだ。ふもとの町から城壁の門まで、電動のミニトレインが走っている。 |
コルマール
ストラスブールを下がったところにある小さな美しい町。小川が流れ、小ベニス地区と呼ばれる場所があるが、家はアルザス風のものでドイツっぽい。ドイツ語風に読むとウンターリンデン、フランス語読みでアンテルランタンという元修道院だった美術館には、グリューネヴァルトが描いた有名なイーゼンハイムの祭壇画があり、これを見ることがコルマールを訪れる大きな目的になっている。 |
コンク
3世紀に12歳で殉教した少女フォア(フィデス)の聖遺物を納めた黄金の聖女像を所有する教会で、11世紀から12世紀のロマネスク建築。正面のタンパンの「最後の審判」は有名で、キリストを中心に向かって左に天国と右に地獄が描かれている。中段の端の三角のすき間にひれ伏しているのが、聖女フォアである。 宝物館の奥にすえられたここの展示物中で世界的にも有名な「黄金の聖女像」は、金色のかたい感じの顔や衣装に宝石がついており、異様な雰囲気だ。他にも、宝石のついた黄金の聖遺物入れ、十字架、フォアの像などが、中庭には、いくつか柱頭の飾りが展示されている。 |
近隣のアジャン村から盗んできた聖女フォア(フィデス)の遺骨を納めた教会があることで有名なコンクは、サンチャゴ・デ・ラ・コンポステーラへの巡礼の地でもある。谷あいにあるため、村に入る前に、高い位置から静かなコンクの村全体を眺めることが出来る。教会以外は、何があるというわけではないが、教会も家々も同じトーンでそろった美しい村で、敬虔な気持ちになって祈りを捧げるのもよい。 |
サルラ
9世紀に建てられた大修道院ノロマネスク様式の教会を礎とし、16-17世紀に建築された大聖堂。鐘楼はロマネスク様式を残している。教会内のオルガンは1752年に当時パイプオルガンの制作、修理を手がけていた、ジャン・フランソワ・レピンの作。裏にまわると、壁に墳墓のくぼみを掘った墓地や12世紀頃のタケノコみたいな形の死者の角灯がある。 |
ラ・ボエシの家 16世紀 | プラモンの館 14世紀 | サントマリーの泉 | グレゼルの館 15世紀 | 初審裁判所 17世紀 |
中世ルネサンスの建物が残る、かつて商業で栄えた町。迷路のような細い坂道が多数あり、風情がある。1962年施行された歴史的な街並みを保存するための「マルロー法」の第一号となった。歴史的建造物には、プレートがつけられているので、見所をおさえて観光できる(ただし、プレートの解説はフランス語のみ)。 美食の里の中心地でもあり、フォアグラ、高級きのこ、蜂蜜、チーズ等、食品を商う店が多数ならび、古いサント・マリー教会は今では近代的な扉がついたグルメ垂涎のマーケットになっている。定期的に開かれる市には食品から衣料、雑貨まで露店が立ち、活気あふれる町を大きな買い物籠を持った人たちが歩いている。 |
サン・ジャン・ピエ・ド・ポー
外見はそっけないが、珍しく、三階席まである劇場みたいな教会。パイプオルガンもある。城塞から下った橋から、直接教会の三階に入れる。 |
フランス・バスク地方の小さい村。スペイン国境までは8キロほどで、かつてはスペインのナヴァール王国に属していたこともある。町の上部には城跡があり城壁の中に学校もある。裏に回れば展望台からの町の眺めが楽しめる。サンジャック門を抜けシタデッル通りを下ると、左右にはバスク風の家屋が並ぶ。巡礼の宿場町としても栄えた町で、今も、スペインにはいる前のフランスでの巡礼の最後の通過点である。また、ここから巡礼の旅を始める人も多く、ナバーラの道ともいわれている。サンチャゴまでは800キロ以上ある。 |
サン・シル・ラポピー
村一番の高い塔を持つサン・シル教会。12世紀にロマネスク様式で建てられ、16世紀にはゴシックで修復されたのだが、天井の一部に12世紀当時のフレスコ画が残っている。 |
「フランスの最も美しい村」に選ばれた15世紀−16世紀にできた村。城もあったが、今では城壁しか残っていない。村の中は、土地に高低差があり、坂道が続いている。丘の上に上ると、視界をさえぎるものが何もなく、ロット川流域の緑の多い渓谷の風景が見える。 みやげ物店は少ないが、坂道のあちこちに、レストランやブティック、工房兼販売店があり、意外と観光化されている。美しい村に住み着いて、アトリエを構えるアーティストもいるそうだ。 |
サンテミリオン
サンテミリオンのツーリスト・インフォメーションから入れる教会と修道院。回廊には、観光資料が展示されている。中庭ではワイン関係の行事が行われることもあるそうだ。 |
モノリス教会は、9世紀に、この地で亡くなった修行僧、聖エミリオンの弟子達が地下の一枚岩(モノリス)の石灰岩をくりぬいて作ったといわれる。8世紀に、聖エミリオンが庵を結んだ洞窟、地下墓地も見学できるが、ガイド付きで入れ替え制となっている。 |
村を囲んで城壁が作られたのは12‐3世紀。ボルドーに分類されるワインの中でも有名な産地であり、城壁の外は葡萄畑が続いている。村は狭いが起伏にとみ、坂道が多い。 |
シャルトル
シャルトルブルーといわれるほど美しい青のステンドグラスがあることで有名なノートルダム大聖堂。聖母マリアへの特別な思いを寄せて作られたこの聖堂には、マリア様の衣が聖遺物として保管されている。百聞は一見にしかずとは言うが、ステンドグラスは特に、実際に行って自分の目で見ることが必要だ。その日の天気や陽の方向、おまけに一部が修理中だったりもするので、可能なら何度かいってみるのがいい。 |
シャンティイ
シャンティイ城内のコンデ美術館は好事家垂涎のコレクションとでも言うべきか、こんなところにこんなものが潜んでいたのかと思わせる。ラファエロの三美神、フィレンツェきっての美女、シモネッタの肖像、幸薄い王妃エリザベート・ドートリッシュの肖像、鮮やかな色使いのフーケのミニアチュール、巨大なピンクのダイヤモンド・・・。これらの展示があるグランシャトーとは別に、学芸員の案内で回るプチシャトーがある。ベリー公のいとも華麗なる時祷書のコピー、貴重な初版本や写本がある図書室もプチシャトーの見学で見ることができる・・・が、説明が全くわからないので途中で出てきてしまった。今度はじっくりと、説明が判らなくても見るだけ見たいものだ。 |
ストラスブール
アルザスの民家を使った民族博物館で、木造の建物そのものも見所だ。内部は生活に使った品々が展示されている。食器、チョコレートやお菓子の型抜き、民族衣装や被り物、おもちゃやミニチュアのドールハウスなど、思わず見入ってしまうものが多い。 |
1176年から250年もかけて、赤い岩で作られたばら色の大聖堂。左右非対称で尖塔は一本のみだが、140メートルを超える。中世の教会としては最も高いということだ。壁面は緻密な彫刻で埋め尽くされ、石のレース編みとも言われる。ただしいくつかの彫像のオリジナルは隣接の美術館に保存されている。内部には背の高いからくり天文時計があり、12時半からキリストや死神、使徒の人形が回って出てくるところが見られる。 |
ノートルダム聖堂に隣接する美術館で、貴重な大聖堂の彫像やステンドグラスのオリジナルや、中世の美術を中心に展示している。ステンドグラスの「王の頭部」(左から2番)は具象的なステンドグラスとしてはフランス最古のものだそうだ。ストラスブールで17世紀に活躍したセバスチャン・ストスコプフStoskopffの「グランド・ヴァニテ」がある部屋では、虚栄の象徴となるドクロなどの置物を配した虚栄セットが作られている。 |
大司教ロアンのお屋敷に3つの博物館が入っている。1階は、調度品と共にお屋敷そのものも見学対象になっている装飾博物館、上階はゆったりと展示されたギャラリーのような美術館、地下は考古学博物館だ。 |
ストラスブールはドイツとフランスの境の町。旧市街は周囲をイル川に囲まれている。川には遊覧船が航行し、古風な街並みの中を現代的な路面電車が通る。運河が流れ、木の骨組みの家が並ぶプティット・フランス地区は、フランスというよりもドイツを思わせる。この町のマスコットであるコウノトリのぬいぐるみが、町のあちこちで売られている。 |
ディジョン
ブルゴーニュ公の宮殿の半分に作られた国立の美術館。見ものはなんと言ってもすばらしい彫刻を施されたブルゴーニュ公夫妻の石棺。「衛兵の間」に入って手前がジャン無畏王夫妻、奥がフィリップ豪胆公夫妻のもの。14世紀後半の祭壇衝立「聖人と殉教者」も同じ部屋にある。収蔵品は、中世から現代までの絵画や工芸品、地理的にはイタリア、フランドル、フランスと範囲も広い。有名な画家のものは一点ずつの展示が多いが、ドラクロアの素描、小作品は数点ある。 |
13世紀ゴシック様式の教会で、外見も見るべきところがあるのだが、「黒い聖母」があるというのに惹かれ、それだけ見て帰ってしまったのが心残り。外壁にある幸福のふくろうも触っていない。ここの「黒い聖母」は、洗ったら白くなってしまったというが、このときは黒かった。(1997) |
トゥールーズ
14世紀に建てられた修道院の中が美術館になっており、中世の墓碑、ロマネスク様式の柱頭彫刻のコレクションが圧巻。サン・セルナン聖堂をはじめ、近隣の教会、修道院から、フランス革命の破壊を免れたオリジナルを集め保管している。宗教芸術のみでなく、大きなギャラリーには近代絵画のコレクションもある。教会のパイプオルガンがあり、コンサートも行うそうだ。 |
1760年に出来た赤と白のレンガ造りの建物は、広場から見て向かって左が市庁舎、右が劇場になっている。市庁舎は内部の見学が出来る。2階に上がる階段、ホール、大ギャラリーにはトゥールーズゆかりの画家のトゥールーズの歴史を描いた天井画や壁画で埋め尽くされている。ギャラリーの途中の部屋には、20世紀はじめの画家アンリ・マルタンのガロンヌ川のほとりの風景の連作がある。入場料は無料。 |
3世紀にトゥールーズをキリスト教化した聖セルナンの名前のついた大聖堂。着工は11世紀だが出来たのは13世紀。サンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路としても重要な場所で、多くの巡礼を迎えるため大きな聖堂が必要だった。奥行きが150メートルという、フランスの現存するロマネスク建築の中では最大のものだ。65メートルの高さの八角形の尖塔は大変繊細で美しい。 |
1215年、異教徒のカタリ派に対抗するためにドミニコ会修道院が建てられた。聖堂内にはヤシの木の枝のように天井に広がる柱が7本一列に並んでいる。回廊から繋がる礼拝室には、ステンドグラスや壁画がある。鐘楼は八角形で1298年の建築だ。 |
16世紀の終わりに建てられた館の中にある、トゥールーズの歴史、民族博物館。小さいながら、トゥールーズの近代の地方史も判り面白い。希望すれば親切なおばさんがフランス語で解説してくれる。入口で英語の解説書をかしてもらって、読みながら見るのが良い。 |
ドンム
13世紀にフィリップ豪胆王の命令で、国防のために作られたドルドーニュ地方の要塞都市のひとつで、「フランスの美しい村」にも選ばれている。ミニトレインで石造りの中世の城門を入って終点のラ・アール広場で降りるとすぐに公園があるが、そこからドルドーニュ渓谷や周囲の平原をかなり遠くまでみわたすことができる。小さいながら目抜き通りもあり、フォアグラや地酒、この地方の胡桃の焼き菓子等食品のお店がならんでいる。町は小さく徒歩で回れるが、シンプルな外観の教会、鍾乳洞や洞窟、民俗博物館等の見所もあり、景色以外にも時間があれば楽しめそうな場所だ。 |
ニース
アブラハムと3人の天使 | シャガール以外の展示室も | 預言者エリヤのモザイク | ホールにはステンドグラス | チェンバロのふたにも絵 |
ニースの山の手にあるシャガール美術館は、聖書をテーマとした絵画が集められている。大き目の天使の絵が明るい広々としたスペースに展示されており、ゆったり鑑賞できる。奥の小コンサートホールは、ステンドグラスで、客席まで青い世界になっている。ステージの上のチェンバロにはシャガールの絵が描かれている。 |
ニーム
「ニーム」は泉の周りにできた町で、水の精ネマウススの名前からとっているそうだ。この町のシンボルはワニで、繁華街のマルシェ広場には噴水にヤシの木とワニのブロンズ像がある。ニームのマークにもなっている。ローマ遺跡が当然のようにその辺に残っている町。観光した上、のんびり公園で過ごすには、時間が欲しいところだ。 ひときわ古そうな、コリントス様式の柱を持つ建物はメゾン・カレ(四角い家)といい、紀元前5年に建てられたもので、アウグストゥス帝の子孫にささげられた神殿だったとか。 |
紀元前1世紀のローマ遺跡で、二万人以上もの観客が収容できた。アーチが二段になった、133メートル×101メートル、高さ21メートルの中規模の闘技場で、保存状態のよさでは屈指。現在でもコンサートや演劇、闘牛もおこなわれるそうだ。 |
古代ニームの神殿、劇場などがあった場所で現在は公園になっている。ディアーヌ神殿の跡がわずかに残る。近くには紀元前1世紀のマーニュの塔があり、こちらは入場叶で、塔の上まで登ることができる。小高い丘の上にあるので、塔の上からはニームの町が見渡せる。 |
バイヨンヌ
バスク地方に入るバイヨンヌ。赤ピーマンが干してある光景に出会えなかったが、赤と緑の日よけ窓は町地のいたるところで見ることができた。二つの大きな川がながれる南の町で、フランスよりスペインに近いイメージだ。川によって大バイヨンヌと小バイヨンヌに分けられており、歴史ある古い修道院などもあるのだが、時間がなく、町歩きのみで帰ったので何も見ていない。バイヨンヌ名物はハム、それからバスク地方だけに、バスクベレー、バスク十字のグッズなどを見かける。トゥーロンというスペインと共通のお菓子も発見。 |
パディラック
楽しそうな建物 | ここから地下にもぐる | 待合室の鉱物標本 | 洞窟内は暗く幻想的 | 覗き込んだ洞窟入口の穴 |
深さ75メートル前兆15キロと言う大きな鍾乳洞で、地下にもぐって少し歩いたら、地底湖があらわれる。小舟に乗り、幻想的な鍾乳洞の旅をしたあとは、舟ごとに写真を撮られ、気に入ったら出口で購入するというシステムだ。内部は写真撮影禁止なので、きれいな内部の写真が入った台紙はパンフレットがわりにもなる。同じ写真の場合2枚目以降チョットだけ安くなるので、同乗のお仲間がいれまとめて買う裏技を使おう。 |
パリ
マレ地区の南に位置する、レンガ造りの館に四方を囲まれた広場。17世紀はじめに作られたもので、館(パヴィヨン)と呼ばれる建物は王や王妃の住居にもなっていた。現在も広場に面するところは、レンガで統一された昔ながらのつくりになっており、1階の古風な回廊にそって、ブティックや画廊、レストラン、ホテルなどが並んでいる。高級プチ・ホテルのパヴィヨン・ド・ラ・レーヌ(王妃の館)、高級レストランのランブロワジー、ユーゴー記念館もここの一角にある。 |
入り口を直進するとモネの水蓮の部屋、地下はそれ以外の作品の展示室と、大きく分けられている。エントランスを入るとコンクリートの打ちっぱなしで、重厚でクラシカルな外観と対照的に無機質な感じだ。 |
パリの中で最も美しいパッサージューというと、必ず名前が上がるのがギャルリー・ヴィヴィエンヌ。中にはちょっと高級なブティックから古本屋まである。よくガイドブックにのるサロン・ド・テのアプリオリ・テも入っており、廊下にまでイスが並んでいる。 |
1830年、修道女カタリーナ・ラブレーのもとに、聖母マリア様が現れ、自分の姿をうつしたメダルを作って身につけるとその人々が救済されると伝えたという。表裏とも、そのときに伝えられたデザインであるという。メダルは、礼拝堂の手前に事務室や売店があるので、そこで購入することができる。 礼拝堂は表通りから見えず、ちょっとわかりにくい。修道女カタリーナの遺体は腐敗せず、現在も礼拝堂の中に眠っているという。小さい教会だが、ミサの時間をはずしても、いつも何人もの信者が祈りを捧げている。 |
古生物博物館は、これだけそろうと壮観だというほどの骨の資料館だ。内部の写真撮影が禁止なのが残念で、外からなんとしても覗いてやろうという気になる。 | ||||
宮殿のような建物の中は自然史博物館中最大規模の進化大陳列館。植物動物の進化の過程が展示されているが、遊び心がたっぷりなのも楽しめる。ミュゼ・ショップも充実。 | ||||
自然史博物館は、オーステルリッツ駅近くの植物園の敷地の中にある複数の博物館の総称だ。植物園の入口付近にあるレンガの建物は古生物博物館付だが、これだけでも標本数は多く、見ごたえはある。公園の正面にある進化大陳列館はルネサンス様式の巨大な建物で、中央は吹きに抜けになっている。子供も大人もわくわくするような空間だ。 |
シャイヨー宮に入っている博物館。有史以前の人類の歴史が時代を追って展示され、太古の廊下を抜けると、今度は世界各地の民族ごとの文化、生活などを再現したコーナーに続いてゆく。展示そのものは面白いが、光の扱いや、ガラスケースの区切り方が画一的で若干野暮ったい気がする。 |
1163年にパリ司教のシュリーによって建設が開始され、200年近くかけて完成したゴシック建築の傑作ノートルダム大聖堂。入口の上、両翼に3つの美しいバラ窓がある。北のバラ窓(入口を背にして左)は、聖母マリアをあらわしたもので、13世紀当時のままの状態だそうだ。彫像やステンドグラスは大革命時に破壊されかなりダメージを受けているが、その後復元されている。有料で、鐘楼に上ったりテラスに出たりすることができる。正面だけでなく、横から見たところや、後姿が美しいといわれる。 |
フィジャック
フィジャックで一番大きい教会。中世のフィジャックの町の発展に寄与したベネディクト派修道院の跡地に建てられたが、宗教戦争の被害を受けて、17世紀に一部再建されている。南の翼廊は修道院の教会参事会室だったが、17世紀に礼拝堂に改築された。見事な木の彫刻の装飾がみものだ。 |
フィジャックは中世には、商業の中心地として、またサンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の宿場町として栄えた町で、12世紀から14世紀頃に裕福な商人たちが建てた600年以上前の屋敷が今も現役で存在する。それゆえ、取り立てて有名な歴史的建造物が在るわけではないが、この町は、世界遺産に登録されている。その後改築を重ねた建物の中には、たとえば、窓を塗り潰して壁にしたなど改築前の痕跡を残しているものがあり、建築の変遷を知ることが出来て面白い。 現在は航空機工業の町、ロゼッタストーンの解読者シャンポリオンを生んだ町として有名だ。シャンポリオンの生家はシャンポリオン博物館となっており、その脇の細い道を入ると、ロゼッタストーンの複製を床にしたエクリチュール広場に出る。 |
フォンテーヌブロー
フォンテーヌブローの森の狩の館が何代にも渡って建て増しされ、フランスで最も大きい宮殿となった。現在の建築の基礎は、美術愛好家のフランソワ1世によるもので、彼に招かれたイタリア・ルネサンスの画家の影響を受けた芸術家達が、ここを中心にフォンテーヌブロー派として活躍した。フランソワ1世の回廊は、彫刻と絵画、漆喰、木工を融合させた廊下。装飾にはフランソワ1世の頭文字「F」が見られる。ナポレオンが図書室に改造したというディアナの回廊もすばらしい。庭はル・ノートルによるフランス式庭園で、鯉の池には東屋がある。革命後、王宮の調度品などは盗まれたりこわされたりしたが、その後ナポレオンもここの宮殿を改造し住居とした。正面の美しい馬蹄型の階段で、1814年、フォンテーヌブロー条約で退位を余儀なくされたナポレオンが、エルバ島に流される前に、親衛隊に最後の演説をしたという。 |
ベナック
ベナック城は12世紀に建て始められたもので、要塞の役目も果たしていた。英仏の百年戦争時にはフランス側だった。当時は国境となっていたドルドーニュ川の向こうに、イギリス軍の城だったカステルノー城がみえる。その後廃墟となっていたが現在は修復され、映画のロケにも使われている。1999年の映画「ジャンヌ・ダルク」のポスターが入口に張ってあった。 |
ベナック城からドルドーニュ川辺の町まで、石造りの古い家並みの間を散歩して降りる。「フランスの最も美しい村」に認定されている。 |
ボーヌ
オテル・デューは、「神の館」の意味。1443年にブルゴーニュの大法官ニコラ・ロランとその通麻によって貧しい人のための病院として建てられたもので、その後も1971年まで使われていた。現在は博物館となっており、15世紀の病棟のベッドや礼拝堂、薬局、調剤室、台所など、修道女の人形が当時の光景を再現した展示がある。また、116世紀のタピスリーのコレクションのコーナーもあり、さらに、ファンデルヴァイデンの有名な衝立画「最後の審判」が見られる。 |
12世紀に建てられたブルゴーニュのロマネスク教会。内陣の内側を向けて、聖母の生涯が描かれたタピスリーが飾られている。受胎告知、マリアの結婚、昇天、戴冠などを見ることができる。 |
1938年に作られたワインの博物館で、ブルゴーニュ公がボーヌに住んでいた時、居城としていた15世紀の建物を使っている。ワインを作る工程や、ワイン作りに必要な道具、歴史などについて12の展示室がある。解説書の日本語訳がもらえるので、展示物の概略を知ることはできる。かなり大きなタピスリーが飾られている部屋があるが、これらは現代作家の作品で、ワインにインスパイアされた作品らしい。これだけは、解説がないと何が言いたいのか全く判らない。最後は、ワインの醸造に欠かせないパートナー、14世紀の醸造桶製造展示コーナーがある。 |
ボルドー
11世紀のロマネスク教会をゴシック様式に改築しており、尖塔の目立つ大きな聖堂となっている。ここでは、このあたりを領有していたアキテーヌ女公アリエノール(エレアノール)が後のフランス国王ルイ7世と結婚式があげられた。その後離婚し、アリエノールが広大な土地を持ったまま、後のイギリス王と再婚したことから、この地方はイギリス領土となり、英仏の領土争いの歴史を作ることになる。 |
17世紀頃のバロック教会.。内部は、鉄と石の工芸が見られる。パイプオルガンも有名。スペインの画家、ゴヤの葬儀はここで行われた。 |
ジロンド塔記念碑 | 18世紀の建物ガ多い | ボルドーはゴヤ終焉の地 | ワインの博物館。情報多数。 | 旧裁判所のモンテスキュー |
カンコンス広場の噴水 | コリントス式の柱の大劇場 | 大時計の塔 | 市庁舎 | 石の橋(ピエール橋) |
昔からワイン出荷の良港を持つボルドーは、ガロンヌ川が大きく曲がった外側にひろがるその三日月の形から、「月の港」というロマンチックな別名で知られ、現在は世界遺産に登録されている。フランスの知性の3M、モンテスキュー、モンテーニュ、モーリヤックを生んだ町(実際は近郊)で、だだっ広いカンコンス広場には、モンテーニュとモンテスキューの像が立つ。革命時にはジロンド党の中心人物が多く出た地であり、ジロンド記念碑の頂は「自由の女神」、下にある噴水は「共和制の勝利」がテーマだそうだ。旧裁判所の屋根には4人の司法官の石像があるが、そのうちの一人はモンテスキュー。病み疲れた画家ゴヤが故国スペインから逃れ晩年をすごした住居近くには、マドリッドのプラド美術館前と同じゴヤの銅像が見られる。 |
ポン・デュ・ガール
ローマ時代の水道橋で、高さ48メートル。3段になっている一番上に水路が出来ており、わずかな傾斜で、水源のユゼスからニームまで50キロの距離を水を送っていた。今は一番下は道路になっている。 |
マルセイユ
どこからも見える金色の聖母子をいただくノートルダム・ド・ラ・ギャルド寺院。ローマ・ビザンチン様式だが、19世紀の建立だ。内部は大理石に、モザイクと豪華だ。丘の上からの眺めがすばらしい。近くには岩窟王が捕らえられていたと言う設定の監獄の島、イフ島も見える。 |
モンペリエ
1980年代の都市再開発により生まれた新市街で、バルセロナ生まれの建築家リカルド・ボフィルが設計した。大きな歩行者専用の通りに集合住宅、ホテルが並ぶ。アンティゴヌという新市街地区の名もギリシア風で、町の中にはギリシャ風の彫刻のレプリカが置かれている。旧市街からショッピングセンターを抜けるとこの別世界に到着する。 |
モンペリエは由緒ある大学がある清々とした明るい雰囲気の町。町の中心のコメディー広場には豪華な劇場、旧市街の奥には大きな公園や17世紀の凱旋門、整備された大通りの裏路地には教会や洒落たブティック、レストランがある。コメディー広場の先の遊歩道を行けばこの町の誇るファーブル美術館につく。旧市街も、古い建物に新しさを取り込んだ町だが、さらにぶっ飛びの新市街アンティゴヌもある。 |
ラスコー
ラスコーU(レプリカ)案内図 | ラスコーU内部見取り図 | 入口付近の待合席 | ここから中は撮影禁止 | 本物の入口付近 入場不可 |
ラ・ロック・ガジャック
日本語のイヤホンガイドつきでガバールという舟に乗って巡るドルドーニュ川のボートクルーズ。山の岩肌に家がしがみついているようなロック・ガジャックの町から出発し、両岸に点在する要塞城を眺め、細い川の源流との分岐点まで見て帰る一時間の船旅だ。かつては、この地方が英仏戦争の領土争いや宗教戦争で受難の地であったことは、現在の長閑で美しい景色をみていると想像しにくい。 |
山の中腹の道と川沿いの道しかない、川と岩山の間の幅狭い場所にできた小さな村。川沿いにはホテル、レストラン、売店など商業・観光施設が並んでいる。このあたりはドルドーニュ川が氾濫して浸水してしまったことがあるそうだ。家もまた岩のような色の壁、濃茶の屋根で保護色になっているかのように岩肌と一体化している。「フランスの最も美しい村」に認定されている。 |
ランス
ランスの大聖堂はゴシックの名建築。歴史は古く5世紀初めに建てられたが、その後13世紀に再建されている。代々のフランスの王家の戴冠を行った場所であることから、王権と結びついて革命時にも彫像が多数壊される被害を受けた。第一次世界大戦でも大半が破壊されたが復旧された。ファサードの「微笑みの天使」が有名だ。大きなバラ窓、シャガールのステンドグラス、またシャンパンの故郷であることからシャンパン製造のステンドグラスもある。歴史的な意味の大きい聖堂だが、破壊により、新しいものも取り入れられている。藤田嗣治はここでカトリックの洗礼を受けている。 |
リクヴィル
コルマールからバスに乗ってワイン街道を北上したところにある小さな村。かわいい時計台が町のシンボルだ。アルザスの白ワインを作るHUGEL & FILS社のワイン工場もある。 |
リヨン
旧市街にある、12世紀頃建築が始まった、ゴシックの大聖堂。中には天文時計があり、からくり人形が出てくる。 |
旧市街のフルヴィエールの丘に建つ19世紀の聖母に捧げられた白亜の寺院。正面は細かいレースのような彫刻が施されている。内部もステンドグラスやモザイクで豪華だ。屋根にはリヨンの町を見守るように立っている天使の像、金色のマリア像がある。寺院の裏手(町側)には「ロザリオの庭」があり、緩やかな坂の舗道の途中にはキリストの像がある。 |
リヨンはソーヌとローヌノ2本の川がある町。ソーヌ川が、新市街、旧市街を分けている。旧市街は路地の多い味のある町、新市街は整備された都会だ。いずれにせよ食通の町、おいしいビストロが軒を連ねる。お菓子屋にはリヨンのお菓子クッサン・ド・リヨンは緑色の絹のクッションのイメージだ。また、絹の町としても有名。博物館が沢山あるので次回は見たいものだ。 |
ルブルサック
「フランスの最も美しい村」のひとつで、人の声も石に吸い込まれてゆくような静かで平和なたたずまいだ。村の人口は100人足らずで、観光客相手のお店らしきものも見当たらない。可愛い石造りの家が多いが、おじいさんが一人で歩いていた以外は誰にも会わなかった。 |
ルルド
1858年、少女ベルナデットが聖母マリアに出会い、指し示された場所を掘ると泉が出てきた。その水は人の病を癒すという奇跡を起こし、ルルドは多くの信者が訪問するカトリックの聖地となった。湧き水の源泉はマサビエル洞窟の中にあり見学することができ、マリア様が出現した場所には像が置かれている。信者が洞窟の外壁をつたィ歩き、お参りをする。病気の治癒を願って来た人々は湧き水のプールに入ることもできる。相当冷たいらしい。また蛇口が作られており、そこから水を飲むことのできる。大体の人は水筒を買ってきて、水を入れて行く。町にはマリア様の形の水筒も売られている。 聖堂は新しいので歴史的に見るべきものはないが、2階建ての立派な建物だ。それでもせまいらしく、聖堂前の芝生の下は、地下大聖堂になっている。 |
冬以外は、夜になると、町に滞在している信者が手にろうそくノ灯篭を持って集まり、聖域をゆっくり行進する。アベ・マリアと歌い讃えながら、全員が灯篭を高く掲げる様は大変美しい。 |
ロカマドール
ロカマドールの聖域から頂上の城跡までは、九十九折の山道になっている。要所要所にキリストが自らの処刑のための十字架を背負ってゴルゴだの丘まで歩くさまが描かれた祠が作られている。ここでは死刑の宣告から十字架降架までたどり、ゴールの十字架にむかう。たいした距離ではないが、頂上までエレベーターで昇り、ゆっくり下るという方法もある。 |
町から階段を上るとロカマドールの聖域に到着。小さな広場の周りには7つの聖堂と礼拝堂(ソヴール・バジルカ聖堂、サン・ミシェル礼拝堂、サン・ジャン・バプテスト礼拝堂、ノートルダム礼拝堂、サンタン礼拝堂、地下礼拝堂、サン・ブレズ礼拝堂)がある。他には、ロカマドールの地名の由来にもなったという説がある、聖アマドールの墓、売店、美術館もある。有名なものは、ノートルダム礼拝堂で、奇跡を起こす黒い聖母の像がある。広場に面したのサン・ミシェル礼拝堂の外壁にはブルーの美しい12世紀頃のフレスコ画が見られる。 |
ロカマドールの町はメインストリートが一本。途中の階段を上ると中間地点にホテルやみやげ物店があるが、その先にすすむと聖域だ。門がいくつかあり、最後の門を過ぎると下り坂になっていて草原に出る。メインストリートはワインや食品等名産品を売る店、所謂観光地の土産店、帽子、洋服など売る店、レストラン、ホテルが数件ある。概して夜は早い。11世紀にキリスト教の聖人アマドールの遺骸が発見され、奇跡を起こすという「黒い聖母」があるロカマドールは、サンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の道からは外れるが、フランスでも重要な聖地であり、人気の高い観光地でもある。 |
ロワールの古城
フランソワ1世が、近隣のソローニュの森での狩猟のために作らせた城。1519年の着工後、39年にはアンリ2世が、17世紀にはルイ14世が改修を行った。安定した水平の広がりと、多数の尖塔のバランスが美しい。内部は、確証はないが、ダ・ヴィンチの設計とも言われる先進的な間取り、二重の螺旋階段が見られる。装飾では壁や扉に、フランソワ1世の紋章の「F」とサラマンダーの絵が刻まれている。 |
シェール川にまたがって建つ優美な城。その美しさから、カトリーヌ・ド・メディシスが夫アンリ2世の死後、愛人のディアーヌに交換条件で返却させた城として有名。女性の城主の城らしく、小さくまとまっており、見学しやすい。夫アンリ3世の暗殺後、喪に服した生活を送ったというルイーズ・ド・ロレーヌのモノトーンの部屋、明るく広いキッチン、ダイニングルーム、城の外の2つの庭園なども見所。 |
ロンシャン
ル・コルビュジェの晩年の作品である教会は、ロンシャンの村の丘にある。マシュルームのような外観はそっけなく見えて、不規則に付いた窓や色つきの扉など白壁にところどころアクセントがある。彼の理念「オープンマインド」を意味するシンボルもカラーで外壁に描かれている。教会内は打ちっぱなしのさっぱりしたものだが、ぶ厚い白壁の窓から入ってくる光がとても幻想的な雰囲気を作っている。礼拝堂に対して失礼だが、都会のおしゃれなバーみたいだ。 |
ベルギー
ブリュージュ
喧騒から離れたベギン会修道院の前まで回ってくるブリュージュの運河めぐり。静かな町のたたずまいを川から見上げるのも面白い。ただし、オン・シーズンは、川面はこうした船だらけになり、何ヶ国語もの解説が飛びかっている。込みあっていると、奥までたどり着かないうちにUターンとなる。 |
ブリュッセル
アール・ヌーヴォー建築の父といわれるヴィクトール・オルタが、1898年、自宅兼事務所として建てた家。外見は間口も狭く特に目立つわけではないが、内部は壁や柱のみならず、家具の細部に至るまで彼がデザインしており、絢爛たるアールヌーボー様式で統一されている。。現在はオルタの博物館となっている。 |