ポルトガル

アヴェイロ/オビドス/カスカイス/ケルース/コインブラ/シントラ/ナザレ/バターリャ/ファティマ/ブサコ/ポルト/マフラ/リスボン/ロカ岬

アヴェイロ

町歩き
近代的なアヴェイロ新駅舎 アズレージョは隣接の旧駅 使用されていないが観光名所だ。 中央運河の絵のアズレージョ 中央運河には小舟が浮かぶ
小舟、モリセイロは水辺の花 絵の美しさを競うらしい 中央運河沿いのカフェ コスタノーヴェ地方の家の飾り お菓子・オヴォシュ・モーレシュ
アヴェイロは運河の町。そこには変わった形のカラフルなモリセイロという船がある。観光客は中央運河で散歩。カフェで、アヴェイロのものが一番おいしいといわれている最中のような甘いお菓子を食べるのを忘れないように。

オビドス

町歩き
町の入口の門、ポルタ・ダ・ヴィラ 二重門の内側のアズレージョ ディレイタ通りの両側はお店 さくらんぼのお酒、ジンジャ ブーゲンビリアの色も映える
罪人のさらした柱、ペロリーニョ サンタ・マリア広場脇 王妃が気に入った美しい町並 裏通りはとても静か 北の城門をくぐると城壁が広がる。
オビドスは、1282年、その美しいたたずまいを気に入った当時の王妃イザベルに、王が贈った町といわれている。その後も19世紀はじめまでポルトガル王妃の直轄地であった。城壁で囲まれた中世の雰囲気を残す小さな町だが、メインストリートの行き止まりには立派なポサーダがある。

サンタ・マリア教会
外観からは判らないが、内側の壁は17世紀のアズレージョで埋め尽くされている。小さな街の小さな教会だが、1444年には、当時10歳のアフォンソ5世の結婚式が行われた。

カスカイス

カストロ・ギマランイス伯博物館
玄関 中庭 ロビー 食堂 寝室
館に並ぶ泉 入口近くの小教会 祭壇脇の小部屋に収蔵品が 小教会の祭壇 祭壇の天井もアズレージョ
カストロ・ギマランイス伯の館を博物館として公開しており、説明つきで各部屋を見せてくれる。19世紀にたてられたそうだが、古美術類を各地から集めた貴族の館そのもので、一族の肖像画などもあるのが面白い。この館の前にある橋の下まで大西洋が流れ込んでいる。窓からの景観もすばらしい。
館の前の小さい教会は、祭壇の黄色いアズレージョが見事。係りの人が鍵を開けて案内してくれ、礼拝堂の隣の宝物室も見せてくれる。写真撮影も奨励という寛大さ。

地獄の口
海の岩場にできた穴に海水が流れ込んでしぶきを上げる。その有様が激しくて「地獄の口」と言っているようだ。行った日は、波も静かで、地獄とまでは思えなかったが、お散歩がてら出かけるのに丁度よい距離。地獄の口近くにはお気楽なカフェ、みやげ物店などあり、一休みできる。鉄道駅からは2キロほど。.

ケルース

ケルース宮
18世紀に建てられた郊外の別荘で、王宮として使用されたこともある。外見はあまりぱっとしないが、内部は華やかな宮殿だ。レストラン、宿泊施設併設で、外国の要人の訪問の際などは、レセプションも行われるらしい。
入るとすぐ、鏡と照明を多用したヴェルサイユの鏡の間を思わせる玉座の間がある。こぶりながら豪華絢爛だ。壁面をアズレージョで飾った明るい広間、プライベートな寝室等をめぐることができる。全体的に小規模なので、使っていた調度品も間近で見られる。普段着のお城みたいで、見ていても肩がこらない。外に出ると、フランス式とイタリア式の庭園があり、庭のはずれには水路も通っている。水路の堤防もアズレージョだ。城の前にはこの城を建てた王の妃・マリア1世の像がある。

コインブラ

町歩き
新サンタ・クララ修道院の前にはコインブラの守護神イザベル王妃の像が建つ。彼女はディニス王の妃だが、貧しい人々に差し入れに出かけるところを見つかり、何を持ってゆくのか見せろといわれたとき、もって出ようとしていたお金や食べ物がバラの花びらに変わっていたという奇跡が起こった。彼女の像はコインブラの町を見下ろし、そばにはバラの花が咲いている。
コインブラ大学は旧市街の岡の上。狭き門を入ると広い中庭が広がり、法学部、ラテン回廊、時計塔、礼拝堂、図書館へと続く。金泥細工の図書館は圧巻。外から想像できないようなキンキラの礼拝堂もすごいが、どちらも写真撮影禁止。(写真はえはがき。)

シントラ

シントラ 王宮
14世紀末に建てられた王家の夏の離宮。16世紀には、マヌエル様式を築いたマヌエル1世も増築をしている。これが王宮なのかと思わせるほど、質素な外観で、規模も大きくないが、内部の装飾はポルトガルのアルハンブラ宮といわれているのだそうだ。ガイドさんに連れられて見学する。アズレージョに囲まれた部屋、白鳥の間、エピソード付きのカササギの間、王が幽閉され生涯を閉じたアフォンソ6世の間、水を使ったアラブ風の中庭などが見学できる。台所の煙突は上に向かってまっすぐ伸びたツノのような変わった形で、城のシンボルマークになっている。

ぺナ宮
奇天烈な建築のぺナ宮は、ドイツから来たお婿さんフェルディナンド2世が私財を出してつくったものだときいた。調和の美しさでは、ひとつの城にポルトガルが経験した建築様式のすべてを詰め込もうとしたところに無理があったかも知れないが、実験としては面白いし、外国人の彼がポルトガルを理解しようとしたのかもしれないと言い訳をしてみたくなる。悪趣味とも言えるおかしな建物だが、それでも王室はこの城を捨てることはなかった。ここからの眺めはすばらしく、8世紀ごろにイスラム勢力によって作られた、ムーアの城跡もよく見える。

ナザレ

町歩き
砂浜からいきなり断崖絶壁だ 浜辺のみやげ物やなど ケーブルカーで崖の上の町へ ノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会 プライア(低い地区)の眺め
聖母マリアが、姿を現し、誤って断崖に突っ込みそうになった貴族を止めたという奇跡の地。彼は聖母に感謝してこのメモリア礼拝堂を立てたという。 礼拝堂にはキリスト像マリア像がある。がけっぷちに立つため、小窓からナザレの浜も見える。建物の裏側には伝説にちなんだアズレージョがはめ込まれている。 小礼拝堂の脇の展望台に建つ十字架は、バスコ・ダ・ガマが航海の無事を祈願し参拝したところだそうだ。ここからプライア地区が見渡せる(上段右の写真) ナザレの女性は、既婚者はスカートを7枚重ねて着ていたというが、今そんな姿を見せてくれるのは観光客相手のおみやげ物屋のおばあちゃんくらい。
ナザレで観光客がよく訪れるのは海岸の平地プライア地区、崖の上の町シティオ地区だプアイア地区の浜辺沿いはびっしりみやげ物屋、カフェなどが並び、夏はにぎやか。シティオでは教会が見所。ふたつの町はケーブルカーで簡単に移動できる。

バターリャ

勝利の聖母マリア修道院
アヴィス朝初代の王様、ジョアン1世の騎馬像 中央は修道院の入口。向かって右は創設者の礼拝堂の外観。 ファサードには多くの聖人の像が並ぶ(復元されている)。 手をつないで眠るジョアン1世とフィリパ王妃の棺 王位につかなかったが王冠をいただくエンリケ航海王子の棺
参事会室には、柱がなく、広いフロアになっている。 当時は天井が落ちるのではないかと騒がれたという。 現在は無名戦士の墓があり、兵士に守られている 王の回廊は、マヌエル様式が用いられている。 装飾のモチーフは新大陸から来たさまざまな物産品だ
かつての修道士の台所近くには噴水(洗盤)があった。 ファサードの像の修復前の原型も、展示されている こちらは15世紀に作られた、すっきりとしたアフォンソ5世の回廊。 偉大な祖先に敬意を表し、王の回廊より控えめ作ったという。 資金難で未完となった屋根のない聖堂だが、なぜか美しい。
1385年のスペインとの戦いに勝利したアヴィス朝の始祖ジョアン1世が、勝利を記念して建立を始めた。16世紀はじめまでかけて建築され、ついに一部は未完となったが、何代も王が変わり、建築様式も各時代の混合となっている。

ファティマ

バジリカ
聖母が子供の前に出現するという奇跡が1917年5月13日に起きたファティマ。バジリカも広場も埋め尽くすほどの信者が毎月13日には集うという。広場のキリスト像の下には湧き水があり飲むことができる。バジリカとは別に、実際に聖母が現れた場所には小さなチャペルが建てられ、それを囲んで「出現の礼拝堂」ができている。隣には、ろうそくの火をつける点火場所がある。寒くなる前は、毎日夜になると信者がろうそくを持って聖歌を歌いながら広場を一回りするパレードが見られる。

ファティマ蝋人形博物館
三人の羊飼いの子供が聖母の出現にあい、でたらめを言うなと大人にしかられたり、神父さんに呼び出されたりしながら、いつしか奇跡が認められるまでの過程、3人のうち2人の子供が早世するところ、故ヨハネパウロ2世のファティマ訪問など31のシーンを蝋人形を使って再現している。入口は土産物屋の奥。入口でもらうパンフレット(英語あり)に各シーンの番号に対応した解説がついている。

町歩き
どこを回るのか未確認だが、ミニトレインが走っていた。 歩行者天国になっているジャシンタ・マルト通り。 聖域の隣はみやげ物のブースが並ぶ。 信者も信心の薄いものもとりあえず見て行こう。 マリア像、聖人像に混ざって全く関係ないおもちゃまである。
信仰の町なので、信者でなければ特になすべきこともない。バジリカや礼拝堂をみたあと、たくさんのみやげ物屋で信仰グッズを眺めて歩くのも楽しみだろう。
町の中心から離れたところに、3人の子供のうち最後まで生きていたルチアの生家があるというが、歩くと30分くらいかかるらしい。

ブサコ

ブサコの森とルーゾ
日本語の森林公園のパンフレットを見ながら散策コースをたどる。坂道の途中にはところどころ祠があり、その中にはキリストがゴルゴダの丘に登ってゆくシーンをあらわした等身大の像が作られている。8分目くらいの十字架ではブサコの森が眼下に広がり、絶景。頂上の十字架付近は車で来ることができる。
森林の遊歩道で、ルーソという湧き水が出る町に下りることができる。水としてビンにつめられて販売もされているが、ここでは勝手に水筒に入れて持って帰れる。

ポルト

サント・イルデフォンソ教会
バターリャ広場近くのアズレージョの壁のサント・イルデフォンソ教会。入口の扉を振り返って中から見ると、修復したためなのかアール・デコ調のすっきりとしたステンドグラスだ。

サン・ベント駅
ポルトのサン・ベント駅は20世紀のはじめに修道院の跡地に建てられたという。駅舎の内部のアズレージョはポルトガルの歴史のシーンが描かれているそうだ。

町歩き
エンリケ航海王子の生家(説) ドウロ川岸のカラベル船 ドン・ルイス橋 カイス・ダ・リベイラの食堂街 ここも市電が走る
上の像はエンリケ航海王子 サン・フランシスコ教会 主祭壇はゴージャス(絵葉書) 地下墓地もある グレゴリウスの塔は高さ76m
町の食品店。タラの干物が。 ポルト大学付近 1月31日通り サンタ・カタリナ通り カタリナ通り途中の礼拝堂

ポルトワインのワイナリー見学
グラハム社のワイナリー見学 巨大な樽 この会社の特製「6つ星」ワイン ロビーでは試飲ができる 3種類チョイスできる。

マフラ

修道院
1711年、子供に恵まれなかったジョアン5世夫妻に女児が誕生し、夫妻は神に感謝して修道院の建設を始めた。10年以上かかって完成した壮麗な建物だ。中央に位置する礼拝堂は、ピンクの大理石が使われている。紫の衣装をまとった十字架を背負うキリストの像が入って右の中ほどにある
修道院と宮殿にはガイド付きのツアーで案内される。遊戯室、寝室、サロンなどを通ってゆくが、やはり最後の3万冊を超す蔵書があるという図書館が圧巻。本の保存方法の説明もあって、興味深い。
(宮殿・修道院の中は撮影禁止。図書館の写真は絵葉書。)

リスボン

カルモ教会
14世紀に建てられた教会だが、1755年のリスボン大地震で崩壊。自身の爪あとを残し、このままも風情があるということになり、その後は再建されずに保存されている。残っている建物の内部は考古学博物館。展示物は少ない。廃墟の美を味わいたいものだが、臨時なのか、ガラスのテントのようなものが、下に建てられていて、かえって景観を損ねていた。

サン・ジュストのエレベーター
リスボンの低地と高地を結ぶエレベーター。市内の交通機関のひとつである。鉄鋼の繊細な美しさから、エッフェル塔のエッフェルの作と間違われることがあるという。エレベーターの脇には設計者の名前がプレートでつけられているので確認を。

ジェロニモス修道院
1502年に時の王マヌエル1世が、エンリケ航海王子の業績とバスコ・ダ・ガマの航海を記念し、エンリケ王子が建てた礼拝堂の跡地に建築をはじめた大修道院だ。航海に使う縄や錨を模様に取り入れたマヌエル様式は、その名の通りマヌエル1世時代のもの。 入り口の右にある教会には、祭壇にむかって左手にバスコ・ダ・ガマと、右手にポルトガルの詩人カモンイスの棺がある。正面に入ると修道院があり、一辺が55メートルある回廊の陰翳の美しさは息を呑むほどだ。

発見のモニュメント、ベレンの塔など
エンリケ航海王子の没後500年に当たる1960年に作られた。 モニュメントの先頭にたつエンリケ航海王子の横顔。 モニュメントを正面は十字架の形だ。先は河に突き出している。
リスボン南西部のテージョ川沿いにたつ発見のモニュメントは、飛行機からも見える。モニュメントの両側に並ぶ人物は,王子の後に続くのは天文学者や科学者といった人々で、中には、王子の母フェリパといわれる女性や、詩人カモンイス、画家ヌーノ・ゴンザレスなども入っている。ポルトガル黄金期の人物群像だ。
ちかくにあるベレンの塔は、テージョ川にせり出した美しい白鳥のようだが、16世紀に作られた要塞だった。最上階は王族の住居、地下は水牢だったという。


ロカ岬

ロカ岬はヨーロッパの最西端。山の中を走ってゆくと赤い屋根の灯台が見えてくる。崖の下に広がるのは大西洋だ。岬の先には、「ここに地果て、海始まる」というポルトガルの海洋詩人カモンイスの詩の一部が書かれた碑と十字架が立っている。
白い建物の事務所では、最西端到達の証明書を有料で発行してくれる。自分の名前を申込書にローマ字で書いて出すと、その場で作成してくれる。
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