旅の風景 その他

チュニジア 

カルタゴ

アントニヌスの共同浴場
地中海のすぐそばに建つ2世紀ごろの市民のレクリエーション施設・共同浴場の跡。ローマの五賢帝、アントニヌス=ピヌス帝の頃に行われた大規模な建築のひとつで、162年に開場したという記録がある。復元の予想図通りなら、とてつもなくすばらしい贅沢な設備だ。

ローマ人の住居跡
カルタゴはその繁栄が災いして、ローマに徹底的に破壊され滅ぼされた国である。ここに、ローマ人が町を建設したので、ローマ時代のお墓、金庫、マーケットや大通りなどが残っている。小高い丘にあるヴォリエールの別荘にはモザイクの床があり、そばにあるペットボトルの水をまくと、模様が色鮮やかにはっきりと見ることができる。地層の下にはカルタゴ時代の町もあったようだ。中庭には、カルタゴ時代のものも発掘され、ローマ時代のもの、その後のビザンチンのものと、3種の様式の柱が見られる。

チュニス

旧市街
ハビブ・ブルギバ通りを北上すると旧市街メディナの入口のフランス門が見える。旧市街のスーク(マーケット)の中は、迷路とまでは行かないが細い路地が多い。お店が立ち並び、観光客にはひっきりなしに声がかかる。途中にはイスラム寺院もあり、一定の時間が来ると祈りの声が聞こえてくる。有名な絨毯店パレ・ド・オリエントの屋上のテラスからの眺めが良いということで行ってみる。屋上へあがる自体は無料だ・・・。

バルドー博物館
近世まで宮殿だった建物を利用した博物館。保存状態のよいモザイク画、堂々たる彫刻類、貨幣、装身具など見ものが多い。またパティオや音楽堂などの宮殿のなかも一緒に見られるのが楽しい。別途料金を払えば写真撮影も可能だ。

シディ・ブ・サイド

カルタゴの少し先にある、シディ・ブ・サイドはチュニジアン・ブルーと白壁の美しい町。家の窓や扉の色は青、壁は白と、この町の条例で定められているという。扉には美しい模様になるように鋲が打ってある。世界最古のカフェといわれるカフェ・ナットはアンドレ・ジイドが立ち寄ったことでも有名だ。

トルコ 

アンカラ

アナトリア文明博物館
大地母神 旧石器時代の遺跡の再現 王妃同士の粘土の手紙だとか ヒッタイトのコレクションが充実 収蔵出土品の案内地図
ヒッタイト王国のコレクションで世界的に有名な博物館。中央の一室がすべてヒッタイトもので埋め尽くされている。周囲の部屋は時代順に旧石器時代からビザンチンまでの収蔵物が展示されている。博物館は広くなく、展示品も見きれないほどあるわけではないので、もしフリーの旅行だったら、たっぷり時間をとって、じっくり見ることをお奨めします。

アタチュルク廟
トルコ建国の父・アタチュルクの霊廟。広い敷地の中に威厳のある四角い霊廟がたっている。天井は高く、奥の棺に至るまでの空間には何もない。中庭で衛兵が交代式を行うと、あちこちでシャッター音が鳴る。手前の博物館には、アタチュルクの生前の愛用品や等身大の人形などがある。人形や写真から見て、ルックスも立派な人だったんですね。(博物館は撮影禁止)

イスタンブール

アヤ・ソフィア
聖母子にアヤソフィアを捧げる図 テラスから見る内側壁 聖母子と皇帝家族のモザイク 「請願」復元図も飾られていた。 美しい後陣の聖母子
とても大きなベルガマの壷 メッカに向かって建つミフラブ 天井には金の十字架 代々スルタンの顔のポスター 雨のアヤ・ソフィア全景
最初の聖堂はコンスタンティヌス2世の時代に、コンスタンチノープルの総主教会として建てられた由緒あるもの。その後、6世紀半ばにユスティニアヌス1世が人災により崩れた聖堂を再建させたものが現在のアヤ・ソフィアの基礎である。建物はさらに人災・天災にあいながら改修を重ね、15世紀には回教寺院となりミナレットやミフラブなどが備えらた。初期ビザンチン時代のモザイク装飾は、8世紀ごろキリスト教でも偶像崇拝を禁止したことに伴い破壊され、偶像崇拝が認められた後のモザイク画も厳しく偶像崇拝を禁止しているイスラム教のもと、漆喰でつぶされた。アヤ・ソフィアは長い間モスクとして使用されてきたが、トルコ共和国となってからは博物館として開放され、漆喰がはずされたため見事なモザイクを見ることができるようになった。
もしアヤ・ソフィアをキリスト教会とみなせば、規模はロンドンのセント・ポール寺院についで4番目だそうだ。ソフィア=知恵というだけあって1階には図書館もある(アヤ・ソフィアの名前の由来には関係ないが)。2階はテラスがあり2階から下の内陣を覗ける構造になっている。つづく廊下(ギャラリー)には9‐12世紀ごろの有名なモザイクがあつまっている。

カーリエ博物館
外観 祝福を与えるキリスト 聖母子像 聖パウロ像 パラクレシオン(付属礼拝堂)
現在の建物は5世紀の教会を礎に11世紀ごろに建てられたといわれるが、13世紀には改装が行われ、15世紀にはモスクとなった。20世紀に博物館として公開される。聖母の生涯やキリストの成した奇跡のエピソードを扱った14世紀の美しいモザイクの宝庫であり、モスクとなったときには漆喰で塗りこめられたが、1947年にアメリカのビザンチン研究所などが修復したということだ。付属礼拝堂ではモザイクとは趣の違う、キリストの復活や「最後の審判」のフレスコ画も見ることができる。小ぶりだが、見所満載だ。

スルタン・アフメット・ジャミイ(ブルー・モスク)
内部の装飾タイルが青いことから通称ブルーモスクといわれている。スルタンアフメット1世の命で1609年から建設が始まり7年後に完成。小ドームを重ねて基礎を作り最後に大ドームをのせる構造はスィナンという建築家によって確立されたが、このモスクは彼の建築技法を用いた弟子によって建てられたものだ。ブルーモスクには世界で唯一6本のミナレットがあるが、その理由は、黄金のミナレットを建てるようにというスルタンの命令を、発音の似ている「6本」と聞き間違えたという説と、費用がかかることを懸念し機転を利かせて聞き間違えたふりをしたとの説があるそうだ。どちらにしても建築に費用はかかるので、ミナレットの本数と権力・財力の大きさは比例するという理屈も納得。モスクの外壁のゲートをくぐると、回廊に囲まれた中庭になっている。モスク内は履物を脱いで入り口のビニール袋をもらって靴を入れて持ち歩く。一歩はいるとランプに幻惑されそう。

地下宮殿
6世紀、ビザンチン時代に作られたという地下貯水池。当時、地上の建物は公会堂だったが焼失を機に、地下貯水池を増築したのだそうだ。。内部には列柱が奥まで並び、赤い薄闇が幻想的な雰囲気を醸し出している。奥にある、横や逆さになっているメデューサの頭部が有名。単なる貯水池というより、「地下宮殿」という通称のほうがぴったりくる。

トプカプ宮殿
煙突がいっぱい。王宮の台所だ。 廊下の途中にオープンスペース 皇帝の間のタイル(フラッシュ) 2階にオーケストラボックス どの部屋も壁面は美しいタイル
皇子たちの部屋 中庭に面した皇子たちの部屋 トプカピの秘宝がこの中に こんなものがたくさんあります。 衣装展示館の入り口
15世紀メフメット2世によって建設された宮殿。1856年まで代々スルタンが政治を行い生活した場所である。ハレムは1588年にスレイマン1世によってトプカプ宮殿内に移された。皇帝の近くに住むことは、異例の取り計らいで奴隷の身分から皇后になったロクセラーナの要求であったとも。
今回のツアーでは時間もあまりなく、見学はハレムと宝物館だけだった。必要最低限のものは一通りは見た感じだが、できたら台所跡の陶磁器の展示室や、細密画展示室なども見学できたら面白いだろうと思う。

ドルマバフチェ宮殿
ドルマバフチェ宮殿の門 宮殿の前庭 豪華な食器のコレクション 大階段の部屋 階段の手すり
ハレムの風呂 アタチュルク逝去の間 上階の部屋 図書館 宮殿はボスフォラス海峡沿に
19世紀の前半に、トプカピ宮殿は手狭で、時代遅れと考えたスルタン、アブドゥル・メジト1世が建設させた宮殿。西欧諸国にならったトルコ・ルネサンス様式で建てられている。西欧化はしても、住居部にはハレムという機能も残っている。以前は離宮があったが、焼失。その前は埋め立てて庭園が作られていたため「埋め立てられた庭」という意味のドルマバフチェという名前となった。カメラの持ち込みは有料だがフラッシュをたかなければ何でも撮れる。豪華なお部屋、家具調度品、食器の類まで思わずシャッターを向けたくなるものがたて続けに現れる。ここでは一枚にしたものの食器のコレクションではそれだけで1ページになるほど撮ってきた。

現在は公園だが、ローマ時代の競馬場跡地。皇帝用のロイヤルボックスもあったそうだ。左からテオドシウスがエジプトから運ばせたといわれる「テオドシウスのオベリスク」の細部、根元の台の皇帝家族のレリーフ、馬車レースの模様のレリーフ、ギリシャから持ってきたといわれる青銅の「蛇のオベリスク」、そのバックのコンスタンチヌス7世が建てさせたといわれている「コンスタンチノープルのオベリスク」。


*バザール

グランド・バザール
グランド・バザール内部 水タバコが並んでいる 刺繍が施されたストールもきれい まばゆいばかりの黄金だ 美しいランプの数々。ほしいなあ。

エジプシャン・バザール
広場に面した入口の看板 ベリーダンス用衣装?すげー! 屋外には極普通の商店街も。 トルコのお菓子が山積みだ。 スパイスもこんなにカラフル!
迷子になりそうで全部回れなかったグランド・バザール、食品中心なのでぐっと庶民的なエジプシャン・バザール、その他の市場、みやげ物店などです。値段の定まっていないお買い物は楽しんだ人が得!

エフェソス

エフェソス遺跡
古代の都市がどんな風だったかわかる遺跡群だ。魔除けにメデューサの顔をつけた神殿、売春宿の案内板、公共の浴場、トイレ、劇場、競技場などの跡を実際に見ることができる。クレオパトラが歩いたといわれる大理石の大通りだって、世界を変えるほどの美貌がなくても歩ける。中ほどの目立つたてものはケルスス図書館。ここの一番の見所だ。


カッパドキア地方

カイマクル地下洞窟
キリスト教徒が迫害を逃れて暮らしていたといわれている地下都市。似たような洞窟がこの辺りには300以上もあるという。地下都市には100家族以上が住めるといわれ、教会、台所、共同の食物やワインの貯蔵庫などが備わっている。中は暗く、どんな照明を使っていたのだろうか。地下8階まであることがわかっているようだが、観光客は最深部まではいかれない。洞窟の道幅が狭いので、見学の往路岐路は分けられ一方通行になっているが、大きな荷物があると苦労する。天井も概して低い。ここでは蟻になったような疑似体験ができる。

カッパドキアの風景
ギョレメのゴリラ岩 らくだ岩 エセンテペ、三人姉妹の岩 奇岩群 ウチヒサール、妖精の煙突
カッパドキアは結構広い範囲を指している。見所はギョレメ、ウチヒサール、ゼルヴェ等の岩の住居や教会、要塞、むき出しになった地層や奇岩の風景、いくつかある地下都市、隊商宿跡など数多く、しかも点在しているため、移動手段を持っていないとつらいだろう。ツアーは要所要所の写真ストップもあるので便利だが、見られる場所が限られてしまうのは難点だ。

ギョレメ野外博物館
りんごの教会 洞窟の入り口。 バルバラ教会の内部 偶像禁止を受け、人物がいない。 鳥のようなものはサタンらしい。
台所と食堂の入り口。台所はよく見ると長押のような物がある。  蛇の教会聖ゲオルグが、蛇を退治している図らしい。 こういう岩窟もきっと修道院だったりするのだろう。 クズラル聖堂ツアーの案内はなかったが勝手に登った。不詳 入り口近くにそびえる岩の頂上。
たくさんのキリスト教会が集まるギョレメの谷を野外博物館としたもの。ギョレメには4世紀ごろからキリスト教徒が共同生活をしていたが、後にイスラム教の迫害を受けてさらにキリスト教徒が移り住みようになった。ここでは7‐11世紀頃の各時代の様式の教会が見られる。バルバラ教会では、偶像崇拝が禁止された時代のものは人物が象徴化され記号で描かれているのが興味深い。ツアーで回ったので、壁画の保存状況が大変よいといわれている暗闇の教会、サンダルの教会などは見学できなかったことは残念だった。洞窟の教会内は暗く、フラッシュ撮影は禁止なので上の写真では分からないが、実際はもっと色が鮮やかなものもある。

トカル・キリセ
ギョレメの野外博物館の向かいにあるトカル・キリセは、カッパドキア地方最大の岩窟教会だそうだ。壁面・天井とも聖書のシーンを描いたフレスコ画で埋められており、照明がついているので肉眼ではかなりよく見えるが、写真に撮るにはやはり暗い。フレスコ画には青い色が多用されており、幻想的で美しい。

絨毯工場
カッパドキアの絨毯工場。買う気がなくても、蚕から糸を作る過程、模様を織る過程を見るのは面白い。良い絨毯のみわけかた、値段のつけ方なども教えてもらい、帰る頃にはいっぱしの絨毯通が出来上がる。もちろん最後は気に入ったものを見つけて、購入するもよし。日本で買うより安いようだ。大きな店なら日本まで配送もしてくれる。
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