スペイン
アランフェス/オビエド/カミーノ・デ・サンチャゴ/オビエド/グラナダ/コルドバ/サン・セバスチャン/サンティジャーナ・デル・マール/サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサダ/サン・ミジャン/セヴィージャ/セゴビア/チンチョン/トレド/パンプローナ/バルセロナ/ブルゴス/ミハス/モンセラート/ラ・マンチャ/レオン/ロンダ
アランフェス
夏の離宮だった王宮 | 中国風の部屋 | アラブ風の部屋 | 陶磁器の部屋 | |
庭にはタホ川が流れている。 | フェリペ2世の像 | 人工の中の島に作られた「島の庭園」 | ||
マドリーの南に30キロほど行ったアランフェスは、ロドリーゴ作曲の「アランフェス協奏曲」で有名な都市。今では通勤圏の住宅地ともなっているが、ひとたび王宮とその敷地の広大な庭園に入れば、風雅な気持ちになれる。 王宮はフェリペ2世のときに建てたものだが、後にカルロス3世が増築している。趣向を凝らした一部屋一部屋を見て行くのも楽しい。中には、装飾過多と思われるほどすごい部屋もある。庭は広く、蛇行するタホ川を挟んで「島の庭園」、「王子の庭園」に分かれている。「農夫の館」というには豪華すぎる小宮殿が「王子の庭園」の中にあるが、見学は予約が必要。個人で行かなければそこまで足を伸ばす時間はないだろう。 |
カミーノ・デ・サンチャゴ(巡礼の道)
出発はフランス、サン・ジャン・ピエ・ド・ポー | ヴァル・カルロス | ロンセスバジェス | 巡礼事務所 ローランの岩 | |
パンプローナ大聖堂 | ぺルドン峠 | プエンテ・ラ・レイナ | 巡礼者像 | 王妃の橋 |
エステージャの町 | エステージャの町 | 葡萄畑の中の道 | ワインの泉 | イラーチェ |
イラーチェ修道院 | ログローニョ | 巡礼の像 | ナヘラ | 巡礼宿泊所 |
サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサダ 道しるべ | ブルゴス | エル・シド城 | 大聖堂にもスタンプがある | |
ブルゴス大聖堂 | オビエド | 道しるべ | レオン | 道しるべ |
アストルガ | 大聖堂 | フォンセバドン村 | イラゴ峠の十字架 | 道しるべ |
ポン・フェラーダ | テンプル騎士団の城 | ビリャフランカ | 許しの門 | オ・セブレイロ |
ケルト文化の村 | サンタ・マリア・ラ・レアル教会 | ルーゴ | 城壁の町 | |
道しるべ、ゴソの丘へ | 歓喜の丘 | サンチャゴ・デ・コンポステラ 大聖堂 ホテルでもスタンプがもらえる | ||
黄色い矢印、帆立貝の模様は、旅人を目的地のサンチャゴ・デ・コンポステラへ導く。巡礼ルートは、スペインに入ってからでも800キロ以上の道のりで、これを歩ききるのは並大抵のことではない。カソリック信者が宗教的な動機で巡礼に行く場合は、専用の巡礼手帳が購入でき、ルート上の各地で提示すると巡礼者の特典を受けることができる。また、いつどこを通過したかの証明書代わりにスタンプをおしてもらう。 通算100キロ以上歩き、コンポステラで巡礼手帳を提出し審査を受け、適格なら巡礼証明書を発行してもらえる。一般の旅行者である我々は、本物の巡礼手帳ではない観光用の手帳と地図のセットをロンセスバジェスで購入。手帳に書いてある町のインフォメーションなどでスタンプがもらえる。キリスト教の教義の厳しいところでは、本物の巡礼者用にしかスタンプはくれない。 |
オビエド
アストゥリアス王国の王、ラミーロ一世が当時の首都オビエドの近郊のナランコ山中に夏の離宮として建設。王宮としては小さい。ロマネスク以前にできたもので、その後も交通の要所から外れたため、ロマネスク様式の影響を受けず、アストゥリアス様式と呼ばれる古い様式を保ち続けた。王国の首都がオビエドからレオンに移った後は、村人たちのための教会に転用され、テラスには祭壇がおかれた。ここからはオビエドの町が眺められる。 |
分厚い壁でできた開口部の少ない教会。9世紀に王家のために作られたもので、ロマネスク以前の建築様式だったが、近くの川の氾濫でながされたため、11世紀には一部ロマネスク様式で再建された。内部にはオリジナルのフレスコやレリーフが残るが、撮影は禁止。傷みが激しく、保護のため部分的に覆いがかけられている。 |
旧市街の大聖堂や修道院あたりは中世の雰囲気もあるが、外には普通の街が広がっている、かなり大きな都会。町のところどころに彫像がたっているのも面白い。市庁舎付近はにぎやかで、お祭りなのか、広場では民族衣装を着た人たちが踊っていた。 |
グラナダ
アルカバサ | カルロス5世の宮殿 | 大航海時代の合言葉 | 繊細なイスラムの文様 | アラヤネスのパティオ |
獅子のパティオ | 獅子のパティオを望む | 窓 | 天井の鍾乳石飾り | アービングが住んだ部屋 |
アルバイシン地区の風景 | パスタルの庭と貴婦人の塔 | へネラリーフェ庭園へ | 木のアーチ | アセキアのパティオ |
赤い城という意味の「アルハンブラ」は語感から分かるとおりイスラム王朝の王が築いた城で、15世紀末キリスト教のスペイン王国が国土回復運動でグラナダを陥落させたとき、イスラム王国ナスル朝の最後の王は、アルハンブラを無血開城し、スペインから去っていった。イスラム王は、美しいこの城を何度も振り返り、母后に男らしくないと叱責されたという。 アルカバサは9世紀ごろイスラム王によって建てられた最初の宮殿の跡で、入り口上部には鍵のマークが彫られている。その先のチケット売り場を入ると、すぐカルロス5世の宮殿がある。外は正方形、中は円形の中庭が中央に配されている。1,2階とも円形の中庭に沿って柱が並び、音響がよいらしい。これだけはアルハンブラでは異質の様式だ。アルハンブラの王宮では、2つの水を用いた美しいパティオ、イスラム文様のタイル、壁面の彫刻、天井の鍾乳石のドームなどのイスラムの建築文化を見ることができる。外に出て橋を渡ると、離宮だったヘネラリーフェがある。両側から吹き上げられた一筋の水が、中央の水路に放物線を描いて落ちる構造の噴水は、水音も涼しげだ。 |
スペイン王家の礼拝堂とカテドラルは共に壮麗なもの。礼拝堂は撮影禁止なので映像はない。カテドラルは1523年に建築が始まったが、ゴシックから金銀を多用したプラテレスコ様式、ルネッサンス様式へとうつりかわり、未完の部分を残している。王室礼拝堂の地下にはイザベル・フェルナンドのカトリック両王、ファナ狂女王・フィリップ美男王夫妻の棺がある。 |
アルハンブラ宮殿の反対側の丘。サン・ニコラス広場はアルハンブラ宮殿の全景が見られるスポットとして人気。 |
サン・セバスチャン
町の北東、イゲルド山にある展望台からは、向かいのウルグル山、サンタ・クララ島、帆立の貝殻のように広がるコンチャ湾が見渡せる。ビスケー湾の真珠という別名が付くほどの風光明媚な町で、スペイン王家の保養地となり、高級リゾート地として知られる。展望台にはなぜか子供向けの遊園地があり、お休みはにぎわうそうだ。山の下からはロープウェーも通っている。 |
サン・セバスチャンの旧市街の大半は1820年のナポレオン戦争の時に戦火で燃えてしまったが、サンタ・マリア教会やサン・ビセンテ教会は焼失を免れた。市庁舎前の広場は、かつては闘牛も行われていて、広場を囲むアパートのバルコニーは臨時の見物席になったとのことで、窓の上に席番号がついている。美食の町だけに、路地に入るとバルが並び、この町の名高い男だけの美食倶楽部の建物も見られる。旧市街の門を抜けると漁港があり、なかなかいい雰囲気だ。 ウルメア川沿いはきれいな遊歩道になり、オペラハウスや高級ホテルが並ぶ。旧魚市場は今では食品以外のブティックも入り、おしゃれなショッピングセンターになっている。のんびり散歩している限り、ここがバスク独立の過激派の拠点とは思えない。 |
サンティジャーナ・デル・マール
サルトルが、彼の小説中でスペインで一番美しいと讃えた小さな村。見どころは古い家の連なる街並みだ。観光局では、途中でメインストリートがニ本(カントン通りとリオ通り)に分かれ、どちらを歩いても美しいと言われた。紋章が彫られた道の両側の古い建物は、由緒正しき貴族の家だったというが、今ではホテルやお店になっている。お土産物屋がたくさん並び、遅い時間でも観光客がそぞろ歩きしている。ニ本の道が再び交わった先には、サンタ・フリアナ教会がある。ミサで入れなかったが、美しい回廊も見学できるらしい。(次回は見に行きたい。)教会裏の緩やかな坂を歩くと、可愛いホテルを一軒発見。住居も何軒かあるが、眼下に広がる大地からは、干し草と家畜の匂い。街灯がともり、静かな夕暮れが訪れる。 |
サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサダ
12世紀建立の、聖ドミンゴの遺骸をおさめた立派なカテドラル。 両親とともに巡礼の途中、若者が無実の罪で絞首刑になった。若者の両親は悲しみにくれながらも、巡礼をつづけ、帰りにこの町に立ち寄ると、吊り下げられた息子は聖ドミンゴのご加護で生きかえっていた。両親は、これこそ無実の証だと役人に訴えるが、役人はテーブルのローストチキンを指し、この鶏が生き返らないのと同様、そんな馬鹿な話はありえないと一蹴。すると、ローストチキンが生き返って鳴き声を上げたという伝説がある。(ポルトガルにもよく似た話があるが)この伝説にちなんで、大聖堂の中には鶏のつがいが飼われている。ただし狭い場所なので、鶏のストレスがたまるということで時々つがいを入れ替えているそうだ。鶏も、お役目ご苦労様。 併設の博物館は、かなり気前よく宝物を見せてくれる。展示品の種類はバラエティーに富んでいるが、展示数は多すぎず、自然に歩きながら見られる。聖堂のステンドグラスの下絵(?)の展示もあるので見比べると面白い。 |
サンチャゴ・デ・コンポステラへの巡礼の要所として栄えた町。サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサダという町の名は、11世紀の聖人・ドミンゴが巡礼者のために石畳(カルサダ)を敷き、宿屋や病院を建て、整備したことに由来する。城壁に囲まれた小さな町ながら、大きなマジョール広場と大聖堂がある。町の端から端に巡礼道がまっすぐ通っている。パン屋には、この町の鶏伝説にちなんだ、鶏の形のお菓子(パイ)が売られていた。 |
サン・ミジャン
6世紀の隠者ミジャンの石棺がおかれていたスソ修道院、遺骨が移されたユソ修道院は世界遺産「サン・ミジャン・ユソとサン・ミジャン・スソの修道院群」に登録されている。修道院があるのは、山の中腹の小さな村だ。ここで、現在のスペイン語のもととなったかつてのカスティーリャ王国の言語・カスティーリャ語が書かれた最古の書物であるスペイン語の注釈つきの聖典が作成されたため、スペイン文化史上大変重要な場所だ。ユソ修道院の近くに、ペンと書のモニュメントがある。 |
サン・ミジャンの小さな村にひっそりたたずむ古い修道院。とはいえ、近くのユソの修道院とともに世界遺産に登録もされており、観光客も訪れる。 石を積み重ねただけに見える素朴なロマネスク様式の建物で、開口部はほとんどない。入口を入るといくつかの石棺が並んでいるが、その中には3人のナバラ王妃の石棺もある。意外なことに、山の中の小さな修道院は、ナバラ王家の墓所となっていたという。その先の広い空間は10−11世紀に増築されたもので、アーチの一部にはモサラベ様式の特徴が残る。この部屋の奥に並ぶ洞窟のような小部屋は、スソ修道院の一番古い部分で、6世紀頃のものだ。中には祭壇やアラバスター製の聖ミジャンの石棺がある。 |
ユソ修道院全景 | 入口ファサード | 回廊 | 階段 | |
フアン・デ・リッシの祭壇画 | 天井のフレスコ | 廊下はギャラリー | 楽譜 可動式譜面台→ | |
皮表紙の本の保管場所 | 宝物もいろいろ | 象牙細工の聖遺物箱 | レースのような天井 | スペイン語文書の初版コピー |
ユソ修道院は、12世紀ごろ、手狭になったスソ(上という意味)修道院の代わりに、スソ修道院よりもユソ(下という意味)に建てられた。スソの修道院の代わりというにはあまりにも規模が違う、たいそう立派な修道院だ。礼拝堂には豪華な祭壇とフレスコ画の天井がある。 館内は美術館になっていて、ムリリョの絵、羊皮紙に書かれた聖歌の楽譜、象牙の聖遺物箱などを見ることができる。 |
セゴビア
ふもとから見る城の側面 | 入り口側の外壁 | 中庭 | ムデハル様式の天井 | |
イスラム風の窓にステンドグラス | 玉座は後年の作 | 聖人の像 | 宮殿には武器の博物館もある | |
ディズニー映画「白雪姫」のお城のモデルにもなったという美しいアルカサール。12世紀に建てられ、その後も増改築が行われた。1474年、この城で、後のスペインの基盤を作り上げたイザベル女王が、異母兄の死に際して、カスティーリャ王位を継承する宣言を発した。内部の作りはイスラム建築の影響を受けたムデハル様式。フェリペ2世が結婚式を挙げたのもこの城の一室だ。階段で城の上まで上ることができる。武器や甲冑なども展示されている。 |
貴婦人といわれるカテドラル。目抜き通りに近い。 | マヨール広場の市庁舎 | サン・マルティン教会 | にんにくも料理に欠かせない | |
1世紀後半に建造されたスペイン最大級のローマ遺跡、水道橋。現在も利用されている。橋の外側は新市街だ。 | 肉屋には仔豚も並ぶ | |||
セゴビアはマドリッドから電車で2時間ほどの町。美しい城とローマ時代の水道今日と仔豚の丸焼きで有名だ。ツアーにも入っているが、貴婦人ともよばれる美しい姿のカテドラル、女王といわれる鐘楼を持つサン・エステバン教会は、個人で行かないと訪問しないだろう。 |
後ウマイヤ朝のアブドアッラフマーン1世が785年に着工したモスク(回教寺院)で、モスクとしてはその後4回拡張された。入った瞬間は目が暗さになれず、幻想的な柱とアーチの海の中にいるようだ。およそ850本の柱の上には赤白の石を使って縞模様のアーチが作られているが、増築の末期は資金難となり白い石に赤く着色して済ませている。塗料がはげているので、よく見ると分かる。 もとはキリスト橋の教会があったらしいが、モスクとなり、さらに国土回復運動で再度キリスト教会となったので、モスクの中にキリスト教の礼拝堂が作られた。外から見ると、ドームの分が高くなっているところがキリスト教会だと分かる。宗教が違っても、こうした文化財を壊さず保ってくれてよかったと思わせる貴重な空間だ。 |
コルドバの狭い路地を行く。街角のマリア様や南国の花、一歩中に入ると美しいパティオに出会える。コルドバはローマ時代の学者(小)セネカ、イスラム王朝時代の医者・思想家イブン・ルシュドの生まれた町。この町のかつての繁栄を想像するには、後ウマイヤ朝の首都だったということを思い出すだけでも足りよう。 |
セヴィーリャ
イスラム文化を取り込んだスペインの様式、「ムデハル様式」で建てられた城。絵画も飾られているが、洋服姿の王家の人々の現代画も入っている。アラブ風の透かし彫りの装飾、アーチ、中庭などが見られる。2階には大きなタピスリーが展示された大ギャラリーがある。カルロス5世の設計という大きな庭を取り囲んでいる2階建ての渡り廊下に入ることができる。 |
1402年から100年以上もかけて作られたスペインで一番大きいカテドラル。カテドラル外観は、縦に伸びる線を強調するゴシック様式だが、建物自体は高さより横への広がりがみられる。鐘楼のヒラルダの塔に登るとセビリアの町が見渡せる。中は金銀を多用したプラテレスコ様式の大祭壇がある。コロンブスの棺も置かれている。宝物、美術品等と共に、目の病気にご利益があるというキリスト磔刑時の荊といわれるものが残っている。 |
セヴィーリャのスペイン広場は半円形に広がり、広場の半円に沿って1930年の博覧会のときに作られた建物には、スペイン58県のブースが入っている。それぞれの部屋の前には県のマークや代表的な風景や情景のタイル画、地図などが示されている。15年以上前に行ったときは、橋の欄干は陶器でできており、大変きれいだったのだが、近年は酔った若者達に壊されてしまうという事件が頻発しているという。比較的新しいもので、歴史的価値は薄いとしても、せっかく美しいものをわざわざきたなくしてほしくない。壊された痕が痛ましい。 |
元は修道院だったという美術館。ご当地生まれのムリリョの「無原罪のお宿り」があることでも有名。絵画ではグレコ、スルバランなどがある。ムリリョは広いギャラリーでゆっくり見られる。絵画の部に至るまでの、聖人の彫像も見るべき。 |
マカレナ教会の聖母像エスペランサは涙を流している美しい顔で有名だ。セヴィージャのマリア様の中でも人気が高いそうだ。教会の奥には宝物館があり、聖週間のとき聖母が着る晴れ着やアクセサリー、山車が展示されている。細部まで見られるので一見の価値はある。入場券は、教会入り口脇の売店で買える。 |
サンタクルス街 | 水道橋の断面 | 「死の道」。「生命の道」もある | nodo8のマーク | マリア様 |
こんな看板の八百屋さん | バナナはぶら下がっている | ソーセージなど | 豪快な魚 | カタツムリだ! |
チンチョン
チンチョンの中心のマヨール広場は、夏は闘牛場に早変わり。 | バルやレストラン、雑貨、食品店などが広場に集まる。 | 名物アニス酒 | |||
チンチョン侯爵の領地だった小さな町は、マドリーから50キロ。教会の脇から坂を下りてゆくと2〜3階立ての、テラス付きの家に取り囲まれたマヨール広場がある。名物のアニス酒や、食品店、レストランやバルがすべてこの広場の周りの建物に集まっている。チンチョンは田舎のよさを味わえる魅力的な町で、ここにある国営のホテル、パラドール・デ・チンチョンも人気だ。パラドールは元は侯爵の館だったもので、広々としていて庭も美しい。趣のあるマヨール広場以外に、ほとんど見どころのないチンチョンでは、パラドールで一休みするのもいいかも。宿泊の予約は、人気が高いので早めに取るのがよいそうだ。 |
トレド
12-13世紀にユダヤ教会・シナゴーグとして建てられたものだが、1405年にキリスト教会となる。明らかにイスラム美術の影響を受けた様式で作られている。小規模であるがゆえに、レースのような繊細な柱頭の細部まで、落ち着いて静かに見学ができる。 |
外から見たトレドの町 | タホ川 | ユダヤ教とキリスト教が同居した町 | ||
カテドラルはスペイン三大聖堂のひとつに数えられる立派なもの | トレド名物マザパンの箱が並ぶ | みやげ物店も並ぶ | ||
エル・グレコの家 トレドを愛した画家が暮らした家 | サント・トメ教会入口 | サン・ファン・デ・ロス・レイエス教会 | ||
トレドはスペインの大司教座のある町。すばらしいカテドラルや市民戦争時にフランコ軍が立てこもったアルカサール、ユダヤ教の名残を残す町など、小さいが見所がいっぱいだ。蛇行するタホ川に3方向を囲まれる形になっており、町の中心は小高い丘で坂が多い。中世からの街並みを大切にしているが、一階にはおしゃれなブティックなどが入っている。昔はアクセスはアルカンタラ橋等を渡って中心部まで歩くしかなかったが、今ではエスカレーターで、町の北側から城壁の中の小高い場所まで一気に行かれるようになっている。 |
バルセロナ
14世紀の王立造船所の跡を博物館として1941年にオープン。船のへさきにつける装飾、梶、海図、帆船の模型等の展示物が豊富。大きなホールには船と実際に船をこぐ実寸大の人形なども配置されている。 |
1906年に完成した、ガウディが増改築を行ったバトリョ夫妻の邸宅。建物の外壁は画一的に仕上げられておらず、色つきのガラスやタイルを使用しているので光を反射し、玉虫色のようになる。バルコニーのテラスは魚の骨をイメージさせる変わったデザインだ。ベランダと部屋は木の床で一体となっている。 |
1910年完成のガウディがデザインした集合住宅。大きな建物の内側には2つの中庭を持つ。外壁はうねる曲線だが、これは石を曲線になるように刻み貼り付けたもので、コンクリートで形成したものではない。バルコニーのテラスも手作りなので一つ一つ違う。屋上には変わった形の煙突が並ぶ。 |
ガウディの支持者で理解者だったグエル氏の依頼によって開発した分譲地。宅地の中心に公園を配し、公共の公園部分に関してもデザインのみでなく実用性をも綿密に考えた画期的なプランだったが、、結局できた住宅は数件しかなく、計画半ばでグエル氏がなくなったことで中断。その後バルセロナ市に寄贈された。 |
生誕の門のファサード | 受難の門のファサード | ファサードの内側 | 階段の途中テラスにでる | |
上から見ると | 塔に登る階段は螺旋 | 上に行くほど細くなる | 地下のガウディ実験資料 | |
ガウディの遺作。建設プランの大筋はあるものの、ガウディ本人が建設中に交通事故で死亡したため、他のものに引き継がれ工事が進んでいる。日本人彫刻家外尾悦郎の監督ではじめに生誕の門ができ、次に受難の門が完成した。最後の復活の門と中央の聖堂などは現在進行中。いつできるかはわからない。地下には完成予定図、ガウディが力学の実験に使ったかなり大きな模型などが見られる。 |
15世紀の貴族の邸宅を修復しているときにローマ時代の城壁が発見されたため、発掘調査したところ、地下に遺跡があることが分かりバルセロナ市で保存を決定した。1943年に歴史博物館としてオープン。地下の展示場には、強化ガラスの床が渡っており、モザイクの床を見ることができる。ローマ時代の公衆浴場のあとや墓地が見られる。また、バルセロナ市のローマ時代の地理を3Dグラフィックデ見せる視聴覚コーナーもある。 |
モンジュイックの丘のふもとにあるテーマパーク。基礎は1929年の万国博覧会の際に作られた。スペインのアンダルシア、ガリシアなど各地方の典型的な建物や名所をそれらしく作ってあり、建物の中には地方の物産を売る店やレストラン等がはいっている。作り物ながらスペイン各地を回る楽しみを一日で味わえて面白い。娯楽施設なので、多くは求めず、そこに身を置くことを楽しむのがよい。 |
パンプローナ
15世紀にロマネスクからゴシックに改築されたカテドラル。外見はゴシックにしては地味だ。美術館を入ってすぐ右の絵画の展示室はもと食堂、手前にはもと台所があり煙突がのこっている。柱頭やステンドグラスも見学対象だ。古い聖歌の美しい楽譜、楽器がその楽器を持つ聖人を題材とした絵画や彫刻とともに展示されていたのも良かった。カテドラルには、細い幹を束ねたような柱、金の縁取りの豪華な祭壇、身廊の祭壇の前にはカルロス3世と王妃の彫刻の墓がある。 |
16世紀に建てられた病院を改装した建物で、入口は細かな装飾のような彫刻が施されたプラテレスコ様式だ。有史以前から現代までのナバラ地方を中心とする絵画、彫刻等を展示する4階建で見ごたえはあるが、なじみのあるものは少ない。素人でもわかるゴヤの「サン・アドリアン侯爵」はここの目玉。隣接する教会もゴシック-ルネサンス様式の16世紀の建物で、最近まで教会として使われていた。改装後は宗教美術の展示室となっている。 |
ブルゴス
ブルゴスの大聖堂は、スペイン三大ゴシック聖堂の一つ。13世紀初めにカスティージャ・レオン王国のフェルナンド3世の命によって着工された。初めはロマネスクで建て始めたが、中断を含め完成までは5世紀を要し、ゴシック様式となってしまった。二つの聖堂をつなげたのかと思うほど広くて、見どころも満載だ。目立つところでは黄金の階段、八角形の天井、からくり時計のハエ取り男、エル・シドと妻の墓など。その他、ダ・ヴィンチの弟子のマグダラのマリアの絵、聖杯といった宝物も見ることができる。 |
サンタマリア門をくぐるとブルゴスの中心部だ。ブルゴスの見どころと言えば大聖堂だが、大変大きく、とても見切れない。歩行者天国の町をのんびり歩き、街の中心の広場でカフェに入るのもいいかも。 |
ミハス
ロバのタクシー | 階段の上には闘牛の博物館や闘牛場がある。闘牛場のわきの坂を上ると展望台がある。 | |||
アンダルシアらしい街並み | 白壁に鉢植え花が映える | みやげ物店も並ぶ観光地 | オリーブオイルを摂る行程などを展示した民族博物館 | |
コスタデルソルの町から山に上ってゆくとミハスの白い家並みが見えてくる。10年以上前に行ったときとは比べ物にならないほど、町の玄関の広場は整備されていたが、観光名所にもなっているまっすぐな階段の小路は表向きは変わらない。ホテルやみやげ物店も軒を連ねる堂々たる避暑地、観光地だ。 |
モンセラート
バルセロナの郊外にあるモンセラートは奇岩が連なる不思議な光景の場所だ。岩山の中腹の修道院の歴史は10世紀以前にさかのぼり、1409年にはベネディクトはノ修道院として独立、イエズス会創始者のイグナチオ・デ・ロヨラも修行したという。1811年にナポレオンの侵略によって荒らされたが、この教会の黒いマリア像は隠され、後年、修道院よりやや下の山の中腹から発見された。発見された場所には紀念の建物が建てられている。マリア像は聖マリア礼拝堂に置かれ、参拝者はその回りの階段を歩きながら見ることができる。 マリア様を見た後は、ゆかりの少年合唱団のCDや修道院で作っている石鹸、食品など充実の品揃えのおみやげショップに立ち寄るのもよい。 |
ラ・マンチャ
プエルト・ラピセの町を抜けてから坂道を登ってゆくと、荒地に風車が点在しているのが見えてくる。訪問したときは1メーター先も見えないほどすごい霧で、見晴らしは悪かったが、そのおかげでとても幻想的だった。駐車場に近い風車は、観光客向けのみやげ物店になっていて、サフランなどを売っている、日本語で声をかけられた。 |
レオン
ガウディの設計により、ボティネス邸として1894年に建てられた。現在は中は銀行になっている。 |
トレド、セビーリャに次ぐスペインの三大聖堂のひとつ。フランス風ゴシックの傑作。正式にはサンタ・マリア・デ・ラ・レグラという。内陣は装飾を過多にせず、その代わりに、120枚以上のステンドグラスを使用している。スペインで最も美しいステンドグラスといわれている。 |
1063年に、セビーリャ大司教イシドロに捧げられた教会。完成は1149年。地階の王の霊廟にあるロマネスク様式のアーチ、柱頭、フレスコ画は見事。聖書のいくつものシーンが描かれている。残念ながらフレスコ画は光に弱いということで、フラッシュなしでも一切撮影禁止。上階のパンテオン美術館には象牙装飾の施された聖遺物入れなど宝物がある。 |
史跡を示す足跡、巡礼の道を示す黄色い矢印の二つの道しるべがある。史跡は多いわけではないが、足跡をたどるとカテドラルと聖イシドロ教会、スペイン広場などを回ることが出来る。路地や目抜き通りを散歩し、町はずれのサン・マルコス修道院(パラドール)まで足を伸ばすのも良い。 |
ロンダ
ロンダの旧市街の住宅 | グアダレビン川岸にたつボスコ邸 | ボスコ邸からヌエボ橋をみる | 街角の聖人サント・アントニオ | 窓から覗き込んでみたマリア様 |
マルケス・デ・サルバティエラ邸 | アーチから新市街をのぞむ | スペイン最古の闘牛場 | 訓練には馬を使うとか | 闘牛士の顔写真の箱入菓子 |
ロンダの町は深い谷で分けられている。二つをつなぐヌエボ橋の下は断崖絶壁だ。坂を下ってこの橋を下からも見ることができるので散策すると面白い。新市街にはスペイン最古といわれる闘牛場とロンダのショッピング街エスピネル通り、レストラン等があるが、旧市街は昔の金持ちの邸宅が並び、静かな雰囲気だ。有名画家のアトリエもあるという。 |