ブルガリア

ヴェリコ・タルノヴォ

町歩き
ヴェリコ・タルノヴォは第二次ブルガリア帝国の首都だった町だ。ヤントラ川があるためか朝もやがかかる。もやがあがるとツァレヴェッツの丘の城壁や教会、聖処女降誕聖堂もみえてくる。サモボドスカタ・チャルシャには職人の工房兼売店やみやげもの店が並び、観光客がそぞろ歩きと買い物を楽しむ。ツアーでは何も入場観光はなかった。

カザンラク

カザンラク・クラタ民俗博物館
18世紀から19世紀の民族復興建築様式の民家。入口の門を入ると、広い庭に面して民家がある。さらに奥にも、もう一軒民家があり、どちらも民族調の柄の布で飾られた寝室や広間、台所など内部が見学ができる。

バラ博物館
バラ博物館では、バラの香水の生成過程の説明が行われる。実際に使用していた蒸留釜、蒸留装置、ガラスの入れ物、香水ビンや、毎年選ばれるバラの女王の写真なども展示されている。入口には香りの強いバラの花がおかれ、バラ水が飲める。小さな売店があり、バラの香油、バラ水、バラジャムなどのグッズが多種そろっている。広い庭にはもちろんバラの花がたくさん咲いている。

ソフィア

町歩き
聖ペトカ地下教会 入口は半地下 バーニャ・バシ・ジャーミヤ 公共の温泉があるという 温泉水が出ている。
公園に遺跡が残っている。 地下道にはセルディカの遺跡 大統領府前 聖ゲオルギ教会 ローマ遺跡も周りに残っている。
劇場、ブルガリアンホール 聖ニコライロシア教会 聖ソフィア教会 20世紀になって完成した、壮麗なアレクサンダル・ネフスキー教会。
見所は集中しており、聖ペトカ教会から、アレクサンダル・ネフスキー寺院の近くの解放者記念像までは一本道。歩いて回れる。市内半日観光ツアーでは、聖ギオルギ教会、アレクサンデルネフスキー教会にしか入場しなかった。

プロヴディフ

町歩き
プロヴディフは芸術家の集まる町。城壁の中の旧市街に入ると、芸術家の住居だったところや医者などのお金持ちの家、博物館、美術学校などがある。建物には、出窓や、2階以上の部分が1階よりせり出した形をとり、装飾が施されているものが多く見られる。古いところではローマの円形劇場が残っている。フランスの詩人、ラマルティーヌが旅の途中病気で倒れ、看病をしてもらった家もある(最後から2枚目)。メインストリートには土産物屋も並ぶ。

リラ

ソフィアの南、リラ村のリラ川の清流をさかのぼった山中にある僧院。イワン・リルスキという僧が、ここに寺院を開いたのが始まりで、14世紀には現在のような僧院になった。1833年に火事にあったが復旧された。中心にある聖母誕生教会の建物の外壁、回廊の天井はフレスコ画で埋め尽くされている。修復のため色は鮮やかだ。
周りの建物は僧坊で、台所の跡、僧院の部屋のサンプルも見学できる。また、一部は宿坊にもなっているので一般の人も宿泊できる。歴史美術館が敷地に中にあり、19世紀にラファエロという僧が、聖書の場面などを細密に彫りんだ木製の十字架がある。


ル-マニア

シギショアラ

町のシンボルは時計塔。内部は博物館になっている。最上階は展望台だ。 市庁舎の前に、ドラキュラのモデルのワラキア公の彫像。 ドラキュラ伯の生家。今はレストラン。 旧市街は城壁の中。要所の見張り塔がある。
山の上に行階段 木造の屋根つき 山上のプロテスタント教会 見張り塔 ここも城壁がある。
11世紀にハンガリー王の命令によって国境の警備をかねてゲルマン系の民族が入植した町。その後ギルドの自治都市となり繁栄する。一時ドラクル伯が住んでいたことでも有名。各ギルドの見張りの塔が立ち、町を警備していた。小さい町だが、カトリック、プロテスタントの教会がある。中世の町並の美しさでは、ルーマニア人にも人気の観光地だ。歴史地区として世界遺産に登録されている。

シナイア

僧院
17世紀にワラキア公が建立した僧院で、聖書のシナイ山にちなんで「シアイア」と名付けたら、この土地自体がシナイアと呼ばれるようになった。その後、規模が拡大し、19世紀にはルーマニア王国の初代国王が訪れ、新たに教会を建てたのが現在も使用されている大教会だ。17世紀からある古い教会も、同じ敷地にあり、入口のフレスコを見学できる。

ペレシュ城
ルーマニアで最も美しい城といわれる王家の夏の離宮。赤絨毯の階段の上には、重厚な感じのホールが開けている。160もの部屋があり、隠し扉のある図書室、音楽部屋、メディチ家礼拝堂のミケランジェロの彫刻を模した装飾を持つフィレンツェの間、胡桃の木の彫刻が重厚さを醸す36人が座れるダイニングルーム、バロック風の通路、ムラノ・グラスのシャンデリアがつけられたルネッサンス風のパーティールーム、ベルベットのカーテンと家具に水タバコを置いたアルハンブラ宮殿をまねたというアラビア風の部屋、トルコ風、クリムトのフレスコ画がある劇場など、趣向が凝らしてある。城の外部は複数の建築様式が取り入れられていて面白い。

ビエルタン要塞教会

世界遺産に登録されているビエルタンの要塞教会群のひとつで、三重の壁を持っている。中世にドイツ人が作った村だが、今はドイツ人の人口は激減。プロテスタントの教会だが、作られた当初は宗教改革前でカトリックだった。教会の中は立派なパイプオルガン、説教台、祭壇画、ギルドごとに定められた席、厳重な鍵つきの扉等が見学できる。教会の外には高い見張りの塔、小礼拝堂がある。水色の扉は、離婚したい夫婦をいさめて閉じ込める仕置き部屋の入口で、中では生活用品は一つしか与えられず、二人で一つを使い、仲なおりするまで出してもらえなかったとか。

ブカレスト

国民の館
故チャウシェスク大統領が莫大なお金を投じて造らせた、白亜の巨大宮殿。部屋数3107、かけた費用は1500億円相当といわれる。規模はアメリカのペンタゴンについで2番目だそうだ。1984年に建築が開始されたが、1989年の市民革命で一旦中断。現在は国会議事堂、イベントスペースに使われ、観光用に公開も行っている。150メートルもの長さの廊下、金の装飾、シャンデリア、色大理石を使った壁や柱、大階段、どれをとっても不必要なまでに豪華だ。共産党政権だったのに、なぜこんな宮殿ができたのだろう。

ブコヴィナ地方

ヴォロネツ修道院
門から見える後陣の後ろ側 南の壁はエッサイの樹 中央にはキリスト 罪をはかる天秤
東に聖母子、聖人たち 入口から見える人物 西の壁の「最後の審判」 いうなれば三途の川 天国に入れる人たち
フレスコ画の青の美しさで人気の高いヴォロネツ村の修道院。青い絵の具の原料はわかっていないそうだ。シュテファン大公の命を受け、1488年に完成した。南の壁の「エッサイの樹」も見事だが、西側の「最後の審判」は必見。中央のキリスト、足の下に天秤を置き人が裁かれ、天国、地獄に分けられる審判の時を描いている。キリストの足元からドクドクと赤い血のような炎の川が流れているのが印象的だ。この構図は典型的らしく他の修道院でも見られる。

スチェヴィッツァ修道院
緑の中に立つ全景 ベースの色は緑 内陣の後ろの聖人 エッサイの樹
別棟に資料館がある 北側の壁には大梯子 梯子を上りきる者あれば 梯子から落ちる者あり
1586年に建てられた修道院で、「5つの修道院」中最大のものでフレスコの保存状態もいいが、世界遺産に入っていない。制作年代が他の修道院に比べ新しいということらしい。ここの北の壁には大きく右下から左上に「天国の梯子」かけられ、天国を目指して登ってゆく人物が描かれている。梯子の左下に落ちてゆくのは異教徒で、15世紀当時ルーマニアにとって脅威の的だったトルコ人の姿に似せられている。

フモール修道院
ひっそりとした入口 東のフレスコ 聖人の絵は褪色が激しい 南の壁は赤が基調 南の壁の上部の聖母子
塔に登れる 正教の十字架 西の壁には最後の審判 地獄絵 内部の聖人像
1530年にモルドヴァ公国の大臣、ブブイオグ夫妻によって作られた、塔のないシンプルな作りの修道院。本堂に塔がないかわり、敷地には見張りの塔がある。南側は「コンスタンチノープルの包囲戦」と、この教会の守護神である聖母マリアをテーマとした壁画が描かれおり、赤い色が目立つ。西入口には「最後の審判」がある。宮廷画家トーマが壁画の制作に当たっており、5つの修道院の中では、唯一、画家の名前がわかっている。

モルドヴィッツァ修道院
立派な門がある 南の壁の右にエッサイの樹 南の壁の左側はコンスタンチノープルの包囲戦
修道院内部の壁画 内陣裏側からの全体 倒された人はトルコ人の服装 ここにも最後の審判が ペトゥル・ラレシュ公
ヴォロネツ修道院を造らせたシュテファンの息子ペトゥル・ラレシュが1532年に建てさせた女子修道院。コンスタンチノープルの包囲戦の敵方は、歴史的にはペルシャ人だが、このあたりの壁画では、悪者は全てトルコ人の服装をしている。

ブラショフ

黒の教会
14-15世紀に建設されたゴシック教会で、トランシルバニア地方では最大。黒の教会と言われるのは、1689年にハプスブルグの軍隊に攻撃され火災となったときに、教会の壁がこげて黒くなってしまったことからだが、その後修復を重ねたので、今では黒い部分は少なくなっている。内部にはルーマニア最大のパイプオルンと豪華な祭壇がある。また、ザクセン商人たちが寄付したといわれる見事なトルコの絨毯が、タピスリーのように壁に飾られている。

聖ニコラエ教会
教会入口 教会の向いには墓地がある 敷地内の旧ルーマニア学校
ブラショフのルーマニア教会 机やイスは200年前のものだそうだ。 日本のことが書いてある頁 現在は学校博物館
要塞の外のスケイ地区にルーマニア正教の聖ニコラエ教会がある。14世紀の建築当時は小さい教会だったが、その後の増改築ですらりと背も高い優美な姿になった。最古のルーマニア学校も、1760年に、この敷地にできた。現在は学校博物館になっており、古い教科書が多数保存されている。ドイツ人がこの地に入ってくる前は、ミサや授業はスラブ語で行われており、ルーマニア語を使用するようなったのは16世紀頃だそうだ。手動の印刷機、印刷された古い書籍の展示もある。博物館のおじさんの説明によると、地理の本の日本のページには、ハラキリのことが書かれている。

町歩き
ブラショフはトゥンパ山のふもとに12世紀ドイツ人によって造られた町で、ルーマニアではブカレストに次ぐ大都市だ。スケイ門の中が旧市街で、中心は、黒の教会とスファトゥルイ広場。広場に面した時計のついたメルヘンチックな建物は旧市庁舎で、現在は歴史博物館になっている。正面の壁には王冠と根を組み合わせた紋章も描かれている。広場から伸びるレプブリチ通りは開放的なショッピングストリートだ。博物館・美術館がいくつかあるが時間がなくて残念ながら見られなかった。

ブラン

ブラン城
ブラン村にある吸血鬼ドラキュラの居城のモデルとなった山上のお城だが、実際にはドラキュラのモデル、ブラド・ツェペッシュ自身ではなく彼の祖父が住んでいた。ここも、14世紀に、ドイツ騎士団が、オスマン・トルコ軍が攻めてくるのを見張るために築いた要塞が起源とされる。1920年には、ルーマニア国王フェルディナンド1世の妻マリアの所有となる。現在見られる部屋の調度品の多くは彼女の選んだものである。

プレジュメル要塞教会

トランシルバニア地方に点在する要塞教会のひとつだが、その中でも難攻不落といわれるかなり頑丈なものだったらしい。要塞の中には周辺の村人が避難し、この中で生活するため、250の部屋を持つ3階建てのアパートがある。部屋は内側の外廊下で繋がっている。内部には学校もあった。現在は小博物館も入っており、使っていた生活用品や武器なども展示されている。中心には教会があるが、外側は、連射鉄砲の「死のオルガン」を設置する場所、矢を放ったり油をかけたりする窓、防御に役立つ回転窓など要塞としての役割を果たす機能がついている。

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