住居跡の大通りに出てきた。緩やかな坂を上り右に曲がるとハンニバルの宮殿跡だという。ここは3地層になっていて、掘ってみたら下にカルタゴ時代の遺跡も出てきたという。中庭の床はモザイクになっている。ところどころ置かれているペットボトルの水をサーッと撒くと、色も柄も鮮明に見事な鳥の絵柄が現れた。なぜこんなところにペットボトルが?という謎が解けた。ハンニバル宮殿の庭には、現在は、発掘された四角いカルタゴの柱、丸いローマの柱、ねじれて装飾的なビザンチン様式の柱が同時に存在している。
3日目 チュニジア・エクスカーション@

チュニスに出発!

朝6時半にホテルを出発し、オルリー空港に向かう。空港は南と西に分かれているらしく、タクシーでどちらかと聞かれる。西がエール・フランス用と国内線で、南は国際線専用だそうだ。「たぶん西」と答えるが、確信はない。エールフランス機を利用するのだが、行く先のチュニジアは外国だ。この場合はどうするんだ?

8時20分発の飛行機で、国際線だと2時間前に行くように言われるが、こちらでは国内線感覚で、2時間も前に行っている人間はまずいない。今回は私も空港に着いたのは7時過ぎ。一番近いカウンターのオバサンに、チュニス行きのチェックインカウンターはどこですかと聞くと、「まっすぐこの先、すぐです」とのこと。もし南ターミナルといわれたら移動しなければならないと思っていたが、これでひと安心だ。早く着いたわけではないのだが、待合室にはあまり人はいない。どうやら飛行機は遅れているようだ。アナウンスに耳を澄ますが、フランス語の放送が一回入るだけなので聞き取り不可能。結局、1時間ほど遅れて出発となる。誰も困った様子もなく、こちらでは、ほぼ定刻ということなのかもしれない。

チュニス・カルタゴ空港までは2時間半の旅だ。機内食も出て、これが私の朝昼兼用の食事となりそう。
さてどんな旅が始まるか、ちょっと楽しみだ。空港で1万円を両替すると90.45チュニジアン・ディナールになった。

到着早々、ぼったくりタクシー

空港からホテルまでタクシーに乗る。タクシーの運転手が超軽いノリで最悪だ。一人旅と見ると色々質問してくる。「いつ帰るの?」「明日」「何時?」・・・帰りも迎えに来て、料金をふっかけようというのではたまらないから「まだ決めてない」と答える。ホテルについてメーターを見たら3.8ディナールだったが、5ディナールだという。10ディナールしかないので仕方なく出したが、ホテル前で、窓越しに他の客と話をはじめて、私につり銭をくれる気配はない。つり銭を払いたくないから、気づかない振りして、私があきらめるのを待っているのだ。この野郎!この国、まずマイナス10点!

ホテル到着、やっぱり不手際

ホテルは大通りに面したハナ・インターナショナルという大型ホテルだ。旅行代理店からもらったバウチャーを渡すが、フロントの人はお金はまだもらっていないという。事前に、旅行代理店の人から、「もし現地で、お金がまだだといわれたらいったん支払って、領収書をもらってきてください。帰国後、領収書で払い戻します。」といわれていたので、特に驚きもしなかったが、本当にこんなことがよくあることなのかなあと思った。全くダメじゃん。。。

ホテルのフロントは結構殺風景だ。パリのホテルだったら絶対あるような町の地図や見所のガイド、観光バスやタクシーの案内、近隣のレストランの宣伝チラシなど、見事なほどなんにもない。いっさいない。地図はないのかと聞いたら、キオスクで売ってるという答えだった。ありがとよ。もういいよ。この町、観光で食っていく気はないらしい。

フロントはぞんざいだが、ポーターは親切。「『ありがとう』ってなんていうの?」と聞いたら「シュッカラム」だと教えてくれた。ところが、これが「シュッカラム」であって「シュッカラム」でない。カタカナなんかでは表記できる音ではない。発音できないから、ありがとうは、英語かフランス語でいいや・・・。『一人歩きのアラビア語』も買ってきたが役立たないとみた。そもそも右から読むアラビア語に左から読む言語でフリガナが付けられていること自体に無理がある。

部屋で着替えているともう12時。自分で見積もっていた予定より遅くなってしまったので、ガイドブック片手に早速出かけることにする。カルタゴに行くにはチュニス海港駅から電車で20分くらいとあるが、地図にはチュニス海港駅の記載がない。えー、勘弁してくれーと、へたりそうになる気持ちを奮い立たせ、ホテルの前の大通りを山でない方角に歩いてゆく。10分ほどまっすぐに行くとどうやら駅である。近くてよかった。

次に切符を買おうと窓口に行くが「カルタゴに行きたい」といっても「それで?」という感じの返答で、切符は出てこない。再度カルタゴに行きたいというと、またなんか言っていたが、通じないとあきらめて切符をくれた。0.585ディナールと超半端な数。

停まっている電車を指して「あれ?」と聞くとそうだという。とにかく、乗ってみようじゃないか。
チュニス一人旅+フランス国内・女ふたり(かしましー1)の旅
                                          1997/10/15-10/26
8日目 エク・サン・プロヴァンス再訪

本日は晴天。昨日は入れなかったエクサンプロヴァンスの教会の回廊と、火曜と木曜にたつ青空市を見に、再び、エクサンプロヴァンスに出かける。

大通りの並木道の舗道には露天が立ち並んでいる。プロヴァンス柄のスカート、どこにでもありそうなTシャツ、堂々と飾られた女性下着、カゴに一杯の安マニキュア、誰も履いているところを見たことがないド派手なタイツ、キレイに並んだリボンや手芸用品、アンティークっぽいお人形、とにかく雑多で面白い。

教会

教会の回廊は、ガイドつきの団体として入る。予想より狭い。柱頭の彫刻をガイドさんが説明してくれるが、途中で英語からフランス語に切り替えてしまう。英語圏の人間が少ないと思ったのだろう。みな勝手なもので、熱心に聞き入る人もいれば、適当に見たいものだけを見ている人、ただ写真を撮りまくっている人とまちまちだ。私たちも説明はわからないので、必然的に、適当に楽しむこととなる。

教会の中の絵画は今日もやはり暗くて見えない。「燃える茨」は身廊にあるというのだが、特徴のある絵なのに、どれだか判らない。また、必見のもので、係りの人に頼んで見せてもらう、つまり、普段は隠れているものがあるらしいとも聞いた。中の情報については、あまり親切じゃないなあと思う。
オテル・デュー

ガイドブックで見たとおり、屋根が特徴的で、すぐそれとわかる建物だ。施療院と聞いていたが、華やかな外観だ。15世紀に、ブルゴーニュ公国の大法官という地位(宰相)にあったニコラ・ロランとその妻によって、貧民のために作られた病院である。ニコラ・ロランといえば思い出すのはファンダイクの絵、「ロランの聖母」だ。貧者のための病院作りや教会への寄進など行ったのは、名誉を追求したのか、篤志家なのか知らないが、とにかく金持ちだったことは確かだ。病院は、ワイン畑を所有し、そのワインの売り上げで経営されていたという。

1971年まで病院として使われていたそうで、現在は博物館になっており、年1回ブルゴーニュワインの価格を決定付けるような競りが行われることでも有名な場所だ。

病室には、赤い覆いのついたベッドが並び@、その奥には礼拝堂があるA。病人は寝たまま、ミサに出席できる。さすが、神の家(オテル・デュー)だ。貧者の病室というが、どうしてなかなか立派なものだ。

台所には頭に布をかぶった修道女の人形が配され、使われていた当時の雰囲気が感じ取れるようにしてある。B 

薬局には薬草の標本、薬草をすりつぶす擂鉢などの調剤器具、薬品入れのつぼなどが展示されている。C

更なる見ものは、奥の暗い一室にあるファン・デル・ヴァイデンの最後の審判の祭壇画だろう。絵の前は、さすがに人だかりができている。大きなついたての下のほうには、細かい絵が描かれており、よく見えるように拡大鏡が設置されている。DE
6日目 ニームへ

7時から、リッチな朝食を猛スピードで食べ、くつろぐまもなく7時半にチェックアウト。TGVくらい高速・・・。

メトロでリヨン駅まで荷物を転がしながら行く。休日なので電車も駅も空いていて助かる。リヨン駅ではパスに日付を書き込みパンチを押す。南方面行きTGVはオレンジの車体だ。指定席だが、すいているので、みんな空いている席に移って足を伸ばしている。

後ろの席の男の子が東洋人の美女二人に興味を持ったらしく、恥ずかしそうにしながらも「マダム、どこから来たの?」ー ところが、こっちは何を聞かれたのか良くわからず、「ニームに行くの」ととんちんかんな答えをしてしまい、そのあと間違いに気づいたので、もうひとりの旅の相棒のケロちゃんに登場願って、「ボンジュール、僕、日本から来たんだよ」と訂正しておいた。この男の子は、かわいらしい上、幼いながら丁寧な言葉遣いで、オバサンキラーだ。
お金がほとんどなくなって、もとのモスク前に戻ってきた。そこで、ニセガイドの兄ちゃんは、ガイド料は10ディナールだという。お金がない、5ディナールならあるといったら、「私はジェントルマンだから」と言って5ディナールを受け取って去っていった。相場は5ディナールくらいなもんだろ。10ディナールはめちゃくちゃだ。後は、ぼったくった店からマージンもらえよっと・・・。
旧市街も、店がすっかり開いていて、両側からひっきりなしに物売りの声がかかる。おあいにく様。かもろうったって、もうお金ないもんね。

旧市街から出て、カトリック教会の中で心を落ち着け、入口脇にいた聖アントニウス像に「今日はぼられちゃったよ」とグチを聞いてもらって出てくる。銀行で2000円だけ両替をしてホテルに戻る。「ヤラレタ」という敗北感でしばしボーっとするが、気を取り直してバルドー美術館へゆく。タクシーは安いが、ぜったいぼられるから、路面電車を使う。頼みのガイドブックを見ると、路面電車の国民議会広場下車と書かれているが、路線図も駅の場所も地図上には書かれていない。このガイドブック、やっぱり使えないと実感する。広い道路に路面電車の線路を見つけたので、それらしい方向にたどってゆくと、10分ほどで比較的大きな駅が現れた。

切符売りのおじさんに、「国民議会広場まで行きたい」といったら「そんな駅はない」といわれる。発音が悪いのかと思ってガイドブックの文字を示すがそれでも「???」。「バルドー博物館にいきたいの」というと、「だったらバルドー駅だ、4番線だよ」と言って、切符の裏に書いてくれた。やっと役立つ答えが返ってきた。これでいけるか?


行ってよかった!バルドー美術館

電車の中では、どこかのおじさんが、車内の路線図を心配顔で見る私に、「まだだよ」と教えてくれる。15分くらいは乗っただろうか。バルドー駅に着いたので下車。駅前にどーんと博物館があると思ったのが、甘かった。警官をつかまえて道を聞く。駅から遠くはないが、広大な公園の敷地の中に建物があるので、表から見えなかったのだ。それでも、なんとかたどり着いた。

入場料は3.15ディナール。写真を撮りたい人は別途1ディナール払う。
バスに向かってゆくと、果たせるかな、入口にたどり着く。すぐ入場券を買う。遺跡をいくつかめぐれる共通チケットで4.2ディナールと安い。写真を撮りたければ撮影の許可証を1ディナールで購入するシステム。こういうところでは、撮影は「禁止」ではなく、お金を取って許可すればいいのだ。写真を撮りたい人は、そのくらいのお金は惜しまないし、遠慮なく撮影できる。文化財の保護管理にお金がかかるのだからそのくらい支払ってもいいだろう。

入口でパンフレットなどはくれないのだろうかと聞いてみたら、出口の売店で売っているとのこと。そうじゃないんだよ、あらかじめ説明とか見取り図とかあるだろう、普通は・・・・・。うーん、西欧の観光地に慣れていると勝手が違う。

前方にはツアーの客が説明を受けながらぞろぞろ歩いている。個人客には説明も説明文もない。記載の少ないガイドブックを開いてみたが、やっぱり役には立たなかった。

地面がぬかるんでいるが雨でも降ったのだろうか。地中海に面しているが、満ち潮でも、ここまではこないと思うが。

石の柱やアーチが続くぬかるみを歩いてゆくと、一段高くなった場所に出る。海をバックに遺跡が広がる。この光景がまさに私が求めていたものだ
1日目 東京⇒パリ 機中泊
2日目 パリ/奇跡のメダル礼拝堂、クリュニー美術館、サントシャペル、モロー美術館 パリ
3日目 チュニス小旅行/パリ⇒チュニス、カルタゴ遺跡、シディブサイド チュニス
4日目 チュニス/メディナ、バルドー博物館、  チュニス⇒パリ パリ
5日目 パリ/サン・マルタン運河、 パリ
6日目 南へ小旅行/パリ⇒ニーム ニーム
7日目 ポン・デュ・ガール、ニーム⇒マルセイユ⇒エクサン・プロヴァンス、 マルセイユ
8日目 エクサンプロヴァンス、マルセイユ、マルセイユ−ストラスブール 車中泊
9日目 ストラスブール⇒パリ パリ
10日目 パリ/買い物 パリ
11日目 パリ⇒ボーヌ、ディジョン、リヨン⇒パリ パリ
12日目 パリ/トール・ダルジャンでランチ パリ
13日目 パリ、帰国 機中泊
14日目 帰国 -
旧市街に戻り、教会に入る。ここには有名な3枚組みの宗教画「燃える茨」があるというのだがどれだかわからない。何か絵もかかっているが、あまりの暗さと黒さでなんだかわからない。美しいらしい回廊も午前中しか見学できないと書いてある。ここは収穫なし。近くのタピスリー美術館に行くが、工事中で休み。

土産物屋で絵葉書を買って書き、広場近くの郵便局での自動販売機で切手を買う。機械にハガキを置いて、あて先の国を選んでボタンを押せば、グラム数をはかって料金を計算してくれる優れもの。こんなに使いやすいんだったら、長々窓口に並んで待つ必要はない。難点を言えば、切手というよりは料金を支払った証明書のシールのようなもので、味気がない。それから、切手より横長で、書いておいたハガキの文字にかかってしまう可能性が非常に高いことだ。

時間があるのでグラネ美術館に行ってみるが、ここも工事中で入れない部屋もある。美術館の目玉のセザンヌの「水浴する女達」はあった。数多く同じ主題で書いているので、それぞれ大きさは違うだろうが、思っていたよりもずっと小さいものだった。出る時に館員さんが、なぜか立派なパンフレットをくれた。入場料10フランで、見られない部屋があった分、これで埋め合わせかなあと思う。
ホテルに戻り、預けた荷物を引き取って、メトロでシャルル・ド・ゴール・エトワールに出て、そこから空港リムジンに乗る。リムジンは55フラン。

帰りの飛行機はあまり快適でなかった。4席に日本人の女性と2人だったので、ゆったり座れると思ったのだが、別々になってしまった友達と一緒に座りたいというリセンヌに席をとられた。この子どもたちは5人もいて、席を替えたり立ったり座ったりしゃべったり、とてもうるさい。どこの国でも若い女の子はこんな風なんだろうなあとあきらめる。


14日目 東京

成田午後3時過ぎに到着。リムジンバスが池袋についたのは7時半。荷物で、両肩が痛い。

日曜日はレストランも休みのところが多いので、いつでもあいているピラミデの交差点のカフェでランチをとることにする。

中があったかくなっていないクロークムッシュが出てきた。これが32フランとは、いい商売だ。エスプレッソは不味くないが12フラン。簡単なランチほど、割に合わない気がする。
口直し、気分直し

ホテルに帰ったら、旅の友も旅の友も何とか復活していた。近くの和食の店に、ぎりぎり閉店前に入る。初めは、わざわざ外国で、日本食なんて絶対行かないよねー!と言っていたのだが、ココでお世話になるとは・・・。冷奴28フラン、日本じゃ見られないアンディーヴの漬物25フランとそれなりにいいお値段。私は食事後なので座っているだけだが、けっこう外人男を連れた日本人娘が来ていて、繁盛しているようだ。

お店のおじさんは日本人で、注文した品を客の前に置く時に「シル・ヴ・プレ](直訳なら if you like、pleaseと同義で使われる)と言う。このあたりで聞くのは「ヴォアラ!ボナペティー」だったので、ちょっと新鮮だ。おじさんが日本人だからなのかなあ。

明日は帰国。旅の友も、何とか調子も戻ったようだ.

お疲れ様でした。
あの店員がくびになっているか、いつか、つぶれていて欲しい店
その他ほとんど見学なし・・・。

一通り見たらすっかり疲れ、これ以上美術館はムリと判断。オマケに寒いので体調が良くない。

電車の時間まで、サンミッシェル教会の「最後の審判」をあらわしたタンパンだけ見て通り、ノートルダム教会に、黒いマリア様を見にゆく。遠くからしか見られなかったが、顔が黒いということよりも、その原始的な造形に驚く。他の教会で普通に見るような美しげなマリア様ではなく、大地母神という感じだ。教会の外壁にふくろうの彫刻があり、触ると幸せになるというが、それすら探すのも忘れ、暖かいカフェに急いだ。

あまり時間がないので、ブルゴーニュの美食ディナーはあきらめ、スーパーで、ブルゴーニュ名産のカシス入りの辛子やボーヌでは買えなかったボーヌのワインも買い、カフェで軽食を取る。せめてここでエスカルゴのブルゴーニュ風を注文し、何とかブルゴーニュっぽくまとめた。

8時10分ディジョン発。パリ着は9時46分。ホテル着は10時過ぎ。旅も終盤、さすがに疲れがたまっているらしく、くたびれた。
この美術館は品揃えの幅が広く、面白い。

彫刻の部屋を抜け、ブルゴーニュ大公の、フィリップ豪胆公とジャン無畏公の大理石の棺がデーンと置かれた「衛兵の間」に入ると、その豪華さに圧倒される。

棺の上部の彫刻も立派だが、側面下の大勢の人物の彫刻も、光を当てているので陰翳が際立って見事だ。
ディジョン美術館

ブルゴーニュ公国の中心地だったディジョンには、見るものが色々あるが、ボーヌに先に行ってしまったため、あまり観光の時間はない。プポンを出てさらに、リベルテ通りを進む。半円形のリベラシオン広場についたら、道の向い側は、ディジョンの市庁舎の建物だ。元はブルゴーニュ大公が住んでいた宮殿だが、半分は市庁舎、半分は美術館として使われている。この美術館が今回のディジョン観光の第一の目的なのだ。
ディジョン到着

ディジョンの駅で、帰りのパリ行きTGVを予約しようとしたが、適当な時間が空いていない。一等車なら空席があるので、バカンスチケットとの差額102フランを支払って一等を予約。フランの現金がそこを尽いたので、両替して、さらに小銭を作るべく、マスタード店のグレイ・プポンに立ち寄る。立派な店構えの辛子の老舗だ。店内には、ディジョンマスタード入れという陶器の入れ物があって、ひとつ100フラン以上する。中味のマスタード自体はそんなに高くはなく、普通のガラス瓶入りのものなら15フラン程度だ。

さすがに専門店だ。辛子には、さまざまなフレーバーがあって、色とりどりである。3種のフレーバー(プロヴァンス風、エシャロット入り、粒マスタード)の辛子セットを購入した。一瓶は小さいが2セット買うとやっぱり重い。安いので小銭で払うことになり、高額フランのお札をくずすという目的から完全に外れた。
ブルゴーニュ・ワインの産地の立体地図、農具、葡萄の摘み取りに使うかご、葡萄の圧搾機、樽、ビン、ラベルなどが展示されている。解説が読めれば、ワインの製法や歴史がわかるというわけだ。まあ、読めなくても想像はできる・・・と思ったら、なんと日本語の解説書も用意されていた。

最後の部屋にはワインをイメージした現代作家によるタピスリーがかけられていた。試飲は残念ながら、博物館では行われていなかった。

ワイン市場は、昼休みに入り、見学できなくなってしまった。その辺にあるカフェでランチを食べ、ディジョンに向かう。ボーヌでは一滴のワインも飲めず立ち去ることになった。
ワイン博物館見学

ワインで有名なブルゴーニュー地方に来たからには、ワイン博物館は必見。ボーヌ観光の〆に訪れた。博物館は、15世紀のブルゴーニュ侯の居城だった建物だ。木組みと石壁の組み合わせで、テラスに花が飾られていた。
D
B
A
C
ノートルダム教会でマリアさまの生涯を見る

オテル・デューを出てノートルダム教会へ行く。教会は12世紀に建てられたロマネスク様式で地味な外見だが、内陣には、マリア様の生涯を描いた、15世紀に作られたタピスリーの連作が飾られている。陽の当たり方によるのか、タピスリー自体も経年劣化で色あせているのか、ハッキリした色彩のものとそうでないものが混在する。

こじんまりとした静かな教会だった。
@
11日目 ボーヌ、ディジョン、リヨン駆け足観光

TGVでディジョンに到着すると、ボーヌ行きの電車の乗継がよさそうなので、ボーヌに先に行くことにする。

ボーヌ駅から、城壁の中の町に入る。ワインの店のショーウィンドーを覗きながら歩く。ワイン博物館に行こうといっていたのだが、どうやら、オテル・デューについてしまったらしい。
昼食は、シャンゼリゼに面したイタリアンカフェでピザとサラダを注文して二人で分ける。荷物を一旦ホテルに置きに帰り、6時までは別行動をとる。

私は、グラン・パレで行われているラ・トゥール展を見に行く。どこの美術館もすいているパリだが、特別展となると話は別。長蛇の列ができている。入場料は破格の50フラン! 寡作の画家だけに展示数も少ないし、しかも中も混雑している。入場するまで40分、見ることわずか20分だった。

ラ・トゥール展を出て、チュイルリー公園を歩いて時間を潰す。食品店のウィンドーを覗いたり、日本食レストランのメニューと価格をチェックしたり、道幅を測りながら歩いてホテルに戻る。
内部では、部屋、生活の様子、日常使っていた道具、子どものおもちゃなどの展示がある。

特に気に入ったのは、入口近くにあった民族衣装の展示だ。女性の被り物が面白い。ロアン館の美術館で、パンフレットにのっていたのに、見ることができなかったニコラ・ド・ラルジリエーの「ストラスブールの美女」---係員に聞いたら、「この絵は今はない」といわれ、仕方なく絵葉書を買ってきたのだが・・・。絵の中の貴族の婦人がかぶっていた帽子は、展示の中には見つからなかった。

最後の方に、ミニチュアのドールハウスが飾られていた。まあよくできていること! 小さなお店の小さな箪笥の小さな引き出しにも文字がかかれている。夢中になってガラスにおでこをつけて覗き込む。おもしろくて、なかなか立ち去りがたいが、待ち合わせの時間があるので、後ろ髪をひかれる思いで、博物館を出る。


帰途にひと波乱

聖堂前に戻ると、旅の友が「どーしたのよー」とよってくる。待ち合わせの4時を30分も過ぎているという。心配したと怒られても、事態が飲み込めずキョトン。おかしいなあ・・・時計を見てみると、町の時計より完全に遅れている。どうやら壊れたらしい。大幅に狂うというのは、止るよりも始末が悪い。
ロアン宮で会えなかった「美女」
看板がステキな博物館
からくり時計のショーを見るためには、少し早めに行ったほうがいいかと思い、12時前にロアン館を出る。大聖堂の脇にはもう人だかりができている。さっそく並んで入場券を買う。5フラン。この料金は、時計のメンテナンスに使うとのことだ。

中に入って30分ほど待つ。たっているので疲れる。見学もずっと立ちっぱなし。大きな時計なので一番上のほうが見えない。

望遠レンズで覗いてみていると、上の段にキリスト、下の段には骸骨がいて、動いている様子。やがて、使徒が順番に正面にまわって出てくる。途中でリアルな声で鶏が鳴くと観客から笑いが起こる。

聖堂の時計の前で、無事旅の友と落ち合うこともできたので、聖堂の内部の見学はほとんどしないまま、食事に行く。
9日目 ストラスブール観光

朝8時。ストラスブール駅に降り立つ。第一声は「さむーい!!!」 駅で荷物を預け、旅の友は、コルマールに写真を撮りに行くといって、電車を待つ。ストラスブールの大聖堂でお昼に待ち合わせすることを決めて別れる。

駅前から徒歩でストラスブールの町中に出て、聳え立つ大聖堂を眺める。赤い岩でできた、大聖堂は、その巨大さが何か不安な気持ちにさせる。尖塔がひとつしかない左右非対称な形と空間を埋め尽くす彫刻と空に伸びるとがった鋭さのせいだろうか。曇天も手伝って重苦しい。寒いので、カフェで暖と朝食を取ってから出かけることにした。

ロアン宮

18世紀のストラスブール司教の住居、ロアン宮にゆく。建物の中には3つ博物館があるので、たっぷり楽しめそうだ。3館あわせて40フラン。
マルセイユは半日しか滞在していないので、他の見学は一切なし。もったいないが、特にプランもなく、ゆっくり旧港の前のカフェで道行く人を眺めながら時間を潰す。

陽が傾いてきたので、写真を撮りに港の遊歩道に行く。夕景、夜景を撮り終えて、夕食にミラマールというブイヤベースで有名な旧港近くのレストランに入る。

ブイヤベースは2人からとなっているが、2人ではとても食べきれないほど多い。大きな魚がどーんと皿にのっている。ラスカスという魚(かさご?)らしいが、その周りにも別の魚、魚介類がてんこ盛り。これらは全部私たち二人のためのものらしい。失敗したなあ・・・と思った時には遅かった。

スープには、パンとアイオリソースも添えられる。配膳されるごとに、必ずじゃがいもが半分、スープに入ってくる。この期に及んで、じゃがいもなんてたくさん食べられるわけがない。「いもなんか、よそうな!」と給仕に文句を言いたくなる。

いい味が出たスープだけを飲めばいいのだろうが、そこは悲しき小市民、なるべく中の魚介をひろいあげて食べる。善戦したが、半分くらい食べられたか?

おなか一杯の割りに、デザートまで食べる。赤い果物のパイにしたが、これも大きいこと。このお店は、観光客慣れした中堅どころといった感じで、お高く留まったウェイターがちょっといただけない。値段は高め。二人で579フラン払う。
マルセイユの午後

マルセイユの駅について、まず今夜の夜行簡易寝台クシェットを予約。駅は高台にあり、駅前の大きな階段を下りると大通りになっている・直角に交わるメインストリートを曲がりしばらく行くとほどなくマルセイユの旧港だ。交通量、人通りも多く、都会だなあと感じる。

旧港のそばのバス停から、丘の上の聖堂、ノートルダム・ド・ラ・ギャルド行きのバスに乗る。バスの車体には、黄金のマリア様が描かれている。かなりきつそうな坂道をバスで登る。


ノートルダム・ド・ラ・ギャルド寺院

ノートルダム・ド・ラ・ギャルドに到着。駐車場から上に上ると、絶景が広がる。オレンジ色の屋根の家々、光煌く旧港、青い海に浮かぶ島。この景色のために登る価値があると思うほどだ。
サントン人形(小)で43フラン也
充実の品揃えのハーブ
町の市場

教会を出てすぐそばの広場の食品の市をのぞく。色とりどりの野菜がおいしそうに見える。乾燥ハーブも沢山売っており、値段も安い。これを使えば、誰でもプロヴァンス風の料理を作れるという無敵のハーブ・ミックス「プロヴァンスのハーブ」(9フラン)を購入。他に肉料理にどうかとエストラゴン(10フラン)を買ってみる。エストラゴンは比較的高いので外国で買うのもいいのだが、日本人が使うにはちょっと量が多いかも?

肉屋はウサギや鶏を丸ごと売っている。魚屋の台の上には得体の知れないものものっている。巨大な鰻みたいな物体で、デローンとのびていて、あまり近寄りたくない感じだった。

花屋の店頭が大変きれいだが、買わないなら写真は撮らせないわよという態度のお姉ちゃんに内心ケチといいながら退散。

裏通りに入り、サントン人形の工房兼販売店を見つける。キレイに色づけされた小さな人形は、キリストの生誕劇の一式と、民族衣装の女性や農夫の姿などの物にテーマが分かれているが、私は生誕のシーンが欲しくて、キリストの聖家族、馬小屋、天使2体を購入。羊や東方の三博士も欲しかったのだが小さいのにひとつ43フランもするので、全ては揃えられなかった。次回来ることがあれば追加しよう。

昼は大通りのカフェでピザを食べる。二人で一枚でいいと思って注文したのだが、その一枚が本格的に焼いたものだったようで、なかなか来ない。予定していたより一本後の電車でマルセイユに帰る。
本物はグラネ美術館で。
いかにもローカル線
アトリエ内は撮影禁止だ。セザンヌの父親は金持ちだったので、これを建ててくれたらしい。巨大なイーゼル、高い天井、空きびんやカンヴァス、油絵の具のにおいが残っている・・・。アトリエとしては広いということだが、アトリエ以外に小部屋が付いていても全体としては広くないので、見学時間はあまりかからない。一回りしたら降りてあげないと、次の見学者が入れないということもあり、外に出る。

館の前の中庭の赤いベンチに腰掛けてひと休みしたら、また町に戻ることにする。
セザンヌのアトリエ、入場料は10フラン。

アトリエ跡なので完成した作品は見られない。
ニームから11時44分発の電車でマルセイユに向かう。マルセイユ駅から歩いて100メーターという表示があるイビス・ホテルに泊まることにする。バスタブ付きの部屋を頼んだら、「高いですよ、400フランだけど・・・」とホテルの受付のおばさん。ツインで400フランなら、そう高いと思っていないのだが、私たちはそんなに貧乏に見えるのだろうか。

ホテルのロビーには列車の時刻表のモニターがあり、発着時間、入線番号まで載っているので便利。次のエクサンプロヴァンス行きまで一時間弱あるので、ホテルの下のカフェで昼食を取る。1品なら55フランという気楽なメニュー。

エクサンプロヴァンス行きのローカル線に乗り込み40分ほどで終点着。小雨の中を少し行くと大通りにぶつかる。左に行けば、エクサンプロヴァンスの旧市街に入れる。

セザンヌのアトリエ

セザンヌのアトリエまで行きたいので、旧市街をぬけて、ひたすら町外れを目指す。坂道に差し掛かる。しばらく行くとようやくアトリエに到着。門が閉まっているので一瞬休館かと思ったが、ブザーを押せと書いてある。門のロックが外れた。門の扉を押して入ると、中にも何人か先客が待っている。入場券を買う。見学するアトリエは上階にあり、一時に入る見学者の数を制限している。10分くらい待っているようにいわれる。
デザートはさっぱりとシャーベットにする。たくさんは食べられないと言ったのに、シャーベットは3山入っていた。こっちの人にはこれは標準的な量であり、仕方がない。仕上げにコーヒーを飲んで帰る。

とっても気持ちよく食事できたし、高くもなかった。ホテルのおじさんに報告しついでに「明日タクシーでポン・デュ・ガールに行きたいけど、いくらくらいかかるのかな」と聞くと、タクシー会社に連絡してくれた。往復と30分見学で250フランだそうだ。その程度なら頼んでもらおうと、手配してもらう。明日は、9時にホテルを出発だ。.
135フランの選べる定食を頼む。前菜は魚のスープ。見たところは濃厚タイプではなく比較的さらっとしている。にんにくのかけらをパンに塗り、さらにソースチーズをのっけたパンをスープに浸して食べる。お魚の味が出ていてとってもおいしい。メインはカエルの股肉のフリット、バジルソース・・・。私のたびのお供のケロちゃんを連れて行っていたので、給仕のオバサンが笑っていた。
メゾン・カレ
円形闘技場
庭園のあとは、町の中心部に戻り、メゾン・カレというギリシャ風の四角い建物を見る。中にはちょっとした展示しかない。BC5世紀が起源の古い建物なのだが、横の庭では若者がローラーボードをしていて、にぎやかだ。この町のシンボルとなっているワニの噴水とヤシの木のある広場を見た後、メインストリートを歩き、最後はBC1世紀頃の建築だという円形闘技場に入った。ニームの闘技場はフランスの中でも保存状態が陽光で現在も使用されているそうだ。

入場料を支払い、歩き始めると、「ちょっとあんたたちどこ行くの」と呼び止められる。ここは英仏どちらかのガイド付きツアーとなっているらしい。どうせわかんないんだからガイドなんか要らないのに・・・・と思って、「それ、義務なの?」と聞くと、「そう、義務」と返ってきた。仕方なく、わからない説明を聞きながら、団体にくっついていく。一通り説明が終わったのか、石段の客席のところでフリーとなる。カメラ好きな日本人二人で、あちこち勝手に歩いて写真を撮る。

中心部分は修復中だった。
円形闘技場の入場券には、18-19世紀の画家ユベールロベールのメゾン・カレの絵が描かれていた。

ニーム市内観光

ガイドブックに載っていた、駅に近いマジェスティックというホテルに泊まることにする。部屋は2階の奥。いかにも家族でやっているホテルというような部屋だ。おしゃれな部屋ではないが、広いし、清潔なので問題なし。

駅の裏手にバスターミナルがあるので、ポン・デュ・ガール行きのバスの時間を調べたが、本日はもうない。明日も丁度よい時間には出ていない。どうしたもんか・・・。まずはニームの観光をし、明日のことはあとで考えることにする。

ニームの教会は通りすがりに眺めただけ。日曜のミサのため中には入れない。そのままフォンテーヌ庭園に向かう。庭園の前であんずジャムのクレープとパナシェというカクテルの名ついた缶ジュースを買って、食事の代わりとする。

庭園の坂を上ってゆくと、マーニャの塔という建物があり、ニームの町の眺めがよいというので行ってみた。まず塔までの坂道がきつい。やっとたどり着くとまた階段で塔の上まで登らねばならない。オマケに入場料が、エレベーターもないのに12フラン。苦労して登れば、確かにオレンジ色の屋根のニームの街並みはきれいだった。塔の上には柵もなく、はじっこまで行って落ちたらどうするのという断崖絶壁状態。また、そんなきわに腰かけて足をぶらつかせている子供がいるんだなあ。こっちがハラハラする。
ここのギャルソンは白いスーツに身を包み、お茶を味見してから出すようだ。びっしり並んだお茶の缶をバックに働く姿はその道のプロを感じさせ、カッコいい。さて、出てきたランチは・・・。スモークサーモンを中心にすえ、トマト、グレープフルーツ、オレンジで周りを取り巻き、茶葉とビネガーのドレッシングがかけられていた。花みたいできれいだ。

旅仲間の一言。「なんかこれで79フランって高いよねー。」 私も同感。きれいだけど、高い。だからおどろきなのか???

お茶はここの名物マルコポーロ・ルージュを頼む。38フランなり。甘い不思議な香り。銀色のポットの中に陶器のポットが入っている2重の構造が面白い。

1階のディスプレイに茶の湯の道具が並べられているけど、この使い方を知っている人は何人くらい居るんだろう。
5日目 パリで一息

サンマルタン運河〜セーヌ河岸のお散歩

今日からは旅仲間もできて、そんなに緊張しなくても大丈夫そうだ。朝はゆっくり起きて豪華な朝食をいただく。明朝は、食事なしで朝早くホテルを出て、ストラスブールに行こうと思っていたのだが、ここの朝食への執着から、予定を変更した。

本日は一日パリをぶらぶらする日。まず東駅に出て、サンマルタン運河を散歩。釣りをしているおじさんがいて、小さな魚をビニール袋に入れていた。「おいしいの?」と聞くと、「おいしいよ」とウィンクしてよこす。

翌日ニーム行くことに決め、TGVの予約をしようとリヨン駅に立ち寄ったが、ホテルのセキュリティーボックスに、ユーレイルのバカンスパスを置いてきてしまったので、それを提示しないと席の予約はできなかった。無駄足だった。あとでまた来ることにする。

シテ島、サン・ルイ島をほっつきあるき、ベルティニョンでアイスクリームを買う。いつも行列だが、今日は2‐3人しか並んでいない。ダブル(16フラン)でピーチとシトロンを頼んでみた。正確にはアイスクリームではなく、シャーベット。大変フルーティーで、噂どおりおいしかった。セーヌに架かる橋のらんかんによりかかって食べる幸せ。

セーヌ河岸の階段を下りてみる。川のほとりにカフェやレストランになっている船が停泊している。おしゃれだ。恋人たちのデートに似合いそうな場所を、なぜかテンションが上がってしまった女二人が、高笑いしながら歩く。

河岸の上では、ブキニストが店開きをしているところに遭遇。ナルホド、こうやってふたをあけ、つっかえ棒を立てるのか・・・。
売り物は、お店によってさまざまだ。応接間用の立派な古書の全集もあれば、浮世絵、ポスター、写真のほかにも、おみやげ物のエッフェル塔の置物、「パリの空気」という10フランもする缶詰なども加わっている。この缶詰、メイドインフランスでなかったら笑える。


左岸のマリアージュ・フレールでランチ

サン・ミシェルまでセーヌ川の景色を楽しみながら歩き、その先のマリアージュ・フレールで昼食をとる。ランチメニューに「オドロキの睡蓮」と言うものがあって、スモークサーモン、とグレープフルーツとオレンジとお茶のなんとかのなんとかとなんとか・・・と説明されているが、あまり理解できないまま頼む。飲み物としてお茶がついているとは書いていないので、紅茶は別途注文する。
ホテルをチックアウト後、荷物を預かってもらっていたので(さすがにそのくらいはしてくれた)、ホテルまで取りに戻る。ドアマンに「タクシー呼ぶか?」と聞かれた。「空港までいくらなんですかね?」「5ディナールくらいなもんだよ。」[私、昨日、10ディナールとられた」「そりゃ高すぎる、運転手に聞いてみてあげるよ」と、その辺の運転手さんに聞いて、「4ディナールだよ。大丈夫。」といってタクシーをひろってくれた。ありがとう。本当にこのホテル、ドアマンだけは親切だ。2ディナールのチップ!

タクシーは渋滞にまきこまれ動かなくなり、運転手が車を降りていらいらしながら前方を確認している。空港に着いた時にはメーターは4ディナールを越えていた。約束は4ディナールだったが、別にぼられたわけではないので、5ディナール置いてきた。

空港に着いたが、人ごみも怪しい気がして、さっさと出国審査を通ってしまおうと中に入る。すると、空港内の売店では、ディナールはもう使えないとある。両替するなら、銀行は空港の外だという。面倒くさい。たいした額ではないので記念品にしよう。

オレンジの地色に魚の絵のついた深皿を買ってみる。20フラン。ノドがからからだし昼食も食べていないので、コーラを買って飲む。空港の中は小さいので、買い物するところも少ないし、やることもなにもない。そもそも早めにきているので、時間をもてあました。加えて、飛行機は遅れまくっている。困ったもんだ。

パリ・オルリー空港に着いたのは夜9時近かった。エールフランスのバスでアンバリッド、そこからタクシーがいなかったので、シャンゼリゼまで荷物を引きながら歩く羽目に・・・。いくら機内持込対応のキャリーケースでも、地下鉄数駅分歩くのは辛い。

今日のお宿、ホテル・カリフォルニアは、汗だくで顔を真っ赤にして到着した私には似つかわしくない、かなり優雅なホテルだった。ここで、小生意気な私と時々一緒に旅行してくれる旅の友と待ち合わせだが、まだ彼女も到着していない。7階の部屋に行ってみると、プチスイート。下の階はリビング2部屋、上階にはバスルームとベッドルーム。クローゼットもトイレも両方にあるので、快適そう。旅の友が到着したのは11時過ぎ。日本からの飛行機も遅れたのだそうだ。
絨毯屋からは解放されたが、まだいい加減なガイドの兄ちゃんはついてくる。ガイド料金の交渉をしたいのに、切り出すチャンスがない。そのうち、彼のお父さんの店だといって香水屋に連れてゆかれる。アルコール度が90%と高く品質も悪くないものを、量り売りで5ディナールくらいで買えるとガイドブックにはあった。普段は香水なんか使いもしないが、話のタネに。「カルタゴの夜」という名前にひかれ、40ミリリットルつめてもらう。なんとこれが20ディナールだという。高い。さらにジャスミンのものも渡され、もう10ディナールよこせという。2本で40ディナールだけど30でいい、お得、サービスサービスみたいに言われるが、どうやら私は、また、ぼられたらしい。
   couscous

たっぷりのクスクスにゴロゴロ野菜。こんなに食べられるものでもない。
怪しげなガイドだが、やっぱり一人できてもわからないことばかりだったので、雇ってよかったと思う。写真も撮ってくれたので、4ディナールのところ5ディナール渡して帰る。シディブサイドはきれいな町だとも言っていたので、ここから歩けるかと聞くと「もちろん。2キロくらいなもんだよ。」とのこと。冗談じゃない、「2キロ?!誰が歩くか。電車に乗るわい。」と心の中で思ったのだが・・・。
シディブ・サイドへ行こう

住居跡から博物館に行こうと思って歩くが、なぜか見当たらない。道を間違えたらしいと思い、ふと見ると「シディブサイド⇒」と言う案内板がある。「2キロなら30分だな」と急にその気になり歩いてしまうことに・・・。道は車道なので舗装され立派。せっせと歩くと先の方の丘に白い壁、チュニジアンブルーの窓飾りの家々が見える。そのうち、「ようこそシディブサイドへ」という看板が見えてくる。ガイドブックで見たようなチュニジアンブルーの扉が散見される。さらにそこからもだいぶ歩き、結局目的のカフェ・ナットにたどり着いたのは、カルタゴの遺跡を出てから、30分以上たっていた。
そのうち、焚き火跡みたいなところに隠してあった女性の横顔を掘った大理石のレリーフを出してきて、買わないかと持ちかけてくる。「国際的に価値があるもの、とても古い、でもその割りに安い。110ディナールでいい。」ーあやしすぎるー!!!「いらない」というと、元の布に包んでまた隠す。それでも懲りずに、今度はポケットからコインを出してくる。ローマ時代のもので、5ディナールだという。いらないってば!どちらも当然偽物だろうが、コインくらいなら安いから買ってみてもよかったかなと後になって思う。
ローマ時代の遺跡訪問
カルタゴってどこよ?

さてカルタゴはどこだ、と思ってガイドブックを見て、発見。カルタゴ何とかという駅がいくつかあるらしい。それで切符を買うときに窓口の人が何か言っていたのだろう。

トフェの墓はカルタゴ・サランボという駅で降りるらしかったが、午前中で授業が引けた学生が沢山乗り込んできたので降りられず、次のカルタゴ・ビルサまで行く。戻ってもトフェの墓にはいけるだろうと思ったのだが、標識はない。その辺の人に聞いても教えてくれるのは海洋博物館と旧港だけ。トフェの墓と言って「??」という反応。言葉が通じないのだろうか。コレはダメだとトフェの墓はあきらめ駅に戻る。駅員さんに、遺跡が見たいんだけど・・・と相談してみると、「それならこの先のカルタゴ・ハンニバル駅(発音はフランス風で「カルターシュ・アンニバル」)だよ」と教えてくれる。

駅に戻って、カルタゴ・ハンニバルという駅まで再度乗車。見たいと思っていたアントニヌスの共同浴場跡に、今度はいきつけそうだ。町中に標識があったので見ながら行くが、どうもこういうものは「ここで曲がる」という肝心なところにないようだ。右を見ると観光バスがいっぱいいるので、絶対右に曲がるはず。
本日は早仕舞

チェックインして、一休みする。特段安くはないのに、たいした部屋じゃない。バスタブがない。仕方がないので熱いシャワーを浴びてごろんと横になる。

6時半ごろおなかがすいたので、夕食に出かける。歩いていると、ノンストップ営業の「ロワ・ド・ポトフ(ポトフの王様)」というお店があったので入ってみる。もちろん店名にもなっているポトフを注文。ポトフのスープは、中味とは器も料金も別になっている。

大皿に盛られたポトフの中身はたいそうな量だ。根気よく、ほじくって牛の骨髄まで食べる。テーブルには勝手に飲んだ分だけ支払うというワインが置いてあるが、お酒は手をつけない。デザートにカルヴァドスの効いた青りんごのシャーベットを食べ、口の中はさわやか、カルヴァドスの強めのアルコールで体はあったまった。ホテルに戻り、フロントに翌日のモーニングコールとオルリー空港までのタクシーの手配を頼む。早朝に出て、チュニジアへ飛ぶ予定だ。
1830年、23歳の、まだ見習いの修道女カトリーヌ・ラブレーの前に、聖母が出現した。聖母は球体を持ってあらわれ、自分の姿をかたどったメダルを作って人々に配るようにというお告げを残した。裏表とも、聖母に示されたデザインを思い出して作られたメダルは「奇跡のメダル」と呼ばれ、信者の間に普及した。
礼拝堂はいつでも入っていいといわれるが、前で説教が始まっている。信者は前方に集まり、観光客は後方の壁にへばりついている。この教会を立てるようにマリア様のお告げを受けたという修道女の遺体は今も腐ることなくマリア像の下で眠っているというが、この状況で前まで見物に行く勇気はなく、しばらくして礼拝堂を出る。
左岸へ

寒い上に雨が降っている。どこか美術館があくまでと、9時近くまでカフェで粘って、セーブルバビロンの奇跡のメダル礼拝堂へ行く。まず地下鉄の回数券のカルネを購入。48フラン。

礼拝堂は、ボン・マルシェデパートの脇にあるのだが、入口が目立たなくて判りにくかった。礼拝堂の手前の建物のドアに「メダイヨン」と書いてあったので、入ってみる。お目当ての、奇跡の出現をなしたマリア像が付いたメダルはピンからキリまで何種類もある。私は銀色の比較的大振りなものを購入し、厄除けのお守りになるというので、さいふにいれた。1個10フランだ。
国内で手配したチケット
       航空券 東京・パリ、パリ・チュニス往復      153,000円
       フランス・バカンスパス                 27,300円  
*1997年/インターネットが普及しておらず、ホテル手配などは旅行会社が代行。ファックス等通信料、手数料として旅行の手配料等がかかる時代だった。
   
その後・・・

ホテルに帰ると旅の友が飲みすぎたといってダウンする。これも予想外の展開だ。私も食べ過ぎたとは思うが、そこまでダメージは受けていない。

一人で、スーパーに行ってお土産を揃えて帰ってきたが、まだ旅の友は体調がヒドイらしく、臥せっていた。当分だめそうなので、再び私だけ外出。

最近ダイアナ元英皇太子妃が事故で亡くなったので、事故現場付近のアルマ橋の近く、金の炎の広場は元々そのためのモニュメントではなかったのだが、今はダイアナさんの追悼碑のようになってしまっている。沢山の花束手紙が置かれしんみりした気分になるが、その前で笑顔で写真を撮っている外人も意外と多いのだ。

夕景のセーヌ。エッフェル塔は2年後の2000年までのカウントダウンを始めている。後、798日という電飾が点いている。

夕食は一人でホテル近くの中華料理店へ行く。この店は最低で、店員が日本人が嫌いらしく、意地悪な応対をされる。私が頼んだデザートを、外人の夫婦の客に持っていき、ご婦人が興味を示すと、「食べてみてください」と言って置いていってしまう。ご夫婦は常識的な方で、席が離れているのに、ご主人が「あなたのですから」と私のところに持ってきてくれる。

注文時に、店員に、日本人か中国人か聞かれたが、そのとき中国人だといえばこんな対応は受けなかったんだろう。悔しいことこのうえない。さらに悔しいのは、帰りになぜかチップまで置いてしまったことだ! 私ってバカバカバカ! ああ、心底嫌な店だった。大変に不愉快な出来事!
飲み始めてから、ソムリエがハーフボトルを持ってやってきて、間違っていましたと交換してくれた上、飲めないから頼んでもいないのに白ワインまでグラスにサービスしてくれた。この日の予想外の展開そのAとなる。注がれたら飲んでしまう貧乏性なので、酒量もいつもより多くなってしまった。

いよいよ最後はデザートだ。メニューからは洋梨のタルトとしか読み取れなかったのだが、洋梨は、苦手なチョコレートムースの上にのっていて周りがパイだった。しかも大きい。飲み物は、胃をいたわろうとハーブティーにしてもらった。

最後にお茶請けに出てくるプチフールがまたおいしそう。でももう食べられないので残してしまう。一部は、紙にくるんで持って帰ってきた。

さて、お会計の段になり困ったことが。チップをいくら置いていいかわからないのだ。もちろんレシートには、15%のサービス料及び税金20.6%は加算済みの金額が記されているのだが、それでもガイドブックどおりに10-15%のチップはいるのだろうか・・・。だとするとチップだけで100フランを超えることになる。

で、ここで旅の友の発言。「こんなお店で50や100のチップなんてかえって置けないよ、置かないで帰ろう。」・・・・確かに、少なければけち臭いとか多すぎると無粋だとか、そのあたりのさじ加減はわからない。でも、先方のミスとはいえ、望まぬワインも沢山くれたし、接客も良かったし、写真も撮ってくれたし、オーナーもひとつずつテーブルを回ってお話してくれたし・・・・。じゃあ、イクラ、どうやって、誰に渡すの?ソムリエ?テーブルの係り?テーブルに置いてくればいいの?

結局何も置かなかったのだが、この後ろめたさは一生引きずりそうだ。

コートチップも手持ちのコインが10フランしかなかったのでこそこそ皿に手元を隠すように置いてくる。

料理もおいしかったしお酒も飲めたし。ギャルソンも丁寧で感じが良く、さすがだなあと思ったけれども、最後の最後で、こんなに気を遣うのはごめんだ。
そして登場のソムリエ氏は、分厚〜い本のようなワインリストを抱えている。さっき見たハーフボトルで160フランのヤツは、どこにのっているかしら・・・と困惑する。はっきりさせねばと、「私たちはたった二人なのでハーフボトルの赤ワインがいい」と切り出す。「それならこちらです」と開けてくれたページには、目ボシをつけておいた160フランのワインが出ていたので一安心。同値段で二つの銘柄があるが、お奨めは下の方だというのでそれをお願いする。

注文完了!ふー。ひと仕事終えた気分だ。

フレンチはソースが決め手というが、ホタテのスフレ自体もおいしいが、茶色いソースが絶品。何の味だろう。メニューをちゃんと解読していないのでわからない。羊のロティはレアと注文したが、ミディアムくらいだった。メインもさることながら、添え物のじゃがいものタルトがおいしくて満足。

ワインはソムリエが間違えて、ハーフでないのをあけてしまったが、開封後だったので、倍額払えばいいんだろうと腹をくくって、黙って飲もうと決めた。私が言い間違えたのかもしれないし・・・でも、ハーフはどれかって、確かにきいたんだけどね。
建物の中庭に入ると警官が立っている。美術館の入口がわからないので、丁度いいところにいたとばかり教えてもらった。

美術館の入口で、入場券を購入。単独だと18フランだが、共通チケット(20フラン)のほうを買う。共通チケットのほかにも、美術館のチケットをくれる。ジェームズ・ティッソーという画家の作品が充実しているので、チケットにはその人の絵がついていた。               
結果的に、ディジョン美術館のコレクションが充実していたため、他の美術館・博物館に行く時間はなく、共通チケットは無駄になった。
美しい屋根のオテルデュー  入場料35フラン
生まれて初めて食べたフォー
パリの中華街、トルビアック

日曜日にはチャイナタウンへ・・・というガイドブックのコラム記事にしたがって、夕食にパリのチャイナ・タウンに行くことにする。日曜は休みの店が多いフランスでも、チャイナ・タウンは営業しているところが多いのでねらい目なのだという。

ベルヴィルの方がチャイナ・タウンとしては有名で大きいのだが、今回は、途中でリヨン駅によって、翌日のディジョン行きのTGVを予約をしてから、もうひとつのチャイナ・タウン、トルビアックに行ってみる。

目指すはダオ・ビエンというベトナム料理店。貧乏旅行人のためのガイドブックにのっていた店で、店構えもなんか冴えないし、カードも使えない。たべたものは、ハノイ風スープ、サイゴン風スープ、生春巻き、エビの甘辛ソース、やきそば、それにデザートに蓮の実と龍眼のシロップ漬けだ。スープに麺が入っているのは計算外だったので、量が多くおなかいっぱい。

このスープに入った麺は、その後日本でも一般的になったフォーなる米の麺なのだが、ベトナム料理さえ珍しかった当時は、まだ知らなかった。「ベトナム料理って、こんなにおいしいんだ」と思った、記念すべき出会いだった。
10日目 パリ、お土産バトル     

遅めに起床。地下の食堂で朝食をいただく。

本日はお土産さがしの日と設定。ルーブル美術館の下のカルーセル・デュ・ルーブル商店街は、面白いものがあるので必ず行ってみるところだ。今回は、ミュゼ・ショップで、中世フランスの建築物などから得たモチーフを使ったグッズが気に入り、チョーカー、財布、パリすごろく、絵本を購入。ある程度のお土産が買えた。

次に、シャンゼリゼのメゾン・デュ・ショコラに行き、シャンパン入りのトリュフとナチュレの二種類と紅茶を頼んで店内で食べる。お土産用にも買う。チョコレートはあまり好きではないが、これはおいしい。 
駅に向かって、木組みの家が続く川沿いのプチット・フランス地区を歩く。船が川を通るときは、人が渡る橋がストップされ、橋が川に平行になる様に移動する。人々は踏み切りを待つように、船が通り過ぎ、橋が元のように川にかかるのを待つ。本当なら、私が遅れなければ、30分はこの場所を観光できたのだが、電車の時間があるので、割愛。

駅まで戻り、トランクを引き取る。電車を待つが、来ない。よく時刻表を見ると、曜日によって運行する列車で、本日は走っていないことに気づく。しまったーっ!さっきの待ち合わせに遅れたミスにくわえ、時刻表の読み間違い。これは痛い失策だ。こうなっては仕方がない、謝って、「荷物を見ているから、町に戻ってもう一度写真撮ってきたら?」と薦めてみる。

一時間ほど待って、パリ行きに乗る。4時間近くかかるのでパリ東駅着は10時過ぎ。さすがに疲れた。

パリ行動用に、地下鉄の一週間定期をクレジットカードで買う。75フラン。定期に貼付する3分間写真も撮ってゆく。

ピラミデ駅で下車し、日本人が多い地区にあるホテル、サント・アンにチェックイン。おなかがすいたので、まだあいているカフェで、めちゃくちゃ消化のよさそうな、くたくたのスパゲティー・ミートソースを食べる。今夜は、4日ぶりのパリでゆっくり休もう。
被り物、どれも面白い。
ルーブル・ド・ノートルダム博物館

食後はまた別行動。ストラスブールのノートルダム大聖堂のとなりにあるルーブル・ド・ノートルダム博物館へ行く。ここは、大聖堂の、破壊を免れたオリジナルの彫像などを保管している。

必見は11世紀のステンドグラスで、王の頭部をあらわしており、「具象的なステンドグラス」という点では現存する最古のものだそうだ。きれいな色で残っている。

その他にもステンドグラがたくさんある。たいていステンドグラスは高いところにありディテールまで見られないので、間近で見ることができて嬉しい。

彫刻も同様、通常塔の高いところにあるので、近くで見ることは不可能だが、この博物館では、本物を目の前で見ることができる。大聖堂のどこにあったものかを示す図解もついていて面白い。

間口は狭いが、見るものは沢山ある。2階の木の聖人像や、虚無の思想にもとづく彫刻や絵画も興味深い。


アルザス民俗博物館

大聖堂の博物館のあとは、川沿いのアルザス民俗博物館へ。入場料は20フラン。入口に可愛い看板がかかっているのですぐわかる。

建物自体もアルザス地方の典型的な民家を使っている。
夜行寝台クシェットで時間節約

マルセイユの町を歩いて、駅に戻る。ホテルに預けた荷物を引き取り、ホテルのトイレで着替えたり顔を洗ったりして、夜行列車に乗り込む支度をする。駅の隣のホテルを取ると、こういう時、とても便利だ。

22:47.。私達を乗せてストラスブール行きの夜行が発車する。32号車なんてあるのかと疑問に思ったが、途中が抜けている。行く先の違う車両もくっついているので、よく確認してから乗り込んだ。後は寝るだけで、目的地に到着。
まずは2階の美術館に入る。イタリア絵画、スペイン絵画、フランドル絵画など有名画家のものから郷土の画家のものまで、各一点ずつといった感じだが、幅広く見ることができる。

イタリア絵画では、少し大きめのティエポロの作品や、恋人をモデルとしたといわれるラファエロの婦人像もあった。

1階は、装飾品の博物館で、陶器や彫刻が、ロアン宮殿内部や部屋の調度品とともに楽しめる。

地下は考古学博物館になっている。こんなところの旧石器時代なんて見たって特徴もなさそうだが、ついでなので行ってみた。

どこの博物館でも見るようなローマ時代の出土品を見て、このあたりもローマの版図だったのかと再認識できた。
寺院は、ローマ・ビザンチン様式で建てられているが、建立は19世紀と新しい。

黒と白の大理石のがっしりした四角い鐘楼のてっぺんに、10メートル以上もある金色の聖母子が立っている。もともと高い丘の上にあるので、この金色の聖母子は、マルセイユのどこからでもよく見える。また聖母子も、港町マルセイユという場所柄、高いところから海の安全を見守っているのだろう。

内部に入ると、礼拝堂があるが、階段を昇った上がバジリカという構造が面白い。内部のアーチは褐色と白の色大理石で組まれ、コルドバのメスキータに似ている。壁や天井の装飾は、マルセイユの冨を集めて作った金色のモザイクで、絢爛豪華キンキラキン。

マルセイユにきたら、ブイヤベースでしょう
とても食べるものとは思えない。
あ、あまいっ!

更に小さい一人用のタルト(12フラン)でも、全部食べられなかった。
旧市街に戻り、まちを散歩する。道はきれいに整備されており、ところどころ道しるべのようなものがたっているのだが、よく見ると、名所旧跡だけでなく、レストランやブティックの案内が多い。

通りがかりのお菓子屋さんのショーウィンドウが一目を惹く。可愛いタルトをひとつ買ってみたが、甘すぎて完食不可能だった・・・・。

夕食は、シェ・マキシムというレストランを通りがかりに予約した。7時半からだというので、帰りの電車の時間を考えると、早く食べなければならない。

夕食までの1時間をカフェで潰してから、レストランに戻る。125フランのコースにし、前菜ルキアンというナスとチーズの重ね焼き、メインは仔牛となんとかのアルルカン風というもの。デザートはチーズをパスして、チェリーのシャーベットを超スピードで食べ、終電より一本前の電車でマルセイユに帰った。とってもおいしかったけど、もっとゆっくり食べたかった。
めちゃ汚いマルセイユのホーム
7日目 さらに南、マルセイユへ

簡素な食堂で朝食。ポン・デュ・ガール行きのタクシーを呼んでもらいチェックアウトだ。

ポン・デュ・ガールの駐車場にとめ、運転手さんが橋の入口付近まで一緒に行ってくれる。中腹で運転手さんは引き返すが、後は私たち二人でお写真タイム。現在は橋の上に出ることはできないので、眺めるだけだ。中段は普通に道路として車も通っている。


こんな山の中で、どうして水道橋が必要だったのだろう。ローマ時代にはこの辺にどのくらいの人が住んでいたんだろう。ニームは遺跡が多いので、大きな都市だったのだと想像できるが、ポン・デュ・ガールはあまりに唐突に出てくるので、そんな疑問も起こる。

30分を10分過ぎて駐車場に戻る。再び30分ほどかけてニームに戻る。タクシーのメーターは280フランになっている。これに駐車場代の17フランが必要なので、300フランを支払う。
一度ホテルに戻って、夕食に出ようとしたら、ホテルのおじさんが、高くなくておいしいお店があると教えてくれた。日曜だけどやっているかしら?というと、お店に電話して確認してくれる。ニコラスというレストランだ。

こぎれいなレストランで、入ったとたん、いい匂いがしてきた。大いに食欲をそそられ、早速注文。ワインはロゼを頼んだのだが、どう見ても赤という代物。まあいいや。こちらの発音が悪かったんだろう。
タルタルステーキは注文時に、ちょっと年配のギャルソンが心配顔で「これは生ですが」と注意してくれた。判っていますといっているのにさらに、「食べたことはありますか?」と聞くので「ええ、大好きなんです」と言うが、どうも信じていない様子だった。日本人は魚だって生でたべるんだよー、知ってる? 

タルタルステーキにつき物のフライドポテトなのだが、なぜか生野菜のサラダまでついてくる。そんなに味のない野菜ばっかり食べられないよ。タルタルステーキの肉が生なのを注意するくらいなら、サラダを頼むときに、ステーキにも生野菜がつきますと言ってほしいものだ。

ホテルに戻り、電話の自動目覚ましをセット。機械の応答はフランス語で、よくわからないが、「受け付けました」と言っているみたいなので大丈夫だろう。
4日目 チュニジア・エクスカーションA

朝起きて、とりあえず、やはり広いだけの食堂で朝食をとる。苺のジュースがおいしかった。今日も昼は抜くかもしれないのでしっかり食べておく。

カモがネギしょって、メディナ観光

大通りを旧市街へ向かって歩く。昨日とは反対側だ。まもなく、旧市街の入口のフランス門が見えてくる。金曜日なのでイスラム国はお店も休みかと思ったが、ぱらぱらと開き始める。モスクがあるはずと思って、探しながら行ったのだがいつの間にか町のはずれに出てしまう。ちょっと外れると高い塔が見えるので判るのだが、細い路地に入ってしまうと、見えなくなってしまうのだ。観光客でも端っこに入れると聞いていたので、モスクと思しきところに戻ってみたが、内部を見学できる様子はない。すると、若い男の子がよってきて「今日は*****の7日間の最後の日だから、モスクはしまってる」と教えてくれた。

この後このインチキ・ガイドに引き回され散々な目にあうのだが、まあ、はじめはこんなもんだ。

まず、パレ・ド・オリエントという絨毯屋に連れて行かれる。女工さんが絨毯を作っているのを見学する。[糸を絡めて、引いて、切る」と簡単に教えてくれる。隣に腰掛けてやってみるが、なかなか上手くはいかない。そのうち、インチキガイドと知り合いらしい、白衣を着たお店の兄ちゃんが奥から出てきて、テラスを見てくるように薦める。ここの屋上からは眺望も良く、絵葉書にもなっている定評のあるきれいなテラスだ。旧市街のモスクも、新市街のホテルも見える。

テラスの景色を楽しんだ後は、王様の大きなベッドがあるからというって見せてもらう。この期間だけの展示だとか何とか言っているがさっぱり判らない。そして、絨毯を色々見せられることしばし。まあ、絨毯屋だから仕方がなかろう。大きいものが欲しいが、持って替えれないので玄関マット程度の大きさのものにする。アフリカのベルベル族の柄だというファティマの手が図柄になっている、ラフなウールのマットを買うことにした。何も買わないと出られまい。カードは使えないので、両替所で現地通貨で引き出す。100ディナール。日本円だと1万円強。ちょっと高いかもね。
  the a la menthe

ミントの葉がお茶の熱さに参ったように、べたっと浮いている。飲み終えるとコップに貼り付いていた。
通りの土産物屋で白地に青の柄の陶器を買う。ひとつ3ディナール。こちらの物価からして決して安くはない。品質もいまひとつのように見えるが、観光客が多数往来するこの場所では、こんなものでも買い手が付くのだろう。品質が悪い・・・といいながら結局言い値で3個も買う私は、模範的観光客だ。

他にはナツメやしや見るからに甘そうな焼き菓子が売られている。これもまたこの町の名物らしい。

本当は、白と青の鉄の鳥かごが欲しかったのだが、大きくて持ち帰れそうもない。あきらめる。

夕方チュニスの町に戻る。少しホテルの部屋で休み、夕食を食べに出かける・

せっかくだからチュニジアの地元の料理が食べたいと思うのだが、観光客用のレストランガイドなんていうものはホテルにはないし、フロントに行ってもアドバイスもくれない。夜の町は、女独りでは、当てもなくふらつく雰囲気ではない。
カフェ・ナットの先まで歩いてみる。両側には青い鉄の格子の窓飾りや青い扉、白い壁にブーゲンビリアの濃いピンクがところどころアクセントを添えている。この景観を守るため、青い扉や装飾を施すことは規則となっているということだが、本当にステキな町だと思う。住んでいる人たちも、限られた色使いの中で、扉に黒や白の鋲を打ち、個性的な模様を表現している。
カフェ・ナットはヘミングウェーが訪れたことでも有名で、街の中心にあるシンボル的存在のカフェだ。せっかくだからお茶を飲んでひと休みしよう。入口の階段を上がるとテラスの席もある。暑そうだから中に入ると、ちょっと暗い。小さなテーブル席に着き0.5ディナールのミントティーを注文する。熱いお茶の甘さが歩き疲れた体に活力をくれるようだ。お茶の中には、ミントと松の実のようなものが浮いている。小さいコップなので、もう一杯飲む。大部屋の中央には一段高くなった板の間に絨毯を敷いた場所が設けられており、そこに腰掛けて水タバコをコポコポ喫っている人がいる。甘い果物のフレーバーらしいのだが、お店の人に声をかける勇気が出ないまま、お店をあとにする。
当時はこうだっただろうという予想平面図。
至れり尽くせりの、すごい施設だ。

シテ島で、パリで最も美しいステンドグラスがあるといわれるサント・シャペルに入る。カルトミュゼで入場。上階のチャペルには木のベンチがおかれていて、人々が座ってステンドグラスを眺めている。ん?こんな椅子、以前あったっけ。楽なので、座ってボーっとする。

トリニテのモロー美術館にゆく。今回はモローの部屋が公開されている。見ることができるのは2部屋。プライベートは公開しないようにという遺言だったはずだが、もういいのだろうか。壁には、浮世絵がかかっている。恋愛には縁がないと思われていたモローには、近年の研究でA・Dという大切な女性がいたことが明らかになっていたが、そのなぞの愛人、アレクサンドリン・デュルの写真もあったのが興味深かった。最上階の可動式家具に入ったデッサンは今日は一台しか開けてくれない。学芸員によっては色々開けて見せてくれるのだが・・・。3時過ぎまで見学し、ホテルに一回戻る。
フランス革命時に壊されたノートルダム寺院の彫像などが展示されている。これらの首と胴体は、本当にひとつもあわないのだろうか・・・・と思い悩む。
1日目  出発

エールフランスの最終便は今日も混んでいる。真ん中の4人並びの席だ。廊下側なだけマシ。パリで旅の友(彼女がこれを見ることはないと思うが、念のためお断りを。正確に言うと友ではなく会社の先輩、上司である。失礼は承知だがこれ以降「旅の友」とさせていただく)と合流するが、往復の飛行機は一人だ。

そろそろみんな眠り始めた頃、隣の女性が気分が悪くなったらしく、横になりたいと乗務員に訴えていた。完全に横になれる席は確保できないらしく埒があかないので、私の席をあけて隣の人に上半身を横にしてもらい、他の乗務員に「私の席を捜して」というと、そのうちあいているところを見つけてくれた。

今度は3列の席の廊下側。まんなかがひとつ空席で、窓際にはフランス人の小柄なおじいさんがいた。座っているのが辛くなるたび足を動かしていると、おじいさんが空席を使いなさいといってくれる。降りる頃には、世界中を渡り歩いているという話をしてくれた。カナダの帰りに日本によって10日も滞在したそうだ。世界を回るのは旅ではなく、仕事絡みのようだ。「何とか協会」と言っていたがよくわからなかった。

2日目  パリ、カルト・ミュゼで雨宿り観光

パリ、早朝

さて、朝5時。空港で時間を潰し、始発のバスで市内に行こうと思っていたが、飛行機で一緒のおじいさんがいたので話をしているうちに、一緒に地下鉄で行くことになる。おじいさんが、私の切符まで買ってきてくれた。終点の北駅で別れ、私はエトワール広場の方に行くため乗り換える。短い旅の出会いだが、楽しい時間だった。

ホテルはシャンゼリゼの近く。朝早すぎて、チェックインはできないというので、荷物を預かってもらう。ふらりとシャンゼリゼに出るが7時だというのにまだ暗い。清掃車が歩道の掃除をしている。あいているカフェを見つけ、朝食セットを食べる。

13日目 帰国

7時のモーニングコールがかかってこない・・・・と思っていると、8時にぴったりにかかってきた。今日は10月最後の日曜日で、サマータイムが終了する日らしい。一時間時計を進ませる。

ホテルで朝食後、チュック・アウト。朝食が55フランと聞いて、この程度のホテルなのに高いと驚いたが、まあ、仕方がないだろう。
旅の友は午前の飛行機で帰国。私は残って夕方の便なので、それまでパリ市内に残る。

午前中はルーブルを見て、、ルーブルの地下商店街で買い物。手袋やマフラーは素材の割りに高いと感じる。ただし、デザインはおしゃれ。手袋とマフラーはおそろいで、525フラン。手袋の単品でもステキなものは225フラン。ウールではないのにいいお値段だ。日曜で他に店も開いていないので、最後のお土産はここで揃えた。
冷奴(上)と漬物(下)
12日目  パリ、豪華ランチでKO

朝、ゆっくり起きる。本日の予定は、ディジョンの小旅行の前に旅の友に予約してもらった「トゥール・ダルジャン」でランチ。当日も、顧客側から確認が必要だというのでまた電話してもらう。予約した時は11時からといわれて、早いなあと思っていたが、電話で確認してもらったら12時の予約になっているとのこと。係りの人が英語ができなくて11時と12時を間違えたのではないかと旅の友が首をかしげる。

支度が早くできたのでぶらぶらサンルイ島を散策がてら、有名な食材店レピスリーで紅茶やフォアグラ缶などを買う。ステキなマダムではなく、アルバイトの若いお姉ちゃんが店番だったので、事務的過ぎて、楽しいお買い物という感じがしなかった。

トゥール・ダルジャンへ

さて、いよいよ橋を渡り左岸へ。トゥール・ダルジャンは橋を渡ってすぐのセーヌ沿いの角地だ。入口の1階でコートを預け、黒服のお兄さんの案内でエレベーターに乗り込む。慣れないので緊張気味。

レストランにはまだ客が少ない。私たちは窓際の席ではないが、まずまず外が見える良い場所に座ることができた。

ボーイがやってきて食前酒は?と聞く。旅の友いわく、「こういうお店では、いらないというのはヤボだから、何か頼む」。おっしゃるとおりと一番少なそうなシェリー酒をムリしてオーダーした。すると係りの人は、ティオぺぺを一本持ってきて、気前よく注いでくれる。このグラスが、シェリー用にしては馬鹿でかい。アルコール度数は強いが量が少ないのがとりえ・・・と思っていたのに、予想外の展開その@だ。

メニューは昼の350フランの定食と、もとより決めてきているが、前菜、メイン、デザートはそれぞれ選択できるので、じっくりメニューを拝見する。私は帆立貝のスフレ、羊のロティじゃがいものパイ添えを、旅の友はテリーヌとサラダ、魚3種のグリルを注文した。通常、レストランでは、メインを食べた後でおなかの具合を考えてからデザートの注文をすることが多いが、「デザートはいかがいたしましょう」と聞かれたので「もう?」と聞き返した。

注文係りの言うことには、「このデザートは時間が掛かりますので・・・」。じゃあ、せっかくだから、その時間がかかるというデザート二つのうちのひとつ、洋梨のタルトを注文、旅の友が、もうひとつの時間がかかるデザート、スフレを注文した。

ワインもあらかじめハーフボトルのものを見ておいたので、頼もうとするが、「ワインの注文はソムリエがお伺いします」という。何しろ、高級店には来たことがないので、こういうのは慣れていない。先方は接客のプロだから、野暮な客も承知の上とは思うが。。
絵画部門は、収蔵のジャンルが広く、中世から現代絵画まである。

古いものに興味はないという旅の友とは、一時間別行動。上階には、私の苦手な現代絵画があるから、丁度良いだろう。

中世の宗教画、イタリアルネッサンス、ベネチア派、フランドル派等海外中心のコレクションから、フランス国内の各派、各時代のものがそろっている。

上階の現代絵画の部屋に至るまでの階段の両脇にはドラクロアのデッサンもかかっている。ドラクロアのデッサンは好きなので、流してみるにはもったいない。

あまり見かけないところではカリエールの作品が数点あったことが印象的だ。

人が入ると明かりがつく小部屋があり、絵に近づくとボッと灯がともる。ジョルジュ・ラ・トゥールとVANITE(虚栄)のスタジオという名前の部屋なのだが、ラトゥールは現在パリの特別展に貸し出し中なので見ることはできない。つい数日前にパリの特別展に行ったが、どれだったんだろう?他は、虚栄、むなしさ、死をテーマとした題材で、近づくとドクロの絵が浮かび上がるなど、変な趣向だ。

登りきってまた降りると、今度はシスレーなど印象派数点、ルオーが二点、現代作家のものが展示されていた。

ひとつ245フランの辛子入れ。
ガラス瓶入りだと大きいのでも14.1フラン。
E
二人分の総額で244フラン。

これだけ食べたから、さすがに苦しいけれども、胃にもたれたという感じはない。疲れた体にはアジアの料理に限る。

店を出て、比較的地味なチャイナタウンを後にする。中華街というと、赤だの黄色だのの派手な町をイメージしていたが、ここはコンクリートのビルの灰色の町。中国系スーパーもしまっているので見るものもなく、食事をしたら帰るだけだ。

なんて小さい引き出し!
アルザスでグルメ

ストラスブールの大聖堂のすぐ近くに、カメンツェルという、木組みの家の有名なレストランがある。ここで、195フランの定食を食べることにした。

ワインはご当地の白ワイン、シルバネルを1/4本もらう。オードブルには、追加料金25フランで、ご当地名産のフォアグラノテリーヌを頼み、メインは鶏のリースリング煮にする。リースリングもご当地の白ワインだ。これには味のないフェトチーネがついてくるのでソースに絡めて食べる。デザートはサッパリとシャーベットにするが、おなかがいっぱいなので量を減らしてくれといったら、「小さい、小さい大丈夫」といわれる。出てきたのは3つと言う予想を超えて4つ。一塊は小さいとはいえ、こんなに要らないのに。食べ物を残せないタチなので、完食。体が冷えた。
大聖堂のからくり時計ショー

ストラスブールの大聖堂には、1574年に完成した大きな天文時計がある。15分ごとに一体の人形が動くからくり時計ということだが、12時半には全部の人形が動くので、これを目当てに見学の人が集まってくる。
シェ・マキシムは小さな広場に面したステキなお店。
本日の予定をたてる。ルーブルに行って、ホテルに戻り、バカンスパスを持ってリヨン駅に行き明日の電車の予約を取り、リヨン駅構内のレストラン、「トラン・ブルー」で夕食をとることに決定。

ひとまずメトロでルーブル美術館へ。入場料が26フラン。夕方だったので割り引かれているらしい。時計を見ると5時近い。閉館は6時なので急いで、回る。旅仲間とは別行動。リシュリュー側に行くと、いつ行ってもなかったコローの「真珠の少女」に出会った。「ラ・トゥール展」をどこかでやっているらしく、ラ・トゥールの作品はお留守の様子。閉館時間が近いので、人がいなくなった部屋は閉められてしまう。下手に進むと、広いので、時間までに出口にたどり着けない惧れもあるから、早めに切り上げる。

ホテルから予定通りリヨン駅に行き、無事高速新幹線TGVの予約も完了。窓口のお兄さんが、バカンスパスのヴァリデートの日付印も押してくれた。パスのヴァリデーションは使用開始前に手続きをとっておくようになっているが、係りの人が不慣れだと時間がかかることもある。今日の内にやっておきたいと思っていたところなので、非常にありがたい。

トラン・ブルーに行って、予約していないといったら、予約簿を見て渋られた。がらがらなのに・・・。結局。9時までに食べ終わることを条件に入れてくれた。

内装がゴージャス!キョロキョロしていたら、天井画の説明などがある日本語のパンフレットをくれた。

メインにタルタルステーキだけ注文したら、旅仲間が前菜+メインを注文したので、皿数が合わないと店の人にいわれ、一番おなかにたまらなそうなサラダを頼む。

レタスが丸ごとサラダボウル一杯に広がっているサラダが出てくる。ドレッシングはオリーブオイルだけ。青虫になった気分でむしゃむしゃ食べる。
バルドー博物館の入口を入ると、さっそく古いモザイクが出迎えてくれる。すぐに階段があるので上の階に行くと壁面はモザイク尽くし。

上階は2階分ぶち抜きの、カルタゴの間があり、赤大理石の女神像など巨大な彫刻が並ぶ。均整の取れたギリシャ彫刻だが、実際の人体より大きいと、なんだかバランス悪く見えるのが不思議だ。

この階には、他にも大広間やイスラムのタイルの間もある。独りで、金貨の展示のあるところを見ていると、ひまをもてあました館員が寄ってきて何か言うのだが、なんだかわからない。通じないと思ってあきらめていってしまったが、今度はこっちが聞きたいことができたので、彼を捕まえて話しかける。

バルドー博物館が、博物館にしては天井も部屋もイスラム装飾で、豪華で大きい建物だ。後世造られたものとは思えない。「この建物って宮殿だったの?」と尋ねる。「19世紀までは宮殿だった」と学芸員の彼。貴族の館だったらしい。

つづいて、3階のミュージックホールなどを案内してもらう。王族が音楽を聞くテラスのような部屋の吹き抜けをはさんで反対側には、オーケストラボックス、下を見れば2階はダンスホールになっている。建物や展示の彫刻、モザイクの説明を丁寧にしてくれ、本当に面白かった。

それなのに・・・である・・・・・。そろそろ帰ると言ったら、学芸員さんが、出口まで一緒に下りてきた。この時、ガイドにぼられた体験が甦ってきて、この学芸員さんにガイド料はいくらなんだと聞いてしまう。「私はここの正規の館員ですから・・・」といわれてもまだピンとこず、1ディナール渡して立ち去ったのだが、「何て失礼なことを!しかも、けち臭く人を馬鹿にしたかのような、たったの1ディナール!」と猛烈な自己嫌悪に陥り、しばらく立ち直れなかった。

ちょっと気まずい思いで出たバルドー美術館。来ている電車に飛び乗ったが、切符を買っていないことに気づき、次の駅で降りて切符を買う。切符がなくても乗れるし、降りられるのだが、ただ乗りは心苦しいという良心と、もし見つかったら大変という小心さは持ち合わせている。


パリに戻る
いまひとつのホテルだが、レストランは近くだったので帰りも安心だ。このホテル、何がいまひとつか?それは、エレベーターは1階以外で利用しようと思って呼ぶ場合は、まず8割がた来ない。奇数階停まりだったりする不思議な代物だ。バスタブつきだったが、アメニティーにシャンプーがない。ドライアーの備え付けはなし。中心の通りに面しており、町のネオンも見えるのだが、窓は重くて開閉できないから、ベランダにも出られない。このホテルは大型だけど、見かけだおし。「ナイト・イン・チュニジア」というジャズの名曲を思いながら、ただ広いだけの部屋で眠りにつく。
何が何でもチュニジア料理!

無駄かもしれないと思いながらも、気さくそうなドアマンに「チュニジア料理のレストランはありますか?」と聞いてみることにする。すると、案外簡単に情報をゲットできた。「この先の道の一本目を右に曲がるとある」とのこと。「えーと・・・一本目を」と確認していると、「連れて行ってあげると案内してくれ、お店の人に事情を話してくれた。かくして無事、レストランにもたどり着く。オリエントというレストランだった。

洋梨のジュースと、チュニジア風サラダとクスクスを頼んだ。サラダは細かくした野菜が特徴。ゆで卵とオリーブがのっている。クスクスもチュニジア風はモロッコ風と違って、スープをかけないタイプだった。ぴりっとスパイスが効いていて具だくさん。どんぶりものみたいな感覚でバランスよく色々食べられて、とてもおいしかったが、量が多すぎる。「もう食べられない」というと、時間をかけてゆっくり食べればいいと言ってくれる。何度もトライするがムリ。何回目かで「お茶頂戴」と訴え、ミントティーを獲得した。甘いけど、不思議にさっぱりする。レシートをもらって精算するが、全部で11.9ディナールと安い。13ディナールおいて出る。レシートを回収されてしまったので詳細は不明ながら、クスクスは8.5ディナール、ジュースは1.4ディナールだったと思う。そうすると、お茶はともかくとして、サラダが安すぎて計算が合わないのだが記憶違いか?
団体客がたむろしていた辺りに行ってみると、残っている柱から想像したのか、共同浴場の平面図が描かれているパネルがある。復元図によると、公衆浴場は広い施設で、いくつも機能別の部屋に別れており、クアハウス付きのスポーツジムのようである。高さもかなりのもののようだ。

こんな美しい海を眺めながら水浴していたのだろうか?体験してみたいものだ。

共同浴場をでて、もう一箇所くらい行ってみようと、山側に向かうと、ローマ人の住居跡に出た。共通回数券なのでとにかく入ってみる。ここも解説書はない。

歩いていると、変なおじさんがくっついてきて、色々説明を始める。これが、ガイドブックなどに要注意と書かれている勝手にくっついてきて、あとでガイド料を請求する非公認ガイドらしい。

おじさんは、ここはお墓、-アクセサリーをしていたから女の人の墓だ。ここは、金庫代わりに貯めたお金をかめに入れて隠していた-などの解説を始める。ふーんと聴いていると、向こうから「この上の宮殿跡まで案内して、4ディナールでどうか」と持ちかけてくる。4ディナールなら500円といったところ。こちらの物価ならかなりいい商売かもしれないが、日本円で考えれば解説してくれるならそう悪くない話かもと思い、このおじさんをガイドに雇うことにする。

そうと決まれば、おじさんも張り切る。「ここは昔、市場だった」「この花はジャスミン」「これは胡椒の実」・・・。草花などは勝手に手折ってしまう。私はあっという間に薬草だの花だのの小枝を何本も持つはめになる。薬草をゆでて肌につけろといわれたが、ホテルだからゆでたりできないし、お花も枯れてしまうし、きれいな姿のままのお花はビデオにおさめるだけになりそうだ。お次は地面からピンクや白のモザイクの四角い石のかけらを拾ってくれる。「こんなの勝手にもらっていいの?」と言って地面に戻すと、「いっぱいおっこってるからいいんだ、もってけ」という。そりゃ、確かに沢山落ちてはいるけど、少なくともこのおじさんのものではないと思う・・・。
LE MADRIGAL CHAMPS ELYSEES

朝食セット 48フラン

 大きめクロワッサン2つ
 フレッシュ・オレンジ・ジュース
 バターやジャム
 カフェ・オ・レ



カルトミュゼで雨宿り

お次は再びメトロに乗ってソルボンヌ近くのクリュニー美術館へ。美術館の一日見学券・カルトミュゼを購入して入場。寒さと雨をしのぐために入っているので、さっと見るだけのつもりだったが、前に来た時には気づかなかったものもあって、思わず足がとまる。結局、午前中いっぱいここで過ごした。
inserted by FC2 system