旅の部屋 特別室    

かっぱと行くカッパドキア飛んでイスタンブール紀行

トルコに行きたい。でも今年は同行者は無い。そんな時、バイオリンのミニ・コンサートや民族音楽なども聴けるディナー・パーティーが付いているツアーを発見した。こちらが努力しなくても、行けば楽しませもらえそうな企画だと思い参加を決めた。「でも、少し寂しいかなあ・・・」と独り言を言っていたら、かっぱのぬいぐるみ(私にとっては大事な「うちの子」)のぴぃが「僕がついていってあげようか?」

1人で出かける時は、カエルのチビケロちゃんを連れて行ったこともあったが、ぴぃは少しサイズが大きい。うーん、ちょっと目立つかも。かっぱを連れていたらツアーの同行の人が間違いなく、ひく・・・よね。でも、目を輝かせているぴぃは明らかに行く気満々。・・・というわけで、「かっぱと行くカッパドキア」としゃれて出かけすることになった。しばらくは、おとなしくバッグに入っていてね。

11日 500万×10=50??

チケットチェック14:25成田発のトルコ航空でイスタンブールへ。到着後、乗り換えて、首都アンカラへ。シェラトン・アンカラ・ホテルに着いたのはもう日付も変わった真夜中だった。ホテルの入り口で、荷物チェックがあり、まるで空港みたいだ。トルコの観光関係者は、トルコはきちんとセキュリティー・チェックもしているから安全、どんどん観光客に来てほしいといっている。ロビーで、旅行会社の人が用意してくれたトルコリラに両替してもらい(5,000円で55トルコリラ)、鍵をもらってお部屋に入る。

ぴぃ、お休み部屋は薄暗いが、テレビの下のミニバーのコーナーだけが光を放っている。もう1時過ぎだ。時差があるのでいったい何時間かかったのかもう計算できない。トランクが来るのを待って、お風呂に入り眠る。さすがにくたびれた。私もぴぃも疲れたらしく、すぐに眠った。

トルコリラの不思議貨幣の単位を変更したばかりのトルコ・リラ、変更前の5,000,000リラより変更後の50リラの方が10倍近い価値がある。混乱するから、新旧混ぜて使うな!

11月3日 快眠を約束する洞窟に泊まる

朝食は豪華でずらっとブッフェに並んでいる。トルコは農業生産物が多いということだが、ブッフェの果物のラインナップを見て納得した。ぴぃと朝食をとっていたらこのツアーでコンサートを予定しているバイオリニストさんが声をかけてれた。この先、ツアーで一緒に回るらしい。ぴぃは名前を尋ねられたので、存在を認めてもらえたと大喜びだ。

アタチュルク廟

ツアーバスに乗り込むと、第一番目の訪問地、アタチュルク廟へ向かう。歴史の教科書では必ず出てくるトルコ初代の大統領で、近代化を進めた“トルコの父”といわれる人物である。霊廟は何も無い四角い空間で、正面奥には棺が置かれている。観光客が入っているのにとても静かだった

閲兵の交代式博物館があるが、中は撮影禁止だった。ケマル・アタチュルクの遺品や、彼の写真、蝋人形も置かれており、外見も堂々たる風格の人物だったことが分かる。出てみると、中庭では閲兵の交代式が行われていたので、ついつい長めにビデオをまわしてしまった

アナトリア文明博物館アタチュルク廟のあとは、世界の優れた博物館に選ばれたこともあるというアナトリア文明博物館を見学する。規模は大きくはないが、時代順に区画され、中央の部屋にはヒッタイト帝国の時代のコレクションがずらりと並ぶ。出土品の地図もあって、大変見やすい博物館だ。

ぴぃ、お昼おいしいねお昼ごはんは、有名人も訪れるという、ちょっとおしゃれな、城壁の外のレストラン・ワシントンでいただく。はじめに出てきたチーズのパイはちょっとヘビーだがおいしい。生野菜のサラダ、メインの肉のグリル(いわゆるケバブ)へ続く。デザートは果物のシロップ煮。チャイを別に頼んで3リラ(≒270円)。


塩湖昼食後は、長いバス移動となる。途中、トゥズ湖という塩湖に立ち寄る。バスの駐車場所の近くには小さい売店があって、ここで取れたものだといって塩を売っている。かなり大きな湖だが、水位はこの時期は低いらしい。人出も少なく、売店も暇そうだった。湖に向かって、ぬかるんでいない辺りまで歩いてみる。湖面は白い。砂浜も白く輝いているので、足跡の付いていない部分を削って食べてみると「うん、確かに、こりゃ塩だわ」。


隊商の通った道、シルクロードを通るというのでとても楽しみにしていたのだが、その頃はどっぷり日も暮れ、暗くて何も見えなかった。もっとも、隊商がらくだや馬で移動している姿が見られるわけでもなく、今ではただの道路なのだがバスの中ではトルコのミュージック・テープをながしてもらって、ゆったりくつろいでいたが、さすがに夜になってくると疲れてくる。ようやくバスを降りたのは、真っ暗な高台だった。目の前には町の夜景が見える。町の灯は、「百万ドルの夜景」みたいに商業ベースにのった圧倒的な迫力ではないが、慎ましやかな人々の暮らしを感じさせる。きれいだ。

雨がぽつぽつ降っているので、傘をさしながら、暗闇の階段を降りることになる。がけの中腹の洞窟民家を訪ねるのだそうだ。足元が危ないので細心の注意を払って降りなければならない。民家の明かりが見え、目的地点が定まったので一安心。中にはいると暖かく、白っぽい岩壁なので大変明るい。中でチャイをいただき、寝室や居間、台所を見せてもらう。入ってすぐのお部屋では、自分たちで編んだ靴下やらセーターやらが並べられ、見学に来た観光客が買ってゆくようだ。

実際に、ここの住民の老夫婦は、長い間洞窟住居に住んでいるのだろうが、すべてが人に見せてもいい状態になっていて、あまり生活感が無い。家も大切な商売道具だから、常に素朴にかつ美しくしてあるのだろうか。台所もきれいに片付けられていて、電化製品がそろっている。当たり前ながら電気も通っている。

夕食は、ウチヒサール地区のレストランでいただく。ここもなかなかおしゃれなお店だ。ツアーの人の中には地元のビールやワインを頼む人もあり、酒の飲めない人でもリンゴ・チャイ、さくらんぼのジュースなどトルコならではの飲み物を楽しめる。レンズ豆のスープで体があったまる。メインはなすとひき肉の煮込みで、これもおいしかった。


今夜のホテルは、洞窟ホテル。その名のとおり洞窟を利用したホテルだ。入り口には色とりどりのランプが下がっていてとっても素敵。部屋の準備ができるまで、親日家というオーナーがお話がてら、暖かいチャイを出してくれる。11月になれば雪も降るんだといって、カッパドキアの雪の風景をネットで見せてくれた。雪景色は、きれいだけど・・・いいや。

洞窟ベッド部屋は127号室。ロビー脇から階段を上ると、頭上も壁の片側も洞窟の岩そのものだ。部屋の中も同様、壁、天井は岩。戸板をつけてワードローブに利用しているところもある。ぴぃが、「お風呂も岩かなあ」と楽しみにしているので見に行くと洗面所等の水まわりはごく普通。使いやすくないと困るからねえ。

お部屋は薄暗いが床にはキリムが敷いてあり、暖かい感じ。このキリム、ふんずけていいのかなあ。高いだろうな。グリーンのサテンのベッドカバーのかかったベッドが二つと、民芸調の布のかかったエキストラベッドがおいてある。今日もよく眠れそうだ。

11月4日 かっぱ、いないね

朝食前に散歩に出かける。テラスになっている中庭から階段を下りてホテルの正面に出る。昨日は到着が夜だったのであまりよく分からなかったが、明るいところでホテルを正面から見ると、本当に洞窟だというのを実感した。洞窟だけでは不足している部分を、建物でつぎ足している感じだ。ホテルの周囲の岩山にも洞窟が掘られており、テラスの椅子に座って眺めていると、すでに観光に出たような気になる。

朝食のレストランは、中庭を通って外から入る。このレストランはホテルの中のレストランというだけでなく、おいしい高級レストランとして知られている。朝食は、アメリカンタイプのホテルにあるような華やかなブッフェではないが、暖かい家庭料理のようなものが用意されていてじんわりとくるおいしさ。ゴマを練って作った甘いペーストはトルコのものだから是非試してみて、とガイドさんにも薦められていたので、ヨーグルトにまぜて食べる。体にも良い感じだ。

洞窟ホテルには連泊なので、必要な荷物とぴぃを連れて、迎えの時間までのんびりすごす。ホテルの出発は8時半。バスが来るまでぴぃを草むらで遊ばせる。ご機嫌だ。

バスに乗り込み、出発。ギョレメの野外博物館に向かう。ギョレメは、4世紀ごろからキリスト教徒が住み始めた地区で、その後のセルジューク・トルコ時代の迫害を避けて、この辺りの洞窟にいくつもの教会を立てながら暮らしていたという。

朝一番に来たが、すでに団体観光客の姿がある。ところどころ団体が待機して洞窟への入場を待っている。ここにある教会のいくつかを見学する。どれも、もちろん洞窟なので中は暗い。入ってじっと目が慣れるのを待つと、壁画が見えてくる。色々な時代の教会が混在するらしく、偶像禁止の時代のものは、線画の十字架が描かれた抽象的なものとなっており、人物は見られない。

教会の間には台所とダイニングルームがあるというので入ってみるが、とにかく暗いので、どうもかまどがあるようだ、とか、テーブルっぽいとか自分なりに判断するが、本当はどっちがなんだか分からない。この辺りから各人、自由見学と洞窟の町をバックに写真撮影が始まる。

ギョレメ野外博物館を出ると、ゴリラの形の岩がある。また道を渡ると、カッパドキア地方最大の洞窟の教会トカル・キリセがある。内部は広く、壁面・天井にびっしりキリスト像を含め、青の色が美しいフレスコ画が描かれている。10世紀ごろのものだという。

お昼近くまでギョレメを出発。バスを駆使して、カッパドキアの奇岩、三姉妹の岩の前で写真ストップ。必要なところにさっと出向き、写真を撮ったらまた戻る。見所が点在している場合、ツアーは便利だ。

その後はツアーの欠点(他の人には利点)のお店めぐりで、じゅうたん工場の見学だ。お金が無いし、じゅうたんを敷く場所も無いので、他人の買い物に付き合うだけと思っていたが、どうしてなかなか面白かった。まずは、繭を熱湯につけて、糸を取り出し、何本も集めて丈夫な絹糸を作るところから。糸ができたら、横糸に糸を通して結びきる手際のよさを見る。余分な糸を切り落とすと柄が出てくる。これらはこの地方の女性のお嫁入りの道具なのだそうだ。できた絨毯は天日干しをするようで、いっせいに干された状態を写した航空写真は見事。

そしてついに来た。大部屋にずらりと並べられた絨毯の数々。周りの椅子に座り、出されたチャイを飲みながら、セールスショーの開始である。柄の特徴、染色の種類、絨毯のよしあしの見分け方、値段のつけ方など、流暢な日本語で説明が行われる。話術も巧みで、「たたむとこんなに小さくなります、持ち帰り用のバックもつけますよ。ほらこの通りぴったり収まります。はいっ!」と絨毯をリズミカルにたたんでポンとバックにいれて見せるところは本当にショーのようだった。買わなくとも色々とお勉強になった。世田谷にも店を出しているそうだが、トルコで買ったほうが安いといっていた。(そりゃ、ここではそう言うよね。) クレジットカードは手数料が付くから、お勧めしないが、内金だけ入れて後は帰国後送金でもいいとか。

ダブルノットで結んで切るんだよ。      

絨毯工場のショーを見た後、らくだの形をした岩で写真ストップ、ちょっと遅めの昼食を食べに、隊商宿を改築したものハネダン・レストランへ。建物の入り口がイスラム風で、重たい布のカーテンを押し開けて中に入るのもそれっぽい。遠い昔のらくだのひずめの音や人々のざわめきが聞こえたような気がした。

レストランはとてもひろくて、すでに他の部屋にはたくさんの客が入っている。奥の部屋に通され、適当に円卓に座る。イスラムの唐草文様の皿がセッティングされている。本日はスープ、サラダ、ピーマンのドルマ(ピラフがピーマンに詰められている)、牛肉のつぼ焼き(ハッシュド・ビーフみたい)、フルーツ・カクテルにアイスクリームのせたデザートが出てくる。どれもおいしかった。食事を終えると、入り口付近にはおみやげ物やがあり、買い物もできる。絵ハガキや定番のメドゥーサの目のお守りはもちろん、スカーフやTシャツなどのちょっとおしゃれな洋品、気の利いた雑貨もある。 

昼食後、キリスト教徒が迫害を逃れて暮らしていたというカイマクルの地下都市を訪問する。雨が降る中、土産物屋の露店外を通り抜けて、地下都市にもぐる。細い通路がひたすら下へ向かっている。ところどころ明かりがついているが、天井の低いところもあり、注意して歩かないとどこかぶつけそうだ。細い通路の先には、ワインの貯蔵庫や、共同の台所の跡が見られる。扉には重たい石を使っているので動かすのは困難と思いきや、そこは生活の知恵で、石を円盤型にして、立ててレールのような隙間に納め、転がして開閉するのだそうだ。この洞窟は一番深いところでは地下8階に相当するとのこと。発掘途中で、一番下まではもぐれないが、行ける限りの最深部まで行って引き返す。行きは赤い矢印、帰りは青い矢印が岩壁に張ってあり、両方向から人がバッティングしないように順路が示されている。 

カッパドキア地方のウチヒサール、ギョレメの谷や変わった地層の断面が見える場所を車窓から見て通る。本日最後の観光は、きのこ岩のあるゼルベの谷だ。きのこ岩は、岩の上のほうに、きのこが三つ生えているように見える。こちらでは三位一体というキリストの教義から、「3」は好まれるのだそうだ。小雨に傘を差しつつ、洞窟の教会があるというので、奥のほうへ坂を上ってゆく。目的地の教会は、はしごを上がらなければならない。中はやはり暗かった。

「ねえ、かっぱ、いないね」 ぴぃはカッパドキアにかっぱがいると思っていたらしい。ガイドさんに、たくさんの馬の町というのがカッパドキアの意味で、かっぱの町ではありませんよ、と言われてがっかりした様子。「ふーん、ぴぃったら、それでカッパドキアに行くのを楽しみにしてたんだ。」(勝手な思い込みとはいえ、なんだかちょっとかわいそうだった。)

このあとは、トルコ石屋。いい色のものはやっぱりきれいだ。トルコ石は不透明な石なのに、つやつやの光沢が透明感を出している。うーん、ちょっとほしいかも、と思ったネックレースは金の量が多いので石の量は少ないが18万円くらい。これって安いのかなあ。現金払いを薦めているが、そんなに持ち歩いてはいないし、ペンダント・トップなら1万円くらいからあるが、お気楽なお土産用にするには高いので結局何も買わず、退屈してしまう。お店の人も客の貧富の見分けは付くらしく、そのうち声もかけられなくなった。こういう時は、チャイをもらって飲み、お手洗いも利用してお店を有意義に活用しよう。

「お嫁さん2人には同じ値段のものにしておかないと」、「こういうときは記念だから必ず何かひとつ買っていくの」というご婦人方の話を聞いていて、そういえば母もよく、ツアーにくみ込まれたお店で何か買ってくるなあと思い出した。東欧のお土産はガーネットのペンダント・トップだったっけ。「こんなものしかなくてねえ」って言うくらいなら買ってこなきゃいいのにと思ったが、なんだかんだいいながらも、きれいなものを選ぶことは楽しみのひとつなのだろう。

6時過ぎてようやく出発だ。宝石屋の店頭に店員が並んで最敬礼でバスを送り出す。いったいいくら売れたのか聞いてみたいものだ。さて、次は予定外だというのだが、夕食までの時間があいてしまったので7時ごろからアヴァノスの街の陶器工場見学となる。染付けの実演では、細かい下絵の柄を丁寧になぞってゆく。隣の部屋に進むと、椅子に腰掛けて、みんなで陶器陶工が轆轤を回し砂糖ツボを作っているところを見る「陶芸ショー」が始まる。続けてふたを作るのだが、砂糖ツボの本体とサイズが合うでしょうか、というクイズが出される。こういう場合「合わない」と言ってあげる客も必要なのだが、合うと分かりきっているのに、そうは言えないものだ。かくして、実演のあと、ぴったりとふたが合った砂糖ツボに拍手をして、ギャラリーのような売り場に移動。さて、またチャイをもらって買い物タイムだ。小さなカラフルな鉢があり、このくらいならお土産になるかなあと思ったが、ひとつ1000円以上するので果たして会社の同僚に配るにはどんなもの・・・。そんなに価値があるようには見えないぞ。せいぜい数百円……とまた値ぶみしただけで、買い物しないで店を出る。やな客だ。

このあと、ギョレメの街のレストラン、ア・ラ・チュルクで夕食。サラダににんじんの細切りが山盛りになっている。トルコでは旅行中不足しがちな生野菜がたくさん出てくるのがありがたい。本当に農作物が豊富なのだろう。チーズの盛り合わせにも、たっぷり野菜が・・・・。とても食べきれない。メインは、ヨーグルトのようなものが混ざったシナシナの極細のフライドポテトの上に、煮込んだお肉がのっていた。いったいなんだろう。初めて食べた。

腹ごなしに、何人かでホテルまで歩く。「そういえばこのツアーには、あまり街歩きが無いもんね」と、道端の店を覗き、飲食店から流れてくる音楽を聴きながら歩くのも楽しい。シーズンオフなのか、時間が遅いのか、観光客も一般客もほとんど見かけない。少し行くと川に沿って舗装された道があり、街灯がきれいだ。ホテルも数件あるので、オン・シーズンにはこの辺りもにぎわうのだろう。程なく自分たちのホテルに到着。今日もいい気持ちでお休みなさい。

11月5日 釣り糸をたれる人たち
                               
                             

今日の目覚めもよろしく、一路食堂へ。渋めの朝食を食べた後は、カイセリ空港までバスで出て、後半戦の「飛んでイスタンブール紀行」に突入だ。面白かった洞窟ホテルともお別れで、冒険好きのぴぃはちょっと残念そう。

昨夜、現地添乗員さんの姿が見えなかったが、奥さんがイスタンブールの病院で無事男の子を出産したのだそうだ。電話で話しました・・・とか言っているけど、一刻も早く会いたかろう。みんなが「おめでとう」とお祝いの言葉をかける。こんなにも、まったくの赤の他人で、しかも外国人から祝ってもらえる人はめったにいないだろう。

カイセリ空港からの飛行機は10:55発の予定だったが、やはり遅れ、11:55発。イスタンブールまでは1時間20分かかる。イスタンブール到着も1間遅れで、迎えのバスに乗って空港から旧市内へ直行する。イスタンブールの町は、いつも大渋滞だという。今の時期はラマダン開けの休日なので、そこまで混んではいないらしいが、平日など、市内のホテルに着くまで2時間かかったこともあるそうだ。イスタンブールは広い町だが、旧市内に主な見所が集まっている。今日はまず、トプカプ宮の庭園の奥にあるコンヤリ・レストランにて昼食だ。

庭から階段を下がっていくと、片側にはオープンエア、反対は屋内のレストランになっている。屋内といっても温室みたいな感じで窓一面がガラスになっているので、ボスフォラス海峡を見渡せる。椅子もオレンジ系の布でコーディネートされ、おしゃれ。お料理は場所柄、伝統的トルコ宮廷料理なのだそうだ。いつもと変わらないメニューのようだが、どのあたりが宮廷料理なのかは分からない。ラムのトマト煮込みは、初めてかな?デザートの2色のアイスクリームだった。

飛行機の遅れのせいで、トプカプ宮の観光の予約時間が迫っていたので、あまりゆっくりと昼食が取れないといわれていたが、そもそも2時間も食事をしている民族でもなし、全員余裕で観光に向かう。トプカプ宮殿は400年近くも続く宮殿で、トプカプの秘宝とか財宝とかという言葉もよく耳にするから、どんなすごいものが見られるのかなと期待する。まずは、ハレムに入場。狭い入り口から暗い部屋に入る。観光客でごった返し、流されるように先へ進む。明るい場所に出ると、美しいタイルの壁が見える。人だかりがしているところは黒人宦官の部屋の前で、宦官の人形が雰囲気を再現しているためか、背伸びして覗きながら頭上高くカメラを揚げて写真を撮っている人が多い。

壁には美しいタイルや装飾がいっぱいある。イスラム文化ここにあり! 細い廊下を歩いて回るため、うかうかしているとツアーの先頭と離れておいていかれる。イヤホーンガイドをつけているが、聞こえるところまで追いついても、目の前のものと、聞こえてくるガイドの内容とはまったく違う。あわてていってみるとそこは大きなテラスになっていて、下にはプールがあったのだという。「寵姫たちの中庭」というハレムの女性が外気に触れられる場所なのだそうだ。

ハレムを取り仕切っていた王の母親の豪華な部屋や専用の大理石の浴室も見学できる。皇帝の広間は広く天井も高い。向こう側には王の居場所がしつらえてあるが、中央には何も無いので、集う人がいないと殺風景だ。もちろんタイルの装飾など大変豪華なのだが、心に残ったのは、美しい青いステンドグラスから柔らかな青い光がはいってくる「皇子の部屋」だった。ここは、王の兄弟や息子たちが閉じ込められ暮らしていた場所だという。王以外の男性王族は勢力争いを起こす可能性のある危険な存在であり、幽閉して、後には殺してしまうのだというのを聞くと、この美しい部屋のはかなく悲し気な風情も納得できる。

ハレムを出て、向かいの宝物館の自由見学となる。86カラットという大きさのダイヤモンドをぜひとも拝みたいものだ。宝物館は小部屋に分かれておりそれぞれ中の照明は落とされ、宝物が闇に浮かび上がっている。中では残念ながら撮影は禁止。でも、最近は携帯電話についているカメラで撮っている人も多い。入り口が開いた時に外からビデオの望遠で中のお宝を盗み撮りしようと試みたが、出入りする人の姿に阻まれて中が見えず、あえなく失敗。豪華な儀式用の服なども飾られた衣装展示室が隣にあるが、こちらも撮影禁止。けちけちすんなよー!

朝、カッパドキアから移動、イスタンブール到着後引き続き観光に入ったので、なんだか疲れた。バスでイスタンブールの街を見ながらホテルに向かう。ホテルは新市街なので、観光地からは少し距離がある。旧市街の城壁を抜けると、バザールがあったり、モスクがあったりと異国情緒あふれる光景が見られる。不思議なのは橋で魚を釣る人たちが多いことだ。みんなで並んで釣り糸をたらしているが、そんなに釣れるものだろうか。コレを売って生活している人もいるらしい。にわかには信じがたいが・・・。

ホテルについて、今夜の夜はフリーになっているのでどうするか添乗員さんが希望を聞いて回っている。さすがにここでは右も左も分からないし、しかも夜なので独りでは歩けないと思い、添乗員さんの企画・案内の食事に参加させてもらうことにした。ホテルからタクシーで新市街の中心地タクシムへ。ホテルから歩いても近い距離らしい。3リラだった。タクシムの繁華街は歩行者天国でラマダン明けというのも手伝ってか、人通りがとても多い。食事は現地ガイドさんのお勧めのお店・ハジュババで。店に入るとショーウィンドウには前菜、野菜、魚、肉、デザート類がずらっと並んでいる。生のものは注文して焼いてもらうようだ。参加人数は10名あまり、添乗員さんが、料理を見つくろって注文してくれるというのでお任せするが、さすがに旅なれた奥様方は、変なものを頼むと困るからと言って、さりげなく添乗員さんをサポートしに行く。チーズやドルマス、ケバブ類をみんなで取り分けて食べる。お肉はグリルだから脂も落ちていて、さっぱり食べられる。最後にプリンも食べた。お金持ちの奥様方が、自分たちはワインも頼んだからと言って多めに払ってくれたため、添乗員さんの分を割っても30米ドルだった。

帰りにタクシーを拾おうとしたら、近すぎて乗車拒否されたようだ。添乗員さんの指導で警官が立っている近くでタクシーを拾ったら、さすがに断られなかった。無事ホテルに帰着。贅沢なホテルでゆっくり風呂に入る。洞窟ホテルもよかったが、やっぱりホテルの設備は大規模アメリカンホテルが快適ではある。朝は6時半か7時からハマムやプールも利用できるらしい。観光に出る前に朝ごはんは食べておきたいので、明日はハマムに行っている時間はないかも。夜は夜で予定いっぱいだし、ちょっと残念だ。ぴぃはしばらくベッドで遊んでいたが、そのうちころっと眠ったらしい。いい夢をごらん。


11月6日 フロム・ロシア・ウイズ・ラブ

朝ごはんも、海の見えるレストランでブッフェ。豪華だ。オムレツは作ってくれるし、お料理も豊富。チーズもおいしい。さて、本日はいよいよ目当てのブルーモスク観光。。モスクの内部見学は初めてなのですごく楽しみだ。

バスの出発は9時。小雨が降っているのが残念だ。バスの中から、またもガラタ橋で朝っぱらから釣りをしている人々や、エジプシャン・バザール、モスク、オリエント急行の駅舎、アガサ・クリスティの愛したペラ・パラス・ホテルなどをみる。基本的には旧市街の観光だから、昨日と同じ道筋である。

まずは、バスを降りて小雨の中をヒポドゥロームと呼ばれるオベリスクのたつ広場を見る。かつてここは、馬車レースの行われた古代競馬場だったのだそうで、4世紀にテオドシウス帝がコンスタンチノープルにエジプトから運ばせたといわれるオベリスクの台座には、競馬を観戦するテオドシウス皇帝や家族の姿のレリーフが刻まれている。肝心のオベリスクだが、紀元前15世紀のもので、もともとは60メートルほどだったらしいが、運ぶ途中で壊れて20メートルしかなくなったのだそうだ。貴重な文化財を、なんともったいない−と当時は思わなかったのだろうか。

スルタン・アフメット・ジャミイ、通称ブルー・モスクはアフメット1世が1600年代前半に作らせた6本のミナレットを持つ大きなモスクだ。外観も立派だが、靴を脱いで中に入ると、天井から降り注ぐ光と、モスク内部の装飾、ドームの下の灯の環に、誰もが「わあ、すごーい」と感嘆する。中央のドームは直径24メートル、高さは43メートルもあるそうだ。内部には、2万枚以上の青いイズニック・タイルがあるので、「ブルーモスク」といわれている。先へ進むとミフラブや説教壇があり、大勢の団体観光客の中で、ひっそりミフラブでお祈りをする人もいる。

モスクを出ると、庭には物売りが笛や帽子、ストール、絵ハガキなどを持ってよってくる。高くはないようだし、ちょっとしたおみやげ物に利用できるかもしれないが、なんだか胡散臭くて買う気が起こらない。公衆の面前であまりお金を見せないように注意されているので、よけい警戒してしまう。門を出てスルタン・アフメット公園を抜けると正面にはアヤソフィア寺院が見える。両モスクにはさまれたすばらしい場所だ。

次は地下宮殿の観光だ。アヤソフィアとブルーモスクの中間にある小さな建物が入り口。すぐに地下に下りる階段がある。中は暗く、水中に28本の柱が12列も建物の奥まで整然と並んでいる様はなんとも幻想的だ。ここは、地下宮殿という名で呼ばれているが、厳密には宮殿ではなく貯水池だったのだという。どこかで見たことのある光景と思ったら、映画「007ロシアより愛をこめて」の撮影に使われた場所だそうだ。 

池の上に渡された長い橋の上を歩いているかのように左右の水面や柱をを眺めながら奥まで進むと、基部がメデューサの顔になっている柱がある。ひとつは顔がさかさま、もうひとつは横になっている。ここではよどみなく流れていた観光客も立ち止まって見ている。もうすぐ出口というところには小さなカフェのコーナーがあり、フリーで来ていたなら、「地下宮殿の中でのコーヒーブレイクもいいかも!」と思わせる。

地下宮殿を出て、いよいよアヤ・ソフィアの観光だ。アヤ・ソフィアは当初はキリスト教の教会だったが、オスマントルコ時代に、イスラム寺院として使われるようになった。その際、偶像禁止のイスラム教の教えから、キリスト教時代の人物画は漆喰で封印された。トルコ共和国となり、アヤソフィア寺院は博物館として扱われるようになり、漆喰がはずされて美しいキリスト教美術が再び見られることとなった。

まず、のっけから美しいモザイクが見られる。入り口を入ると聖母子を中央に、アヤ・ソフィア寺院を献上するユスティニアヌスとイスタンブールの町を献上するコンスタンチヌス帝が、美しい黄金のモザイクで描かれている。ここで説明を聞き絵図を確認すると、なるほど王様のような人がアヤソフィアらしき丸屋根の建物を持って聖母子のとなりに立っている。うーん、きれいだなあ。        

         

そのまま中に進み上階に上がる。上階はドームの部分を囲むテラスのようになっており、上から内陣が見渡せる。天国の門と地獄の門というレリーフの扉の向こうには、「請願」という有名なモザイクをはじめとして、皇帝家族のモザイク、女帝ゾエのモザイクが見られる。部屋のはずれまで行くと、真下からというわけではないのだが、ちょっと斜めから、後陣の天井に描かれた聖母子のモザイクを仰ぎ見ることができる。

丸屋根の下には金色のイスラム文字が書かれた大きなプレートがかっている。半円形の壁面に並んであいている窓からは、金色の光が差し込んでいる。それにモザイクの金。なんだか黄金の光にに包まれているようだ。

下に降りて今度は1階の見学だ。両脇の大きな大理石の壷が目を惹く。ベルガマの壷と呼ばれており、清めの水が入っていたという。説明では油が入っているとも・・・。とにかく大きな壷だ。キリスト教会の後陣の向きとメッカの方向は若干ずれており、正面から少し外れたところにイスラム教の寺院として使われていた時のミフラブがある。ここの説教壇も見事。細い階段が天に続いているように見える。

アヤソフィアを出てバスで食事の場所に向かう。ガラタ橋近くのレストラン、ストークスでいただく。なかなかモダンな内装のレストランで、金角湾に面し、近くのモスクがよく見えるのも人気のある理由だろう。晴れていればもっとよかったのにと思う。お料理は、おいしい野菜のグラタンや肉の串焼きを少し残してメインに備えていたが、さばのグリルは半身で出てきたため、すべては食べれられなかった。普通の塩焼きなのだが、うーん、さば、脂がのっていておいしかった。

食事の後、ちょっと自由行動があり、バスで休む人と近くの市場に見物に行く人に分かれる。当然まだ元気が有り余っているため、市場の見学にくっついてゆく。エジプシャン・バザールは後日観光するということなので、その外側の生鮮食料品の店を見て回る。でっかい箱のような塊のままのチーズ、バケツのような容器に入ったヨーグルトにはびっくり。チーズは量り売りだろうが、ヨーグルトはバケツごと売るのだろう。魚も箱にどーんと横たわり、ソーセージはたわわにぶら下がり、スパイスは山と積み上げられ、なんとも豪快なこった。人々の生活が分かる食品のマーケットは大好き。お魚なんぞを買ってみたいところだが、旅行者には無理だ。とりあえず本日は見学ということで何も買わずにバスに戻る。

夕刻、この旅行のハイライトともいうべき、アヤ・イリニ教会でのバイオリン・コンサートがある。今回は1人で行っても、自分から動かなくても楽しませてくれる企画の入ったツアーを選んだ。いつもならガイドブックを見て自分で歩き回るが、今度はガイドブックこそもってきたものの、すべてお任せなので、まったく地図が頭に入っていない。アヤ・イリニ教会は、トプカピ宮の敷地の中。この辺りを毎日観光し、今日も昼食後、またこの地区に戻ってきたという感じだ。

アヤ・イリニ教会はビザンチン時代にできたというイスタンブール最古の教会で、そんなに大きくはないというが、中はやはり広い。ツアー2コース分の客と、現地の来賓方の総勢50人くらいのためのコンサートなので、ステージらしきところに客席もしつらえて、みんなが舞台の上にいる状態でコンサートを聴く。歴史のある美しい教会でのコンサートというのは、初めての体験で、金色のドームを見ながら美しい曲を聴くことができ、目を閉じると天から聖歌のように音楽が降ってくるようにも聞こえた。バイオリンの殊玉の小品、日本の曲、トルコの曲とプログラムは続いたが、素敵な時間はすぐに過ぎてゆく。アンコールに大好きな「タイスの瞑想曲」が演奏されたときは涙が出るほど心を動かされた。

コンサートの後は、舞台上で、ツアーの参加者が、バイオリニストと、このツアーのもうひとつの売りであるツアー最終夜の「夜会」を企画した俳優と一緒に記念写真を撮るため列を作っている。せっかくだから恥ずかしいけど一緒に撮ってもらおうと言い出すタイミングが計れず、あせりながらぎりぎりセーフで添乗員さんにお願いして写してもらう。私も、いい歳してミーハーなことをと反省しつつ・・・でもちょっとうれしかった。

夕食までの時間、金角湾沿いにある魚市場でバスを降りて見学する。さばだの、えびだの、大きな箱やバケツに入って並んでいる。どこも同じような品揃えだ。魚市場は朝早いというイメージがあるが、ここでは夕刻までやっているようだ。さすがにそろそろ店をしめる時間らしく、すでに店を閉めたところ、片づけを始めているところが多い。近くの八百屋のおっさんは冷やかしの観光客相手に話しかけて来て一緒に写真に写るついでに手を握ったりするのだが、魚屋さんは大体は黙々と片づけを続けるている。それが終わると、魚市場の敷地内になぜかあるケバブ屋で、「やあ、魚は見あきたよ」とか言って肉のグリルでも喰って帰るのかな?と想像する。

夕食は、とてもおしゃれなレストラン、フェリエでいただく。堂々たる建物で、庭には噴水や花壇がある。レストランの建物の反対側には、ボスフォラス海峡に面したテラスがある。室内はキャンドルの優しい光で心地よい仄暗さ、ピアノの生演奏もあってムード満点。こんな時は、ちょっとワインでも頼んでみるか、という気になる。ちょっと高級感のあるお店なので、グラスワインも若干高めの12リラ。切れのよい白ワインだった。どのお料理も見た目も美しく作られており、味もよい。

デザートが配られた後で、、隣に座ったご夫婦のご主人が本日誕生日だということで、お祝いにろうそくのついたホールのケーキがとどけられる。バイオリニストが「ハッピーバースデイ」の演奏の後、さらに「チャールダッシュ」をプレゼントに弾いてくれた。叙情的なスローからアップテンポの変わる辺りでは、他人のお祝いであるにもかかわらず、周りの人たちも熱狂していた。いや、コンサート以外に、一曲多く聞けるなんて、何たる幸せ。そう、このツアーは、そもそもがバイオリンのコンサートを目当てに来ている人たちばかりなので、盛り上がるはずだ。興奮冷めやらぬところへ、みんなにもお祝いのケーキが配られたのでお相伴させてもらい、その後は三々五々裏手のテラスに酔いを醒ましがてらボスフォラスの夜景を眺めに出る。

部屋に帰り、お風呂のアメニティを楽しみながら入浴。TVから、日本の放送が入っているらしく、小澤征爾の指揮でフォーレの「レクイエム」が流れている。今日はよい音楽を聴けた一日だった。

毎日、夕食を食べて帰ってくると結構夜も遅く、今日も蒸し風呂・ハマムにいく時間はない。前々からトルコの蒸気のお風呂で、あかすりしてもらうのが夢。このホテルにはハマムの施設があると書いてあったので、実は水着まで持ってきた。ホテル内のハマムなら気楽にいけると思ったが、予約が要るため、空き時間を確定しなければならないので、ツアー中にはなかなか行く機会が無い。本日も、もう遅いので就寝。朝7時からやっているというが、朝食を食べて集合するまでに、そんなに時間的な余裕は無い。明日は最後の夜の企画ディナーだから、行く時間はなさそう。水着は無駄になったようだ。

11月7日 ベリーダンサーになった夜

今日もレストランから見えるのは灰色の曇り空。誕生日の興奮から一夜明けたご夫婦やちょっとお話しすることができるようになったツアーの同行者の人たちと挨拶を交わしながら朝食。う−ん、もっとゆっくりたべたいなあ。こんなにいっぱい種類があるし・・・・。観光にひびくといけないので少しセーブしておかないと・・・。

本日は、カーリエ博物館へ行く。どうやら、いつものトプカピ方面ではないらしく、道が違う。両側にウェディング・ドレスの専門店が並んでいる通りがある。ここは政教分離とはいえ、イスラムの国。それでも結婚式にはウェディング・ドレスを着る人も多いらしい。

カーリエ博物館はやはりキリスト教会だったものをモスクに改造、その後、キリスト教の文化を紹介する博物館となったもの。漆喰をはがして出てきたモザイクが、ほとんど壁面・天井を埋め尽くしている。キリスト教の色々なエピソードを描いた小品が並んでおり、一つ一つこだわりながらたどっていると、とても見ごたえがある。マリアやイエスの生涯、イエスが起こした病気を治す奇跡やカナの婚礼の奇跡などのモザイク画が狭い廊下の天井にびっしり詰まっている。端から端まで見ると、かなり首が痛くなる。           

           病人を治すイエス  初めて歩くマリア  ドームのキリスト

ここで変わっているのは、付属礼拝堂である。14世紀前後のテオドール・メトキテスという人による増築部分だそうだ。今までの装飾とはまったく雰囲気が違い、ビザンチン様式のモザイク画ではなく、「最後の審判」や「キリストの復活」の場面がフレスコ画で描かれている。

カーリエ博物館を出て、今度は皆様のお楽しみの、グランド・バザールへ向かう。持ち時間は一時間。定価は付いていないので各人交渉次第という。グランド・バザールは迷子になるほど複雑で大きいので、端から端まで一時間で行って帰るのは無理そうだとふんで、とにかく話の種に何か買い物しようと店先の陶器を見る。陶器工場で1,000円以上していたものと同じように見えるが、こちらは1つ3ドル。店のお兄ちゃんに、「まとめて買えば安くしてくれる?」と聞いたが「もうすでにスペシャルプライスだから」と意外にガードが固い。めんどうくさいから言い値で買う。

次はりんごのチャイを買おうと思ってお店に入る。ここにも調子のよい兄ちゃんがいて、早速チャイを出してくれる。こちらの習慣とはいえ、ありがたいような、ありがたくないような・・・。アルマ・チャイというのがりんごの紅茶で、スプーン何杯かの粉を入れてお湯を注ぐとうっすら甘い紅茶ができるというもの。ティーバックではないが、それも面白かろう。トルコのお菓子も一箱買った。お茶2パックとお菓子1箱で13米ドル、ちょっと高いかも。会計のときに小さなブローチをサービスするというのだが、人の胸に付けるのを装ってちゃっかり触る。キスしてくれたら1ドルまけるとも言ってくる。何だこの兄ちゃんは!!!とむかついて店を出たが、あの時私の歳を教えてやればよかったと思い返して笑ってしまった。きっと吐くぞ。

プライス・カードが付いていないというのはこんなに面倒なものか。商品を見ても、そのままレジにいけないから、まず店員を捕まえていくらか聞く。その値段はどうせ高めに吹っかけてあるから、「まけてよ」と言ってみる。1回の交渉で適正な値段に下がるとは思えないが、何回かトライするだけの根気と時間が無いなら、さっさとこちらが手を打つのが時間がかからない買い物の仕方である。いくつかの店で色鮮やかな草花の刺繍のストールが売られている。色違いもたくさんあるので迷っていると、店のおじさんが「2枚買うなら安くするよ」と言ってくる。ドルでもらうのがうれしいらしく、ドルの現金払いならもっとっ安くすると言う。2枚で60ドルだというのだが、カードにしたいというと、ちょっと高くなるとのこと。でも無いものは無いのでカード払いに。カード支払用の機械はお店にないらしく、他の店まで行って支払手続きをする。86リラと、意外と安いかも。練りのトルコ石のペンダントトップは1つ1,000円からある。小さなイエスのモザイクが描いてあるお守りつきの飾り物は5個で10リラなのにひとつだと5リラ。「お前そりゃめちゃくちゃだろ」といいたかったが、こんなものを5個もいらないからひとつだけ買う。一時間後、ツアーの皆さんも戦利品を持って集合場所に戻ってくる。色々とストレスはあったが、一応は買い物もできた。

天気がよくないので残念だが、ボスフォラス海峡クルーズは決行。デッキは風が強く小雨まじりなので部屋ですごす。船から釣りをしている人たちを、今日は下から見ながら進む。途中、ドルマバフチェ宮、先には宮殿のような超豪華ホテル・チュラーンパレスが見える。ボスフォラス大橋を過ぎると、高級住宅地になっており、岸沿いに美しい邸宅が見られる。この海峡は、イスタンブールの町をアジアサイドとヨーロッパサイドに分けている。だからと言って片方が誰が見てもアジアっぽいというものがあるわけではなく、ヨーロッパサイドに観光スポットが集まるのに比べ、住宅地が多いようだ。高級別荘も立ち並ぶ沿岸を船でしばらく眺める。第二ボスフォラス大橋の近くの海峡の両側にはコンスタンチノープル攻略の要となったい見るからに軍事目的だとわかる要塞がたっている。この要塞の辺りから船はUターンUターンしイスタンブールの中心地にむかって戻りはじめる。かわいい灯台や船着場を眺めながら移動するうちに、小さな船着場に到着。ここでクルーズはおしまいで、少し歩いて昼食のレストランに向かう。

レストランからは海が見える。場所柄シーフードレストランらしく、新鮮な魚がたべられそうで楽しみだ。前菜からちょこちょこいろいろな種類のものが出てくる。できた順で、一切れずつお皿にのせていってくれるので、たこの足のフリットが一本ペロンとおかれ、コレ何?という状態の時もあった。トルコでは食べないと見ると、とっととお皿をさげてしまう。一応は「終わっているか」とは聞くのだが、割とテンポよく片付けてゆく。このへんは、ヨーロッパのレストランとはかってが違う。大皿に出された前菜などは食べたいと思ったら早くとってしまわないと、と思うがこちらは案外最後まで置いてある。コースのものは、手順よく下げていかないと次が出せないからなのか?メインの黒鯛のグリルのお皿も次々と配られる。「海背川腹になってない!」といって皿の向きを変えている人もいたが、給仕の人は能率よく配ることは考えても、統一的におこうとは考えていないようだ。そもそも盛り付けの段階から魚の向きは統一されていない。昨日から合流して後数日を一緒に回ることになるもうひとつのコースの添乗員さんがしょうゆを配っていたので、早速かけている人もいた。とてもおいしかったし、とても新鮮だと誰かが言っていた。あらかた食べはしたが、丸ごと一匹はちょっと多い。

遅目の昼食の後はバスでホテルに帰る。到着後、本日の夜会までは自由時間。美容室の予約をした方もいるそうで、心の中で若干あせる。みんなどんな格好で出席するんだろう。私はちょっとしたレストランに行くときにでも着られるかな、といった程度のプリーツの入ったブラウス・スーツを丸めて詰め込んできたので、美容室の予約は込み合いますので早めにしておいてください、と添乗員さんに言われたときは卒倒しそうになった。そりゃ事前に「夜会」があるとは聞いていて、楽しみにしてはいたが、会社のクリスマスパーティーくらいにしか考えていなかったので、ドレスコードはセミ・フォーマルね、と勝手に決めてかかっていたのだ。うーん、私だけ貧乏くさくならなきゃいいが。頭がぼさぼさだから、せめてパーティーの前に風呂でも入って化粧してから行こうと決意する。

少し時間があるので思い切って街に出てみようかと迷う。フリーの夕食の時に出かけたタクシム広場は遠くはないはずだ。だが、まったく土地勘がないし、ずうっとツアーの至れり尽くせり三昧だったので、自分で動こうとする能動的な心構えができていない。いつもの冒険心はどこへ行ったんだ???というほど行動力が沸かないのだ。しばし迷った末、「ここで出かけなきゃ女が廃る」と自分を叱咤激励して部屋をでる。

ホテルを出て、車寄せにいたボーイさんにタクシム広場までの道を聞く。とりあえずその方向に歩いてみると、似たような高層ホテルの間を抜けて10分くらいで、バスも通るような大きな通りに出る。その先を曲がってしばらく行くと、やっと目指すタクシム広場だ。人でにぎわっているのが楽しい。お菓子店のおじさんが窓越しに「食べてかないか」とジェスチャー。「わー、超おいしそう!」と返す。途中でセブンイレブンを見つけたので入る。インスタントのアイスクリームの素を買う。チョコとバニラの二種類をそれぞれ2.5リラで購入。安くは買えないがぼられる心配はないので、標準価格の調査にはもってこいの場所だ。定価で買うことがこんなにストレスが少ないものだとは思わなかった。その後、街のみやげ物兼地元のタバコ屋さんのような店でアップルティーを買う。2リラ。意外と安いもんだ。帰り道でクッションカバーを見たが8-10リラほど。

短い冒険の後は、ホテルに帰って、夜会の支度。今日はぴぃは、大人の夜会だからお留守番するというのでお部屋においてゆく。6時過ぎにいってみると、パーティーのホールには、きれいに着替えた人たちがほとんどそろっていた。着物の人もいれば、黒のシックなドレスの人、華やかなパーティードレスの人と色々だ。ちょっと気後れするものの、まあ、ディナーショーで、音楽聴きながら食事するだけだから・・・。

用意ができたというので部屋に入ると、ステージでは小楽団がトルコの音楽を奏ではじめている。哀愁をおびたメロディーは明らかにアジア風だ。テーブルには銀色の三日月をかたどったお皿にパン、ブルーのグラスのなかで水がゆれている。一人ひとりに渡されたトルコの文字で書いた自分の名前と座席表を持って割り当てられたテーブルに着く。変わった鍵盤楽器や弦楽器が奏でるトルコの音楽が流れる中で、どんな夜会になるのだろうと思って待つことしばし。やがて、夜会の企画と司会の担当の俳優がステージに現れ、バイオリニストの紹介を改めて行う。そして、二人のトークにつづき乾杯をトルコ語で「シェレフェー!」。同時にまた民族音楽が演奏され雰囲気が盛り上がってゆく。

前菜は、少量ずつたくさんのものが一皿に並んでいる。メニューを見たが、コレがまたなじみの無い名前ばかり。トルコ名の前に英語の説明があるのが救いだ。何をお料理に出すか、どんな演出にするかプロデュースした俳優さんが、皿に盛られた順に料理の説明を加えてくれたのが分かりやすかった。ふたりともステージを降りてきて、みんなの席をサインを求められながら回っている。前菜の後は、きのこのクリームスープが供され、香りがよくとてもおいしかった。メインの羊の肉のグリルもとってもおいしかったのだが、私はステージに対し後ろ向きに座っていたので、ステージを見るにはテーブルに向かうことを中断しなければならなかったため、バイオリンの演奏が始まると食べる作業が滞ってしまった。食事に関して注意力が散漫になっていたところ、ボーイさんに無意識のうちにお皿をさげてよいという許可を与えてしまったらしく、半分以上残っていたメイン料理を持っていかれてしまった。好みの味だったのにすごくショック!トルコ・デザートの盛り合わせには心してかかる。

バイオリン演奏はトルコの曲を2曲。女子十二楽坊の演奏で有名になった曲も元をたどるとトルコの曲だという。その後も、男女数人が踊る民族舞踊が続き、ついに、セクシーなベリーダンサーの登場だ。

真正面の席で椅子の向きまで変えて見ほれているせいか、ベリーダンスのダンサーとよく目が合うなあと思っていたら、突然ダンサーがステージから降りてきて、私の手をとるではないか。何????と思っているうちにステージに上げられ・・・、「これって見よう見まねで踊れと言うことだよな」。そんなあ、と内心思いつつ泣くわけにもいかないのでとりあえず真似しようと試みる。ベリーダンスはただ腰を振ってりゃいいってもんでもなく、形にならなくて困惑してたちつくしてしまったところ、隣の席に座っていた奥様が自らステージに上がり、「ティーチ・ミー」といって踊り始める。大うけして、おかげで場も盛り上がったので、私はうまいことステージを逃げ出す。本当にいいタイミングで助け舟を出してもらい感謝。

突然やってきた災難?の後はデザートの盛り合わせをすべて平らげコーヒーをのむ。夜会の締めくくりは、日本では江利チエミが歌ってヒットしたという「ウスクダラ」(コレを知らなかった私は、ツアー参加者の中で分類すると若い人組にはいるらしい)のバイオリン演奏だ。演奏の拍手と共に閉会。楽団がしばらく演奏を続けているので、思い思いに写真を撮ったりてから、それぞれ夜会の部屋を出る。

夜会の後で、ツアーの参加者の人に、ラウンジでお茶でも飲みましょうと誘ってもらったので、1階のバーラウンジに集合。添乗員さんも参加していたので色々話をしながら飲み物を飲んでくつろぐ。そろそろ部屋に戻ろうかと思ったところに、バイオリニストが顔を出した。急遽部屋に帰るのをやめ「囲む会」状態となる。みんなの席を満遍なく回る気の遣い方をしながらも、堅苦しくなく気さくなところがファンにはたまらないだろう。バチバチ写真を撮っている人もいるが、割り切っているのかいやな顔ひとつしない。帰りの荷造りもしなければならないのに、部屋に戻ったのは午前様だ。ぴぃが、待ちくたびれていた。 


11月8日 参加者名簿に載ったぴぃ

本日は最後の朝だから、今まで食べられなかったオムレツのオーダーをしてみる。昨夜の夜会で隣の席だった奥様と朝食も隣の席になり、朝からシャンペンをいただきましょうかという話になるが、聞いてみると結構な値段なのでやめた。「サービスのところもあるのに」と言っていたが、そんな気前のよいゴージャスなホテルにいつも泊まっているのだろうか、この人たちは。どこかの社長夫人兼どこかの社長さんだということだったので、私とは住む世界が違うようだ。朝からシャンペンなんていうと、川島なお美とか南美希子のイメージくらいしか思いつかない。

帰る日になって、空に少し陽が差してきた。滞在中もう少し天気がよければなあとも思ったが、バスで回ってくれるツアーだったし、屋内の見学が主だったからから傘を差すところも限られ困ることはなかった。今日はこれから最後の観光、ドルマバフチェ宮殿に出かける。

ドルマバフチェ宮は、古くなったトプカプ宮殿に変わり、西欧化にもあわせて19世紀半ばに造られたトルコ・ルネサンス様式の新しい宮殿である。堂々とした美しい宮殿で、比較的新しいため、当時のものがそのまま残っている。トルコ帝国が共和制に変わってからも、政府の施設となり、トルコ近代化の父・アタチュルクもここでなくなっている。

宮殿の外では交代制の衛兵さんが人気で、観光客が入れ替わりたち変わり隣にたって写真をとっている。一歩門を入るとビデオや写真撮影は別途料金が必要。6リラだか6ドルだか、ガイドさんにまとめて買ってもらい米ドルで渡す。ただし、ノーフラッシュだ。ビデオはカメラより高いときいた気もするが、特に注意もされなかった。

宮殿の中は、寄木細工の床になっているので、しいてある絨毯からはみ出さないようにとの注意。誤って床を踏むと警備員に注意される。一角には美術品の展示もあり、美しい陶器や金銀の食器が並んでいる。これは私には垂涎ものだ!また、手すりの欄干がヴェネチア製のクリスタル、天井のシャンデリアはバカラ・クリスタルという階段の広間の豪華なきらめきには圧倒される。2階には、スルタンの風呂やスルタンの母の部屋、妻たちの部屋などもあり、ハレムの機能も備わっている。執務中に亡くなったアタチュルク逝去の間もそのままに保存されており、見ることができる。

1階に戻って帝位の間を見学。吹き抜けの天井から下がっているシャンデリアはビクトリア女王が送ったもので、4.5トンもあるだそうだ。巨大で重たそう。さっきの2.5トンのバカラクリスタルのほうがきらめいていてきれいだったが、これはなんだかすすけていて輝きが足りない。なぜかと思ったら、ガイドさんの話では、色つきの水晶でできているかららしい。全部で750個の電球がついているというが、電気をつけたところを見てみたい。

ドルマバフチェ宮を見終わり、エジプシャン・バザールに向かう。スパイス類や食品が主のバザールで、グラン・バザールより庶民的という話だ。確かに、スパイス、どろどろに甘そうなトルコのお菓子、チャイ、ドライフルーツと、山積みになっているところは庶民的かも。量り売りだから、少しずつでも買えそうだ。

ちょっとバザールの外に出てみると、そこにも商店街がある。おいしそうなコーヒーの匂いがすると思ったらコーヒー豆を売る専門店がある。バザールのように屋根は無いが道の両側に店が並ぶ。ずっとぶらさがっていたのだろうか、新しいのに新品に見えない下着や靴下の類を売る店の前には、日本にもありそうな若い女性向のカラフルな髪飾りやアクセサリー、雑貨のお店があったり、作業着の店のならびに、毛皮や婦人服の店もあったり、どんな客層でもどこかしら目的にあう店がありそうだ。バザールの外壁に沿ってジーンズの露店が並んでいる一角もある。マーケットでは、「とんでイスタンブール」より「異邦人」の方がしっくりくるなと、雑踏の騒音に消されるのをいいことに歌を口ずさみながら歩いていく。ごちゃごちゃしていて面白い。

再び屋根つきバザールに戻る。エジプシャン・バザールは比較的小規模なので、端から端まで簡単に歩けるが、買い物をはじめると時間はあっという間に過ぎてゆく。似たような店が並ぶので、まだ行っていないところでも「あれ?こっちはさっき来たっけな」という迷い方をする。スーパーで売っているというトルコ料理の素みたいなものがあればよいのだがここでは見つからない。しょうがないのでスパイス屋のおじさんに、キョフテ(トルコ風ハンバーグ、肉料理)に使うスパイスがほしいというと、それらしいミックス・スパイスを出してくれた。おいしそうな匂いだが、他のみやげ物と一緒に入れると匂いが付きそうなほど強烈。トルコ風のチャイのグラスのセット、ストールやクッションカバーなどにも目が行き、ちょっと交渉して値切ってみる。自分は買わなくても、ちゃっかり同じツアーの人の買い物にくっついて、「もう一枚買ったらいくらにしてくれる?」「4枚で2000円にして頂戴」などと言ってみる。そのうち自分もはまって、買い物。クッションカバーを値切ったつもりだが、5,000円札を出したため、むこうはまだこの客からは金をとれそうだとふんだらしく、からすみを一緒にどうかと勧めてくるあたりはお見事。言い値で買わされてしまう私は詰めが甘い。駆け引き上手の日本語ぺらぺらの店員に、脱帽だ。

さて、バザールでの買い物を終え、すぐ近くのレストランへ。ついに最後の食事となる。まだ買い物をしたかったのに時間切れになってしまった人が、食事が始まる前にもう一度お店に戻るといって出て行ってしまったので、向かいの席が2席空いてしまった。端っこだし、ちょっと寂しいなあと思っていたら、バイオリニストと俳優のお二人が座ってくれた。ラッキー!芸能人の近くで食事することなんてこの後の人生でも2度と無いだろうから、最後の昼食をうんと楽しもう。ワイン好きの俳優さんのお話を聞きながらロゼワインを飲む。後はバスに乗って空港まで行って帰るだけ。もう酔っ払ってもいいだろう。

お料理の前に膨らんだパンが出てくる。これはなにかと聞いたら、「なんとかかんとか」と言っていたが、よく聞いてみるとスペシャルブレッドと言っているだけだった。なーんだ。その後スープに、トルコの挽肉がのった薄いピザ、カルツォーネ風のピザが出され、ピラフも出てきた。トルコではほとんど毎日食べていたお肉のグリルも今日で最後、しっかり味わってゆこう。最後の食事が済むと、一緒に旅した俳優さんとバイオリニストさんともお別れだ。みんな、握手をしてもらって店を出る。 

バスに向かう道で、さっきエジプシャン・バザールで買ったトルコの旗を添乗員さんが目印に持っていた。とても目だってありがたい。添乗員さんは男の人だから服装も地味で目立たないので、もっと早くトルコの旗を見つけてくれていればと残念に思った。旗を掲げて歩いているとトルコの人が笑って振り向いてゆく。バスに乗り込み出発。バイオリニストさんが手を振って送ってくれた。歌の題名になったウスキュダル(ウスクダラ)地区を通って空港へ。空港では、トルコのゆべしみたいなお菓子、トルコのサッカーチームのマフラーとシャツ、ワッコのスカーフなどを買う。短いトルコの旅は、再び訪れたいという思いを残し終了。

飛行機に乗ってしまうと席もばらばらなので、今のうちに有志で住所録を作ろうということで、添乗員さんが、名前と顔が一致するように写真もつけましょうといってカメラをもって回っている。私は写りに自信が無いのでためらうが、添乗員さんの機転がふるっていた。後日送られてきた名簿にはなんとぴぃの写真が!これがたぶん、ドンビキのダメ押しとなって私と写真交換してくれる人なんかいなくなるだろうと思いつつも、我が家では大うけだった。


 


おみやげ編

まぁがうれしそうに巻いているのがトルコ土産のトルコサッカーチーム(フェネルバフチェ ジーコが監督)のマフラーです。

  
 

お土産一部です。(人にあげなかったもの

小さな陶器のボウル 絵柄が豊富 壁掛けのお守り? 練りトルコ石 皮袋もかわいい。 有名なお守り、ボンジュー
伝統的織物のクッションカバー ウールに花の刺繍のストール トルコのブランド、ワッコのスカーフ トルコサッカーチームの公式ウェア

こんな食品も・・・

お湯を入れるだけのアップルティーうっすら甘い。 求肥みたいな小さくて甘いトルコの菓子。白い粉に埋もれている。
トルコのアイス、ドンドルマ

トルコ名物、粘るアイスクリームのインスタント。牛乳を入れて泡だて器でかき混ぜるだけ。冷たく凍っているうちは普通のアイスだが、溶けかけると、とろっとする。
2.5リラのおみやげだが、なかなか面白い。結構おいしい。

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